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088アンリ・ミュルジェール『ラ・ボエーム』

毎日更新と言いましたが、日付は変わってしまいました。

大変申し訳ないですが、ご寛恕を。

 空には薄く雲がかかっている。

 天気はあまりよくないけれど、暖房がいらないぐらいに暖かい。

 春と言うにはまだ早いとは思うけれど、冬という感じも大分薄れてきた。

 これから訪れる春を思うと何となくアンニュイな気分になって……アンニュイって日本語でどう言うのか知らんけど……空を見上げたまま、曇りなき澄んだ瞳に雲を映して思わず呟く。


「……青春したい……恋したい」


「んま!」


 隣で小難しそうな本を読んでいる栞が、驚愕といった様子の叫び声を上げる。


「恋したいって好きな人とかいるんですか……?」


「んー……男っ気がないからなあ。クラスの男子とかマジであり得ないし。まあわたしには栞がいるからいいけれども……なんちてー」


「んまっ!」


「じょーだんしばょーだん」


「冗談ですか……」


 なんか妙につまらなさそうというか、不満そうというかそんな感じの声を上げる。


「栞センセイには気になる男子いないの? 恋バナしよーぜー」


「……えーと、秘密なんですが……実はいます」


「んまっ!」


 今度はわたしがへんな叫び声を上げる。


「なんて嘘ですよ、嘘。私には詩織さんがいますから……」


 なんかやり返されてちょっと悔しくなったが、まあ悪い気もしないなと思って、でへへーと照れてみる。


「私も男の人との付き合い方というか、距離感とかどう取っていいのか分からないので、そういうのはないですねー」


「いやいや、栞にはマニアックなファンがいるって絶対!」


「マニアックって何ですか、マニアックって……」


 眼鏡をギラリと光らせていう。

 どうやら栞は自分の意思で眼鏡を光らせることが出来るらしい。


「ごめんてばー。でもアレですよ。青春したいなって思う訳ですよ! 青春! じゃあ春が青なら夏は何色なんだってな! あははー」


「夏は朱ですねー」


「あー夏だし暑いしねー……ってマジであるのそういう色?」


「古文の授業とかで習いませんでした?」


「んっ……夢をね。夢を見ていた気がする……」


「何ちょっとロマンチックな言い方してるんですか。単純に寝ていただけですよね?」


「まあ……はい」


「春から順番に、青春、朱夏、秋は絶対聞いたことありますよ」


「なんだろう? 茶色?」


「北原白秋ぐらいは流石に知っていますよね?」


「あーあの人の白秋ってそういう意味だったの?」


「はい、秋は白。それから冬は玄冬ですね。古代中国の思想から来てて、人生を四季に例えて順番的には春じゃなくて冬から始まって春夏秋になります。冬はまた芽吹く前の季節ですね。まあ確かに私たちの年齢だと青春と呼ばれる芽吹きの時期ですかねー」


「なんでも知ってますな」


「たまたま知っている話をしているだけで、何でも知っている人間なんていやしないですから」


 何でも知ってるなコイツと思いつつ、実はなんかわたしのあずかり知らぬ所で色々とナニでアレしているんじゃないかとモヤモヤしてきた。

 何がナニでアレなんだかはよく分からないけれども……。


「で、今日は何読んでいるの? なんかまた分厚いの……」


「あーウラジミール・プロップの『昔話の形態学』ですね。学術書で結構なお値段しましたけれど、暫く前に何十年か振りに待望の再版されたのでお小遣いはたいて買っちゃいました。学術書ですけれど面白いですよー」


「学術書て……学校で勉強してんのに、まだ余計な勉強するの? 頭の中沸騰しそうだわ」


 あくまで趣味ですよ、趣味なんていって手をひらひらとさせているけれど、流石にその本をオススメしてくれとか余計なこというと、読まなくてはいけなくなりそうになる気がしたので黙っていた。


