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070ダンテ・アリギエーリ『神曲』

なんか久しぶりすぎて更新の仕方からして忘れて難儀しました。

無駄足踏まれた方々には申し訳ない限りです。

「栞が知っている中で一番凄い文学の本ってなんなの?」


 試験勉強というか、栞に一方的に勉強教えて貰いながら、なんとなくぼやーんとした頭からポロっと言葉がこぼれる。


「なんですか藪から棒に突然に」


「いやぁこれ読んでおくとためになる本とかってあるのかなと思って……」


 ボールペンを上唇に挟んで、つかれちったーとかいいながら背を伸ばすと、背中から腰からボキボキと子気味のいい音が聞こえてくる。


「勉強に集中しましょう……と思いましたけれどもう二時間以上経ってましたね……」


「そうそう、たまには一息入れないと」


「まあいいでしょう。人間の集中力なんて三〇分ももたないなんていいますし……紅茶と珈琲はどっちが良いですか?」


「お紅茶いただきますわ!」


 重くなった頭を左右に振ると、首からも小気味のよいボキボキ音が聞こえてくる。

 もしかして死ぬんじゃないだろうかと不安になる。

 栞が紅茶を淹れながら何か考え事をしている。


「どうしました? 何か考え事ですか?」


「んもー詩織さんが一番凄い文学は何かなんて聞いてくるから考えてたんですよ」


「あれそんなこと……ああ、いいましたね、はい」


「自分で言っておいて忘れないでください!」


 頭を掻きながら、へへへすんませんなんていって反省している風を装った。


「まあそうですね、凄い文学というどこに基準を置くか迷いますが、面白い作品というと個人的には二〇世紀の作品だとガルシア=マルケスの『百年の孤独』が断トツで面白いと思っていますね」


 紅茶を注いでくれながら、んーといって天井を睨み考え事を続けている。

 手元を全く見ていないので不安になる。


「そうですね、例えば二〇〇二年にノルウェーブッククラブが世界最高の文学百選を出したときに、一位だったのがセルバンテスの『ドン・キホーテ』でしたね」


「はいはい、ドン・キホーテですね、たまに買い物に行きます」


「そっちじゃないですよ! 読んだことなくても風車に突撃する老騎士なんて小話聞いたことありませんか?」


「なんか歴史の授業かなんかで聞いた覚えが……」


「セルバンテスはシェイクスピアなんかにも影響を与えていたと考えられていますね。先ほど上げたガルシア=マルケスも『創作するにあたって、時には自分をセルバンテス以上の天才と思い込まなければならないこともある』なんてことをいっていたりするので、影響力のある作家ですよね」


「じゃあそれが一番なの?」


「うーん他にも二〇〇〇年になったときに、ロンドンのタイムズ紙が選考した過去千年間で最も偉大な文学は? というランキングではダンテの『神曲』が一位に選ばれていましたね」


「『神曲』って聞くとなんか動画サイトの有名曲みたいなイメージ強い」


「森鴎外が付けたタイトルですね。ダンテは歴史の授業でやりましたよね」


「うん。やったやった、えーと「この門をくぐる者は一切の高望みを捨てよ」だったっけ?」


「森見登美彦の日誌じゃないですか。なんでそっちが出て本家の方が出てこないんですか。まあいいですけれども!」


 二人して笑い合う。なんだか絶妙な間が空いたけれど、他愛もないこういうやりとりは好きだった。

 でもなんで森見登美彦のサイトが出てきたんだったっけ?


「えーと、話しを元に戻しましょうか。ダンテの『神曲』は途中忘れ去られていた時期もありますが、過去千年間で最も重要な作品の一つであるのは間違いないですね」


「えー本当にー? 千年間で一番凄いとかいいすぎじゃないー?」


「まあ千年間でなんていうと、当然どんな作品でも疑問の声が上がるでしょうけれど、それだけ大した作品なのは間違いないですよ」


「『神曲』って面白いん?」


「うーん。面白いかどうかは難しいですが、凄い作品なのは間違いないですよ」


 ティーカップを口元に運び、あちちとかいいながら「どんになんなんですの?」と話しを促す。


「まず小説じゃなくて詩なんですよね。全部で三部構成になっていてそれぞれ「地獄編」「煉獄編」「天国編」に別れています。もうちょっと突っ込んだことをいうと、それぞれ三十三から三十四歌に別れていて、合計して百歌という構成になっています。これはキリスト教でいう所の三位一体と完全なる百という考えから来ているようですね」


