071トンマーゾ・ランドルフィ『カフカの父親』
二ヶ月近く更新してなかったので、なんか早朝変な時間ですが更新させていただきます。
今回は実験的というかちょっと変わった種類のボールを投げられたかと思います。
夏の気配がまだ残るものの、ここ最近気まぐれに朝早起きなんかしてみると、涼しいを通り越してちょいと肌寒いなんて空気が流れていて、秋の訪れを感じる。
とはいっても肌寒い空気とは裏腹に日差し自体は結構な強さのままなので、秋の到来というよりは、夏場に避暑地の高原にでも降り立ったような優雅な雰囲気があると自分に言い聞かせている。
まあ避暑地の高原なんて行ったことないんで、完全にエアいいとこのお嬢様やっている訳なんですがね。
こう……年頃の乙女としては、夏場の高原とか海辺とかそういう所で、白い帽子に白いワンピースを着て、裸足のまま静かに佇んでいて、絵を描きにどこか都会から汽車にのってやってきた少年とかと一夏の淡い恋路的な? ボーイ・ミーツ・ガール的な? そういう夢想にも小っ恥ずかしながら憧れたりもするもん何ですよ。
と、いう話しを栞に蕩々と語っていたら、本当に恥ずかしくなってくる話しですねなんていわれたものの「それはそれとして自分もちょっとそういう妄想逞しくすることは、ないにはないというか嫌いではないというか、やや嗜好する傾向があるというか……」なんていいだすので、お互い親とかに聞かれたらその場で何の躊躇いもなく速やかに舌を噛み切って潔く自決するか、それを知るものをこの世から永久に排除せねばならなくなる少女趣味ですなということで、キャッキャしつつもガチで乙女の秘密といった感じの封印しなくてはならないお話になった。
そんなこんなで話し込んでいながら、ふとそういう「抜けるような真っ青な空に、入道雲がむらむらと湧き立つ下で涼やかに笑っている線の細い感じの白いワンピースに白い帽子のお嬢さん」あと廃線とか無人駅とかそんな舞台装置のイメージってなんとなく共有しているけれど、どっから来たんだろうという疑問が、晩夏の入道雲のようにむくむく湧き上がったという話しに脱線すると、色々と複合したネタではあるだろうけれども、多分そのイメージの源泉の一つではなかろうかという作品で一つ思い浮かぶ古いものが、坂口安吾の『傲慢な眼』というのがあって青空文庫でも読めるし、短いのでオススメですよという話しになった。
推薦図書としては気軽に読めそうだしよろしゅおすなあということで読んでみる気になったけれど栞はんは何か短編で好きな作品どんなのがありますのん?
と水を向けた所「カフカ……フランツ・カフカは今は癌に効かないけれど、いずれ癌にも効くようになる」と、なんだか謎の熱情を持って推挙する。
その時々によってもちろん変動するけれど、オールタイム・ベストな作品をあえて挙げるとするとガルシア=マルケスの『百年の孤独』だけれど短編、掌編作品で挙げるならボルヘスかカフカですねーとのことだった。
ボルヘスもカフカもお勧めして貰って読んだけれどなんだかちょっとむじゅかしかった記憶があるにゃあーなんていってだらしなく背もたれらに体を預けて目一杯仰け反る。
むぐっ、おっぱいがブラウスに押しつけられてぷりぷりぱっつんになる。
野郎共に見られたら、相手が死ぬか、私が殺すかの二択が求められる厳しい状況になることは避けられえない。シリアス・プロブレムというヤツである。
ボルヘスもカフカも比較的取っつきやすい方なんですけれどといわれたけれど、その難易度というのかそういった感じの難しさとは別に、特にカフカは「夢と現実が区別がつかない明晰夢のような、雲の上に立っているような足下がいつ抜けてもおかしくないふわふわとした不安感がある」なんていってみたら「ああ、それは分かりますね」と栞さんと珍しく意見の一致を見ましたよ、はい。
まあ、そのフワフワとしたような不安感や冷たくヒリつく焦燥感。そういう「ボンヤリとした不安」ともいうべきリアルな現実感のなさが一番面白い部分だとのご意見を頂戴して、そういうもんですかぁ。なるほど栞さんは一家言お持ちであられますな! というわけで今度は足下が抜けそうな不安感みたいなものを理解することによって文学少女を目指してみますかという宣言をしたわけです。
んで、夏の避暑地では何をすべきかという問題について熱き討論を重ねた結果出た答えが「何事も為さないをする。あるいは文学に浸る」のが正道にして王道でしょうとなったので今日は読書記念日。
