夜の国と外出準備
そんなわけで。無事昼間外出許可証の試験に受かり、僕の初めての昼間外出の日。リュックを背負って集合場所のエントランス前に行くと、ユイさんはもう来ていた。受付の人と何か話していたみたいだけど、こっちに気付いて寄ってきた。
「おはよー。元気?」
「おはようございます。はい。今日はお休みもらってちょっと寝ました」
「うんうん、B-としてはいい心がけ」
ユイさんが先輩ぶる、というか講師ぶって胸を張って頷いていると、僕の後ろから来た人がスパンとユイさんの頭を撫でた。撫でたって言うか、こう、ガシガシとシャンプーするみたいな感じだった。
「なーに調子乗ってんの、I-さん」
「ちょ、ちょっと!なにするのエレナ!」
頭をなでさすりながら女性を睨み付ける。エレナと呼ばれたその女性はため息をつく。
「お礼の一言もないわけ?」
「はいはい。今日はわざわざお仕事を休んで来てくれてありがとう!」
どこか嫌みったらしく言うユイさんにまたため息をついたエラナさんは、こちらに向き直して手を伸ばした。
「見苦しいところを見せてしまってごめんなさい。エレナ・ガリアーニです。今日のサブインストラクターを担当させてもらうので、よろしくね」
「あ、はい。ヨダカ・キサラギです。よろしくお願いします」
握手をしながらエレナさんの方を見る。背の高い、すらっとした女性で、こういう言い方をすると失礼な気もするけど、ユイさんよりずっとしっかりしていそう。なんてこと考えてたらユイさんの睨む対象がなんだか僕の方に移ったような。
「ユイ・エリー・フィッシャー」
「はい!」
名前を呼ばれて電流が走ったみたいに気をつけをするユイさん。吹きそうになるのをなんとかこらえる。エレナさんの方はユイさんを見てため息をついたが、こっちにむき直した。
「さて、ヨダカさん。B-とかI-とか出てきたけど、その意味は説明出来る?」
「えっと、Bは一番下の外出許可で、Iは資格のない人も同行出来るようにする許可。それで、-はその資格を取る前段階の人。です」
ちょっとたどたどしくも参考書に書かれていたコラムを思い出しながら答える。エレナさんはうんうん頷く。
「よくできました。大体その通り。昼間外出は5種類の分類があって、B分類の人はその上のP分類資格を持つ人の同行がないと外出が認められない。」
「今回で言うと私とかエレナさんがいるからOKってこと」
ユイさんの言葉にエレナさんは首を振った。
「正確に言うと、それはまだ。ユイとヨダカさんはいわゆる-付き。さっき言ってくれたように、-付きの人たちは資格取得の前段階です。つまり、ヨダカさんは正確にはまだ無免許だし、ユイもI分類ではない。で、私はI分類を持っていて、I分類保有者がいると無免許でも外に出られる」
……なんだか頭が混乱してきた。ユイさんの方を見ると、なんだかうんうん頷いている。
「要するに、今日のところはヨダちゃんはエレナと一緒じゃないと出られなくて、それで特になんの問題もなければ、今度からは私が一緒なら出られる。という訳」
「なるほど」
やっぱり具体例だと分かりやすい。でもエレナさんはあまり納得いってなさそう。
「でも、そういえば今更ですけど許可があれば誰でも昼に外に出られるって聞いたことがあるんですけど」
「それは誤解……という訳じゃないんだけど、厳密に言えばI分類を持っている人と一緒なら誰でも外に出られるということ」
今回で言うと、僕がその対象になるらしい。
「そういうわけで、今日はヨダカさんがB分類免許を取る為の研修だけど、ユイのI分類研修でもある。そして、正確に言うと私はユイの為の講師。もちろんフォローはするけど、ヨダカさんは、基本的にユイに色々質問してね」
「はい。よろしくお願いします。ユイさんも」
ユイさんの方に目を向けると、また胸を張った。
「よぅし。今紹介にあずかりましたユイです!今日はよろしくね。それじゃあ、早速まずはブリーフィングをしよっか」
それで、ユイさんは脇に用意されていた椅子に腰掛けて、準備していただろう資料を広げた。
