014サミュエル・ベケット『ゴドーを待ちながら』
遅くなりましたが
明けましておめでとうございます
放課後栞と一緒の帰り道、ぼけーっと無難な点数とれた定期テストの結果に安心していると、栞のこちらの顔をチラチラ見てくる視線が気になる。
「どしたの? なんかついている?」
私がだらーんとしながら聞いてみると、慌てて、あっいえっ……と手を振る。
「なによー、わたしたちの仲でしょ、気になることがあるならちゃんといってよねー」
と、ちょっと怒ったようにいってみると、下を向き眼鏡のポジションを弄り、小声で。
「あの……学校出てからずっと口開けっぱなしで、その、何というかこういうの本当に失礼なんですが、ちょっと間の抜けた顔で涎もたらたら垂れていたので、いつもの格好いいイメージの詩織さんとはずいぶん違っていて……」
「栞はさあ、なんかいつも本ばかり読んでるけど、難しいなあって思う本ってないの?」
ふふふっと笑い「読書百遍、書自ずと通ずといいますけれど、前にもワイルドがいったとおり読まない方がいい何というか面白みに欠ける本もあります。でも私はそういう本ほどいいところを見つけてあげたいんですよね。で、なんとか最後まで読み切りますがその後もう一度読むかというと、もう読みませんね。時間を消費して何か気づきがあるかもという期待は必ず裏切られます」
「その読書ひゃっぺんがよくわからないけれど、つまらない本でも一度全部読んでみるの?」「読書百遍っていうのは、難しい本でも百回読めば理解が進むという中国の故事ですね、本の数も読書する理由も今と違っていた時代の話ですよ」
「で、栞はなんか訳わからない本とか読んだことあるの? っていやいや、栞がよくわからない本なんて滅多にないよねー」
鞄を頭の裏に掲げて夕日になりつつある空を見上げながら、のーてんきにヘラヘラ笑っていると栞が急に立ち止まる。
「いや、わからない本最近読みました」
「はい?」
「不条理劇の創始者で確か川端康成の次の年にノーベル賞も取ったサミュエル・ベケットの『ゴドーを待ちながら』です」
「後藤?」
「ゴドーです。ストーリーは簡単なんですよ、ヴラジミールとエストラゴンという二人組が木が一本生えているだけの場所でゴドーを待っているというだけの話です」
「えー地味じゃん、面白いのそれ?」
「私にはおもしろさが分かりませんでした。ただ理解を進めるのに百七十ページほどの薄い本に、読み切るまで一週間以上かかりました」
「栞って以外とマゾだったり?」
「マッ!詩織さんそういうことはですね!」
その程度のことでと思ったけれど夕日に負けないぐらい顔が真っ赤になってプンスコ怒っている姿が面白くって、あとちょっとかわいらしくって、いつかのまねをしてやり返してやる。
「そこまでです!」
唇に人差し指を当てて口を塞ぐ。透明マニキュアがキラリと光を反射する。
うほっ……これやってみるとメチャクチャ恥ずかしいじゃん!
