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022アーネスト・ヘミィングウェイ『老人と海』

挿絵(By みてみん)

ぶろーばっくちんたまうんてんさんに

描いていただいたイラストです

底本は光文社古典新訳です

「なんか短くて読むと賢くなった気分になれる本は……」

「無いです、ありません」

 いつものやりとりなのでもう反射的に返してくる。


 並んで座ってたので、肩に手を回して、お餅みたいなほっぺをふにふにと突き「なーなー本当はあるんでしょー」といつもよりネチっこく絡んでみる。

 最近は、ちょっとボディタッチしたぐらいではあまり恥ずかしげな、あわわわという例の見てて楽しいからかいごっこに慣れてしまったので、結構大胆に行ってみたのだがどうだろう?

 ちなみにこれってわたしも凄い恥ずかしい。

 恥ずかしくとも乙女にはやらねばならないときがあるのだ、なにをいっているんだわたしは。

 それはそうと、栞のほっぺは指がふにっと突き刺さり、お餅みたいに指にちょっとひっつく。赤ちゃんの肌みたいだ、うらやましい。

 これですっぴんなんだからたまらない。


 眼鏡をカタカタ震わせながら「そういうのは、好きあった人とやる事です!」

「あれれー栞ちゃんはわたしのこと好きじゃないの?」

「こういうことをする詩織さんは嫌いです!」

「えー分かったよーごめんごめん」

 ずれて鼻まで落ちて息でレンズが白く曇ってしまったのをキュッキュッと神経質にというかプリプリ怒りながら拭いている。

 珍しい感じの青い布に刺繍が施され目に眩しい。

「そんなに賢くなりたいならお勧めのありますよ、しかも面白い」

「なんだあるんじゃない……」と言ったところで何か悪い予感がした。

 キーホルダーもシールも何も貼っていない新品同様の黒光りが眩しい鞄をもぞもぞと探ると一冊の薄い本を出した。

「アーネスト・ヘミングウェイのノーベル賞受賞のきっかけにもなったと言われる『老人と海』です。これは光文社古典新訳のもので、岩波文庫のシェイクスピア翻訳で有名な福田有恆訳などと比べると柔らかいというか、話を少し作っている部分があるんですが、私はそこも含めて好きです。お世話になっているスペイン語翻訳家の方は『目減りしない正確な翻訳』を目指しているとおっしゃっていましたが、合理的な判断で妥当な話の補正をするのなら私はいいと思います。先ほどのスペイン語翻訳の方も関連資料見ながら誤りを生むような表現や間違っているデータの修正は補正するとおっしゃっていました」


 ほあーっと、いつも通りアホそのものの顔を晒して聞いていた。

「ちなみに本文だけで何ページなのですか栞サマ?」

「んもーまたふざけて……光文社版は約百三十ページですが、解説が比較的長く全部読むと百六十数ページになりますが、解説込みで読んでいただきたいところですね」

 へーそのぐらいなら私にも一日で余裕で読めるじゃん! しかもノーベル賞とった人の作品ってだけでなんかこう、インテリゲンチャな? 賢く見える? 的ななんか「ノーベル文学賞とった人の作品で何が好きですか?」って聞かれても堂々と答えられる!

 いいですね、ワタクシ向けの良書であると宣言してもよろしくてよ。

「じゃあ早速読んでください。集中して読めば一日あれば余裕ですから」

「なんだ栞、こんな隠し球があるんだったらもっと早く教えてくれればよかったのにぃー」

 などと言いながらパラパラめくってみると簡素な文体で特に難しいことが書いてあるわけでもなくフツーに読める。

 あら、本当に丁度いいの出してくれた。

 いつもの栞なら飴と鞭で、その清楚系お嬢様の見本のような姿からは想像できない鞭をベシィとたたきつけてくるのだが。


「ふふふ、今簡単に読めると思いましたね?」

「はい、その通りですお嬢様」

「む、お嬢様はやめてほしいのですが、賢くなりたいといっていましたね?」

「はあそんなこといってたかしらん? わたしとしてはこれ読むだけで賢くなっているつもりなのですが……」

 栞がチッチッチッと口をならしながら指を振る。

 とんでもなくやり慣れてないというか、やり慣れている人がいるのかわたしには分からないけれど、動作があまりにもぎこちなく似合って無くてプスッと拭いてしまう。もちろんおならではない。真の乙女はそんな物しないのだ。