ユイさんに向かい合うように座ると、ユイさんがさっと資料をこちらに向けてくれる。色々書き込まれた地図と行程表だろうか。イラスト豊かで楽しげな感じだ。
「まずブリーフィングについて。私達は、昼間活動においては効率よく行う必要があります。そのために、こうやって事前にどういう活動をするかをすりあわせるの」
これまでにない真剣さで話すユイさんに少し気圧されながら頷く。こういう表情もするんだ。ユイさんがそっと行程表を指し示すのでそちらを見る。文字の方に目を向けると、時間と場所が細かく書かれている。
「ブリーフィングはチームで活動する時は普通はやるけど、正確には義務じゃない。でも、こっちは義務。活動予定をこうやって書いて提出することで、そのチームが変なことをしないかとか、万が一があった時の参考にされるの」
「どっかのおバカさんみたいに『警備ロボットに付いてふらふらします~』なんてのじゃダメだからね」
「そうそう、ちゃんと細かく――」
ユイさんが言葉を止めて、口をわなわなさせながらエレナさんの方を向く。どんどん顔も赤くなってる。
「な、なんでそれを」
やっとの感じで絞り出した言葉にエレナさんはため息で応えた。
「あのねぇ、狭い世界なんだから変な事件があったら話が回ってくるの、分かってるでしょう?」
「だからって今言わなくても……」
格好いいとこがどうとかぶつぶつ言っている。
「あ、もしかしてユイさんの話だったんですか?」
尋ねると、ユイさんが目をそむけた。そして代わりにエレナさんを非難がましく見る。でも、ユイさんが反応しなかったら分からなかったと思うんだけど。
「ともあれ!行程表はちゃんと書かないといけないの。おっけー?」
「は、はい。でもどうやって書くんですか?」
「それは……じゃなかった。実はB分類には行程表を書く資格がないから、まだ気にしないでいいはず。もしそれでも気になるなら後で教えてあげる」
とにかく昼間外出時には行程表というものが必要であるということだけ覚えておくようにと。これだけ念押ししているところを見ると、もしかしたら作り忘れたことがあったのかもしれないな。うん、なんとなくユイさんっぽい。
「えーっと、大丈夫?」
「ひゃい!」
ユイさんが心配そうに声を掛けてくるので声が裏返った。変な顔になっていたかな。
「質問とかあったらじゃんじゃん投げていいからね。」
「いえ。えっと、外に出る前にはブリーフィングと行程表の準備が必要、ですよね」
ひとまずまとめると、満足そうにユイさんが頷いた。よしよし。
「それじゃあ、ブリーフィングの中身に入っていきます!」
ユイさんが地図の1地点、建物のあるところを指さす。その点から右上の方に、くねくねとした線が描かれている。
「ここがここ。今日のスタート地点ね。それで、ゴールはこっち」
曲線をなぞりながらもう一方の端に指を持って行く。広場になっているところのようだ。
「ここには何があるんですか?」
「ここには花壇があります。つまり、今日はお花を見るのがゴールです!」
おおー。そういえば昼の花と夜の花は違うみたいな話をしていたっけ。
「それじゃあ、今日は昼のピクニックですか」
「そう!じゃない!」
手を上げたかと思ったらそのまま×印を作る。
「もちろんそれもあるんだけど、今回はあくまで研修だから、ヨダちゃんには座学で色々学んだ知識を実践してもらいます。」
そうか、それでなんだか遠回りなルートで線が描かれているんだ。その途中の、丸印で囲まれた部分をユイさんが指さす。
「たとえば、ここで私が倒れます。もちろんフリね」
分かってるつもりだけど倒れる予告されるとちょっと面白いな。
とユイさんがパンと手を叩いた。
「はい一緒に行動している人が倒れました!まず何をする?」
「え、えーっと……。呼吸を見る?」
人が倒れてたらとにかく呼吸を確認するのが基本だったはず。でもユイさんは微妙に首をかしげている。
「うーん。その前に……」
前?前ってなんだ?
