047安部公房『砂の女』
遅くなりましたが安部公房の『砂の女』です。
安部公房というとシュルレアリスム的な……というかそのものの作品が思い浮かぶ人が多いと思うのですが、こちらの『砂の女』はサスペンスとして非常に面白い作品です。
異文化にあったとき、人はまず反発し、次に受け入れ、最後に帰化する……というような小話を聞いたことがありますが、そんな感じのお話です。
珍しく自分から何か本を読みたいなどと言いだしてみたら、栞がやたらとハッスルしてしまったのである。
「その前向きなところ、非常にいいですね!」
といって、眼鏡の奥にある目の玉が爛々と輝かさせている。
「えーと、難しい本じゃなくて、例えば推理とかサスペンスみたいなのとか……なんかある?」
そう、娯楽であるのですよ。
読書は娯楽であると栞もいっていたわけであるけれど、今まであんまり推理とかサスペンスとかそういうの読んだことあまりなかったので、これを機にシャーロキアンっていうのだろうか。
そういうなんか良く分からないけれど、ちょっと詳しい人になって、誰かに知識自慢出来たらななんていうなんとも不純な事を考えていた。
見下げた根性だとかはいわないで欲しい。だって乙女だもの傷つくから。
「そうですね、私も最近売れている新刊推理小説とかは実はあまり詳しくはないのですが、推理、サスペンスで面白い本っていうのは結構昔からあるものですね」
「ほうほう、でどんなのがありますか?」
「推理ではなくサスペンスで面白い本というと、例えば安部公房とかどうでしょう?」
「ああ、なんか教科書で読んだような……」
栞は指を唇の所に持って行き、ふふと悪戯っぽく笑う。
「『棒』ですね!」
「ああ、それそれ、授業ではやらなかったけれど、なんとなく読んでてなんだこれってなった奴!」
「そうですね、シュルレアリスムの作家なので、そういう変わった作品も色々残していますが、今回はもっと普通のお話……というと語弊がありますが、普通の感覚で読んで、普通に楽しめる、普通じゃない作品をお勧めします!」
んんーなんだか怖いけれど、栞がそこまで言うならば多分か普通に面白いのだろう。
普通に楽しみにしていますよとお待ちすることにした。
図書室の本棚から抜き出してきたのは、思っていたよりは薄い文庫本である。
「安部公房『砂の女』です」
「ほうほう、どういうお話なんですか?」
「デイヴィッド・ロッジというイギリスの作家によれば、サスペンスというのはラテン語で《吊り下げる》という意味で、サスペンダーとかサスペンドっていいますよね、ああいう感じで、問題が起こったときに、その解決編の提示を遅らせるという意味合いがあるのですが、この『砂の女』はそれの教科書みたいな構成をしていますね」
ほうほうと相槌を打ちながら、パラパラと指を紙に這わせながら、ページをめくってみる。昆虫採集をしている男の話のようだ。
「あまりネタバレにならないようにお話ししますと、新種のハンミョウを探しにでた男の話なのですが、砂だらけの部落で自分が採集しようとしていた虫のようにその場所に囚われてしまい、どうやって脱出するか、そしてその未知の出会いとどのように自分をすりあわせるか……という所なんですが、最初は割合息の詰まる内容ですが、後半は一気に今までの展開を畳み上げていく、凄い速度で話が回収されていく快感がありますね。サスペンスは今まで長く我慢していた分、解決するときの語りの速度は兎に角早ければ早いほどカタルシスがあるという事を証明しています。と、いうことでお勧めなんですね!」
「へー、昆虫採集してて何か分からないけれど事件に出くわすのかあ、ちょっと気になる」
「気になったのなら是非」
といって本をこちらに差し出してくる。
「他にも安部公房読みたくなるような、なんかそんな感じの情報あったら教えてくださいませ」
「そうですね、大江健三郎はご存じですよね?」
読んだことはなかったけれど、それぐらいは私だって知っている。
「ノーベル賞おじさんですよね、ええよく知っていますとも!」