「ふふふ、笑っていられるのも今のうちですよ」

「なんですか急に……」

「詩織さん今回の英語の点数ギリギリ平均点の綱渡りでしたね」

 私は英語と数学が戦争、貧困、疫病、椎茸と同じぐらい嫌いなのだ。

 その過酷な環境の中、なんとか平均点よりも上をとっている姿をこそ見てほしいものである。

「だからなんだっていうんですか……」

「じゃーん倉林秀夫『ヘミングウェイで学ぶ英文法1・2』です。これがあれば英語の基本的なところから登場人物の心情まで英文でもサクサク頭に入ってくるという魔法の本です。日本語ルビ振り版の本もありますが、私はこちらをお勧めしますね」

「……と、いうことは?」

「『老人と海』読み終わったら読んでください、私もそんなに英語に明るい方ではありませんが詩織さんの助けになるぐらいのことは出来ますから。ね? 賢くなれるでしょ?」


 さっきの浮かれてた浮かれポンチの自分の頭をひっぱたきたい……。

 こんな隠し球がある何てそりゃあなた聞いてませんわよ。

 っていうか、栞の英語に明るくないは、たしか学年で五位以内に入ってなかったとかそういうレベルだったような……。

「や、わたしは楽しく読書が出来ればなあなんて、で読んでいるうちに読解力が身について国語の試験で輝かしい成績を上げられたらというか、何というかアイツ頭プリンになってる中途半端な見た目の割になかなかやるじゃんって思われたくって、ようはアクセサリー感覚で読むつもりだったので……」

「だまらっしゃい! 動機は何でもいいんです。アクセサリー感覚とか見栄で読書するというのは確かに、まあ、アレですが、読まれないで積まれた本ほどこの世で価値のないものはありません。以前会ったばかりの頃『阿呆船』の話をしましたが、高価な本を集めて読み切らない人は、グーテンベルグの活版印刷で大量生産が始まった頃からいたのです。それに比べれば少しずつでも読んでいる詩織さんは立派です」

「えへっ、そうなの?」

「うまうまと行きましたね」

「はい?」

「いえ何でも。とにかくやって損はないんですから何事もチャレンジですよ!」

「うーんそこまで言われるとなあ」

「因みに漁師のサンチャゴは三日間ほぼ寝ずに一人でカジキと格闘していましたよ」

「いや、流石に寝かせて」

「プレ版のお話だと二日間だったり四日間だったりするので間をとって三日間頑張りましょう!」

「いや、あの、寝る時間は?」


 そのとき栞がガシッと腕をわたしの肩に回してきて、ほっぺたをツンツンと突いてきた。

「詩織さん美人なんですから、薄いとはいえ高校生のうちからお化粧なんかしたら駄目ですよー、ほら、指先に薄らと粉が……」

「し、栞さん? なんだかいつにも増して大胆じゃありませんか?」

 口から心臓が飛び出しそうになりながらいってみる。

 さっき私はこんな恐ろしいことをしたのかとちょっと反省した。ちょっとね。

 栞はにやぁと邪悪な笑みを浮かべ耳元で湿っぽい吐息で「私なりの仕返しです」といってほどけていった。

 ふふふっと笑うと「あーたまにはこんな逆転があってもいいものですね、今までの仕返しですよ」といった後、顔を背けた。

 あ、分かった。今猛烈に恥ずかしいんだ……。

「じゃーあのまあ勉強と読書しましょうか……」

「あ、あのひゃいっ!」


 頭のてっぺんから湯気が立ち、そこに風に吹かれて揺れている桜の木が一本生えているように見えた。


 ちなみに英語の点数は上がった。



挿絵(By みてみん)

イラスト提供:

赤井きつね/QZO。様

https://twitter.com/QZO_

次回

ヘンリー・ジェイムズ

『ねじの回転』

→木原善彦『実験する小説たち』へ変更しました

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