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047アルベルト・マンゲル『読書礼讃』

SFといいましたがあれは嘘です。

アルベルト・マンゲルという人はとてつもない読書家ですが、執筆者としても極めて優秀で、博覧強記の知識で、本を読む者に衝撃を与えます。

と、まあなんだかんだと難しそうなことをいいましたが、彼の書く本は全てとんでもなく面白いので、少し背伸びした教養に触れてみたいという人は是非手に取っていただきたいところです。

はじめて読んだときは難しいなと思いましたが、再読してみたらそこまで難しくもなかったので、大体の人は気軽に読めるはずです。

ただ頭をフル回転させて読む快楽はありますので是非に。

「分からない……読書が分からない……」


「唐突になんですか?」


 栞が目を落としていた本から顔を上げてこちらに視線を向ける。

 眼鏡がほんのり白く曇っている。

 カンカンと静かな図書室に金属が鳴る独特の音だけが響いている。

 図書室の暖房を電力逼迫のためということで、エアコンではなく昔ながらのダルマストーブを引っ張り出して来て使っているのだ。

 ストーブの上に乗っかっている薬缶がカンカンと音を立てている。

 蒸気がもくもくと上がっているけれど部屋は乾燥しきっており、一升分の水が入るという大きな薬缶だけれど、一時間もしないうちに空になる。

 一升がどれくらいの量か分からないけれど、一升瓶一本分の水なのは間違いないだろう。

 図書室なので乾いたものには事欠かないため湿気が極度に足りない。ただあまり蒸気を炊きすぎると本が傷むそうで加減が難しいようだ。

 わたしは火で手を炙りながら、ボンヤリと「寒いなあ」と呟いていた。

 栞に「そんなに寒いならスカートもっとしたまで下ろすか、ストッキングでも履けばいいじゃないですか」なんていわれたけれど、わたしが栞みたいな格好をしたらいい笑いものである。

 スカートの下にジャージを履いていたら先生に滅茶苦茶怒られたので生足魅惑のむき出しなのである。

 そんなこんなで唐突に「寒い」の他について出た言葉が「読書が分からない」だったので、栞も何なんだといった様子でこちらを見てきたという次第である。


「まあほらさ、読書は娯楽っていっても、本を読む人によって受け取り方が違うじゃない。なんかネットとか見てたら凄い深い考察していたり、色んな本から内容引いてきて、この本はこういうところがスバラシーとかいったりさ。わたしもそういうカッコいいところ魅せたいなって思うんですが、どうでしょう栞さん!」


 眼鏡の曇りを拭きながら、呆れた様子でこちを見てくる。


「詩織さん、さんづけは……」


「はいはい、呼び捨てにしてでしょー、まあそれは置いておいて、なんか読書って何なんだろうなという哲学的な疑問にぶち当たった訳ですよ。それこそれずっと前に教えて貰った、なんとかさんの『読書について』とかそういうのを思い出していたのですよ」


 栞は眼鏡をかけ直すと本を閉じて、赤ちゃんが指をしゃぶるような仕草で、左手の親指を色素の薄い桜色の唇に当てる。


「んーそうですね……じゃあこの本を読んでみてはいかがですか?」


「んまぁ分厚いこと! 何ですかその本は!」


「アルベルト・マンゲル『読書礼讃』です。まあこの本はマングェルとなっていますが、表記揺れが激しくて、最近出た本はマンゲルに統一されているので、マンゲルと呼んでおきましょうか」


 なんか表紙を見ただけでやたらと賢そうな本に見える。

 賢い本って何なんだという気はしないでもないけれど、古めかしい本の絵が表紙になっている分厚い一冊だ。


「読んでみますか? 物凄く面白いですよ!」


 わたしは顔を左手で覆って、右手を栞の方へ突き出し。


「か、解説をお願いいたします」


 と、唸りながらいった。

 栞はやや残念な子を見るような曖昧な笑顔を浮かべて「今回はそれなりに分厚いので特別ですよ」といってこちらに視線を投げかけてくる。


「えーと、マンゲルという人は、元々アルゼンチンの編集者で読書の鬼ですね。日本でいうと松岡正剛みたいな人ですかね? 幼少の頃から本をずっと読んできて、学生の頃には盲目の大文豪ボルヘスの読書読み聞かせ係などもやっていた筋金入りの読書家です。トゥスケツ小説賞という賞の審査員なんかもしていましたね。因みにこのトゥスケツ小説賞の受賞作である、エベリオ・ロセーロという人の『顔のない軍隊』という作品も日本で読めるのでご紹介したいですね。さて、そんなマンゲルの本ですが、これは目次を見た方が内容は分かりやすいですね」


 そういって、わたしの隣に席を移動してくると、ぴったりと肩を寄せてくる。

 寄せてきた上で、わたしの顔を覗き込むようにして本を開き、なんだか甘い香りのする匂いを漂わせている。

 なんだか脳の芯が痺れてくるような心持ちになった。


 巨匠に学ぶ

 理想の読者

 本をめぐるビジネス

 荘厳なる図書館


 その他……といって栞は目次を白く透き通った指でなぞっていく。


「このように読書する上での覚え書きのようなことを様々な本から横断的に引っ張ってきて語っているんですね。それにほら、各エピソード毎の頭には『不思議の国のアリス』と『鏡の国のアリス』の挿絵と引用がされていますね。この形式で語り継がれていきます」