やや哀れむような表情が栞の顔に浮かんだような気がしたけれど、多分気のせいだと思う。なんとなく「ノーベル賞おじさん……」って口の中で呟いていたような気もしたけれどそれも多分気のせいだと思う。
全体的に、何か残念な面持ちでみられているような気がするけれど、多分全部気のせいだと思う。
そうでなくてはわたしがあまりにも惨めである。
「まあ……ノーベル賞おじさんですよね、ええ。何も間違ってはいません、はい。まあ気を取り直してですね、ノーベル賞おじさんというか大江健三郎の作品は何か読んだことがありますか?」
「いや、ないです、当然……」
栞はまた小声で「マッ!」といったが、すぐ気を取り直す。
「そうですね、大江健三郎は正直なところ結構難しいです。表現が独特でまだるっこしいと感じる人も多いのではないかと思いますが、まあそこら辺はまたいつか読んだときのために取っておきましょうか!」
「難しいのは嫌じゃ……」
「面白いですよ! とはいっても難易度高めなのは否定しません。で、安部公房と大江健三郎の話ですが、ノーベル賞を取ったときに、安部公房、大岡昇平、井伏鱒二が生きていればそちらが先に賞を取っていたでしょうといっているのですね」
「賞を取ったでしょう……」
栞は一瞬顔を真っ赤にして、違う、そうじゃないとばかりに顔を振る。
「違いますよ、そういうのじゃないですからね!」
「いいんだよ、分かっているからさ、ね?」
と、いつも攻められている分ちょっと意地悪をしてみる。
「詩織さんは意地悪ですね」
といってむくれるものの、謝ってから先を促すと気を取り直して続ける。
「まあそのようにですね、安部公房を高く評価しているのですね。実際の所安部公房らがノーベル賞の候補に挙がっていたかは、あと二十年以上しないと分からないですが、ノーベル賞作家の大江健三郎はそのように分析している訳なんですね。実際三十カ国以上の言語に翻訳されているので、受賞していても何の不思議もないんですよね」
「そんなに凄い人だったのか……安部公房は……っていってもあんまりというか殆ど知らない人だったんだけれども。でも『砂の女』読めば大体安部公房は制覇したといっても過言でないでしょうね!」
「……過言です」
わたしの顔を何故かやたらと低い位置から見上げて覗き込んでくる。
眼鏡の奥の瞳が、じとっとしている。
怖い。
「『箱男』も『壁』もあと他にも色々読んでいないのに一冊で制覇は出来ませんよ」
「はい、すいません……」
栞は中々に厳しい。
「そうですね、一冊で全部分かる作家というと以前お話しした梶井基次郎がパッと思いつきますね……あとは……あっ!」
自分でも良く分からなかったけれど、突然栞の肩に手を伸ばしてしまった。
「あ、いやごめん。なんか出会ったばかりの時思い出してつい……」
栞の鼓動が早くなっているのが伝わってきた。
それと同時に自分の鼓動の音が伝わってしまっているようで、ドキドキしているのに、更に凄い心拍数が上がっているのが自分でも分かった。
「あの、あのー……これからもよろしくね……」
「あっ、は、はいぃ……」
わたしは『砂の女』を読み終わった後に、栞という女の子に囚われているのは自分の方ではないのかと思ったけれど。栞はわたしに囚われていると思っているのではないかという、非常に哲学的な疑問が頭の中を支配したけれど、なんともいえない気分になり、恥ずかしくって仕方ないため、その考えについてはこれ以上考察しないことに決めた。
あ、本は面白かったです。
イラスト提供:
赤井きつね/QZO。様
https://twitter.com/QZO_
次は珍しくSFでも取り上げてみようかなと思っています。
また赤井きつね/QZO。さんから新しい挿絵頂いたので公開できればと。
因みに『不在の騎士』モチーフの絵なのでどのタイミングでお出しするか悩んでいます。
悩まずにペロッと出してしまっても良いのかもしれませんがまあ、物事には時期か゜あるということで。
ついでにですが、こんな本取り上げろというお勧めあればこっそり教えて下さい。




