075『堤中納言物語』
大変遅くなりましたが読んでいて大変「楽しい」事で夢異な『堤中納言物語』を題材に描きました。
いつものトリビアルな話の部分は多少押さえましたが何が正解かは分かっていません。
よろしくお願いいたします。
「栞えもーん! たすっ助けて!」
栞宅で今日はお勉強会という名の、一方的に教わる会の事である。
我ながら情けない声を上げてしまったが、いつものことでもあるようなので気にしないことにした。
「なんですか栞えもんって……今日はどうしたんですか?」
「古文がですね、古文がヤバくて地球のピンチなんですよ……」
「……ピンチなのは詩織さんだけの話ではないのですか?」
「傷つくから初手で本質をつかないで……」
「古文なんてテスト全体から見るとそんなに分量出る訳でもないですし、教科書の範囲から外に出た話とかもあまりないのでは?」
「これだから優等生様はよぉ……」
「それでどうしたいんですか? 勉強教えるといっても正直暗記するぐらいしかないですよ?」
唇に指を当てて小首を傾げ、うーんと唸る。
「いやあ古文にもっと関心が持てたら楽しく勉強出来る……かも」
「うーんそうですね、面白くてすぐ読める古典作品というと……これですかね」
立ち上がって本棚に真っ直ぐ向かうと、これだけ本が鎮座在しているというのに迷うことなくお目当ての本を取り出してくる。
確かに薄いようだけれど二冊あるのはなんぞや?
「これが楽しい古典である所の『堤中納言物語』ですね。平安期から鎌倉時代にかけての短編集です。十本の短編と、書き出しの所だけ残っている断片で一纏めになっています」
「その堤中納言とかいう人が書いたの?」
「いえ、タイトルについては色々な説があるようですが、一番それっぽいということでとられている説が、この短編集が一纏めの包みにされていたからという事らしいですね」
「そんな適当なの?」
「はい。書いた人についても一本だけ「逢坂越えぬ権中納言」が小式部という人が書いたということだけが分かっていて、その他の話は、何年頃に読まれた和歌が引用しているからこの時期以降に書かれたのだろうとかそういった予想でしか分かっていません。しかも平安期から鎌倉時代と結構な長い間にかけて編纂されているので、謎も謎の話です」
「へー短編なら読めるかな?」
栞は黄色っぽい本とピンクの本を差し出してきた。
「こちらのタイトルが黄色くなっているのは岩波文庫版の『堤中納言物語』で、原文で書いてあり、そこに詳しい注釈もついているので勉強には丁度良いですね」
「こっちのピンクで絵が描いてあるヤツはなんですの? 「虫めづる姫君」とか書いてあるけれど」
「光文社古典新訳ですね。こちらは現代語に訳してあるので先にこちらを読むと楽しく読めて原文の理解もすすむんじゃないでしょうか。まあそれにしてはかなりくだけた翻訳だと思うので、ストーリーラインを追うぐらいの感覚で読むと良いと思います」
「ふーん、じゃあこっちから読んでみるよ」
「この作品の特徴は面白いというより楽しいという感覚が相応しいですね。千年以上も前の話があったりするのに、構成が非常に練られていて読む人を飽きさせないんです。私はとくに「よしなしごと」と「虫めづる姫君」が好きなんですが、やっぱり一番有名なのは「虫めづる姫君」ですかね」
「じゃあそれから読んでみていい?」
まあ特に順番がある話ではないので……と栞がいうのでその虫のお姫様? の話を読むことにした。
「面白い……これ面白いよ。現代風タイトルの「あたしは虫が好き」っていうのはちょっと変わりすぎな感じするけれど、このお姫様虫が好きなだけじゃなくて、眉毛剃らなかったり、お歯黒もしなかったり、なんだか凄い現代風な女の子じゃない?」
栞は膝をポンとうち、そうなんです! と嬉しそうにいう。
「今読んでも、凄い現代的な価値観を持っているお姫様なんですよね。詩織さんはジブリの「風の谷のナウシカ」は見たことありますよね?」
「うん。テレビで流れる度に見ている気がする……」
「漫画の方は読んだことありますか?」
「あー、そういうのがあるっていうことだけは知っていますよ。はい」
「宮崎駿の後書きで、ナウシカのモチーフの中の一つとして『虫めづる姫君』が上がっているんですよね。まあ名前自体は『オデュッセイア』からとられているのですが、腐海の中で虫に触れたり、瘴気を発する植物を育てたりするその姿は確かに「虫めづる姫君」そのままなんですよね」
「なるほどにゃあ。で、これ姫とちょっかい出してきた男の子の行く末は第二話を待て! みたいなこと書いてあるけれど、続き凄く気になるから続き読みたいな」
栞は口元に手をやり、くすりと笑うと「詩織さん、まんまと作者の企みに嵌まりましたね」という。
