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077ミルチャ・エリアーデ『ムントゥリャサ通りで』

明けましておめでとうございます。

本来三箇日は無理でも松の内までには更新したかったのですが、ご覧の有様です。

今年の目標としては、入手にそれなりにコストのかかる海外文学に偏らずに、元にした作品読んでもらえたら良いなということと、毎週一本は更新したい……ということです。

「あけおめー」


「明けましておめでとう御座います」


 軽い感じであけおめといったら、深々と頭を下げられ「本年もよろしくお願い致します」と割とガチな感じで返されたので、何となく恥ずかしくなってしまった。


「いや、真面目か! ってか真面目だったよね……うん」


「いえいえ、本当は私も「あけおめー」ぐらいの軽い感じで挨拶した方がいいんでしょうけれど、何となくここだけは締めておかないと、自分の中の何かが気持ち悪くなってしまって……」


「真面目か!」


 三が日は過ぎていたけれど神社にはまだ露天が並んでいて、いかにも新年という感じがする。


「なんか食べようか……っていっても露天の食べ物結構良いお値段するから、的を絞らないといけない……」


「そうですねぇ、私もトチメンボー屋があれば食べたいのですけれど……」


「トチメンボー? うん、あれねあれ……」


 なんだか分かったような分からないような事を言い合いながら、寒風吹きすさぶ中並んで歩いて行く。

 栞は見た感じからして完全防御といった風な長いコートを着込んでいる。

 それに対してわたしは上はもこもこしたコートを着込んでいるものの、脚は殆ど防御していないので馬鹿寒い。

 親に何か履いていけといわれたのに面倒くさがったのと、冬でも脚を出していた方がカッコいい的な、今考えると死ぬほどどうでも良いプライドが邪魔をして、冬の容赦ない風に吹きっさらしになっており、何でもないというフリをするのが実につらい。

 しかし、ここでそういうのが露見すると、やっぱり死ぬほどかっこ悪いので、心頭滅却すれば火もまた涼しとかいう言葉を思い出し我慢していた。

 いや、火が涼しかったらもっと駄目じゃん。


「あの、詩織さん足下寒くないんですか?」


 一番いわれたくない事をズバッと聞かれたので「わたしほどの人間になればこの程度の事何でもないのですよ」とか強がってみたが、割とどうしようもない感じはする。


「私なんかは見ているだけで、寒そうというか脚が痛くなりそうで駄目なんですけれども、そういう風に何事にも囚われずにファッションとかそういうの楽しめたほうが女の子っぽくって良いんでしょうけれどねえ」


 そういう栞のコートはぱっと見でお高そうな感じで、一目でお嬢様と分かる感じなので、別に競っている訳でもないのに、わたしは一人で完全に敗北しているのである。


「甘酒でも飲みましょうか」


 栞のナイス提案で無駄に熱い甘酒を買って、参道の向かいにある広場のベンチでずずずずと甘酒を啜っていた。

 生き返る……。


「そういやさ、栞は正月三日間は何してたの? っていってもいつも通り本読んでたんでしょうけれども」


 顎に指をやり、うーんと空を見上げると「それがそうでもなかったんですよね……」と苦笑いをする。


「えー、休みの日に本読んでなかったってどしたん?」


「いえ、お客様がなんだか彼方此方からいらしてたんで、挨拶に出なさいとか、まあ色々会った訳です」


「いろいろあった訳ですか……」


 わたしの知り及ばない、イイ所のお嬢様の悩みなんていうのもあったんだろうなと推察させられた。


「あ、そうだお年玉とか貰えた? わたし意外と親戚から貰えたんだけれども、そのときの文句が「これやるからバイトとかしないで勉強しろ」だったんだからありがたみが薄れるよねー」


「まあまあいいじゃないですか。高校生の収入なんてたかが知れているんですから」


「あ、そうだ、ちょっと聞いてくださいよ栞さん。わたくし年末年始でカフカ読んだんですよ、カフカ!」


「えっ! 自発的にカフカ読み始めたんですか! ちょっと驚きです!」


 へへーと胸を反らせながら「カフカはすげぇヤツだって分かっちゃったよね……」とかなんとか分かった風な口をきいてみる。


「カフカは面白いですよねー。二十世紀初頭の偉大な作家を三人あげるとすると、ジェイムス・ジョイスとマルセル・プルースト、そしてフランツ・カフカなんですが、ジョイスもプルーストも兎に角長いので長編三部作以外は短編詩か残していないのでカフカは凄い入りやすいんですが、詩織さんが自発的に読んでいるとは驚きでしたね!」


「そうそう。カフカはグレートだぜ」


「何が面白かったですか?」


「なんだっけ? あのオドラデクとかいう変な生き物出てくるヤツ」


「あー「父の気がかり」ですね。岩波の『カフカ短編集』とかで読める。あれは確かにいい作品ですよね」


「オドラデクって聞いただけでタイトル出てくるのか……そうですか……」


「いえいえ、有名ですし、詩織さんがその話をあげるのもよく分かりますから!」


 ちょっと困ったようにヨイショしてくれるのだが、なんだかちょっと恥ずかしい。


「カフカはなんだか白昼夢のような、足下がフワフワとして安定しない、なんともいえない作品ばかりで、そこが私も大好きなポイントなんですけれど、そのフワフワとした現実感のなさが合わないっていう人もいて、詩織さんがそれを楽しめる側だったのは私としてもうれしいです!」


