夜の国の外の世界
頭が動かない。ユイさんが目の前で地面に寝ている。からんと日傘が風に煽られて転がっていく。
どうしよう。どうしたらいい?そうだエレナさん!
振り返ると、後ろには誰もいなくなっていた。
心臓の鼓動がうるさいくらいに耳に届く。呼吸が浅くなっているのを感じる。キィーンと耳鳴りがする。視界が歪み始める。
「落ち着いて。深呼吸なさい」
目の中に入ってきた汗を拭うと、いつの間にか目の前にエレナさんがいた。二人分の日傘を持っている。そうか、それを取りに行ったのか。言われたとおりに深呼吸をする。
「落ち着いたら。倒れている人を見つけたらまず何をする?」
「……声を掛けます」
そうだ。さっきやったばかりじゃないか。からからになった喉を潤して、ユイさんの肩を叩く。
「ユイさん!ユイさん!?」
揺すったりすると返事はないけど、閉じられたまぶたがピクピクと動いている。反応がある……ということなのかな。
「返事がないとしたら、次は?」
そうか、これは意識がないんだ。エレナさんに促されるまま、ユイさんを仰向けに寝かせ直して気道を確保する。胸は上下している。呼吸も感じるから、息はしているみたいだ。
「意識はないみたいだけど、息はあります。」
報告をして、なんとなく違和感。エレナさん、落ち着き過ぎじゃないかな?
「えっと……とりあえず通報ですよね」
声に反応したみたいに遠くから機械音が近づいて来る。警備ロボットには通報機能も付いていたはずだ。
駆けよって通報ボタンを押して、オペレーターに簡単に状況を説明する。……なんだろう。真剣味が足りないというか、形式張った感じがする。でも、そんなものなのかもしれない。
戻ると、エレナさんが日傘を組み合わせて簡単な日陰を作っていた。エレナさんは代わりに帽子をかぶっている。
「お帰りなさい。この辺りには日陰がないから、こうやって少しでも要救助者に日差しが当たらないようにするの。もちろん、それで自分まで体調を崩したら元も子もないですからね。」
注意事項を言った後に何かを促すようにこっちを見てくる。えっと。ユイさんの状況をみると、日傘を差されている以外は変わってないみたいだ。……なんだか分かってきたぞ。
服のボタンを外してはだけさせる。体はなるべく密着しないように、大の字みたいに寝かせる。
自分のバッグを探って、冷却パックを手に取って少し考える。
「……あの、これ使いますか?」
あまり聞かれると思っていなかったらしい、エレナさんは考え事を始めた。
「緊急時ならどうする?」
「……使います」
エレナさんは頷いて、「でも今日はもったいないから、当てるだけにしましょうか」と言いながらユイさんの方に近づく。
「ユイ、気付いたみたいよ」
日傘の中に言うと、ばさりと日傘が吹き飛んでユイさんが体を上げた。
「うっそ、いつから!?」
「急病人が動かないの」
そのままエレナさんが押し下げる。とりあえず冷却パックを片手に僕も戻る。
「やっぱり、演技だったんですね」
「なんで気付いたの?」
「エレナさんとかがあまり慌ててなかったから、ですかね」
大の字に寝ながら、でも今度は普通に目を開けてエレナさんを睨んでるユイさんの首や脇に冷却パックを置いていく。
「様になってたでしょ?」
「ぶっ倒れる演技が様になっててもしょうがないでしょ」
「本気で心配したんですから」
エレナさんから扇子を受け取って、ユイさんに風を送る。……なんで元気な人に風を送らなきゃいけないんだ。ユイさんはなんかヘラヘラしてるし。
「いやー。でもほら、ブリーフィングで言った場所でしょ?ここ」
言われて現在地を確認したら確かにそうだった。そうだけども。
「あそうだ!通報!誤報だって伝えないと」
「話通してるから大丈夫だよ。この時間にヨダちゃんから通報訓練が来るって」
……つまり、知らなかったのは僕だけ。忘れてたというか気付かなかった僕が悪いのかもだけど……なんだろう、泣きたくなってきた。
「あ、ほ、ほら!いい予行演習になったでしょ?実際に起きるとどんな風に感じるかとか……それにちゃんと異変感じて声かけだって出来てたし。ね。百点!ほら、エレナからも言ってあげてよ」