じゃあ栞さんや、この詩織さんに絶賛レコメンドせざるを得ない作品を誂えてくれたまい。出来れば短編とかで……と申し述べると、避暑地の別荘で読む本は古今東西よりマルセル・プルーストの『失われた時を求めて』と相場が決まっているとの有識者よりの提言があったものの、これについては物言いをせずにいられなかったため、夏場に使う訳もないマントルピースに投擲せよとの神のお告げがありましたと伝えると、しょうがないにゃあということでお出しされたのがトンマーゾ・ランドルフィ『カフカの父親』という本だったわけです。はい。
表紙はなんだか蜘蛛というか、まっくろくろすけというか「ゲゲゲの鬼太郎」に出てくるバッグベアード様みたいな不思議な生物が飾ってあり、なんだか不安感が湧き上がってくるのです。
国書刊会とかいう名前も聞いたことのない、なんだかマイナーそうなというか玄人ウケするのだろうかというよく分からない出版社の単行本を渡されたけれど、白水社とかいう所からソフトカバーで文庫が出ている云々という説明を受ける。なるほどなるほど。ソフトカバーの方が読みやすいけれど単行本で読んでた方が、読み切ったときの満足感があるのと、これは読書おいて最も重要なコトの一つではあるのだけれど、最も周りの男子共に見られたとき「あれ? 詩織さんなんだか難しそうな本を読んでいらっしゃる! 清楚清純派で文学にも深い造詣をお持ちなんだ! 高嶺の花でらっしゃる!」という評価がつくことは確定的に明らかなので単行本派です。
栞も単行本派だと以前仰っていたので、わたしのロジカルかつ啓明な脳が導き出したデキる文学令嬢の考えには一切の誤謬がないことは、催眠術にかけられた人が目隠しをしたまま、赤くなるまで熱した鉄の棒を押しつけられると実際に火傷するというぐらいの当然の帰結であり、違いの分かる女は単行本派ですよねと満足感が高い訳です。
『カフカの父親』なんてタイトルなので、ほへーんドイツ文学かいなと思ってたらイタリア文学らしいと、なんだか不意を突かれたような感じがした。
表題の『カフカの父親』とセットになっているかのような『ゴーゴリの妻』なんて作品も収録されていて完璧読書少女である詩織さんの清らかな川の流れに例えられる、クリアで明晰な知的好奇心と高い教養とがあわさった、読書センサーはビンビンだかユンユンだか分からないけれどガッツリと本書を掴むわけですね。
乙女のハートをキャッチいい感じにガッチリと鷲掴みしてくれます。
ということで読みました。
あれれ……なんか思ってたのと違う……。
なんとなく暗い感じの話が多い気がするけれど、何というかSF的な話が結構多くて、良い意味で裏切られた感じがする。
なんか声が形になって出てくるという世界観の話では、大声が馬鹿でかい固まりになって人を潰したり、オペラ歌手は美しい形を作ったりと変な所で細かい設定があったりする。声が形を持つってジョジョじゃないんだからと思ったものの面白い。
『カフカの父親』はなんだか暗い感じの話で、栞が言うには「カフカの作品を幾つか混ぜて作られている」とのことであるけれど、これこのアイデアでたった数頁しか書いてないけれど、書こうと思ったら結構な長さで切るんじゃないの? というぐらい惜しげもなくアイデアを使っては使い捨てている。
なんだか単語共がある日実体を持って、自分たちの持つ単語の意味が気に入らないから自ら選ぶ意味を担うので好き勝手に違う意味を自分たちに付けるという、何言っているのか分からないと思うけれど、確かに自分でも何言ってるのか分からない設定のお話があったりする。
中でも『ゴーゴリの妻』は割と酷い話で、ゴーゴリがダッチワイフ的な印象がつきまとう、ゴムや絡繰りで作られた人造嫁と共に生活をしているものの最後になんかぶち切れてマントルピースに投げ込むという謎が謎しか呼ばない謎の話があったりして、まあどの話も色んな意味で忘れがたい印象に残る作品だった。
栞曰く「トンマーゾ・ランドルフィはティツィアーノ・ブッツァーティやイタロ・カルヴィーノと並ぶイタリア幻想小説の大御所」という人だとかなんとか。
作者死後の作品の編纂はカルヴィーノがやっていたというぐらいあって『不在の騎士』はじめとする<我らの祖先>三部作に似た空気感があった。
あ、わたしはもちろん三部作全部読んでますよ? 何故なら栞にプッシュされたので読み始め、ポイントポイントで解説を講義して貰ったのでカルヴィーノどころかイタリア・レアリスモは頭頂部から爪先に至るまで完全攻略したといって過言ではないでしょう……。
過言じゃない!
