079ウラジミール・ソローキン『愛』
しばし健康上の理由で(とは言ってもたいしたもんでもないですが)書き上げたものの投稿していませんでした。
体調が悪くてどうこうというのもあるにはあったのですが、通院にかなり時間を取られていたというしょうもない話です。
今年は週一ペースで話を投下するというお約束なので、次回はもう少し早めに投下したいと思います。
「この前栞の家で飲ませて貰ったこーしー美味しかったね。名前だけは聞いたことあるけれど飲んだことなかったヤツ。えーとコピ・ルアクとかいううんち味のこーしー」
本に落としていた視線をこちらに向けて哀しそうに頭を振ると「うんち味というワケではありません……」といわれた。
「ジャコウネコの糞から回収されるコピ・ルアクの他にも猿とか象の糞から取り出したコーヒーもあるようですよ。象のはコピ・ルアクより高いみたいですね」
「なんでうんちコーヒー飲み始めたんだろう……」
「昔奴隷扱いでコーヒー農園で働いていた現地の人が、せめて自分たちも糞から採れるコーヒーでいいから飲んでみたいと集めて飲んでいたらしいですが、これが美味しいことが農園主にばれてしまって広まったそうです。お茶にも東方美人といって売り物になるお茶は全部持って行かれてしまうので、現地民が虫に食い荒らされたお茶飲んでたら、虫の唾液やなんかと茶葉が反応して見た目はともかく美味しくなっていたのがバレてまたかっ攫われたお茶があります」
「地獄か……」
「それはそうと新年ですし、新しい事をやってみようということで、大分前に文芸活動もしてみないですかってお話ししましたけれど、あれやってみる気になりませんか? タブレットとかお持ちでしたよね。キーボード付きのやつ」
んあーと呻く。
「わたし面白い話かけるかなあ……」
「アメリカのミステリ作家が言ってたんですが、持っていた小説講座でやる気はあるんだけれど奇跡的に文才のない人が長編小説書いてきて、もう本当に読めた物じゃなかったのが、それでも諦めず二回三回と書く内に、だんだんモノになってきたという話があって、文章の巧拙というのは読書量と書いた量は裏切らないという話がありました。話のネタ作りは思いつきが必要なんでしょうけれど、書いている内に文章力とかは必ずよくなってくるなんて聞きました」
「うーん……何でもやってみるモノなのかなあ……」
「別に最初から傑作書こうと思う必要はないんですよ」
うーんと唸り頭をふりふりする。
「人に読まれるのは恥ずかしいかも……」
そういうと栞は、その内それが快楽に変わるのです……となんかエロ漫画みたいなことを言ってくる。
エロ漫画読んだことないけれど……。
「そうだなあ……ミステリとかはトリックとか思いつかないけれど、なんかギャグっぽいみじかーいヤツなら頑張れば書けるかなあ……」
そういうと栞がなんだか真面目な顔をして、ふむふむと頷く。
「書き出しって重要なんですよね。出オチみたいな話もあるでしょうけれど、一行目で引き込めば原稿用紙一枚分ぐらいの話だったら読んで貰える筈ですよ」
「しょうなのぉ?」
栞は顎に手をやり、空中を睨むと、なにかそこから取り出してくるかのように視線をふらふらと泳がせる。
「年末年始ってお笑い番組が多いじゃないですか」
「あー馬鹿番組多いよね。栞はああ言うの興味なさそうだけれど……」
「嫌いではないですが、積極的に視聴するという訳ではないんですね、ちょっと気になる小話があってそれだけはよく覚えているのがあるんです」
「どんなんなんですの?」
「北野武いるじゃないですか。ビートたけし。あの人がいつだったか弟子入り希望する若手の芸人にまずいうことが「一目見た瞬間こいつは馬鹿だって分かる格好をしろ」って言い聞かせているそうなんです」
一目見て馬鹿と分かる格好……確かに割といるかも知れない。
それこそさっきの出オチの話ではないけれど、ついつい見てしまう引力はある気がする。
「で、ですね。シリアスな話もギャグ話も色んなジャンルはあるけれど、一目読んだ瞬間こいつは気が触れていると思わせるパワーって凄い必要だと思うんですよ」
「気が触れた話……」
「以前ネットで、一行目から狂っている作品とか作家ってどんな人いるかなあと話題になっているのを見て、筒井康隆の実験作品とかジェイムス・ジョイスの『フィネガンズ・ウェイク』とかが上がってたんですね」
「あ、その『フィネガンズ・ウェイク』ってヤツタイトルだけ知ってる。なんか凄いという話しか知らないけれど……」
「神話の研究で有名なキャンベルとかが解説書をだしているそうなんですが、凄い考えられて構成されているらしいのです。ただ私も一度だけ読んだことありますが早々にギブアップしました。あれはやり過ぎですけれど、確かに一行目から気が触れている文章なのではないかと思います」
「んーでも栞ですら読めないんじゃあんまり意味なくない?」
「要は程度の話ですよ。実験文学は興味の湧かれる所で私は好きなんで色々と読んでいるのですが、一行目からではないにしろ、ちょっと読んだだけで「あ、この人脳味噌が破壊されているな」って分かる作家は確かにいるんですよね」
脳味噌が……破壊……。
「ロシアというかソヴィエト生まれの作家なんですが、ウラジミール・ソローキンって作家がいるんですね。この人の作品で『青い脂』というのがあるのですが、七体の文豪のクローンを作り出したり、怪しい飛び越えてとち狂っている宗教団体、スターリンやヒトラー、フルシチョフなんかが登場するという自分で説明しててなんだかよく分からない本があるんです」
「うん。何言ってるのか全く意味は分からないけれど、のっけから狂っているのは想像がつく……」
「まあ他にもミシェル・ウェルベックとか似た系譜の作家はいるんですが、ソローキンは静かに激しく狂っています」
そんなに……といって、文豪クローンに思いを馳せるが何も浮かんでこない。
「で、狂っている話が読みたければソローキンみたいな所があるんですが、これちょっと読んでみてください。短編集というか掌編集なので数頁で終わる話ばかりなのでちよっと試しに囓ってみてください」
えー、おもしろいのぉー?
