昼間の少女と夜の国の仕事
私にだって、仕事はある。どれだけ昼の世界に飛び出していったって、私も夜の国の国民だ。勤労の義務をこなしているのだ。
私ことユイ・E・フィッシャーの夜は早い。気持ち的には。ホントは二度寝とかしたい。そんな気持ちを抑えつけ、嫌がらせのように輝く室内灯とうるさく喚くスピーカーに起こされるのだ。
いや実際、仕事の関係上他の人よりは早いはずだ。
ほとんど開いていない目で寝癖とかをチェックして、とりあえず顔を洗う。大体チェックしたってどれが寝癖でどれがくせ毛か分からない。アフロみたいなものだ。それは言いすぎか。
顔を洗い終わったら適当に手ぐしでバランスだけ整える。今日は割とはじめからバランスがよかったから、運勢はよさそうだ。
まあ、どうせ仕事し始めたらカチューシャをつけるからある程度は抑えられるし。
服を着替えたら配給所に行って夕食をもらう。夕食は軽めに、というのが私のスタイル。というか起きがけにそんなにたくさんは食べられない。配給からバーだけ受け取って、ミルクと一緒に流し込む。時間が掛からないのもこのスタイルのメリットだ。デメリットとしては、お昼休憩よりも早くお腹が空くこと。だからいつもちょっと残して、おやつに取っておく。
どうせまだ夜も早い上配給所で喋るような相手もいないし、ちゃちゃっと済ませるが吉だ。
食事を終えたら職場向けの荷物を取りに一旦部屋に戻る。他にやることはないので、時間つぶしのため念のため鏡を再チェック。この前は偶然エレナに見つかって小言をもらったっけ。ええい、長い夜のその始めに嫌なことを思い出すものじゃないな。うん。
職場まではそう遠くない。ロビーから徒歩5分のデリのウェイトレスが私の仕事だ。ようは惣菜屋なんだけど、ウチはイートインもやってるからちょっと面倒。
そんなことを思っているうちに職場に着いた。丁度店長が表のシャッターを開けたところだ。ここは元気よく
「こんばんはー、今日も暑いですね」
よし、これだ。このイメージでいこう。
「あ、……ばんは……」
……寝起きって、声が出にくいところあるよね。うん。しょうがない。
店長さんも私の寝起きには慣れているので、「はいこんばんは」と優しく返してくれる。本当にいい店長だ。この店長には色々と融通を利かせてもらってるので割と頭が上がらない。
着替えに向かうとパートの人がもう着替えを終えたようだった。日に二回、特に混む宵明けの頃に頼んでいるそう。今日はパートの他は私ひとりの日なので、特に大助かりだ。
「こんばんは、良い宵ですね」
「こんばんは」
まあルーチンで来るから大体が顔見知り、つまり私が宵に弱いことは知られている。苦い顔はされるけど一応流してはもらえる。よかったよかった。
とはいえ流石に日に二度三度着替えれば段々目も覚めてくる。声出しまですればお客の相手をするくらいは問題なくなる。どうせ最初の内は眠たいとか言ってられないし。
*****
ウチみたいな持ち帰りもできるデリは、季節にもよるけど七時頃が一番混んで、みんな夜ご飯を買っていったり食べそびれた夕食を取っていったりと、大変な客の入りになる。みんなちゃんと配給を取れば良いのにとも思うけど、働くためには活力が必要というのも分かる。うん。でも分かるからといってしんどさが変わる訳ではない。もっと始業時間を分けて欲しいものだ。
客の入りが落ち着いた九時ごろになると、パートの人は先に上がって帰ってしまう。まあべつに接客は一人で回せる程度になるし、ちょっと混んでもこのころなら店長が表に出てこれるから問題はない。そもそも普通は十二時前までは暇というものである。
この時間帯の仕事は、もっぱらピーク時に放置気味になってしまったディスプレイとかテーブル周りとかをきれいにすることだ。……なんで手作業なのかは分からないけど、制服のエプロンドレスといい、店長はきっと懐古趣味趣味なのだろう。
そんな訳でモップを片手に床を拭く。この頃にはもう完全に目も覚めている。意識的には。店長は裏で午前のための仕込みとか少なくなった商品の補充とかをしている。だからといって適当してたらエレナがやってきてぐちぐち言われるなんてことが前にあったな。……暇なのかな。
まあ暇な人と違って私は忙しいのだ。ここで完璧にして休憩を長めにいただくのだ。
からんころんとドアベルが鳴る。
「いらっしゃ――」
入ってきたのは、ごつい人だった。なんかいかつい顔つき。というかなんか睨まれてない!?
