031『夏休み本巡り』
何処までネタ詰め込むか考えた結果
主要な本だけでこの4倍ぐらいの長さになるので
可能な限り短くしました
少ないながらも夏休みはちゃんと出て、お盆のあれやこれやを手伝っていると、暑さもあって、二十二時前には体力も限界に来て、すうっ意識がなくなってしまう。我ながら色気のない細くてやたらと生白い体、重たい眼鏡が半裸の状態でベッドの上に放り出されていると、母から「みっともないことこの上ない」とごもっともなお叱りを受ける。
そんな時間に寝てしまうぐらいであるから、近頃毎日、朝も四時を過ぎると意識が浮上し近くの雑木林の蜩が発狂したように鳴き出し、暫くすると今度は油蝉が私の耳を悩ませてくる。
もうとっくに夏は始まっていたのだなあと、ボンヤリ早朝の日課である読書に励む。励むといっても他愛のない本ばかりで、エリック・ファーユ『わたしは灯台守』に引用されていたというだけで、ブッツアーティ『タタール人の砂漠』を人生何度目かに読み返し、ダンテ『神曲』の「この門をくぐる者、一切の望みを捨てよ」というフレーズを思い出し、ジッド『狭き門』に思いを馳せ、サルトル『出口なし』の「地獄とは他者である」との言葉を理解する。
読書の醍醐味は文章を味わうだけでなく、やや覗き魔的なこうした関連付けにあるのではないかとも思う。
もちろん美しい文章は、ただ文字を理想の形に並べられたというその事実だけで美しい。夏目漱石は美しい。『夢十夜』と『草枕』は同様に美しい。漱石は欧米では大分マイナーとはいうものの、グレン・グールドは『草枕』を愛しており、ラジオで朗読も披露している。翻訳したのは鬼怒鳴門、ドナルド・キーンであった様な記憶がある。
それぞれの国で、その国ならではの美しい言葉に満ちあふれているのだろう。ただ私は優秀な翻訳者ではないので機微をつかむことが出来ない。
月日は百代の過客にして行き交う年もまた旅人なり
旅に病んでは夢は枯れ野を駆け廻る
俳句は美しい。芭蕉のこの二つの句は特に心に残る。世界最小の詩の形式ということとだ。『奥の細道』のタイトルを冠する作品がある。
リチャード・フラナガン『奥の細道』である。
牡丹蘂ふかく分出る蜂の名残かな
と、芭蕉の句が冒頭に添えられている。
俳句は美しい、和歌も美しい。
君が行く
道の長手を繰り畳ね
焼き滅ぼさむ
天の火もがも
狹野茅上娘子
万葉集で最も過激な歌だと思う。だからこそ魂が宿り美しい。
日本の文学では『新古今和歌集 序文』『平家物語』『風姿花伝』『方丈記』が美しいとおもう。『方丈記』は鎌倉文学なので『歎異抄』と併せると知見が広まる。
江戸文学の先生が「方丈記は結局隠居したいのか簡単な建物の建て方がかきたいのか分からない」とバッサリいっていたけれど、やはり美しいのだと思う。
その国の言葉でないと真価が分からないという作品で良く上がるのはブラッドベリ、特に『火星年代記』は節々が美しい文章になっているという。私の英語力では分からない。
『ユリシーズ』もそうなのであろうか?