「自業自得。わたしは普通にした方が良いって言ったし」
ユイさんがなんだかわちゃわちゃしてるのをみてると、なんだかどうでもよくなってきた。……この人、たぶん普段もこうやって許されてるんだろう。得な性格をしている人だ。
「あの、もう風はいいですか?」
「あ、そうだね。ありがとう。いい救護だったよ」
いい救護、というのもなんとなく変な響きだけど。まあいいか。
茶番……もとい、応急救護演習を終えて、僕たちは花畑への移動を再開した。
*****
と思ったらすぐに休憩になった。
「体はそんなにでも、気を張ったあとはすぐに休んどかないとね」
言われれば納得。日向で休むのはちょっと日差しが気になるけど、それでもベンチに座ると結構ぐったりとくる。
二人を見ても、僕ほどに疲れている様子はなく、なんだかまたじゃれ合ってる。
「そういえば、エレナさんはユイさんと昔からのお知り合いなんですか?」
「え、まあそうね。親同士が友達だったから、少し年は離れてるけどよく遊んでたわ。それこそ妹みたいにね」
いわゆる幼なじみか。僕とマークも似たようなものだった。
「大きくなれば手間が掛からなくなると思ったけど、なんだかんだ心配なのよね」
「別に、エレナに心配されなくたってちゃんと働いてるし。むしろ私的にはエレナこそ心配だよ。いったいいつになったらパートナーを紹介してくれるのかって」
「……私はアナタと違って普通に友人もいるし、仮に出来たとしてもアナタには教えない」
「ちょ、なんで!?」
この暑いなかわーわー言い合ってる二人は本当に仲がよさそうだ。それに、やっぱり僕と違ってまだまだ元気って感じだ。
とはいえ目的地まではあと少し。僕ももうちょっと頑張ろう。
*****
歩きながら、なんとなく、ため息の出る回数が増えてしまっている。普段こんなに暑いなか歩き回らないから、そういう疲れも出てるんだろう。
時計をみれば丁度正午。今が一日で一番日差しが強い時間帯。顔を上げれば目を開けるのも辛い。
「暑いでしょう。でも帰る頃が一番暑いから、覚悟しておいて」
エレナさんが慈悲もない言葉を掛けてくる。一番疲れた頃が一番しんどいのか……ユイさんはスパルタだ。
ユイさんの方をみると、この日差しの中でもどことなくルンルン気分で前を歩いている。この様子を見ると、そんなことなにも考えていなさそうだ。
「どうしたの?あ、顔色チェック?よしよし。しっかり見てね」
「……ユイさん、元気ですよね」
「あの子はどこかおかしいから。夜の時の姿を見せてあげたいくらい」
「ちょ、ちょっと。その話はいいでしょ?」
日が昇るほどに元気になるのかな。なんだか、ひまわりの伝説みたいな話だ。
「そうだ!ね、ね、ヨダちゃん。眩しいでしょ?」
「え?まあはい。そうですね。ちょっと」
「じゃあ――」
がばっとタオルで目を塞がれた。うっすらと明るいような、でもなにも見えない。
「な、なにを」
「ほら、眩しくないでしょ?」
「眩しくないって、でもこれじゃあ前が」
「そこはほら、私が手を引いてあげるから」
手を握られる感触。そしてぐいと引っ張られる。
「ちょ、ちょっと早いです」
「あ、ごめんごめん」
それでちょっとゆっくりになる。舗装されてるはずだし、これくらいならついて行けそうだ。
目隠しされたまましばらく歩いていると、ぴたりと手を引かれる感触がなくなった。
「はい。もういいよ」
いいよって、眩しいのを防ぐためだったんじゃないのだろうか。でももうパターンは読めてる。要するに、花畑を一気に見せたいのだろう。なんだかいじらしくてかわいいな。
ユイさんにされるがままにタオルを外してもらい、目を開けようとするけど、外の世界が眩しすぎて開けられない。
「眩しっ」
「ええぇ?」
「まあ、この天気でしばらく目をつぶってたらそうもなるわよ」
手で目を覆って、少し指の隙間を広げて明るさに慣れさせる。そうやってようやく目を開くと、白い煉瓦で舗装された広場のなかに、一つの大きな花が咲いているのが見えた。
