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026ジョヴァンニ・ボッカッチョ/平川祐弘訳『デカメロン』

ジョヴァンニ・ボッカチオ/平川祐弘訳『デカメロン』

少し身の回りが落ち着いてきたので疫病文学をやっていきたいと思います

 雨の音を聞きつつ、ぼんやーりと天井を眺める。

 学校からは、一生分と思われる宿題の山が渡されていた。

 まあ誰もやらないだろうねなんて、栞に電話したら珍しく、結構真面目に説教をされてしまった。



 同い年ですよ栞さん……と、なんだか泣きたい気持ちになったところで、暫く学校へ通って強制的に勉強をするという環境がないと人って勉強しないもんだなと、人生の重大な思索に耽っていた。

 最近流行のリモート授業でもあればいいのにと思いつつもそういうのは、予算の問題だとか技術的な問題だとかで難しい云々と切れの悪い感じの返答を学年主任の先生から頂戴していた。



 ま、一日の勉強は計画通りではなく当初の学校指定のやり方からはずいぶんと破綻していたものの、科目の分量自体はやや偏りがあるけれどもノルマ自体はグラフにしてみれば凸凹になりがちながらもちゃんとこなしていた。



 まあ、尻を叩かれながらであるので自慢にもならないし、計画性がないことについても鞭を振るってくる友人がいなければ、今頃驚異の低空飛行を以てして、地上スレスレを胴体着陸を狙っているかのごとく、両親の肝を文字通り心胆寒からしめるアクロバット飛行をお見せすることになっていたはずだけれど、まあまあ低速でふらつきながらも安定して飛んでいる。



 なにもかにも栞という友人のおかげであるが、普段はあがり症ですぐ言葉に詰まったりするくせに、本の話題や勉強の話題になると実に流暢に話しだし、更にはサナトリウムにでも住んでいそうななんとも儚げな雰囲気を出しているくせに、妙に押しが強い。



 ついでにいうと、メチャクチャ距離の取り方が近いので、こっちの方が萎縮してしまう。



 いつまでもぼんやりしているとパソコンの動画越しに、冷静な説教をうけることは火を見るより明らかなので、大分色を抜いた部分が少なくなり、プリンというよりカヌレみたいになってきた頭を掻き上げて、デスクトップの電源を入れる。



 女子高生という生き物でデスクトップのパソコンを持っているというのは意外と少ないと聞いたけれど、親戚に物好きがいて、余ったパーツで結構いい性能のパソコンをただで作ってくれるので両親からのうけはよかったけれど、わたしとしては価値がよく分からなかったので、Macのノートパソコンに、何かカワイイシールでも貼って、図書室とか喫茶店でカチャカチャと何かカッコいい事をしている、ノマド? になりたかったけれど、そうは問屋が卸さずに、今は家に籠もり外へ出るなとお達しが来ている。



 まあ登校の時間とか気にせず寝ていられるので楽ちんとは思いつつも、近所のどこかでコロナが出たぞなんていわれると、関係ないなと思いつつも、やっぱり怖い。



 パソコンを立ち上げると、すぐにメッセージがポップアップしてきて、一緒に雑談でもしながら勉強しようとのお誘いが来た。



 パーフェクト文学少女とわたしが密かに思っている東風栞さんである。

 因みに本人の前でさんとかつけると、呼び捨てにしろとぷんすこ怒るのだけれど、彼女はわたしに対しては割と堅い言葉遣いをする。

 慣れてないというより、そういう言葉遣いが身にしみているようである。

 彼女の家に招待された時、ああお嬢様何だなと思い知らされた。


 さて、その栞がビデオ通話の招待を送ってきたので、おーけーと返す。


「おはよう、というかこんにちは詩織さん」

「こんちゃ、栞」

「なんだか家から出られないと、私みたいな書斎派でもなにか外で遊びたくなるのが不思議ですね、家にいても勉強以外だと読書とリコーダーの練習ぐらいしか趣味もないですからね」

「まあ二人で散歩するぐらいならいいんじゃないかな?」

「でも、自粛自粛の世の中ですからね」

「勉強の前に何か久しぶりに本の話でもしてよ」

「うーんそうですね、こういう感染症のパンデミックというものは、遺憾ながらも芸術にポジティブな影響を与えますからね」

「へーそうなんだ」

「例えば、ペスト禍の街を描いたカミュ『ペスト』とかまんま今の状況にそっくりですね、書店でも古い翻訳しかない割に結構な数バンバン出て行ったと聞きますね」

「へー他には?」

「中世に遡るとダニエル・デフォー『ペスト』とか近年だと『ホットゾーン』とか、肺結核が不治の病だった頃は所謂サナトリウム文学なんてボンボン作られていましたね、他にも例はいくらでもありますが、中でも一つだけあげるとするとそうですねぇ……」

「おっ! なになに、いいお話あるの?」


「十四世紀の作家ボッカッチョの描いた『デカメロン』ですかね」

「大きいメロンみたいな?」


 栞は苦笑いしながら初めて聞く人はみんなそういいますよねといった。


「デカは算数の時にも習ったように十を意味して、メロンは物語ですね。ピアノの曲で三十人が同じ旋律を自己流にアレンジして一曲にまとめた『トリアコンタメロン』というのがあるのですが、こちらは三十の旋律みたいな意味合いですかね」