「あ、意識。声を掛けてみます」
ユイさんが指を鳴らして頷く。よし、正解だったみたいだ。
「じゃあ幸い意識は薄いけど呼吸はしています。次は?」
「熱……?体に触ってみるとか」
「おっけー。まあ外傷があるかも調べるんだけど、目の前で倒れたなら外傷があるかは分かるでしょ。触ってみたら熱かった。そしたら?」
「熱中症だろうから、日陰に連れて行って脇とか首とかを冷やして、救助を待つ」
「おっけーだね!まあもちろん救助は呼ばないと来ないからそこは気を付けないとだけど」
ユイさんがこっちにグーサインを見せてきて、ちょっと照れてしまう。と、エレナさんがトントンと机を叩いた。
「ちなみに、教則としてはそれでもちろん正解なんだけど、実際目の前で倒れる時は八~九割は熱中症だから、意識と呼吸の確認がすんだらすぐに日陰に連れてったらいいですよ。ただの疲労だったとしても日陰の方が休めましすね」
なるほど。それもそうだ。それに、初期の熱中症は触っても分からないらしいし。
「じゃあなんで教則だとこの順番なんですか?」
「それは……ほら、手順として書いた方が何に気を付けるかが分かりやすいでしょう?」
ちょっとひねり出すみたいにエレナさんが言う。なるほど。確かにそうかもしれない。
「ともあれ、それをここではやってもらう感じで。それで、次が……」
そんな感じで、僕の知識を試すようにブリーフィングは進んでいった。
*****
三〇分ほどかけて、行程表の上から下まで何をするかを話し合った。話し合うと言っても、基本的にはユイさんが話しているのを僕が聞くだけだ。時々質問をしたりされたり、エレナさんが補足を入れたりしたくらい。まあ、この前の試験の復習と考えれば慣れたものだ。とはいえ。
「よし。これでおしまい。」
ユイさんの一言で長く息を吐く。
「これ、毎回やるんですか?」
流石に毎度となると結構辛いものだ。でも幸いながらユイさんは首を振った。
「正直なところ、私はこれが二回目。だから安心して――」「嘘を言わないの。あなたがM取るまではちゃんと毎回やってたでしょ」
エレナさんがユイさんの言葉を遮った。とぼけるユイさんにまたため息。大変そうだ。
「でもまあ、これだけ長いのはB分類の講習でのブリーフィングくらいだから、安心していいですよ。講習が一番外でやることが多いから。」
普通は目的地までは歩くだけだと言う。まあ言われてみればそんなものなのだろう。仕事でもないのに免許を取る人もそういないと聞くし。まあ、ともあれ少し安心した。
「他に質問はある?」
「いえ、大丈夫です」
ユイさんは確認するみたいに僕の顔をもう一度見て、それから頷いた。
「よし、それじゃあ出発しよう!荷物を持って……」
広げていた資料を片付けようとしたところでそこでユイさんは少し止まって、あっと声を出した。そして片付ける代わりにチェックリストを取り出した。
「荷物!確認しないと!ちゃんと色々持ってきた?」
「あ、はい。水に塩分、食料に……」
言いながらリュックを机の上に持ち上げ、中身をユイさんに見せる。ユイさんはチェックを入れながら中を探っている。
「……保冷セットもおっけー。日除けは?」
「あ、こっちに」
リュックの別口から帽子を取り出す。つばが広い割りに折りたためるので割と好みだ。でもユイさんはあまり納得いってなさそうな感じ。
「日傘は?」
「え?帽子でもいいんですよね。傘差すのに慣れてないので帽子にしたんですけど……」
「あ、ううん、別に問題はないよ。でもヨダちゃんには日傘が似合うと思うんだけどなぁ。ねえエレナ」
「私に聞かないでよ……」
ユイさんに振られて露骨に嫌そうな顔になったエレナさん。こほんと喉を鳴らして一息付けてから続けた。
「でもまあ、日傘は片手が塞がれるデメリットがある代わりに、日陰を作る範囲も広がりますから、試してみるのもいいですよ。それに、日が斜めの時は帽子の効果は半減しますから」
言われてみると納得。忘れがちだけど、太陽だって動くんだもんね。
一方ユイさんは、エレナさんからのあなたがこれを言うのよ的な目線を無視することにしたらしい。自分の荷物を持って勢いよく立ち上がった。
「よっし、荷物もおっけー!それじゃあ、今度こそ出発しよう!」
ほらほらと僕たちを急かしつける。実際のところ、さっき行程表でチラリと見た出発の時刻は結構近くなってきていた。
午前8時56分。僕は、いよいよ未知の世界、よく知る世界の裏側に一歩踏み出そうとしていた。