等といいながら『愛』というタイトルの本を受け取り、最初の何本かを読んでみる。
「栞さんや」
「はい。何でしょう?」
「なんでこの人達何でもない日常風景から唐突に人様の腕ぶった切ったり、何の関係もない人撃ち殺して食べたり、コピ・ルアクならぬガチうんち食べたりしているの?」
栞は深く頷くと、それでもマイルドな方です。
等と恐ろしいことをいう。
「実際の所、人を選ぶ作品ではありますが、ちょっと読んだだけで、脳に不可逆な反応を起こさせる作品だっていうのはおわかりいただけましたか?」
「不可逆な反応なのこれ? わたしナチュラルに人のうんち食べる風景の記憶消せないの!?」
「そういう作品を選んだので残念ながらそうなります」
「そんなに……」
栞はそういってフフフと控えめに笑うと「でも馴れると面白くなってくるんですよ!」といって和やかな態度を崩さない。
「「国境のトンネルを抜けると雪国であった。」と聞いたら……」
「はい、ピンポーン! 川端康成の『雪国』!」
「正解です! 出だしだけが有名でちゃんと読んでいる人はそこまで多くなさそうですけれど、詩織さんが聞いてもすぐそれと分かりますよね。他にもガルシア=マルケスの『百年の孤独』とかカミュの『異邦人』とか『変身』みたいな出だしが兎に角有名な作品って結構あるし、詩織さんが聞いても知っている出だしの作品って、パッと思いつかなくても結構あると思うんですよ」
「櫻の木の下には死体が埋まっている!」
「そうそうそういうのです!」
にっこりと笑って手を合わせる。
いー感じです! いー感じなので色々と調べてみるといいと思いますよ!
などといってヨイショしてくる。
「あーでもね、栞。わたしがこれ覚えているのって、文学が凄い得意とかそういうんじゃなくて、初めて会ったときにわたしがこの台詞独り言でいってたら栞が声かけてくれたからなんだよね……」
栞は。あ、えーと……と次の言葉が出ない様子でわたわたしはじめ、何となく色素の薄い白い肌の下からなにか桜の花びらのような色を汲み上げ、つまりはですね、えーと……。
等といっては落ち着かない様子である。
「あの時声かけてきてくれて本当に良かったと思っているんだ」
「えーと……名作ですもんね……」
「読書とか全然しないわたしがちょっとだけだけど本読み始める切っ掛けになったし、栞と一緒にいると楽しいし」
「あの……あの……これからもよろしくお願い致します!」
「うん。こちらこそよろしく」
わたしは慌てるでもなく、からかうでもなく、なんだかとてもフラットな感情で彼女の手を取ると、檸檬の様な匂いのする彼女の目を真っ直ぐ見て。
「よろしく」
と重ねていった。
大寒も近くなってきた頃だったが外から刺す日差しは柔らかくて、身も心もぽかぽかとしてきたような気がした。
それはそうと前にも書いたかもしれませんが、川端康成『雪国』の出だし「国境の……」が「くにざいか」か「こっきょう」かどちらかの論争があるというので、お世話になっている言語学者の方に聞いたら。
「漢語なのでどっちで読んでも問題ないです」と身も蓋もない答えを頂きました。
※追記
特に宣伝することもなく過ごしていますけれど
今のご時世Twitterぐらいやってた方がいいんですかね?
と、そんなことを緩く考えています。
更新した時と読んだ本ぐらいしか書くことなさそうですが……。




