016円城塔『文字渦』
山尾悠子『飛ぶ孔雀』と合わせて日本SF大賞を受賞しました。
『飛ぶ孔雀』も面白いのですが、個人的な雑感としては
こちらの作品の方が娯楽として面白く感じます。
「『もじか』? 知ってる知ってる、山崎敦のでしょ? あれ? 中島だったっけ? 中崎だったっけ?」
そんな混乱している私を見て珍しくケラケラと笑いながら、中島敦です。といった。栞は時々普段見せたことのない表情を見せて、わたしの視線を奪う。
自分も柄にもないことをいわせてもらうと、こういうときの彼女の、栞の瞳は、分厚いレンズの向こうで、なんかのカットもされていない原石のママの鉱物標本に当たった光が乱反射しているように見える。
わたしも詩的なことを言うようになったなあと、文学少女に一歩近づいた気がした。金髪に染めたものの物臭でプリンになりかけている頭頂部が「まあ、見事なまでにみっともない」とお母さんに言われたが、まぁこれを機に黒に戻してもいいかなとぼんやり考えが移っていった。
「『李陵』『山月記』の人は中島敦です。文字の禍と書いて『文字禍』という数ページの短編をものしていますが、今いったのは山尾悠子『飛ぶ孔雀』と一緒に日本SF大賞を取った円城塔の『文字渦』です。最後の一文字が『禍』ではなく『渦』になっているのが特徴です」
「あれ? 文学少女らしくないSFとは珍しい」
「だからその文学少女はやめてください!」といってプクーっと膨れた。こういうらしくないところが付き合いが長くなってくるとこういう仕草をちょいちょいしているところが見られて見てて面白い。
「じゃあその円城塔とかいう人の奴面白かったの?」
「はい、私は山尾悠子のファンでもあるので両方読みましたが、今回の二冊だと、単純なエンタメとか面白さを求めるなら『文字渦』に軍配が上がりますね」
「ふーん、そんなんあるんだ」
「円城塔はペンネームであって本名は非公開なのですが複雑系の研究者ということだけは分かっています。奥さんも作家ですね」
「で、その『文字渦』っていうのはどこら辺がSFなの?」
「うーん宇宙に文字が散らばっていたり、プログラムで国宝のお経を印刷するプリンターを作ったりという現代から未来のパートと秦の始皇帝から始まり明の太宗に使えた虞世南、欧陽絢、そして?遂良たちが出てきて、前漢の司馬遷が記した『史記』の秦の始皇帝が行った封禅の記述を元に西太后が行い、それを日本からの使者が見学しているところで世界情勢の話になったり、書聖と呼ばれた東晋の王羲之が数々の引き留めに会いながら、官位を辞して五斗米道に身を投じ仙道三昧の生活に浸る話で、インベーダーゲームを漢字で再現してみたり、現代で『犬神家』のパロディで漢字一文字で助清をあらわしていきなりジャンルがミステリーに飛んでみたり、本をよく読んでらっしゃるおじさまが、真顔でシュールでくだらないギャグを全力投球してくるのが面白いといっていましたが、確かに的確だと思いました」
腕を組んでうんうんと頷いて、一言で感想を告げるとギャグアニメのように栞はすっこけてくれた。
「全く分からんって、こう歴史的な部分は飛ばしてもギャグの冴えているところとか分かりませんか? いや、私の説明が悪かったかあ、まだまだですねぇ、文章力も伝える力ももっと鍛えないと」
「うむ、精進してくれ給え」
「私が悪いのは確かなんですが、詩織さんも理解しようとしてくださいよお」
「だって漢字とか興味ないしっていうか、多分読めない漢字いっぱい出てくるし、エンタメぶっていて難しいんでしょ?」
「まあどんな本にもいえることですけれど合わない人はいるかと思いますが、楽しむための努力も必要ですよ?」
「栞みたいに、かわいい顔してあの子やるもんだねとっていうか裏がなんかありそうで」
「かわ……かわ……かわいい! そういうこと冗談でも言ってはいけません!」
「えーまあ正直に言うと地味な感じはするけれどかわいいのはホントじゃーん」
肩から腕を回して顎に手をやる。カッカカッカと熱くなる。ヤバっ冗談のつもりだったけれどなんかこっちまで体のどこか分からないところがもぞもぞしてきた。
「その分厚い眼鏡もなんか知的だし、でもたまにはコンタクトにしてちょっとだけお化粧してみたら男子の見る目も変わっちゃうと思うよー」
表向きからかっていたが、バクバクと鼓動が高鳴り、鼻血がツツーという段階を飛び越えて、バフッと出てきそうになる。
「わた、わたし、眼鏡は絶対取りません! 男の子の視線にも興味はありません! いや、恥ずかしいという意味では気になりますが……」
と、いったところで本当にダラーッと濃い鼻血を垂れ流して茹で蛸みたいに茹だってくらーっと私の胸に飛び込んでくる。
あわわわ、意識があるのかないのかよく分からないけれど、わたしの胸の中で流血沙汰が起きている。
ちょっと誰か助けて!