栞大先生曰く、このトンマーゾ・ランドルフィっておじさんは貴族趣味で、それこそ我々乙女が夢想した、自然豊かな別邸に籠もって作品を仕上げているか、ヨーロッパ中廻ってカジノで遊んでいる人らしいよとの話である。
羨ましいなおい。
この作者は自分の経歴は一切表に出さない人で、表紙の見返りの所の著者近影の場所は、写真も経歴もなく、白一色で塗りつぶしてあったとかいうので、その作品と同様に神秘的な人というイメージが強いようで当のイタリア国内ですら、謎の作家扱いで、隠遁すればするほど興味を持たれ、その神秘のヴェールを暴かれるかと思った所が、ランドルフィと契約を結んでいた出版社が、マイナー志向的な部分もあったらしいことと。大々的に宣伝を打って作家をグイグイと捻り込んでいくというのとは正反対の、受け身の売り方だったそうで、作品のアイデアを贅沢に派手に使い潰すという作風の割には、知る人ぞ知る的な、好きな人は知っているけれど、知らない大多数の人々にとっては知る切っ掛けもなければ興味も持たれないという残念至極なポジションに収まってしまったということである。
ただし、知られていないだけで、栞大先生に寄れば、イタリア国内有数の文学賞に何度も輝いているとも仰っていたので、結局は実力はあるものの、興味が持たれないタイプの売られ方をされてしまったようである。商業的失敗じゃないっすか。
と、まあ栞推薦図書を拝読したわけで御座いますが、確かにカフカっぽい言い知れぬ不安感を持ちつつも、幻想小説……というよりは個人的には古き良きタイプのSFみたいだなあと思って読んでみたわけですよ。
ファンタジーとSFの違いとかは作者が名乗った方みたいな雰囲気で決めている部分というかそういう風潮があるのはなんとなく感じてはいるけれど、本当に文学って自由だなあと思ったのですよ。
高原の別荘にいったら書斎なんかで地元の肉屋から買ってきた手作りハムとかを、そこの人気のパン屋で購入した熱々の焼きたてパンで、地元の郷土野菜と一緒に挟んで食べながら読書の世界に入り浸れたら素敵だなあという話にまた戻り、この会話何周してるんだと思いつつも、知らない面白い本は世の中、名の通って評価が定まっている古典だけ取り出しても無数にあるんだなこれという話に話題は落ち着いたと、報告を受けました。
以上。
詩織さんのぶつぶつ独り言コーナーでした。
あとこれを機にお厚い本の旅に出ましょうといわれましたが、ここは避暑地の別荘でも何でもなくて、たまたま涼しい風か気持ちよく吹いていますというタイミングで風を浴びてアンニュイな気持ちを夏のイメージに絡みつけているだけの、清純さ溢れる純の白帽子はおろか、白いワンピースも持っていないただの一女子高生なので、あんまり長くない作品でお願いしますと訴え続けなければならない迷える子羊だから、簡単な本にするか逆転の発想で避暑地に連れて行って頂き読書三昧に耽る環境を設えて貰えたら是非という弱い人間なのですわたしはね……。
まあ総括すると、トンマーゾ・ランドルフィは面白作家でした、と、いうことと、全身真っ白のお召し物は栞が着たらメッチャ似合いそう、あ。何か興奮してきたら鼻血が垂れてきそう……という事ですかね。
そんなん純白のワンピースの文学お嬢様いたらわたしがかっ攫いますわという所で今回はお開き。
偽高原で読む次の本は何だろう。
ぼやぼやしていると夏の残り香が完全に消え去ってしまって、その内すぐに読書週間始まっちゃうよというタイミングである。
黙々とブックレビューみたいなのSNSとかに黙々とあげるストイックなカッコいい感じの読者を装って、一目置かれる女子高生として読書の秋に挑みたいなあ……ガール・ミーツ・ブックって感じで一つお願いします。
はい。
あまりというか全く詳しくないのですが、連続してイタリア文学を取り上げてしまいました。
別に悪いって話でもないのですが、ちょっとしたネタかぶり感はあるかも。
まだネタにストックはあるので近いうちに更新できると思います。