栞に何度かやられたけれど普段おとなしいくせに、なかなかやるじゃんこの子。何というかもう気にもならなくなったけれど、考えてみれば距離も近いし、今更恥ずかしくて仕方なくなる。
なんとなくお嬢様風にスカートの前に両手で鞄をぶら下げ、何でもないような顔をして、ちょっと栞のまねをして「そのぐらいで恥ずかしがってたら社会に出られませんよ?」といってみる。
よくよく考えてみると意味がよく分からない。
「そういう詩織さんは……」
「わかりましたー嫌いにならないでよ栞ちゃーん」
「もー、ゴドーの話はもういいんですね?」
「あ、つまらないというか栞にも理解できないって内容は気になる。なんとかミールとなんとかドラゴンとゴドーの他は何にも出ないの?」
「いえ、ヴラジミールとエストラゴンはずっと出ているのですが、ゴドーは最後の最後まで出てきません。その代わりポッツォという老人とその召使いというか奴隷のような男ラッキーが出てきて二人の時間つぶしの相手になります」
「ゴドー出てこないの!?」
「はい。ヴラジミールとエストラゴンは時間を潰すため突然木で首をつろうとしたり、ポッツォを交えて三人で自分の帽子を何度も無意味に交換し合ったりします。ラッキーは一切しゃべらないのに、主人のポッツォが喋れと命令すると、哲学者の言葉を引用して難解な意味のあるんだかないんだか分からない言葉を長広舌で延々と語り出します。一つ言い忘れていましたが、最初にいったようにベケットは戯曲作家です。なのでこの話も舞台のト書きです」
「ふーん、演劇のシナリオってこと?」
「はい、そして第一幕は山羊飼いの少年が『ゴドーさんは来ません』と伝えポッツォとラッキーが退場していき、また二人だけになったところで終わります」
「何それ、面白いの?」
「ま、とりあえず続けますね。第二幕ですがヴラジミールとエストラゴンが二人で一夜を過ごして、また何の意味もない理解不能なやりとりをずーっと見せられます、私はこの状況を『脳が虚無にかき混ぜられる』と読書ノートにメモしました」
「ど、読書ノート!?」
「ん? 珍しいですか? まあ確かにつけている人の方が少なさそうではありますが……」
「栞ちゃん、あんたが眩しいよ……お嬢様の読書だよ、プロ読者だよ」
「何意味の分からないこといっているんですか? まあ読書ノートつけているとはいいましたがここら辺の流れが何度読んでも頭にうまく入らなくてですね、諦めました」
「栞が諦めるとは……」
「ちゃんと読み切りましたよ、もちろん。落ちをいうと、再登場したポッツォはなぜか盲目になっており、ラッキーは唖になっていたりして、それに併せて時間の感覚をなくしたり、ちょっとした地獄になります。最後は羊飼いの少年が現れてゴドーが今日も来ないことを告げて、また二人きりになり幕ということになります」
「まってそれ面白いの?」
「凄いものを見たのは確かですが、未熟な私では消化はおろか咀嚼もなりませんでした。難しいにも何種類かあるのですが、これはストーリーと登場人物との関連性をつなぎ合わせる、合理的な解釈がほとんど不可能なことですね。キリスト教的考えが分かると理解が多少進むかもしれないですが、ベケット自身は宗教的な解釈はほとんど考えていないというようなことをいっていたようです。そして肝心の劇ですが、フランスでは非常に不評ながら百回を超えるロングランになったそうです。一方アメリカでは役者の家族の他に一組の家族がのぞきに来ただけで、一度きりで終わってしまったといいます。大爆笑喜劇がアメリカに到来といった宣伝の仕方も悪かったようですね。フランスで賛否両論でロングランと言われるとストラヴィンスキーの『春の祭典』が思い浮かびますが、それよりも落差が激しいですね」
「ストラ……」
「あ、あのもし詩織さんがよければ何ですが……」
「は、はい」
改まっていうので、こちらも不意を突かれてドキリとさせられる。
「わた、わた、私の家に、その、あのーっ……」
「行きます! 行かせてください!」
二つ返事という言葉があった気がするけれど、一つ返事? で答えた。内容はまぁこんな所だろう。
「あの、私まだ何もいってないんですが……ストラヴィンスキーとか、前にいってたラヴェルとか聴いてみませんか? コーヒーでも紅茶でも詩織さんの好きな方をご用意してますから!」
「あはは、やっと家に呼んでくれた。わたし本当にうれしいよ。クラシックとかよく分からないし本のことも全然だけど、わたしたち、これで本当の本当にしんゆーになった感じ!」
「私、友達もいなかったし、詩織さんみたいなみんなに人気ある人が、私なんかの一人でずっと本の話ばかりし続けているの聞いてくれて、本当に親友とかそ……」
なんだかよく分からないがガバッと抱きついていた、耳が赤い。寒さのせいだと思う。そこにと息をかけて、なんとか言葉にする。
「わたしの大切な親友を卑下するのはなしだよ」
なんか分からないけれど二人で笑いながら泣いていた。
イラスト提供:
赤井きつね/QZO。様
https://twitter.com/QZO_
次回
ヴィリエド・リラダン
『未来のイヴ』(光文社古典新訳版)