「ん、準備中か」
「だから言ったじゃん、こんな時間だとやってないって」
「い、いえいえ。やってます。はい」
後ろに連れがいたのか。というか、どこかで聞いたことあるような声。というか。
「あ、あれ?ユイさんじゃないですか」
「ヨダちゃん!?どうしてここに」
よくよく見たら隣の強面も見覚えがある。ヨダちゃんと初めて会った時に隣にいた。気がする。
ひとまず近くのテーブルに案内して、水を出す。
「ヨダちゃんって、こっちの方の人じゃなかったよね」
「はい。今日はマークと一緒に散歩がてらお店探しに。あ、マークはこっちのコレ」
「扱い雑じゃね?」
マークと呼ばれた強面は鼻で笑って、こっちに手を差し出す。
「あんたがユイさんか。ヨダからよく話は聞いてるよ。というか、最近はあんたと『昼』の話ばっかりだ」
「どうも。あ、お水出しちゃったけどウチは基本セルフだから。欲しいものよそったらレジまでよろしく」
営業スマイルを浮かべながら握手する。友達の知り合いならすこしは腰が引けずにすむ。
マークさんは見た目の通り……と言うと失礼だけど、茶色のものを中心に取ってきた。ヨダちゃんは……なんというか、うーん。カラフル?
「お前もっと肉とか食った方が良いって」
「そういうマークはもっと野菜を食べなよ」
「野菜は配給で摂ってるだろ。俺たちに必要なのはタンパク質だ!」
まあ極端だとは思うけど、私もヨダちゃんはもうちょっと筋肉をつけた方がいいと思う。
それにしても、
「ヨダちゃん、マークさんにはタメ口なんだ」
「友達かい?」
「ひえっ」
テーブルに戻った二人の様子をレジから伺ってると、後ろから急に声をかけられて変な声が出た。二人がこっちを見るのでちょっと隠れる。後ろを見たら店長だった。
「て、店長。急に声をかけないでくださいよ」
「いやあ、ユイちゃんが友達を連れてくるなんてねぇ」
「別に、連れてきた訳じゃないですけど」
片方は友達の友達なわけだし。というか、なんだか親みたいな反応。
ともあれ隠れた手前なんとなく前に出づらく、まあそれにヨダちゃんだけならともかく、マークさんもいるならちょっと気を張ってしまう。と思っていたら別のお客が来た。よしよし、やることがあるのはいいことだ。
しかし、横目に見るとあの二人ずいぶんと仲が良いな。休日に一緒に散歩する仲のようだし。まあそれは私も似たようなものだけど。ヨダちゃんが免許を取ってからも一緒に何度か昼の散歩に出てる訳だし。
「あのー」
「あ、はいはい。すみません」
この人決めるの早いな。と思ったらいつもの人だ。こっちもレジを打ち慣れたものだ。横目にヨダちゃんの方を見る。
うーん、やっぱり、幼なじみ的な奴なのかな。言葉遣いも砕けて
「あー!!」
大事なことに気付いて急に大声を出してしまい、店中の注目を受ける。……。何かごまかす手を。よく見たら計算がおかしいな。
「すみません、ちょっと打ち直します」
とりあえず精算の方に集中。もう一度謝ってひとまず誤算の方はなんとかなった。よしよし。
しかし、さっき気付いたけど、いったいヨダちゃんはいつまで私に敬語を話すのだろう。これは改善してもらわないと。
「ごっそさん。おいしかった」
「はい。また来ます」
「あ、はーい」
帰っちゃった。まあ今日はマークさんもいたし、また別の日に話をすればいいか。
ヨダちゃん達と入れ替わりで別のお客が入ってきた。あの人たちが来たってことは、これから混みそうだ。
*****
夜のピークは、宵明けと比べるとそれほど混まない。この辺は仕事場もあまりないから、休日にちゃんとしたものを食べたいという人が来るくらい。だからといって二人だとちょっと大変というくらいには人が来る。
「ふぅー」
だからお客の波が切れるとこうやってため息だって出る。
「ユイちゃん、夜はどうする?」
お昼か。考えてみたら私もあまり外に食べには行かないな。
「ちょっと外に出ても良いですか?」
「うーん」
あ、考えたら外に出たら店長さんひとりになるのか。まあこの時間帯はお客もほとんど来ないと思うけど。
「すみません、また別の日でも」
「いや、いいよ。もうすぐ明けのパートも来るだろうし。ユイちゃんもたまには夜を歩くといい」
四時頃には戻るようにと言われて見送られた。
言われてみれば、私は昼の街の姿しか知らないのかもしれない。