「ほほう、つまり凄い読書家の凄い読書感想文……ですかね?」


「読書感想文というか、読書エッセイの方がやや近いですかね」


 といって栞は苦笑いをする。


「幾つか印象的なエピソードがあります。ボルヘスとの関係や、聖書の中の『ヨナ記』の事、それからこんな引用もあります」



 己、六歳より物の形状を写すの癖ありて、半百の頃より数々の図画を顕すといえども、七十年描く所は実に取るに足るものなし、七十三にして稍、禽獣虫魚の骨格草木の、出生を悟り得たり、故に、八十にして益々進み、九十にして猶その奥義を極め、一百にしては一点一格にして生きるが如くならん。願わくば長寿の君子、予言の妄ならざるを見たまうべし。

                             ――――画狂老人卍


「えーとその凄い名前知ってる、えーとえーと、葛飾北斎だったっけ?」


「正解です」


 とニッコリ笑ってくれたので思わず、でへへ等といって得意になる。


「ランボーやサリンジャーなど早くして擱筆した作家がどのような心境だったのか、自分のピークがどこだったのかを考えたとき、北斎のように熟成しきっていながらもまだまだ未完成だという、大きな謙遜の人もいるよというエピソードですね」


「なんかアルゼンチンの人だっけ、そんな人から日本人の話出てくるなんて不思議な気分だね」


 「かくひつ」という言葉の意味が良く分からなかったけれどスルーした。


「アルゼンチンは日本ブーム何度か起きていますね。例えば『島唄』を日本語で歌うのが流行ったりとか……。ここら辺の話は割愛しますが、北斎に関していえばワールドワイドな画家ですしね、ちょっと変わった所だと井原西鶴についても言及がありますね」


 さて、といって座り直すので、わたしも栞の真っ正面に向き直る。


「この本の中にはちらっとしか語られていないけれど、膨大な読書の知識の遍歴が現れています。例えばこの荘厳なる図書館の章にある理想の図書館という章に、ビルケナウ収容所の子供用の棟には八冊だけの図書館があって、毎日あちこちに隠し場所を変えているという話が出てくるのですが、これはアントニオ・G・イトゥルベという人が書いた『アウシュヴィッツの図書係』という本の事なんですが、『読書礼讃』が邦訳されたのが二〇一四年、『アウシュヴィッツの図書係』が二〇一七年で、後者の本が出版されたとき、まさしくこの話だと思って飛び上がったのを覚えています」


 六年前というとまだ小学生なのではと訝しんだけれど、とりあえず黙っていた。

 栞なら年齢関係なく普通に読んでいそうだったから……。


「他にも、こういった他の本で言及されていたけれど邦訳されていなかった本というと、ウンベルト・エーコとカリエールの『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』という本で言及されていた、フェルナンド・バエス『本の破壊の世界史』なんかも邦訳が出たときにちょっとした騒ぎに……あっ」


 わたしは、なんだか唐突に指先が冷たくなった両手で栞の頬をむにっと掴んだ。

 栞の皮膚は冷たかったけれど、その下になんだかあたたかいものが流れているのは分かった。

 まあ生きているんだから当然なんだけれど、なんとなく「おおーっ」という声を上げてしまう。


「何、何をするんですか!」


「いやあ、熱心に語ってる所見たら悪戯したくなっちゃって……」


「恥ずかしいし、ずるい!」


 と、栞が叫ぶと顔を背けたまま腕を盲滅法に突き出してあわあわしているので、顔から逸れた手が胸をワシッと掴み取られる。

 まだ誰にも触られたことないのに!

 いや、なんかデジャヴュではあるかもと一瞬冷静になったけれどやっぱり恥ずかしいので「いやぁぁ」と不抜けた声をあげてしまう。

 本の話していたのに、いつの間にかお互いの体を弄り合っていたのはとてもではないけれど親には見せられなかった光景である。

 変にドキドキしながらストーブでも暖めきれない寒さの中、体温が異常に上がり、部屋を出るときにはお互い汗だくになっていた。

 人に見られたらヤバい光景だったのは確かだと思う。

 そんなこんながあったのに栞は別れざまに、この『読書礼讃』を突き出してきて、一言。


「読んでくださ! それでこの件は不問にします!」


 といってきたのは流石だと思った。

 わたしは分厚い本を持ったまま銭湯帰りのようにぽっぽと頭から湯気をだしながらとぼとぼと歩いて家に向かった。


挿絵(By みてみん)

イラスト提供:

赤井きつね/QZO。様

https://twitter.com/QZO_

百合っぽい話書いてみろといわれたので百合っぽい小説を装っていますが、百合がなんだか分からないので、全て感と目分量でやっています。

それはそうとして次は何にしますかね……。

本選びが一番難しいですが、今回の『読書礼讃』軟化は取り上げるのが難しすぎていったん保留にしたのですが、とりあえず読んでみようで読んでみたら、昔読んだときと違って、サクサク読めたので、知識の整理には時間が必要かもしれません。

寝ている間に頭の中整理されるといいますしね。

とりあえず、高校生ぐらいの人には(というか詩織には)難しいかなという本もあまり考えずに取り上げていこうかなと思った次第であります。

ついでに、こんなの取り上げてみてはというのありましたらお勧めしてくださいという事は毎回書いておこうかなと思いました。


挿絵(By みてみん)

イラスト提供:

赤井きつね/QZO。様

https://twitter.com/QZO_

次もう本自体は決まっているので、もうちょっと早くお出し出来ますのでよろしくです。

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