064フェルナンド・バエス『書物の破壊の世界史』~シュメールの粘土板からデジタル時代まで
ベネズエラの書誌学者フェルナンド・バエスの大著です。
色々ご縁があって翻訳家の方から発売日の数日前にご恵贈頂いた本なのですが、大変な難産だったようです。
詳細についてここに詳らかに刷ることはありませんが、物凄い数の資料を読み込んで勉強されたという事です。
ただ単に本文を訳すだけではなくて、資料に中って間違いを修正したり、解説で補ったりと翻訳というのがどれだけ大変かということを知りました。
分厚さの割に本体価格3500円とお安いので、ご興味のある方は是非お手に取り下さい。
「なんか年収の高い人ほど毎月読む本の冊数が多いとか聞いた。わたしもお金持ちになりたいです」
我ながら相変わらず、唐突に話を切り出したら、栞がまあとんでもないアホを見る目でこちらに視線を投げかけてきた。
「栞は本いっぱい読んでいるから、さぞかし年収が高くなるんでしょうな、羨ましいですな!」
なんともいえない苦笑いをして栞がかぶりを振る。
「それは因果が逆転しているんじゃ無いですか? 本を読む人が年収が高いのではなくて、年収が高いから本を読んで勉強したり、そういうことをするゆとりがあるんじゃ無いですか? 元になったデータとか見ないとなんともいえませんが……」
栞がお得意の唇の下に指を当てるポーズで考えている。
わたしも真似をして唇の下に指を当てて小首を傾げてみたりなどする。
こうしているとなんだか頭がよくなったような気がするので、栞は凄いと思う。
そんな事をボンヤリと考えているわたしの頭の軽さもなかなか凄いのかも知れない。
「詩織さん。またろくでもないことを考えていますね?」
栞が眼鏡をくいっと上げて、じっとりとした視線をわたしの方に投げかけてくる。
「失礼な! 何も考えていないです!」
二人して見つめ合いながら、ふへへと変な笑い声をあげてしまった。
若干栞が、駄目だこりゃという諦念にも似た感情を漏らしていたようにも感じたけれど、そこは気がつかない振りをした。
「そうですね、本を読むというのはいいことだと思いますよ、実際。娯楽としてはこれほどいいものはないと思います。だって図書室にしろ図書館にしろ税金からの捻出ではありますが、私たちの目線からすればただで本がいくらでも読める場所がある訳ですしね」
「でも賢くなるのはどういう本読めばいいのかにゃあ」
「にゃあて」
と、小声でツッコミを入れつつもなんだか分厚い本をお出しして来た。
「げ、分厚い」
「フェルナンド・バエス『書物の破壊の世界史~シュメールの粘土板からデジタル時代まで』です、まあ七四〇頁ほどあるので確かにちょっと厚いですが、これがまたグイグイと引き込まれます」
「はい」といって栞が本を差し出してくるので、内心「うへえ」と思いながら受け取ってパラパラとめくってみる。
文字がギッチリつまっている……。
「ウンベルト・エーコとカリエールの『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』の中でも言及された本なのですが、かなりの大著ですね。一日で読み切るのは流石に無理でしたけれど、金曜の夜から読み始めて、日曜までに読み終わりました。止め時が見つからない凄い本ですよ!」
「へー……一年ぐらいあれば読み終わるかなあ……ノーム・チョムスキー、ウンベルト・エーコ……よく分からないけれど難しそう……」
「そんなことないですよ、タイトル通りの本です。例えば歴史の授業でやった楔形文字のシュメールの粘土版やアレクサンドリアの大図書館の焼き討ち、焚書坑儒に宗教によって禁じられた禁書や戦火に焼かれたもの、更には現代の図書館や電子書籍に至るまで文明の夜明けから現在に至るまでの古今東西、人の手によるもの、自然によるもの、様々なシチュエーションの書物の破壊を敷衍している本ですね」
「ふえん……うんなるほどね!」
「分かっていただけましたか!」