「もしかしたら続きがあったかも知れないという可能性は絶対にないとは言い切れないですけれど、大半の研究者は、この続きの話は特に何もなくて、読者の想像に任せるという仕掛けになっているといってますね」
「なにそれー折角気になるのになんかなんかじゃん!」
「なんかなんかじゃんなのですよ。ここら辺の後半に続く! みたいな煽りを入れておいて実際には読んだ人の想像に任せるという仕掛けもとても現代的ですよね」
うーんとうなり、頭の後ろで手を組んで伸びをするとそのまま後ろに反り返った。
「めっちゃ気になる……」
栞もくすくすと笑い、そういう感想にさせるのが作者の術中に嵌まっている証拠なんですよね。といって伸びをする。
「とりあえず現代語訳読んだ後だと岩波の古文の方もとても分かりやすくて良いですよ! まあ私がちょっと驚いたのは「蝶よ花よと育てられた」という言葉が平安時代からすでにあったという所ではあるんですが、原文を注釈参考にしながら見ると、色々と古文の流れや言葉が分かってくるんじゃないですかね。丁度海外の作品読んで感動したので原文を勉強して読むようなそれに近いんじゃないでしょうか? まあこちらは日本語の作品ではあるので大分ハードルは低いですけれど……」
うーん、栞の術中に嵌められたのはちょっと悔しいけれど、実際の所読んでみたら面白い。面白いというかとても楽しい読書体験になっている。
「古文てさあよくわかんない所もあるけれど、意外と面白いんだねぇ」
等と感心してみたりする。
「『今昔物語集』であるじゃないですか。全部の話が「今は昔」で始まる仏教説話なんですがこれもまた面白いです。全部網羅すると千話以上になるらしいのですが、これも『堤中納言物語』のように、残っている本が飛び飛びだったりして、作者もよく分かっていないという話なんです。本朝と呼ばれる日本の話と、震旦という中国の説話、そして天竺というインドの話で構成されているんですが、ここら辺も途中から話書かれたりしていて、後からその本を埋めるためにかける所から書いていったという感じだったり、実在の人物の話も入っていたりして、確認が取れてないデータや人名については空白にしてあって、後から埋めるき満々だったそうです。こちらも面白いですよ! 『今昔物語集』」
「今は昔かあ……Now is old……ってやつね」
私の独り言が耳に入った栞は何となく哀しげな目をして首を振る。
そしてわたしの発言をなかったかのように「『堤中納言物語』に興味湧いてきました?」といってくる。
「はい。わたしは非常に面白いと思っています」
「なんで直訳っぽい言い方なんですか……それはまあ良いとして、勉強にはなるんじゃないですか? どうせ勉強するなら無理矢理暗記するよりも楽しみながらの方がいいですよね!」
「うんうん。この本楽しいよ! 十本とちょっとしか話入っていないならすぐ読めちゃうしね!」
「まあ勉強会といっても、期末テスト終わった後ですから、のんびり横道に逸れながらやっても良いかもしれませんね。それ二冊とも大体二時間もあれば読み切れますよ!」
「なるほど、面白そうな所だけ先に読んで、じわじわ攻略していくのもありか……」
「もしよかったらお貸ししますので、ゆっくり自分のペースで読んで貰って良いですよ!」
栞のその申し出は嬉しかったけれど、わたしはゆっくりと首を横に振った。
「いや、貸して貰わなくて良いよ」
「ん、今読んでいる本ではないので気にしなくても……」
頭をポリポリと掻きながら何となく恥ずかしさを抑えて何でもないという風にこういった。
「ほらさ、読みたくなったって理由を付けて栞の家に遊びに来ることが出来るじゃない……。それに解説とかもして貰えれば勉強になるかもだし……ってね」
栞は顔を真っ赤にして、ノートで目の辺りまで顔を隠す。
ちょっと意地悪な気になって「ん、どうしたのかな栞さん? まさか恥ずかしいとか、今更わたし達の間柄でそんなこともないでしょう?」
といってやったが、いっててこっちまでこっぱずかしくなってきて、頭に血が上ってきた。
何というか「栞めづる姫」というような感じになってきた所で、突然換気しようといって窓を開けた。
「うわっ! 見てよ栞、雪降ってきてる!」
しかも結構な勢いで降っている。
流石に今帰らないと不味いなと思っていたら、それを察知したのか栞が。
「帰らなくても良いじゃないですか……泊まっていってくださいよ。そとは危ないから……」
と、泊まっていくのもなんだか危険な香りがするなと思った所で、わたしは栞に絡め取られてしまったのだなと思った。
ここ一月で精神科、歯医者、耳鼻科、皮膚科をヘビーローテーションしていました。
パソコンもついに買い換えとなったりなんだりで、何でアレでしたがなんとかやっています。
読んだ本のストック自体はあるので、何日かは連続で更新できたらな……と思っています。




