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0833アンナ・カヴァン『氷』

週一ペースは守れそうです。

明日は祝日ですのでもう一本あげられたらと思っています。

「ごめん、おまたせ!」


 図書室のある棟から放課後の施錠後に外に出るには、先生が帰るときに使う非常口から出るしかないのであるが、図書室施錠後に忘れ物に気付き、先生に泣きついて鍵を開けて貰いダッシュで戻ってきたのが丁度今という所である。


「ふぁい、お待ちしておりましたー」


 真っ黒なマフラーで鼻の上までぐるぐる巻きにした栞が、なにかもごもごと喋ると白い息がむわっと立ち上り、眼鏡を真っ白に曇らせる。

 ちょっと面白かったけれど、待たせてた手前そういうことを言うと流石に怒られそうなので黙っておく。


「待っている間に本読もうとしていたんですけれど、眼鏡がすぐに曇っちゃって諦めました」


「そこまでして本読まんでも……何読んでたの?」


「SFです、SF」


「サイエンス・フィクション! 栞先生にしては珍しいですなあ!」


 眼鏡拭きで丁寧に曇りを拭いながら「そんなに沢山読んでいるという訳ではないですが、結構好きなんですよ」と、中華まん蒸し器の様に白い息をあげながらもごもごと喋る。


「アレでしょ? 今中華SFがアツいんでしょ? あの『三体』とかいうのがメッチャ売れてるって暫く前にネットで見た」


 眼鏡が鼻先に載ってないと落ち着かないようで、眼鏡の位置をもぞもぞと調節しながら歩き出す。


「ええ、面白かったですよ。『三体』は全部通して読むにはなかなか量がありますけれど、一日一冊ペースで読めば五日で読み切れますし、エキサイティングな内容で楽しかったです」


「やっぱり読んでたのか……でも一日一冊で五日って事は五冊もあるの?」


「三部作で、一巻が一冊で、二巻と三巻は上下巻ですね。細かいことは気にせずに、エンタメに振り切っているので頭空っぽにして読むと楽しいですよ」


「なるほど、エンタメ作品か……そういうのいいなぁ」


「私は、筒井康隆の短編『幻想の未来』っていう作品に雰囲気が凄い似ていると思うんですが、そういう感想は特に見かけなかったですね」


「短編かあ……短編ならそっちの方のが読めそう……」


 私は好きですねーと軽い感じでいいながら、鞄の中に手を伸ばす。


「今読もうとして諦めてたのがこれですね」


 真っ黒な表紙に『氷』と一文字だけのシンプルなタイトルがのっかっていた。


「へータイトルがこの季節に丁度いい感じだね……あ、雪降ってきた雪」


「作者はアンナ・カヴァン。イギリスの女性作家ですね。この『氷』は長い間絶版になっていて、古本も高騰していたのですが、私がお小遣い貯めて買った翌月にこの文庫本が出て悔しい思いしたという思い出があります」


 そら悔しかろうと相槌を打つ。


「シンプルなストーリーです。主人公の男が、アルビノの少女を追い求めて様々な暴力的シーンをくぐり抜けていくという筋立てです。少女はとある国の長官という男に囚われていて、そこから取り戻したり、色々あって別れたりとするのですが、その世界観が破滅的です」


「タイトルが『氷』ってぐらいだからなんか世界が氷河期に陥るみたいな感じと見た!」


 栞が珍しく、ずびびと洟をすすり上げながら、またもや白く曇ったレンズ越しににっこりと笑い「詩織さん鋭い! 大体正解です!」という。


「大体って事はどうなんなの?」


「特に説明はなくて、科学者や戦争のため……としか書かれていません。核戦争の手前みたいな説明も少し出てきますがそれにしても、人類の責任らしいということしか分からないのです。ですがその寒さの描写は徹底的ですね。人々は自分の国からどんどん逃げ出していって赤道付近の国に逃れるのですが、氷は海を渡りどこまでも迫ってくるのです。その破滅のイメージは徹底しています。ちょっとだけ筒井康隆の『霊長類南へ』的な感じもしますね」


「へーストーリー自体はシンプルなのね」


「アンナ・カヴァンは一九〇一年にフランスでイギリス人夫婦の元に産まれましたが、精神的に不安定で、当時はイギリスで合法だったコカインから入り、次にヘロイン中毒に陥ったんですね。止めどなく襲いかかる不安から逃れるために、医者に相談してヘロインの量をコントロールして使うようになったそうです。そして一九六七年に自宅でキッチリとした服装に身を包みヘロインの箱に頭をのせ、傍らに注射を置いた状態でなくなっているのが発見されましたが、ヘロインの使用量が致死量には満たないことなどから自殺とも他殺とも分からない状態で、普段から自分に関する資料を処分していたため、その生涯を込みにして伝説になりました。『氷』が出版された数ヶ月後、アメリカ版が発売される直前だったそうです」