「へー、詩が百本あるの?」


「ですです。キリスト教的史観を知らないと分かりづらくはあるのですが「地獄」は罪を犯した者が永久に閉じ込められる場所で「煉獄」は罰は与えられるけれども、最終的には天国に引き上げられる禊ぎの場所ですね。そして「天国」はそのまんまイエス・キリストや神が御座す永遠の楽園なんですね。それぞれを作者であるダンテ自身が、先導者であり、最も尊敬する詩人であるウェルギリウスに先導されて巡り歩いていくという構成になっています。最後の方ではダンテ自身が恋い焦がれたベアトリーチェという二十五にして亡くなった女性に先導されていきます」


「自分自身が出てくるとかって何か厨二病臭くない?」


「まあそういう意見も出てくるのは仕方ないんですが、構成は実に厳密です。ただダンテ自身が自分を持ち上げている節はありますね。自分のことをヨーロッパで当代最も偉大な詩人に位置づけていたり、政敵である人物を次々と地獄に放り込んでいたり、政敵から追放されて地方の有力者の食客になっていた時期の保護者を纏めて天国送りにしていたりと、割といいように扱っていますが、それはダンテ自身が謹厳なキリスト教徒であったため、宗教的に腐敗していると断じた相手に対する抗議でもあったようです」


「今だったらメッチャ炎上しそう……」


「メッチャ炎上しました。当時のイタリアに衝撃を与えた『神曲』はそれだけ成功したがために、天国に送られた方は名誉と思ったものの、地獄送りにされた方の派閥や遺族、子孫は、それはそれは怒ったものですね」


「順当に炎上している……」


「それに当時の宗教観からしても、非キリスト教徒に対する扱いが酷くてあれこれとささくれが立ったような部分もありますね」


「イスラム教徒とかそういうやつです?」


「そういうやつです。マホメットは当然の如く地獄送りですね。ダンテの時代の認識としてはキリスト教に対するアンチとしてのイスラム教というよりは、キリスト教から派生したマホメットとその息子が作り出したセクトという認識だったそうですけれど」


「なんか世界史の授業でなんとなくやった記憶が……」


「あまり正確ではないですが、ざっくりというと旧約聖書の時代がユダヤ教徒のもので、キリストの降誕した新約聖書の時代がキリストのもの、そしてイスラム的には旧約聖書と新約聖書自体は古い経典であるもののキリスト自体は重要ではあるものの予言者の一人にしか過ぎず、イスラフェルを通しアッラーよりクルアーンを授かったマホメットこそが神の声を伝える人物という考え方ですね。世界史でもエルサレムにユダヤ、キリスト、イスラムの三宗教の聖地が全部揃っているとやったはずですね。イスラエルとかその辺まで話し延ばすと終わらなくなるのでここら辺にしておきますが、割合宗教と文学は切っても切れない関係にあるので覚えておくと世界史も楽しくなるんじゃないですかね」


「うーん勉強……つらい……」


「まあそんなこんなで『神曲』が偉大な文学として選ばれた訳ですが、どうにもこれは欧米の宗教史感が強いですよね。過去にアラビア語訳も作られたそうですがマホメット登場のシーンはまるごと落としてあって、アラビア語圏では読めないそうです。キリスト教史観につよい影響を与えているそうですから、あちらの方にとっては非常に身近な説話なんでしょうね。ダンテと入れ替わるように登場したボッカッチョはダンテ講義をはじめて行ったそうですが『デカメロン』の中にも『神曲』のオマージュがあるものの、貧しいとはいえ貴族の出で、フィレンツェでは大臣的なポジションも経験した熱烈なキリスト者のダンテと違い、ボッカッチョは商人の出で非キリスト教圏の人たちとも交易を通して交流があったのでダンテの頑迷な宗教観にちょっとしたからかいというか風刺を持って笑い飛ばしている部分もあるようです」