「あっそうそう。青春で思い出しましたけれど、詩織さんにも是非お勧めの楽しい青春エンタメ持ってきましたよ!」


「エンタメ! そうそうそういうのでいいの!」


「じゃじゃーん! アンリ・ミュルジェール『ラ・ボエーム』です! タイトルぐらいは聞いたことあるのではないかと……」


「ないっす」


「ないかぁーまあ確かに音楽の授業とかではやらない所かも知れないですから仕方ないかなあ」


「音楽の授業か……ふふ、夢をね、夢を見ていたの……」


「いったいいつだったら起きているんですか……『ラ・ボエーム』というのはプッチーニのオペラで有名ですね。他の作曲家も題材にしているようですけれども。かくいう私もオペラの方は知っていたのですが元ネタの本は、最近になって初めて読んだんですよねー」


 はい。といって先ほどの本を渡してくる。

 ほうほう、これが青春エンタメの……と思ったところ思わず。


「分厚っ!」


 と叫んでしまった。


「六七〇頁ぐらいありますからね。でも中身は連作短編で二十三章に別れているので、付録とかと分けると一話二〇頁ぐらいですかね。内容も軽いのでグイグイ読めますよ!」


「ホントにしょうなのぉー?」


「しょうなんです」


 帯には「青春は斯くも儚し」と書かれている。

 十九世紀の何者かになりたい芸術家たちのお話……ねぇ。


「帯に書いてあるまんまの話ですけれど、ギャグも豊富でわりあいストレスフリーな作風なんでかるーい感じですね。タイトルは『ボヘミアン』と言う意味です」


「ボヘミアンってあのボヘミアン・ラプソディーとかのアレ?」


「そーですそーです! ジプシーとかそんな感じで、邦訳のタイトルとしては『ボヘミアン生活の情景』とかそんな感じになるそうです」


 ぱらぱらとめくりながらしげしげと眺めていると、確かに割合細かく章分けされているので、何とか読めるかなあという気がしてきた。

 なんか最近栞に鍛えられてきたのか、それなりのボリュームの本でも細かく分けてあったりすると何とか気力を振り絞れば読める気がしてきた。

 栞に言わせると「知的筋肉」がついてきただそうだけれど、意味はあまり良く分かっていない。


「まあ私も知らなかったのは当然で昭和三年ですから一九二八年に森岩雄と言う人が抄訳、つまり一部抜粋で邦訳したのがあったっきりで、文学作品としてはその後二〇一九年にこの完訳本が出るまで、何の見向きもされていなかったようですね。どっかの大学の先生がそこまで面白くないといってたのをちょっとレビューで見たのですが、難しく重厚な作品を期待してみるとそういう感想にもなるかなというのは確かにありましたね。つまり完全にコメディでエンタメしているんですよ。もちろんそれだけではないので傑作と私は思うのですけれど」


「コメディでエンタメね、はいはい。わたしの専門分野ですよそれは!」


 本当ですか? なんていってクスクスと笑っているが、まあそこまでいうならチョッパヤで読み切ってやりますよと謎の対抗意識が湧いてきた。


「ネタバレにならない程度にお勧めすると、四人のうだつの上がらない芸術家の卵が貧困の中でうだうだとやっている内に各々成功を掴むという話に、彼らと付き合う女性達の問題が横軸で絡んでくるという構成です。まあとにかくお金がないのに見栄張ったり、借金踏み倒したり、大金が入るとすぐに贅沢してすってしまったり、女性関係はくっついたり離れたりの繰り返しで、ろくなもんでもないのですが、喜劇の中に哀しい別れ何かも忍ばせてあって、当時のパリの芸術家志望の人たちの風俗の中で二十半ばの青年達が三十に至までの間にどう生きていたのかというのが良く分かる作品です」


「ゲージツカですか」


「話の元ネタの大半は、作者のミュルジェールの実体験だそうで、親との軋轢で高等教育を受けられず、激務薄給のなかでも志を捨てず、とにかく色んな本を乱読して、独学で教養を身につけて、貧困のどん底で書いた話がこちらの作品ですね。で、雑誌にのせてみたら結構な反響があって、演劇にしてみないかと待望のお声が掛かったのですね。紆余曲折の末誰も想像してなかった大評判になって、次第に大きなハコに移っていって異例のロングランされたというサクセス・ストーリーがあります。まあお金に困らなくなった後の作品は何となくつまらない物になってしまったようですけれど、国民的人気作家の地位は不動の物になって、亡くなったときは国葬され多くの人が参列したそうです。若いときに自作を世界文学に名を残す大作家のヴィクトル・ユゴー自作を送ったところ、非常に丁寧な手紙を貰って激励されたり、成功したときにも忘れずにお祝いの丁寧な手紙を貰って、生涯忘れられない感激の涙を流したそうですねー。確かにそんな優しい激励されたら泣いちゃいますよね」