の、一言が口に出せずへなへなーっと誰もいない図書室で、誰からも見えないカウンターの陰にへたり込んだ。
おでこを当ててみるとどうにも、わたしと同じぐらいぽっぽっぽーと熱くなっており、湯気が立たないか気になって仕方ない。
気になって仕方ないのは鼻血も同じで私までたらーっと静かに鼻から何か垂れてきた。
二人の胸の中がなんかの犯罪に巻き込まれたか心中失敗したかのように真っ赤に染まる。お母さんごめんなさい、理由が女の子同士でじゃれてて興奮しすぎで血まみれになったじゃ素直にいえない。
確か中島敦の『文字禍』なんか長い名前の博士が目を使いすぎると目が悪くなって邪悪な文字の精霊のせいで、人々の活気が失われるので、今すぐ粘土板をすべてたたき壊せとアッシュルーバニパル王に進言するものの、自宅で地震に遭い潰されてしまうという筋書きだったはずである。
あれ? わたし凄くない? 文学少女になり始めている?
まあそんなことはどうでもよくて図書室の暗がりで割と洒落にならない血まみれぶりで女子二人睦み合っていたら、噂になることこの上ない。
「栞、栞! 起きて、起きてってば!」
何やらムニャムニャ言いながら顔に手をやると眼鏡が外れる。
初めて眼鏡かけてないところ見た。
眼鏡美少女は、眼鏡なしでも美少女である。
ぼんやり意識が飛ぶと、栞は「眼鏡、眼鏡」と言い出し辺りを探る。
私のことを無視しているので体が必要以上に絡み合う。
こう見えてわたしは男子と付き合った経験はゼロで、女の子と付き合った経験ももちろんゼロなので、あわあわいうしかない。
「漢字でですね」栞がのったりと鼻をボコボコに殴られたボクサーみたいに親指で、ピッと格好良く血を弾き飛ばす。
それがわたしの胸にぱたたと掛かるが今の血まみれぶりからすればなんともない。
「甲骨文字で……」
「ちょっと喋らないで鼻つまんでいなきゃ!」
「子供を抱いている構図から来ています。更に時代が進むと子供をあやして跪いている字形になります」
「ちょっちまった、そんなことより鼻血止めないと……」
「ですからね漢字一つとってもいろいろな歴史的な意味合いがあるのです。だから『文字渦』読んでください」
宣伝かい!
と、突っ込みたくなったが割とそこに意識を集中して興奮を収めているらしいので黙って首の骨が折れるほどの勢いで頷いた。
「約束ですよ、ふふ」
眼鏡を整えると、わたしの両手をとってやけに爽やかに笑ってくる。
わたしも両手を握り返すと鉄の匂いがしてヌルヌルする。
「あはっ!」と場違いに無邪気で陽気な笑顔をして力強く両手を握り返してくるその顔は、酷く間抜けでホラー映画のように血まみれで、二人のブラウスは失血死する寸前なのではと思うほど血まみれになっていた。
どうやって誰にも見られないように学校を出て家まで帰るか。
どうやってお母さんに言い訳するか、あはははとなんだか妙にご機嫌そうに笑っている栞を見てどうしたもんかとまた鼻血が出そうになった。
イラスト提供:
赤井きつね/QZO。様
https://twitter.com/QZO_
次回
フリオ・コルタサル
『悪魔の涎・追い求める男』