「で、その『デカメロン』はどんな話なの?」

「この話は箱物語りという構成になっていて、チョーサーの『カンタベリー物語』に影響を受けているのかな? 確実に影響を受けているのはダンテ『神曲』とペトラルカなんですが、箱物語りではないですねこちらは」


「箱物語りってあれ? 『箱男』みたいな?」

「箱物語りは、そうですね、あのテレビドラマの「世にも奇妙な物語」とかに近いですかね」

「ほうほう」

「『カンタベリー物語』は巡礼の騎士やお坊さんなんかが出てきて宿屋に逗留している時にね誰が一番面白い話を出来るかの賭け事をします。つまりタモリさんが出てくる外枠の話が合って、その中にそれぞれの登場人物の細かい話が入っている入れ子構造みたいな物です」

「なんとなく分かってきた」

「『デカメロン』はペストが大流行したフィレンツェから貴族の貴公子二人と八人の美女が逃げ出してきて郊外の人雑離れた別荘で十日間にわたり、一人ずつその日のテーマに沿った一番面白い話をするという構造です。病気が流行って田舎に逃げ出すとかもう今と全く変わらないですね」

「へーなんか難しそうだけれど面白そうな感じもするかも」

「今度お会いした時に貸してあげますよ、要は大舞台の中で次々と演じられる小さな物語の集まりなので長さの割には、早く読めます」

「ほほう、流石栞詳しいもんですな」

「詳しくなんて無いですよ、たまたまこのタイミングで読書に集中できたから読んでいただけです」


「ふーん、短い話の集まりかあ……交換日記みたいなのだったらちょっと書けそうだね」


 いった瞬間迂闊な言葉が二度と口の中に戻らないとかいう話を思い出してしまった。


「そうですよ、今のこの状況で色々遊べるなら箱物語り作ってみましょう! 短編は完成度上げること自体は凄い難しいですけれど、とりあえず素人が書くには長さをあまり意識しないで書けるというメリットもありますからね、勉強終わった後に一緒に書きましょう。交換日記みたいに最初は本当にあった話のアレンジとか、支離滅裂な夢の話とか身近な出来事にちょっと不思議さを加えるだけでそれなりのお話出てくるでしょうし、後からいくらでも推敲するとして、とりあえず書くだけ書き散らして、お互いに読み合って面白いお話作りましょうよ! 私ずっとそういうことやってみたいって憧れがあったんです!」


「わ、わたしはへにょへにょ話しか書けそうもないからなあ……、ほら栞と違って読書の達人でもなければ、書く事なんて読書感想文と小論文のテストぐらいしかないし……」

「要は慣れですよ、最初から上手い人なんていないですし、二人だけで見せあいっこするだけだから別に恥ずかしがる物ではないじゃないですか!」


 こうなった栞はもう止められない。

 参った参ったと降参するしかなく、彼女の言葉になぜか従わされてしまう。

 なんとなく聞いている内になんとなく自分でも出来るんじゃないかと、蜂蜜か何かのように甘い考えが脳みその中に注ぎ込まれたが、冷静にならなければという思いのほかに、こうして二人だけの秘密を共有するのは、実にワクワクさせられることじゃないかとも思い懊悩する。


「ではやや不謹慎ですが、過去の偉人達の流れに沿ってコロナウイルスに追われて、一人暮らしの友人の少女宅に逃げ込んできた女の子が、お互いの不安を消し飛ばすため、他愛もない作り話をしていくなんてどうでしょう?」


 一人暮らしの少女宅に駆け込んでくる友人のモデルははてさてどこから出てきたんだろうかと思いつつも目をつぶりウンウン唸ってみたものの拒否する考えも思い浮かばなかったので、画面の向こうの栞を見てみると、今まで一度も見せたことのないダブルピースで指をぺこぺこ一定のリズムでお辞儀させているなんとも間抜けな、でも妙にかわいらしいというか人間くさい光景が目に入ってきた。

 わたしは思いっきり吹き出してしまった。



「負けよ、負け! 期待しないでもらえるなら頑張ってみるよ!」

「女の子同士の秘密の共有ってなんだかワクワクするというか、なんだか変な気持ちというか、興奮しますね!」



 栞が厚ぼったい眼鏡をキラキラさせながら、変な方向に目覚めつつあるのでとりあえず話題をそらしてみる。



「で、話は戻るけれど、その『デカメロン』は最終的にどうなるの?」



 栞は薄い、春の淡い海に静かにただそこにあるというだけで心引かれる桜貝のような薄い唇に人差し指を当てて。



「秘密です。お貸ししますのでご自分で確かめてください、最後から読むのは駄目ですよ!」



 何というか、世間の緊張感が嘘のように消えて、なんとなく笑みがこぼれてきた。

 乙女の二人だけの秘密の花園。

 面白いんじゃないかと思い始めていた。



挿絵(By みてみん)

イラスト提供:

赤井きつね/QZO。様

https://twitter.com/QZO_

考え中

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