「確かに伝説になりそう……」


「最初に話題になったのが一九四〇年に出版された、アンナ・カヴァン名義では初の短編集『アサイラム・ピース』で、全体的に不条理で安定感がなくて、権力者にいいようにしてやられる登場人物達というのがどうにもカフカ的な所があって私は好きです。この『氷』復刊を皮切りに、件の『アサイラム・ピース』や『我はラザロ』『ジュリアとバズーカ』等が復刊していますね。まず入り口としてお勧めするなら『氷』と『アサイラム・ピース』ですかねぇ」


「うん。栞、それはいいんだけれど足下ふらついているよ……」


「すいません……前が、前がよく見えない」


「うーん、仕方ない眼鏡拭いてもすぐ曇っちゃうんでしょ?」


「ええ……前も見えない明日も見えない」


 わたしは「よし!」といって栞の手をとる。


「手を繋ぎながら歩けば大丈夫でしょ!」


 そうだ、栞と手を繋いで歩くのは別に今初めてという訳ではないし、今更恥ずかしくもなかろうと、手袋を脱いで手を温めあいながら、道をナビゲートしてあげようという、この心遣いである。


「……あの詩織さん……私の手冷たくないですか? 本読もうとしてたので素手のまんま何ですが……」


「いいっしょ! この手の温もりを感じて欲しいと思うんだよねわたしは! ユウジョー!」


 栞はなんかあたふたしながら「友情ですか……友情……ですけれど……」と何かもごもごと何か言いたいことがあるのに言いにくそうな様子である。


「まさか今更手を繋ぐの恥ずかしいとか? 栞さんもウブなねんねちゃんですなあ!」


 いや、あのーともごもごしながら、手を繋いでいない方の手でマフラーをぐっと持ち上げて俯く。


「え、ごめん。嫌だった?」


「いや! そういう訳ではないんですよね……ただ……」


「ただ?」


「これってその……この手のつなぎ方はいわゆる「恋人つなぎ」という奴なのでは?」


「……」


 我が手を見やると、確かに紛うことなく「恋人つなぎ」である。

 メッチャ指同士が絡み合っている。

 というか無意識に人差し指で栞の手の甲をスリスリとさすっていた。

 セクハラ親父みたいな事してた……。

 どこか腹の奥底から熱い血がゴボゴボと湧き上がってきて「ふぁい!?」と変な声が口から間抜けに漏れた。


「いや、あの詩織さんが嫌でなければこのままでいいんですけれども!」


 栞の声も上ずっている。


「まあ、ね。まあこれなら『氷』つくこともないでしょう! だっはっはっ!」


 と、誤魔化して勢いに任せて肩を寄せ合いイチャイチャ感をマシマシにしながら二人して歩いて行くのであった。

 あと何メートルあるのか、あと何分この状態が続くのかは分からなかったけれど、無限に思えてきた。


「終わりはない」


 と、栞がぼそっと呟いたので鼓膜がくすぐったくなってきた。

 後で聞いたらアンナ・カヴァンにそういうタイトルの話があるというだけの話と言われたが、わたしは色々と疑って掛かっていた。

翻訳者の方も『氷』『アサイラム・ピース』の順番で読んだそうですが、私もこの順番をお勧めします。

カフカ的であり幻想的であり、同時代の日本のSF作家達にも似たエッセンスが感じられます。

『アサイラム・ピース』他の作品は国書刊行会とか~出ているのでお値段的にはそこそこするので、そういう意味でも筑摩の『氷』は税込で1000円ぐらいなので手に取りやすいと思います。

もちろん図書館という手もありますし、都心で大雪とのニュースが流れるこの季節に良いと思います。

気が向いたらご感想頂ければ励みになります。

とはいえ、更新刷るとき以外なろう開いてないので感想頂いても中々気付かなかったりするのでそれは本当に申し訳ないと反省しております……。

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― 新着の感想 ―
[一言] 作中の作家さんの説明読む度に思うけど、これも結構面白いです。とにかく波乱万丈だったりヤベー感じだったりな人が多くて。 そして、だからこそなのか。彼らの中にある強烈な『世界観』と、そこから紡ぎ…
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