「へー立派なサクセス・ストーリーじゃないですか。ユゴーさんが誰なのか今ひとつ分かってないけれども……」


「『レ・ミゼラブル』の人ですよ。舞台のCMとかたまに流れるじゃないですか。割と新しい映画もありますし」


 ポンと膝を打つ。

 なるほど、確かに聞いたことのある作品である。

 内容は知らんけれど……。


「まああんまり長々とお話ししても読む楽しみが薄れてしまうと思うのでここら辺にしておきますが、最後に読みたくなるポイントを一つお話ししましょう……」


 そういって顔を近づけてくる。

 額と額がゴツンとぶつかる寸前で分厚いレンズの底から下から舐めあげるように視線を絡めてくる。

 ふっと温かな息が吹きかかり、なんだかよく分からないけれどいかにも女の子って感じのいい匂いがする。

 あれ……わたしも女の子のいい匂いするのかな……しないんだろうか?

 などと雑念がよぎるが、そんなことはお構いなしに栞が語り出す。


「作者のアンリ・ミュルジェールの生年月日は一八二二年三月二十七日……そして今年は二〇二二年……つまり……」


「つまり今年は生誕百周年……という事だね?」


 ふっと栞が息を吹きかけてくる。

 なんだかよく分からないけれどゾクゾクっとしたものが背中を走る。

 もちろん嫌悪感とかそういう物ではないけれど、禁断の何かに触れた気がする。


「詩織さん……生誕二百周年です」


 あ、引き算間違った……ハズー……。

 けらけらと栞は笑って顔を離す。


「まあそういう所詩織さんらしくて好きですよ、私は」


 なんだか妙に恥ずかちぃ感じになってしまったけれど、まあそういうポイントも栞にとっては読みたくなるポイントというか、確かに没後何周年とか生誕何周年っていうのを動機に何か始めるのはいい切っ掛けかなと思った。


「じゃあ産まれた日の三月二十七日? それまでに読み切って見せましょう! 十九世紀のゲージツカの夢の物語読んでやりますよ!」


「まあ詩織さんは授業中に夢を見るのを控えてください」


「……はい」


 思わぬ所でお説教が入りスンとしたけれど、まあ我々も女子高生であるからにしては進路とかも考えなきゃいけない訳で、自分の将来もよく分からんけれど、目の前の栞の将来もあんまり想像出来ないなーと思いつつ、いつまでも一緒にいられたらいいんだけれどとボンヤリ思った。


「んま! いつまでも一緒って!」


 栞が手を口元に当てて赤くなっている。


「あれ? 私呟いてた?」


「はい。しっかりと」


 ま、こう言うのも青春ですよねと小っ恥ずかしくなってどう誤魔化したもんかとボンヤリと考えてしまい言葉が続かなかった。

文中でも触れたとおり待望の完訳本と言うことで『ラ・ボエーム』の邦訳は今のところ光文社古典新訳の物しかありません。

分厚いのでちょっとお高いですが、おなじ光文社古典新訳の『未来のイヴ』や『今昔物語集』『聊斎志異』よりは確か安かった気がするので気になる方は是非お手にとって下さい。

文学的な重さはまあそんなにある物でもないですが、娯楽として楽しむための読書と言う意味では大変よい本だと思います。

連作短篇でグイグイ読ませるので気がついたら読み進めてしまう感じの作品です。

私のお世話になっている現代中国文学、ナラトロジーなどの先生が「短篇は密度と語りの速さ」という話をしていて、この作品は上手いこと条件にはまっていると思います。

肝心の自分の文章がこんな感じなので上手く咀嚼できてないのはどういうことなんだという話ですが、何れ改善していきたいと思います。

感想なんか有ればお気軽にお願いします。

感想面倒くさいけれど、まあ読めたよ、いいんでない?

という向きの方はいいねしていただけると、ふふってなりますのでよろしくお願いいたします。

明日も更新できたらいいなあ……。

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