大きな花、いや円形の花壇の中にある色とりどりの花たちが、遠目だとそう見えるように植えられているんだ。大きな五枚の花弁のように、楕円状に赤い花が植えられて、中心に向かうと自然なグラデーションを作りながら色を変えていき、中心部は蜜たっぷりのように、黒い斑点をすこし添えられた黄色。花の周りはよく見ると小さい白い花が咲いていて、遠くからだと優しい緑色に見える。
「すごい……。こんな風になっていたんだ」
「きれいでしょ?」
ユイさんの手を握って何度も頷く。正直、期待以上だった。
「こんなにはっきり見えるのなんて初めて。白いキャンパスにそういう絵を描いたみたい」
「この花畑も、かなり好き者の区長が見立てたって話で、こんなにきれいに植えたのに花壇の周りには全然照明を置いてないの。だからみんな夜には花畑と逆向きにベンチに座っちゃって」
言われてみれば広場の外側にしか照明がない。でも、そのおかげで花畑をみる時に目に入らないようになっているんだ。
「すごい、こだわりですね」
「こだわりすぎて皆に気付かれないのもちょっと寂しいと思うけどね」
「でも、ユイさんは知ってたんですよね」
そう言うとユイさんはちょっと照れたみたいに頬をかきながらはにかんだ。
やっぱり、ユイさんは僕とは違う世界を見ているように思える。だからこそ、こうやってユイさんと一緒に昼の世界にまで飛び出すことにしたんだ。ユイさんと同じ世界を見てみるために。
その成果はあった、かな。うん。
*****
日が傾き始めた頃に、僕たちは元のロビーに戻ってきた。荷物検査を終えてベンチに座る僕とユイさんの前に仁王立ちをするエレナさん。
「ユイ・E・フィッシャー」
「はい!」
名前を呼ばれて背筋を伸ばすユイさん。怒られてる訳じゃないはずだけど。たぶん。
エレナさんも少し呆れ顔で話を続ける。
「今日の指導については、まあ大きな問題もなく進められていました。少しやり過ぎだったり、気持ち先行だったところはあったけどね」
「う」
「まあ同好の士が増えるかもしれないということではしゃいでたのは分かるけど、インストラクターが浮き足立ってたら世話ありません」
やっぱりお小言だったかも。なんとなくすがる目をするユイさん。それでエレナさんはため息をついた。
「でもまあ最初に言った通り大きな問題は起きなかったし、ヨダカさんがいい生徒だったっていうのもあるけど指導内容も問題ありません。 次は、知らない人を相手にしてみて、それでも問題なければ大丈夫でしょう」
「はーい」
そういえば、I分類は一回の訓練じゃもらえないんだっけ。今日はパスして、次もOKだったらもらえるのかな?
エレナさんは僕の方に視線を変える。
「ヨダカ・キサラギ。……ミドルはないのよね」
「あ、はい。地元の方だとそっちが主流です」
エレナさんは納得した様子で頷いて話を進める。
「初めての昼間外出はどうだった?」
「どう……暑かったです。ちょっと服もべたついちゃって、早くシャワーを浴びたいというか」
正直なところを言うとエレナさんは吹き出した。
「そうよね。分かる。でもそのシャワーは格別よ。他には?」
「歩いてる時も言いましたけど、景色が違うんだなって。僕たちは昼には住めないから夜に住むことにしたけど、それだと世界の半分しか知らないんだって、思い知らされた気がします」
「そうね。昼の世界っていうのは、確かにあると思う。私は仕事半分だけど、特にユイなんかは仕事でもないのに昼間に飛び出して、周りから変な子認定されてるのよね。まあそうでなくても変な子だけど」
ユイさんが抗議したそうに口をとがらせる。それでも実際に口にしないところを見ると、自分でも思い当たる節はあるのだろうな。
「でも、私達人類は昔はその昼の世界で普通に暮らしていた。今日のあなたが見たものが、普通だったことが確かにあったの。それを体感するって言うのは、決して悪いことじゃない」
エレナさんは脇に持っていた認定証の写しを僕に渡す。
「おめでとう、ヨダカさん。そしてようこそ、『昼の世界』に」
受け取って礼をする。ユイさんの方を見るとピースサインを送ってきたので、同じように返す。
これで少し、ユイさんの世界に近づけたかな。