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049大江健三郎『死者の奢り』

書いててなんですが百合とか良く分からないのに実験とかいって見切り発車したため、どのぐらいまでが百合なのか全く分かっていません。

ただ本をネタに色々書いてみるのは自分の中で知識の整理になるのと、知らない本を読む動機付けになるので、細々と続けていきたいと思います。

あともっと更新頻度上げたいですね、困ってしまいますね。

 夏のことである。

 噎せ返るような木々の香りがやたらと濃密で肺の中が青っぽい匂いで充満する。

 わたしが制服のリボンを外して胸元をはだけながら「あちーひぃーあちー」等といいながら歩いていると、涼しい顔をした栞が「だらしないですよ」と声を投げかけてくる。


「栞はわたしのおかーさんか!」


「私は詩織さんのお母さんじゃありません!」


 なんて小言を叩きあいながら一緒に歩いていた。

 半袖から露出した腕が栞の腕にぶつかると、ぬるんと汗ばんだ感触がして思わずゾクゾクっとくる。

 栞はわたしと違ってサラサラペーパーみたいなので腕を拭っていた様で、ぬるんとしているのは、わたしばかりの様な気がしたけれど、まあ一先ず置いておこう。

 例年なら解放されているプールだけれど、今年は立ち入り禁止になっていた。

 なっていたけれど、他の先生に見つからなければ入ってもいいと先生に言われたので二人してこっそりと来たのである。

 わたしは、いっそ泳いでやろうかと思って水着まで持ってきたのに、栞はなんだか恥ずかしがっているので諦めた。

 水着姿が見たいのになあとこぼしてたら、詩織さんの水着姿なら見たいです云々と良く分からない問答があって、入道雲がもくもくと遠くの空に掛かっているのを見ながら二人してボンヤリと脚をドボンと水につけて涼しんでいた。

 栞から制汗スプレーと汗ふきペーパーを貰って体中を拭いて回ったら少しはすっきりしてきた。


「いやぁ夏ですな」


「はい、夏ですね」


 なんだかニコニコと嬉しそうにしている。


「嬉しそうにしてどしたの?」


 と声をかけると、ふふふと笑っている。

 プールに出来た細波の光が栞の顔に反射してなんだか眩しく、思わず目を瞑る。


「こういうの憧れていたんですよ」


「こう言うのって?」


 どこか遠くの方へと視線を飛ばしている。


「なんていうかちょっといけない冒険のような……ほんの少しだけ悪いことを大切な友達と一緒にして、その秘密の共有者というか、共犯関係になるってなんとなく素敵だなって思っていたんです」


 少し蒸し暑い風がさらさらとふいている。

 栞の汗と制汗剤とが合わさった、なんだか甘い香りが鼻をくすぐり、ドキドキとしてしまう。

 ちょっと恥ずかしくなって、珍しくわたしの方から「こういう時に丁度いい本って何があるかな?」なんて聞いてみた。


「そうですね、学校のプールの話というと、ぱっと思いつくのは……いや、この話はやめた方がいいかな……」


 珍しく言い淀む。


「んーなんで? 聞かせて頂戴よ」


 栞はちょっと困ったような顔をして、水面を蹴った。

 水飛沫があがって、少し涼しくなる。


「じゃあ大江健三郎の『死者の奢り』なんていかがでしょうか?」


「えつ、何? 怪談かな?」


「大江健三郎は流石にご存じですよね?」


「ノーベル賞おじさん!」


「正解です!」


 えへへなどと笑って照れてみると、栞が「よしよし」といいながら、短く切ってイメチェンしたばかりの頭を撫でてくる。

 ふと、いくらわたしでもそれは知っていて当然過ぎるだろうと思い、若干複雑な思いなどもしてみるけれど、それをいったら何か負けた気がするので黙っていた。


「デビュー作の『奇妙な仕事』の同工異曲なんていわれてますし、実際そうなんですが『死者の奢り』という作品が大江健三郎のキャリアの始まりと言っていいでしょう」


「『奇妙な仕事』っていうのはどんななの?」


「どちらも大学でのバイトの話です。『奇妙な仕事』は実験動物として飼われていた犬が、動物愛護団体に残酷だと糾弾されたので、じゃあ実験止めますということで、全頭殺処分する話です」


「酷い」


「犬を棒で撲殺するプロと学生とたまたま一緒になった女学生の話です。犬を殺して焼却炉で焼くというお話です。そして『死者の奢り』は犬ではなくて、医学部の解剖実習に使われる人間の死体の話ですね。医学部のアルコールと保存溶液で満たされたプールの中に死体がゴロゴロと沈んでいるのを、別なプールに移すというアルバイトの話です」