「はいはい。なんか前に『デカメロン』の話しして貰った記憶があります。はい」


「ここら辺の流れを知っておくと西洋文学の潮流と世界史的な部分は見えてくるのでお勧めです」


「でも難しいんでしょう?」


「うーん。確かに攻略には時間掛かりましたね」


「どのぐらいのボリュームあるの? 詩だからそこまででもない感じ?」


「二〇一〇年に出された平川祐弘訳の完全版を読んだのですが、一五〇点ほどのギュスターブ・ドレの美麗な挿絵が入っていて、これも併せて解説まで読むと六六〇頁ぐらいありますね。因みに二段組みで字も普通の本に比べてもかなり小さめですので中々の難物です。文庫でも出ていてこちらは三部に別れていますね。ついでにいうと『新生』という作品も併せて読むといいのですが、それも併せると挑み甲斐があるとも骨が折れるともいえますね」


「二〇〇頁超える本は宗教的に禁止されているのでちょっと……」


 栞も紅茶を口に運びつつ、そんな宗教ありませんとバッサリという。


「まあこぼれ話としてはあの『ゲゲゲの鬼太郎』の水木センセイも『神曲』を読んでいて「どこの神話でも地獄の方が描写が豊かで、人間残酷な地獄のことは想像力が豊かになるのに天国はなんか描写が薄くてつまらないから死んだら地獄に行った方が退屈しないでよさそう」みたいなこといっているのですが、研究者の間でも煉獄編の最後の辺りから天国編にかけては面白みに欠けるって評価みたいですね。『神曲』の場合は編成的に神学について語るパートになっているのでダンテ自身「難解」といってますし、天国の表現についても度々「描写出来ないほどの」なんていって詳細を書くことをしてないんですよね」


「まあ確かに残酷表現は底なしで書けそうだけれど、天国の表現はあまりパッと思い浮かばなさそう……そういう意味ではちょっと読んでみたくなってきたかも……」


 栞がふふふと笑みを浮かべる。


「でもまあそういう面白い側面も、ダンテ自身のユーモアもあるという側面を加味しても、読書が趣味というだけのモチベーションでは読み切るのは大変かも知れないですね。趣味だからで読み切るにはハードルが高いということを考えるとすると、例えるなら登山としてはかなり高い山といえますね」


 よくそんなモチベーション持ってられるなあとボンヤリと呟き、二人して紅茶を啜る。


「切っ掛けがあったのですよね。切っ掛けが」


「なんか難しい本読むというマゾ的な縛りでも付けたんですの?」


「マゾって……違います、中学の時にお世話になった先生から「不惑を迎えるまでに『神曲』は読んでおくべきだ」っていわれたんですよね」


「ふわく……って何歳だっけ?」


「「四十にして惑わず」ですよ。それでムキになって読み始めたんですが中学の時は返り討ちに遭いました」


「四〇歳までに読めって言われて半分以下の歳で読むのはキツくない?」


「そうですね。地獄の門をくぐる所までは有名なシーンでしたから意地になって読みましたけれど、そこで根気がつきましたね。で、ようやくこの前の休みの間に日常生活の全てを投擲して他の本に浮気せず、一心不乱に読み込むと自分に課して四日間で読み切りました。そういう意味ではマゾ的かも知れないですね」


 と、そんなことをいいつつフフフと笑っている。

 こやつ気が触れているのではと内心思ったと同時に、ストイックだなと変に感動してしまった。


「確かに大変でしたけれど読み終わったときの達成感と開放感は中々得がたいものでしたね。四〇までに読めと言われたので、半分の二〇までにはと思ったのですが、これは決め打ちでやらないと一生読まないかも知れないとおもって遂行しました」


「そんなに……」


「だから今すぐ読めとは言いませんから詩織さんも不惑を迎えるまでに読む一冊として目標にしてみたらいかがですか? 一日一歌ずつ読んでいくとしたら百日で本編自体は読み終わらせることが出来ますし、私みたいに自分を縛り付けて読み込むよりは健康的だと思いますよ」


