081アルベール・カミュ『ペスト』
週一更新は守りたいと思います。
「『異邦人』ってあるじゃないですか? あの太陽が眩しかったから人殺したとかいう奴」
「んま、詩織さんの方から文学らしい文学の話題出てくるのは神武以来の事ですね」
「じんむ……なんかよく分からないけどまあいいや、あれでしょカミュ、それしか知らないんだけれどさあ、なんか最近売れてる本があるとか何とか……」
「そうですねーカミュというと『異邦人』ばっかり有名で『シーシュポスの神話』とか知っている人は知っているけれど知らない人はとことん知らないみたいな所ありますね」
「で、その売れているのってそのなんとかの神話なの?」
んーといって顎に人差し指をあてて、どこか空中に視線を漂わせる。
「このご時世的なもので爆発的に売れたり話題になったりした本って幾つかあるんですよね。例えばエボラ出血熱のルポルタージュの『ホット・ゾーン』それからペストから逃れて擬似的な楽園に浸るボッカッチョの『デカメロン』それとこれまたペストを取り扱った……というかペスト禍の社会情勢を纏めたデフォーの『ペスト』それからロンドンで最初にロックダウンされたときに、作者が書店に持ち込んだときにあまりにも現実性がないと言われてリジェクトされたものの脚光を浴びて一気に大ヒット作品になったという小説とか、あと漫画で富士山麓の小さな街で起こったアウトブレイクを描いた『リウーを待ちながら』と……で肝心のカミュの作品ですが、『リウーを待ちながら』で名前が使われている「リュー」が主人公の『ペスト』です。タイトルがデフォーと同じなのでちょっとややこしいですが、時代が全然違うので、まあそれはそれですね」
「そんなに……」
「災害文学は昔からあるジャンルですからね。ほら、授業でやった『方丈記』なんかも大火事だの大風だの流行病だのと、悪いことフルコースみたいな感じだったじゃないですか」
「淀みに浮かぶうたかたの所しか覚えてない……」
「んまっ!」
なんだか哀しそうな視線を浴びせられるも、一瞬瞑目した後「忘れるということは脳が最適化されているということですからね」と、にこやかな表情を向けてくる。
なんだか観音様を思わせる仏性の宿ったありがたい表情である。
自分でいってて何が何だか分からないけどまあいいや。
「カミュの『ペスト』はコロナ禍の中爆発的に売れました。光文社古典新訳も丁度のタイミングで出ていていますね」
「面白いん?」
「面白いんです。舞台は一九四〇年代とある年のフランス領アルジェリアの都市オラン。ここはカミュの故郷ですね。話が逸れますが、カミュは第一次大戦で父を亡くしており、赤貧の中育ちましたが抜群に成績がよかったので、教師が色々と骨を折って奨学金をとらせ高等教育を受けさせたそうです。そんな思い出深いアルジェリアですが、『ペスト』の始まりは静かで、あるときリューと老人が一匹の鼠の死体を見つけます。特に気にもせず処分するのですが、日に日に鼠の死体が増えていきます。これはただ事ではないぞと医師のリューが気付いた頃には最初のペストの患者、鼠の死体を見つけた老人が感染してしまいます。そしてあっさりと亡くなってしまい、それを皮切りにペスト禍はオランを包み込みパニックになります。オランは街を厳格に封鎖して感染をフランス本国に伝わらないように、今でいうロックダウンを仕掛けます。そしてたまたま遠出していた家族や友人などと会うことも、手紙や荷物を渡すことも出来ず大パニックになります。リューの妻もオランの外で療養生活をおくっていたので断絶が起きます。街は次第に感染が広がり、フランス本国からの支援はあるものの食料や嗜好品、日常品の類いが品薄になり転売が起こります。そんな中で人々が頼ったのは教会でした。教会のパヌルー神父は、これは神が起こした試練だと説教をし、人々は信仰に縋り付くのです。そして死者はすでに名前ではなく数として扱われ、棺桶で埋葬される所を、穴を掘ってそこに石灰と一緒に放り込まれます。リューはたまたまオランで取材をしている所を閉じ込められた新聞記者のランベールやよそ者のタルー、ならず者のコタール等と知り合い行動を共にしたり、ちょっとした友情を育んだりしますが、死者は増え続ける一方。猖獗酸鼻を極めるという奴ですね」