柴田元幸をして「名翻訳家は数あれど、化け物といえるのは柳瀬尚紀だけであった」と言わしめた柳瀬訳は全十八章のうち十二章まで翻訳し、多少のスケッチを残して歿している。
ダブリナーズの定番のジョークが「ダブリンに住んでいる奴で、ウリセッズなんて読んだことある奴は一人も居ないね」だそうである。
本はどんどん連鎖する。その関係性がやはり楽しい。
ウンベルト・エーコとカリエールの『もうすぐ絶滅するという紙の書物について』で語られていた本が実際日本語訳された。
フェルナンド・バエス『書物の破壊の世界史』である。ニネヴェやアッシュールバニパルの楔形文字の粘土板から、パピルス、石碑、紙、それから電子機器でさえ経年や自然現象には勝てない。
一番の敵は、焚書を行う独裁者ではなく
戦争やエスニック・クレンジングが起きれば一億冊以上が半年程度で破壊されたこともある。
アルベルト・マンゲルは『図書館ー愛書家の楽園ー』の中で、アウシュヴィッツ・ビルケナウ収容所には手書きで秘密の本が作られ、収容ユダヤ人の達の間で回し読みされていた。この本についてはイトゥルベによる『アウシュヴィッツの図書係』という本に訳出されている。
ジョゼフ・チャプスキはソ連のグリャーソヴェッツ収容所でソ連兵の許可を得て、建築工学や美術の専門家などが代わる代わる講義を行い心身ともにすり切れたポーランド捕虜達に知恵や考える力を与えるため極寒の廃墟となった教会の一室で熱心に毎晩行われていた。
チャプスキは収容されていた十八ヶ月の間でプルースト『失われた時を求めて』を驚異的な記憶力で、ペンと紙だけを武器に毎晩講義を行った。
チャプスキは一人だけ別な収容所に送られ、そこでドイツとソ連の不可侵条約提携を機に解放されたが、残りの仲間達については調査した結果、一人残らず無くなってしまっていたらしい。彼の解放後のメインの任務は「カティンの森事件」であった。1896年に生まれ1993年に没した。ソ連の解体が1991年にあり、「カティンの森事件」の真相が明らかになった。チャプスキ執念の勝利であった。
そもそも「文学」とは何だろう?
丁度お誂え向きなテリー・イーグルトン『文学とは何か』を引いてみるとやっぱり分からない。
ソシュールやガダマー、デリダ……作家でいえば十七世紀から二十世紀の作家まで……それこそプルーストなどが顔を出してくる。
私みたいな、特段別に特技といえるもののない、一女子高生としては『失われた時を求めて』を読むにはまだ読者としての体力がついていないように思う。
分厚い本というとウィリアム・ギャディス『JR』だとか、二〇一七年版『聖書 全訳』、カルロス・フエンテス『テラ・ノストラ』なんかが買ってから途中で挫折した。
オスカー・ワイルドはお勧めの本を学生向けに挙げてくれといわれた時に「それよりも読まない方がいい本を百冊上げた方が有益だ」といっているし、ピエール・バイヤールもパリの文学部でプルーストをきちんと読んでいる学者なんていない、有名なシーンをそれっぽく解説しているだけだと言い切っている。すなわち『読んでいない本について堂々と語る方法』だ。
文学については分からなくとも「読書」についてならばまだ理解もしやすいかもしれない。ヴォルフガング・イーザー『行為としての読書━━美的作用としての理論』を紐解くといいのかもしれない。
すなわち行為として読むことが行われない本は、本質的に中身の一切無い紙の束でしかなく、読書という行為が介在することによって初めて本という物が出現するということだ。
筒井康隆は丸谷才一に「リラダンは読みましたか?」と聞かれた時に、読んだことないですと答えたところ、吃驚とした丸谷才一に「まあ知性も教養も無くて出来る商売が作家ですからね」と呆れられたという。
実際、実用以外の……そう美学、バウムガルデン式にいうなら美とは何かというところで知性や教養は本当に必要なのかという話が出てくる。
微分積分は社会に出て使うのだろうか?
もちろんそういう職業はいくらでもある。
最強の科学は統計学とまでいわれる。統計はトリックの山だ。正しい数字を引いてパラメーターを弄るだけで大体の人は騙されてしまう。
では文化系の知識は何の役に立つのだろう?
「この絵を見よ、美しいではないか!」
といわれたところで主観に過ぎない。
だが美というものはそこに存在する。絵を見るのにも教養が必要だ。
裸体のまま剣を握り男の生首をぶら下げている絵というモチーフをよく見る。
なんだろう?
『聖書』の中の「ユディト記」の場面である。待ちを包囲するホロフェウネスの元に未亡人ユディトが訪れ、誘惑し、ワインを飲ませ酔っ払ったところを総司令官の首をはねてしまったという場面だ。
知らなければ何者なのかも分からない。
しかしこれが分かったところでちょっとした自慢にしかならないのではないかとも思う。教養とは何だろうか?