「はっはーん! そうね。これからわたしのことをカフカ・マスターとでも呼んでくれていいのよ?」


 調子に乗ってるんだか図に乗っているんだか分からないが、実際の所ちょっとしか読んでないのに褒められた事で鼻高々になり、甘酒を一気飲みして熱さでむせた。


「そういう栞はカフカとかやっぱり好きなんだ」


「大好きですね! あ、そうそう。カフカは丁度タイムリーでした」


「なんか生誕何周年とかそういうやつ?」


「いえ、三日の間に一冊だけ本読めたのですが、これがかなりカフカ・ライクな作品なんですよね」


 やっぱり本読んでたじゃねーかといいそうになったけれど、まあさもありなんと思って話を促す。


「どんななの?」


「へへへ、長年絶版になっていたんですが最近装丁を新たにして改版された、ミルチャ・エリアーデ『ムントゥリャサ通りで』です」


 そういって鞄から黒い本を取り出して、これどうよといった感じで見せつけてくる。


「カフカ的で幻想的で、神話的な内容なんですが、最後にいきなりミステリ調に話というかジャンルが転換するという私の大好きなタイプの話なんですよ」


「どこの人なん?」


「ルーマニアの作家です。中々手に入らなかったので出版されてくれてありがたいですねぇ」


「難しいの?」


「そうですねえ、話は散漫でどこまでも広がっていくのに、全くオチがつかないという状況がどこまでも続き、その上不思議な話の断片だけが散りばめられるというタイプの話なんですが、最後の最後でグッと締まるんですよね。作者は宗教史家なんですが、インドに留学したり、ヨガの修行したりとまあ変わった経歴の人なので、その作品にも変わった哲学的志向や人生観が現れるのですが、そういう難しいこと抜きにして面白いです。これページ数も大したことのない長編というよりは中編ぐらいの長さなので是非読まないかなとおもって持ってきたんです。カフカ読んだ今ならするすると入ってくるはずですよ!」


 ホンマかいなと思って本を受け取ってみると、まあ確かにそんなに厚くないし、字の大きさも読みやすい感じではある。


「さっきもいいましたけれど割とカフカ的という点について指摘する人が多いのですが、神話の世界に入ったカフカって雰囲気が続くんですが、最後は急に現実世界に引き戻されるという、その作家の腕力には脱帽させられますね。ルーマニアというとチャウシェスクのような独裁者のイメージが強いですが、書かれた年代も併せてその前史的な雰囲気がありますね!」


 しょーなのぉー? と思いつつ受け取る。


「まあ面白さや、話の転換部分の話しちゃうと驚きがなくなっちゃうので、詩織さんが読んだ後で是非語り合いたいですね!」


「わたしが読むことは確定なのね……」


 是非といって栞がニッコリと笑う。

 そんな笑顔を向けられると断れないじゃないのということで甘酒を飲み干し「ん、まあ頑張って読みます」といって鞄に放り込む。


「しかし寒くなってきたね、甘酒もう一杯買っちゃおうか、百円だし」


 そういうといつの間にか手袋を脱いだ栞が、わたしの手をぎゅっと握ってくる。

 なはっ! と変な声を上げてしまうと「私の手はまだ甘酒で温かいので……」といって真顔でこちらの瞳を射貫いてくる。

 効果音付けるとするとズキューン! といった感じで、はーっはーっとほんのり甘酒の麹というか吟醸香というか、そういう甘い香りがしっとりと手を包む。


「わ、わ、栞ちょっとステイステイ!」


「手袋もしないで歩いていたんでたから手もガチガチになってしまいますよ。本の紙で手を切ったりしたら痛いですからね!」


 真顔でそういうと、はーっはーっと息を吹きかけてくる。

 わたしは何も抵抗が出来ないので、ただ無心に彼女の手に指を絡めるとしっとり感が段々増してきた。

 お互い無言で暫くそんなことをしていたら、雪が降ってきた……いやどこかで降っている雪が風に乗ってきた風花だろうか。


「甘酒もう一回買おっか……」


「……はい」


 その若干の間は何だったんだろう……。

 そしてわたしたちは、手を放す機会を失ってしまったので、そのまま指を絡めたまま手を繋いで甘酒を買いに並びに行った。

 よくわからんが神話的出来事とはこういうもんなんだろうかと思いながら、ムンなんとか通りではなくて表参道通りを、二人してくっついているんだかいないんだかの微妙な距離感で歩いて行った。

 中々直視出来なかったけれど、彼女の方を見ると顔が上気している。

 多分わたしはもっと真っ赤になっていると思う。東風栞……おそろしい娘……。

 

「詩織さん。今年もよろしくです……」


「りょ……いや、了解しました。今年もよろしくお願い致します」


 と、言い直す。

 今年もまた一年が始まる。

こんな感じですが、今年もよろしくお願いいたします。

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― 新着の感想 ―
[一言] 遅れ馳せながら、新年、明けまして御目出度う御座います。今年も宜しくお願い申し上げます。 さて、東欧繋がりで一つ。 長年読もうと思っておりましたがずっと後回しにしていたハンガリーの作家、カリ…
[一言] 明けましておめでとうございます、今年もよろしくお願いします。 今回なんとなく良いなと思ったのが、手を握り指を絡めている二人に舞う風花のシーン。ふと想像したら、エモかったです。 何故か、単に…
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