011坂口安吾『桜の森の満開の下』
あー桜の花が豪快に落ちていく。
先日、図書委員長ちゃんこと「栞さん」あ、さんづけすると何故か怒るんだった。
何となく仲良くなってて友達?
になったけれどさてどうなることやら。
開け放した窓に背を預け空を見上げる。
桜の花びらが、ざあざあと音を立てて落ちていく。
「桜の下には屍体が埋まっている!」
「おや、また梶井基次郎ですか?」
「あ、栞さん……じゃなくて栞」
間違えて「さん」を付けた時に一瞬ムッとした表情が浮かび頬が赤く染まる。
「ごめんごめんってば、今度アイスでも奢るからさ」
「ま、いいでしょう。梶井基次郎全集読まれたようですがどうでした?」
「んーとね、なんか難しくて分からなかった。でも桜の花が怖いっていう考え方は今まで考えたこともなかったからちょっと桜が気になっちゃってね」
そう言って窓の外を見やると、ぐるぐると花びらが渦を巻いていた。
「『大昔は桜の花の下は恐ろしいと思っても、絶景だなどとは誰も思いませんでした』っていう言葉はご存知ですか?」
「ご存知ではない……何、なんかの小説なの?」
「坂口安吾の『桜の森の満開の下』という作品です。江戸時代より前の頃、明確なことは書いてありませんが、芥川の得意な王朝文化の頃ですかね? 雰囲気としては桜の花の下は人を惑わせる恐ろしい場所だったと、そういう出だしで始まります」
「へー桜なんてなんかおめでたいイメージあったけれど、昔は逆だったんだ」
「まあ安吾がそう言っているだけで、吉野の桜なんかは、天平の頃より歌の題材になってましたからね、多分創作だと思いますよ」
「てんぴょ……ふーん、どういう話なの?」
「てんぴょー」が良く分からないので気にしないことにした。
「もしかしてそう言って、私に粗筋説明させて読んだ気になるつもりじゃないでしょうね?」
分厚いレンズの向こうから、藪睨みにじっとわたしの目の真ん中を見てくる。
下心がバレてしまったので、慌てて「読みます、読みますよ!」といって首をブンブン振った。
彼女は私の目を下から覗きあげていたため鼻の下までずり落ちかけてきた眼鏡をくいくいと鼻の頭まで戻すと「短い話ですからちゃんと読んで下さい!」と強めの圧をかけてくる。
こうなった時の栞はちょっとだけ、ほんのちょっとだけ怖い。
「まああまり本筋に触れないとすると、残酷な山賊が、桜の木の下を歩いていた夫婦を襲い、妻の美しさに心を奪われて夫を殺害し、隠れ家へ連れて帰るのですが、その女は人間とは思えない残酷な女性なんですよね」
「へー怪談みたい」
栞は薄らと笑って「恐ろしい話ですよ、でも怪談とは違うんです。幻想文学なんですよね」「幻想文学っていわれてもピンとこないけれどまあいいや、続き教えて」
ちゃんと読んで下さいよと、もう一度私の鼻頭を指さしながら、というかぐりぐりやりながら、睨み付けてくる。
「分かってる、分かってますよ!」
鼻がムズかゆくなりくしゃみをする。
花粉症ではないと思いたい。
「それで、まあ色々ありまして、あっ色々の部分はちゃんと読んで下さいね、それで山を下りて都に行きます」
「捕まらないの?」
「捕まりません。この間に、人殺しに慣れたさすがの山賊も嫌気が差すほど人を殺めます。それも全て妻のため、妻の遊びのため何ですよね」
「へーそれだけ惚れ込んでいるんだ、っていうか怖い話なのかその部分は」
恐ろしいというか、悍ましいですねと、栞はいうがなんだかそれが実際に嬉しそうに見えて何となく本当に怖くなってくる。
人間の妄想以上に怖いものなんてないという話を聞いたことがあったのを思い出した。
「そして最期に、都を捨てて渋々妻も山に帰るのですが、道中とうとう男は満開の桜の下で気が触れてしまい……と、いうお話です」
何となく外でざあざあいいながら散っている桜の花びらが、奇妙な輪郭を持って一枚一枚落ちていく姿が見えた。
確かに桜の木は不気味なのかも知れない。
「やっぱり怪談じゃん、怖いのは嫌いじゃないけれど不気味なのは何か嫌」
開け放した窓にもたれかかっているわたしの隣に、引っ付く様に一緒に栞がもたれかかると「幻想文学なんですよ、とびきり残酷で美しい」といった。
「他にも似た話で傑作をあげろと言われたら私は迷うことなく『夜長姫と耳男』をあげますね、こちらも美しい少女がとびきり残酷で恐ろしい話です、まずは読んでみて下さい」
脇の下の辺りに何か尖ったものがツンツンと当たる。
白一色のカバーに緑のラインが引いてあってそこがタイトルらしかった。
思わず敏感な乙女の部分をいきなり突っつかれたので、柄にも無く「ひゃん」とか変な声を上げてしまう。
「あはは、ごめんなさい詩織さん。以外と結構可愛らしい声出すんですね。これが今話した話が両方はいっている岩波文庫の『桜の森の満開の下・白痴 他十二遍』です」
一目見て分かる、これ難しいヤツだ。
栞はわたしの嫌そうな顔を見て「なるべく読みやすいように短編ばかり薦めているんですからちゃんと読んで下さい。先に挙げた二つの作品から読み始めてもいいですし、親しみやすいちょっとお馬鹿な話だと『風博士』なんてのもあります。一日あれば読み終わりますから読んでみて下さい、はい!」
と、いって押しつけられた。岩波文庫って難しいのばっかり載っている本じゃなかったっけ?
と、思いつつも大人しく従う。こういう娘が怒り出すとなんだかんだで面倒なことになりそうなのは分かっているので、とりあえずあげて貰った二作品だけは読もうと思い受け取る。 多分怒る事なんてない娘なんだろうけれど怒ったら怖い娘なんだろうなという予感はあった。こう言うのが一番手が付けられない。
「何考えているんですか?」後ろ手に手を組みまた顔を覗き込んでくる。その微笑みがちょっと怖かった。
「いやいや栞さん、何でもないです、読みます読みます」
「さん付けは駄目です」といって胸の上の辺りをトンと人差し指で突っついてくる。痛い痛い。もしかしたらこの娘はさっきの話に出てきた残酷な少女の見た目にそっくりなのかも知れないと何となく想像して、和服を着ている栞はなんだか現実離れした佇まいをしているのではないかと思った。
それでもとりあえず話を切り替える。
「セクハラで訴えます!」
「えっそんなつもりじゃ……すいません」
「許す!」
「よかった」
本気で胸をなで下ろしている。バストの大きさはわたしの勝ちだなと、無知振りをさらけ出しているのでいいとこ探しなどしてみる。
ふと虚無感を覚えたのでやっぱり考えるのをやめる。
「ん、詩織さんどこ見ているんですか?」
「ん、ああ、いやまだ読んでいないけれど栞は和服着せたら坂口安吾の小説に出てきそうだなーって思って」
何やら複雑そうな顔をしつつ「まあ読んでみて下さい!」といって、窓から外を眺めながらこんなことを言った。
「あしひきの山桜花日並べてかく咲きたらばいと恋ひめやも」
「ん、なんかいった?」
「ふふ、内緒です」
内緒の多い娘だと思ったけれど、毎日ここに来れば彼女のこともまたもっと分かるのだろうかと思い、坂口安吾真面目に読むかあとぼんやり桜の散るのを見ながら考えていた。
次回
アルトゥール・ショーペンハウアー
『読書について』