未知の文化と遭遇した時に、まずは好奇心を覚え反対し、受容し溶け込み、最後には分かちがたくなる。人はそういう風に出来ている。
文化系の教養なんて何の役にもたたないのかもしれない。
本を読むことなど止めて商売に精を出した方がお金にはなるかもしれない。しかしながら人の十倍稼いでも、食える飯の量は精々倍ぐらいで、十万円のステーキを食べても、一万円のステーキの旨さが十倍あるとは思えない。
人に必要となる知恵や知識、教養はそれぞれによって異なる。
だが教養の不要論を唱えたところで、このコロナ禍の元、人々が求めたのは娯楽であった。映画、読書、音楽、美術館のバーチャル見学会。全部生きていくのに必須のではない。正に「人はパンのみに生きるのではない」である。
教養は共同体の規範の中から外まで飛び越えていく。
つまり、娯楽を娯楽として楽しむのには最低限教養は必要なのだ。
実はそんなことギリシア時代からいわれていて、アリストテレスも「芸術は模倣から始まる」といっているし、コロナ禍の元外に出られない人間達は娯楽を求めている。
つまり教養が役に立っているということだ。
「芸術など何の役に立つ」という言葉に対する反撃は、このコロナ時代の惨状を見れば明らかだ。
「コロナ時代の愛」等と洒落をいっている場合でもないが、人は芸術を求める。
芸術の中でも最も単純に、面白い、つまらないで割り切れるのが「読書」である。本を読むという行為は単純だ。文字を追って読んでいけばいいだけのことである。時間的コストは高いが読み終われば達成感もある。
これもギリシャ時代からいわれているが「芸術がなければ人生に意味はあるのか……」と。ポーランド人俘虜達は、日々の過酷で劣悪な環境のなか、強制労働の後の凍える教会室でチャプスキらの講義を熱心に聞いていた。教養は生きていくために必要なのだ。
川端康成は個人的にそれほど面白いとは思っていない……しかし『掌の小説』は面白い。そして美しい。
芥川賞でどうしても受賞したかった太宰治は、川端に長々とした手紙を送りつけるも、私生活に難ありということで撥ね付けられてしまい、殺してやろうとさえ思ったという。
川端康成は三島由紀夫に、もう私は年だからノーベル賞を譲ってくれと手紙を出していた。選考委員会のドナルド・キーンは谷崎潤一郎を押していたが、選考中に亡くなってしまったため、改めて三島を押していたが、三島はまだ若いからチャンスがあるということで川端にノーベル文学賞を戴冠させた。
その川端作品の『眠れる美女』は人類史上最も語ることが巧かった作家といっても過言でもないガブリエル・ガルシア=マルケスにインスピレーションを与え『わが悲しき娼婦の思い出』を書かせた。
川端の老化し、消えていく老人に対して、日々元気を取り戻していくガルシア=マルケスという真反対の話は併せて読むと面白い。
ガルシア=マルケスは丁度シュルレアリスムに端を発する『魔術的リアリズム』を完成させたとしてノーベル文学賞の栄光に浴している。
カフカが後生の作家に与えた影響に匹敵する勢いでマジック・リアリズムは広がっていった。影響は全世界に及び、日本人だけでも指の数が足りなくなる。
定義はまた長くなるので置いておくとするが、商業的マジックリアリズムというエンタメに振ったファンタジー表現は森見登美彦や桜庭一樹らに受け継がれている。
ここでボルヘスの「ラプラタ幻想文学」を出さないのはフェアで無いかもしれない。ボルヘスはその拠点である、ラ・プラタ川沿いでサロンを開き、幻想文学をはじめとし、ガウチョやピカレスク、探偵ものなど色々な作品を残した、盲目の巨人だ。
コルタサルについては、マジック・リアリスムともラプラタ幻想文学ともどちらかに所属させる意味が無いほどにラテンアメリカの諸相を書き上げている。
蜩が鳴く、直射日光が入らないようにレースのカーテンだけを開き外気を取り込む。朝五時、もう暑い。
もう一眠りしておこうか、微睡みの中本を読もうが迷っていたけれど、睡魔には勝てない。寝こけながら、次は文字について考えるのも楽しいかもなあとボンヤリ思っていた。
本や作家の繋がりが知れると楽屋裏的な楽しさ、蘊蓄がたまってくる。こんなものは教養でも無いのだろうけれど話す相手が楽しんでくれればそれで良いと思った。
私は東風栞。
話す相手の名も詩織さん。
運命的な……というにはちょっとした繋がりでしか無いけれど、これも何かのご縁だろう。そう思ってまた眼鏡をかけたまま布団をかぶった。
イラスト提供:
赤井きつね/QZO。様
https://twitter.com/QZO_
ジョゼフ・チャプスキ『収容所のプルースト』
辺りを纏められれば良いかなと思っています。
また9月になるとご報告できることが有ると思いますので
楽しみにしている人いるかどうかは分かりませんが
お付き合いください(書籍化とかそんな大それたもんでもないです)