「しょうけつさんび……何?」
「まあ気にせず。街では人々が仕事がなくなってお金もないのに贅沢品に群がったり、足止めを喰らってしまった旅のオペラ一座の興業が大盛り上がりをしたりするのですが、公演中にオペラの役者がペストで倒れてしまい大パニックになります。そんな中少ないながらもおくられてきた血清を見込みのない患者に打って回り、膿を取り除いてあげたりとリューは深夜まで働き続けます。そんな中予審判事のまだ小さな息子がペストで運び込まれ、新しい血清を打つのですが、子供は苦しみに絶叫し、血清のせいか死を先延ばしにされただけのように、ある朝小さくなって死んでしまいます。教会で説教をしていたパヌルー神父も病気の症状が出たものの一切の処置を拒否し、亡くなってしまうのですがどうも今までのペストと症状が違う。ペストだったかも分からない。これを機に一気に沈静化し、鼠の姿もまた現れるようになり、街は開放され盛大な祭りが開かれるのです。このストーリーは最後に名前が明かされるある人物の、主観を限りなく押さえたという手記という体で書かれているのですね。ペストが引いた後もまだ話は続き、悲劇とも喜劇ともつかないオチがつくのですが、現代のこの状況を見て書いたとしか思えない恐るべき視点で書かれています。そりゃノーベル賞取りますよといった感じです。と、喋りすぎましたが実際読んでみると、本当に細かい所まで現代の映し鏡になっていて、創作というより、リアルなルポルタージュとして楽しめます」
「語りますな」
「語りますね。こう言っては何ですが『ホット・ゾーン』を読んだときのような恐ろしさとスリルが限りなく現実的な話として染み渡ります。これは興奮して一気に読めてしまいますね」
「そういわれるとちょっと読んでみたくなるかなあー」
「そうですね、新訳の方だと後書きまで含めて五〇〇頁弱なので、分厚そうに見えますけれど、例えば毎日必ず三〇頁ずつ読めば二週間ちょっとで読み終わりますし、わりと手が止まらないタイプの本なので、じっくり読んでも一週間ぐらいでいけますよ」
「なにその三〇頁縛りって」
あははと珍しく快活な感じで笑うと「どんな本でも三〇頁毎日読めば、一月で九〇〇頁読める訳ですよ。まあそういう分厚い本って二段組みで文字も小さかったりするので、文庫本なんかとは単純に比べられないのですが、一〇〇〇頁ぐらいある本でも年に一〇冊ぐらいは読めるのかなーって実験をしているんです」等とちょっと訳の分からないことをいっている。
「机上の空論的な所はありますけれど、今まで放っておいた分厚い本もこれを可能な限り守ることによって崩せるかなと思って、新年に入ってからちょっと実験しているんですよね」
気軽にいってくれるぜ……と思ったけれど、まあいっていることは単純である。
確かに出来るかもみたいな気にはなってくる。
三〇〇頁ぐらいの文庫本なら月に三冊は読める計算になるから、まあ読み切ったという経験値をつむにはいいのかも知れない。
「よーし、一〇〇〇頁の本は無理だけれど、薄めの文庫本でちょっとワタクシも挑戦してみましょうか!」
「いいですね! 私も今分厚い本を何冊か枕元に置いていて、文庫本丁度いい所まで読んだ後に、三〇頁読んでいくという方法をとっています。薄い文庫本はご褒美の読書で分厚い方は勉強のためみたいな感じでやってみると思いのほかいい感じで行けますよ!」
読書にご褒美というものがあるのかどうかというのがよく分からんけれど、前に日本人の読書量は読む方の人でも三冊か四冊なんて栞に聞いた覚えがあるので、ちょっと読書かぶれるかも知れない。
「じゃあやってみますか三〇頁読書!」
「じゃ、早速『ペスト』いってみますか?」
「いってみましょう!」
そんなこんなでキャイキャイいいながら本を受け取ったものの、早速初日から寝落ちしてしまったというのはここだけの話にしておきたい……。
あと多分バレると思う……。
今は30ページずつ『ベルゼバブの孫への話』と水声社版『カラマーゾフの兄弟』ボルヘス『記憶の図書館』に挑んでいます。
プルースト『失われた時を求めて』も月一ぐらいで読めたら良いなと思っています。
次の更新はネタがまだあるので近々におだし出来ると思います。