「怪談って訳じゃないのかな?」


 こくこく頷きながら「そうですね」といい続ける。


「なんだか暗い話なのですが、何十年も浸かったままになっている戦時中の兵隊の死体や、最近来たばかりの死体に混ざって、その日丁度搬入されてきて、目の前で血管内にホルマリンを充填される十二歳の少女の性器を剥き出しにした柔らかい死体など、死体ばかりの世界です。そしてそれと対比するように、そのバイトに志願した顔色の悪い女学生は妊娠中ですが、堕胎手術の資金集めで志願したというのです」


「えー……何それ……」


 なんだか死体が足下に沈んでいるようなイメージが頭の中に広がって、プールに脚をつけているのが怖くなってきた。


「あ、すいません! なんだか気持ちの悪い話をしてしまって」


「いや、わたしが無理に聞きたいっていったからいいんだけどさ」


「まあ、そんな感じで色々と重たい話になるのですが、これは『大江健三郎自薦短編集』という本が底本になります。自分のキャリアがそろそろ終わりに近いと考えた大江健三郎が、自分の全作品を読み返して、最終決定版として出した本ですね。岩波文庫なので、当然文庫サイズなのですが八三〇頁ほどあります」


「そんなに……」


「分厚くて手の中に収まらないので、流石に私も物理的に読みづらくて困ったのですが、その分厚さもさる所ながら、その文章も重苦しくネットリとしてイヤラシいので、非常に胃にもたれます。なんというかその……重苦しいんですよね」


 本を読み慣れている栞がそこまで言うのだから重苦しいのだろう。

 なんだかまた全身から汗が滲み出してきた。

 胸元をはだけて風を懐に送り込む。

 なんだか湿度が高くて、あまり涼しく感じない。

 鼻の奥に焼け付くような、嗅いだこともない死体のプールの臭いがこびり付くような感覚になる。


「まあそうですね、プールといって一番最初に思いついた話が悪かったですね。プールの話だったら奥田英朗とかもっと馬鹿馬鹿しい娯楽作品があったのに、思いついた話が悪すぎました……」


「いや、気にする必要はないけれどそれって面白いの?」


 栞が珍しくちょっと考え込んでから「ええ、ええ」といって頷く。


「娯楽という点では、別にエンタメ向きの作品ではないので、そういう意味合いの楽しさはないですが、純文学って何だろうという人にお見せするには丁度いい作品なのではないかと思います」


「でも難しそう……」


「そこら辺はご安心を! まず『奇妙な仕事』は二〇頁程度。『死者の奢り』でも五〇頁もないのですぐ読めてしまうんです。前にノーベル賞作家の作品読んでみたいと言ってましたけれど、そういう意味では有名作品で尚且つすぐに読み終わるという点ではお勧めしますね!」


 なんだかちょっと無理をしてにこにこと笑みを浮かべているのが分かる。


「うーん、分かりました! 是非読んでみましょう! ところで栞は今携帯どこにしまってあるの?」


「あ、はい? 万が一水の中に落としたら困るので、電話なら鞄の中に入っていますけれど……」


「じゃあ今身につけている物は?」


「え……と、制服だけです」


 にかっと笑ってエイッと叫んで栞の首に腕を回して、そのまま一緒に水の中に飛び込んだ。栞がなんだか声にならない間抜けな叫び声を上げた気がするけれど、ドボンという音だけが耳の中に響いた。

 水の中で立ち上がると当たり前だけれど頭の天辺から爪先まで、ずぶ濡れである。

 下着までぐしょぐしょになって気持ち悪い事に気付いて、いくら何でもちょっと考えがなさ過ぎたと思ったけれど、それはまあ忘れるとしよう。


「非道い! 非道いです!」


 水をプフッと吹き出しながら栞が抗議の声を上げる。

 眼鏡が右耳に引っかかって落ちそうになっているのを、手で押さえながらわたしに近づいてくる。

 腕を上げようとしたけれど、シャツの中に水がたっぷりと溜まっていて中々思うように動きが取れない。


「青春でしょ! 青春!」


「非道い!」


 といって水をバシャバシャと掛けてくるけれど、お互いずぶ濡れなのでどうにもこうにも蛙の面になんとやらである。


「イイじゃん! 気持ちいいでしょ!」


「帰り道どうするつもりなんですか!」


「あ、考えてなかった……」


「もう!」


「だから水着に着替えようっていったじゃん!」


 そういいながら二人してプールの中で追いかけっこを始めた。

 底まで見通せるプールには太陽の光がキラキラときらめいて、わたしたちの顔を明るく照らす。

 たまにはこんな遊びも悪くないだろうと思ってキャッキャと二人して馬鹿みたいに……馬鹿そのものかも知れないけれど、なんだか無性に楽しくなってずっとずっとこうしていたいなと、なんとなくボンヤリと考えていた。


挿絵(By みてみん)

イラスト提供:

赤井きつね/QZO。様

https://twitter.com/QZO_

珍しく書きためていたので3日ぐらいは連続で更新できると思います。

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