「えー……そんなにお勧めなんですのん?」


「お勧めしますのん。欧米で最も重要な文学として選ばれましたけれど、歴史的に見ると中世ヨーロッパで凄まじい勢いで広がり、ダンテの名は不動のものになりましたけれど、先ほども触れた通りかなり一方的な描写が目立つので、一時期は忘れ去られた文学となったのですが、一九世紀から二〇世紀に書けて、ノーベル賞を取ったトーマス・マンなんかによって再評価されて今では不動の地位を確立したんです。それ以前にも日本では例えば森鴎外に紹介されていたり、夏目漱石の『倫敦塔』でも触れられていたり、正宗白鳥によって研究されていたりと本邦でも知られた存在ではあったのです。偉大な文学は必ずいつか評価されるということですかね」


「うーん……難し……」


「簡単に上れる山は気楽で楽しいです。それは否定される所ではなくて凄い重要だし大切なことでもあり、評価されるべき項目でもあるんですが、高い山の天辺からしか見られない眺望もあるのですよね。それはそれで大切なことなんですよね。正直『神曲』を全部読み切っては見たものの中学の時の先生がなぜ「四十までに読め」といったのかは全て理解が及んだという実感は全くないのですが、それは再読も含めて四十までに理解出来たら何か一つステップが踏めるんじゃないかと思うんですよね……」


 そういって栞は空になったカップを置いて伸びをした。

 わたし以上に派手なボキボキ音が聞こえる。

 こうしてみると体のつくりはわたしと同じ人間なんだなと変な所で感心してしまう。


「うーん勉強にはなったかなあ……数学のお勉強休んだ合間に世界史挟み込まれるとは思わなかったけれど……四十になるまで生きているかどうか分からないけれど目標立てるのはいいのかなあー」


「私も健康で長生きしますから詩織さんも四十とはいわず百歳まででも生きてください! 正直『神曲』を語るにはまだまだ時間が足りてないので、読んで貰った後にもう一度お互いに感想戦が出来たら良いなって思っていますよ!」


「ひいっ! 恐ろしい!」


「怖くないですよ、怖くは……」


 そういって顔を近づけてくるとなんだか紅茶とは別の何か甘い匂いがする吐息がふふっと鼻をくすぐる。

 この女誘っているのかと思いながらも、その甘い香りを堪能する。

 我ながらちょっと変態チックで興奮してきた。

 前にテレビで、若い女の子は桃とかココナッツと同じ匂い成分が出ているけれど年を取ると共に減っていくとかなんとかそんな研究があるとかなんとかやっていたのを思い出す。

 若い女の子というと不肖ワタクシ詩織も、その枠に入る訳なので栞にもそんな香りが伝わっているのかなと思うと恥ずかしいと共になんか変な感情がムラムラと心の中に沸いてくるではないか。


「そうだね。匂いがなくなる前に読んでみますか……」


「はい……!? 匂い……!」


 あ、しまった匂いとか余計なことをいってしまったと思ったけれど栞のこの動揺は何なのだろう……。


「まさか栞。わたしの匂いを……」


「紅茶淹れましょう紅茶! いい香りですよね! 甘くて!」


 なんかあまり詮索すると踏み込んじゃいけない領域に踏み込む様な気がしてきたので、悶々とする妄想を無理矢理頭からかき消して、二度勉強に集中することに……ああっ! 気になって集中出来ない!

 こうなってくるとお互いの一挙手一投足が気になってしまい危ない世界の扉が開きかける。 ここは地獄か煉獄か……はたまた天国なのか……。

『神曲』に関しては書こうと思うとまだまだ長くなってしまうのですが、今の状態でも割と冗長に過ぎる感はあるので、全体の流れだけを書くにとどめました。

二月近く書いてなかった代わりに書けそうな題材のストックは出来ましたので今月中に何回か投稿したいと思います。

色々と行進していないのにもかかわらず見に来ていただいた皆様には申し訳ない限りでした。

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― 新着の感想 ―
[一言] 最後の方の言い回しでイーグルスの"Hotel California"を思い出してしまった私は紛う方無くぢぢいで御座います(笑)。 あの歌もなかなか文学的でして日本でヒットした際は一種の「米…
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