ふと、視線を窓の外に投げやると、春先の澄んだ青い空がどこまでも抜けるように広がっており。その柔らかな太陽の下、部活動に励む生徒達の声がどこまでも響いて……。
「分かって頂けませんでしたか……」
「あっはい……」
まあ中々の大著ですからね、仕方ないですね。といって栞が伸びをする。それにつられて、わたしも小春日和の気怠い空気の中で、ふぁーと欠伸を一つして伸びをする。
二人してボンヤリとした空気の中で欠伸をしている姿は中々に間抜けだった。
「えーとなんで本の破壊の歴史の話になったんだっけ?」
伸びをして少しすっきりしたのか、栞はいつも通りのお上品な姿勢で椅子に座り直していた。
「『書物の破壊の世界史』です。えーと本を読む人ほど高収入な傾向にあるというお話でしたね。確かマイクロソフトの創業者のビル・ゲイツですとか投資家のバフェットなんて人は読書家で知られていますね」
「ゲイツ知ってる。何度も世界一のお金持ちになった人でしょ」
「なった人です」といってコクコクと頷いている。
ちょっと得意になって「えへへ」と笑ったわたしを見る視線が、まるでアホを見るような……まあいいや。
「これは調べてみないとなんともいえないですけれど、読書量と国語力や学習効果には明確な正の相関関係があるそうなので、そういう意味では、学習効果が高い、つまり学歴が高いになってそういう人は比較的高収入になるだろうなという意味ではなるほどと思いますね。国語力と数学力が高いと理解力が高くなって、インプットにしろアウトプットにしろ訓練になると思いますね。小学生からプログラムの授業が始まるそうですが、プログラマーにするというよりは、論理的な思考法を身につけさせるという意味合いが強いようですね。いいことだと思います」
「つまり栞は高収入になると……」
そういうと珍しくケラケラと笑いながら「そう短絡的なことではないですよ!」と否定する。
「私は読書という行為が好きなのであって、勉強のため……というのは全くないとはいいませんが……基本的に楽しいからやっているのです。快楽主義というといいすぎでしょうけれどね」
んー、とまた栞の真似をして唇に指を当てて考えるふりをする。
「いやあ、栞は多分高収入になるって気がする。そしたらわたしのこと嫁にして養って頂戴よ」
と、アホ丸出しの事をいってみたら、あわあわと慌てて「私がお嫁さんになる方ですよ」とか何とか言い出したのでわたしまで慌ててしまう。
「いや、いやいや冗談ですよ冗談!」
「心臓に悪い冗談ですね」と、いいながら眼鏡をまたくいっとかけ直す。
「じゃあさ、わたしも高収入になりたいからこの本の内容についてもっと教えてよ!」
「じゃあ面白ポイント上げていきますから、ちゃんと読んでくださいよ」
あ、いけね。なんだか自分がきっちり読む方向に話が向いてしまった。
でもまあ栞の解説を聞きながらちゃんと本を読んで、一緒にわいわい語り合うのは嫌いではないというか、もっとそういうお話をしたいなと思っているので、多少難しい本でも頑張ってトライしてみようかなと思って目を本に落とす。
栞が白くて細長い人差し指でくるくると空中に円を描きながら「まずシュメールの粘土版の話ですが……」と語り出す。
その姿をボンヤリと眺めつつ、ああ楽しいなと思って話に耳を傾けている。
まあここまでお勧めされたのなら読まないと失礼かなと思い、読み終わって一緒に話しをして盛り上がることを想像して、ふふっと笑ってしまった。
「ん? 何か面白いことありました?」
栞が不思議そうに視線を絡めてくるので恥ずかしくなってもう一度本に目を落として、いえいえ何でもありません。続きが早く聞きたいですよ。
といったら。
「変な詩織さんですね」
といってふふっと彼女が笑うので、ふたりしてふふっと笑い合った。
もっと早く更新したいですよね。
本当にね。
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