~開幕編〜
悪魔戦線
あなたは、悪魔とは何か知っていますか?
「悪魔」煩悩のことであったり、神に抗う者であったり、そもそも悪神であったりと、幻想の存在だと思っていると思います。
しかし、私は知っています。悪魔は決して、幻想などではないということを。
これから話すのは、私を救った悪魔の物語です。
♢それは唐突に
七月二十日、蝉の鳴き声に押し潰されそうな夏休み初日。暗く狭い、静かな路地裏に、酷く怯えた様子の女子高生が息を殺して潜んでいた。
「なんで……? なんでこんなことになったの?」
それは数時間前、終業式を終えた彼女が下校していると、後ろからナイフを持った男が追いかけてきたのだ。その男からひたすら逃げているうちに、この路地裏へと追い込まれてしまったのである。
「そうだ、携帯……駄目、鞄の中に入れっぱなしだ……」
追い詰められた人間は、判断力を失う。まずはその場から離れようとして、ゆっくりとして歩き出すと、室外機の上に置かれたバケツに肘をぶつけて落としてしまった。
「……っ!」
響き渡る音に気づいた男が少女の方を見る。次の瞬間には、逃げ出した背中を追って走り出していた。
走りを妨げる物は何もなく、みるみるうちに距離は縮まっていく。二人の間は既にナイフの間合いであった。
男が今まさに背中に切りつけようという時、少女の正面から何者かが風のように走り込んできて、ナイフを振り下ろす腕を遮った。そのまま瞬く間に男をねじ伏せる。
それをしたのは、少女と同じくらいの少年、つまり高校生だった。
「大丈夫か?」
突然の問いかけに、半ば放心状態だった少女は返答に遅れた。
「えっ、あっ大丈夫!」
「そうか、それならいいんだ、じゃあ、俺は行くから」
安否を確認するとすぐに去ろうとする少年の態度に、ちょっとだけ面食らいながら、少女は焦って呼びかける。
「……ま、待って!あなたって、同じクラスの睦月宗弥くん……だよね?
私は白坂椿。もし睦月くんが何か知ってるなら、聞きたいことがあるの!」
自分の名前を言い当てられたこと、言われるまで誰か気づかなかったことに宗弥は少し引け目を感じながら会話に応じた。
「別にいいけど…聞きたいことって?」
「何が起こってるのか教えて!」
今度は宗弥が面食らう番だった。
「ここ最近、私の身の回りで変なことばかり起こるの。鉄骨が目の前に落ちてきたり、今日みたいに変な人に襲われたりだってあった。だから、原因とか、もし解決する方法を知ってるなら、教えて欲しい!」
一気に言い切った少女の目は、ほとんどを恐怖で、そしてほんの少しの勇気で満たされていた。
「……本気か?」
宗弥はそれなりに長い時間逡巡すると、意を決したように話を続けた。
「正直言って、おすすめはできない。純粋に危険な上に、何が起こるかわからない。俺はお前を全力で守るが、それでも守れない時間は出てくる。ほとんど自己責任の領域だ。それでもすべてを知りたいか?」
真剣そのものな表情で見つめる宗弥を見て、椿の胸にこれまでとは別の恐怖が沸き起こってくる。
「……そんなに危険なの?」
「ああ、こればかりは口で言って説明できることじゃない。だって俺は今から、正真正銘の殺し合いをするんだから。それでも着いてくるなら、連れて行ってやるよ。ただ、これまでと生活が一変するのは覚悟しておいてくれ」
「……うん。わかった、お願い」
その言葉に宗弥は頷くと、軽く右腕を払った。
その瞬間、世界は静寂に包まれた。
♢悪魔
景色はついさっきまでいた路地裏と全く変わらない。熱く照らす日差しに吹き抜ける風、頭上に広がる青空。どれもこれもさっきまでと同じだった。
唯一違うのは、ここに存在する生物は二人だけだということだ。車の往来は無く、鳥すらも飛んでいない、同じだけれど違う世界。
一瞬で自分以外の生物が消失した世界である。
「よし、じゃあ話を進めるぞ。まず、お前の言う変なことの原因は、悪魔ってやつらの仕業だ」
悪魔。これまでは決して存在しないものだと思っていたそれが原因だと言われ、不思議と納得できた。そうでもしないと納得できなかった。
「悪魔って、あの悪魔?」
「お前がどの悪魔を指してるのかはわからんが、その悪魔だろう。俺が今言っている悪魔ってのはな、宗教的なものとか、概念的なものでもない、『悪魔』という実在する生物のことなんだ」
宗弥はそう話して一呼吸置くと、再び説明を続ける。
「あいつらはな、人間に取り憑いて判断力を狂わせ、心の奥底の悪性を引き出したり、災害や事故を引き起こしたりする。そうして人間の命を奪い、自らの糧とする。この世で起きる事故や事件、災害の大半はこの悪魔が原因だ」
そう言った宗弥の表情には苦々しさと不快感が同居している。敵の強大さとそれに対する自分の無力さを噛みしめていたからだ。椿にもそれが容易に読み取れた。
「じゃ、じゃあ睦月くんは悪魔とどうやって戦ってるの?今の話を聞いてると、人間じゃ太刀打ちできないように思えるけど……」
「ああ、それは────止まれ」
声のトーンが一つ下がる。ずっと続けていた警戒が、さらに強まる。
「見ろ、あれが悪魔だ」
「…………!」
二階建ての家ほどもある体躯に、黒光りして鎧のようにもなった表皮、鋭利な爪と槍のような尾。全てを射竦めるような血のように紅い瞳。それは道を悠然と闊歩している。世界中のどの生物にも当てはまらない異質な存在を見て、椿は言葉を失った。
「……ねえ、本当にどうやってあれと戦うの?あんなの、人間が勝てるわけないじゃない」
「ああ、普通ならな」
「普通なら……?」
「まあ見てな。そんで、下がってた方がいい。極力巻き込まないようには注意する」
そう言って、椿が離れたのを確認すると、宗弥は全身に力を込める。全身から衝撃波と共に黒い霧のような物が巻き起こり、それは主に腕に纏わりついていき、敵にも劣らない鋭い爪を持った豪腕と化した。
その次の瞬間、宗弥は疾風のごとく駆け出した。ほんの数秒で悪魔の眼前へとたどり着くと、左へ右腕を振るう。腕が振り抜かれると同時に霧は数本の刃となって指先の軌道をなぞり、相手の前足を切り裂いた。
悪魔は大きく後退すると、紅い眼が明確に敵を認識し、その光をさらに強める。
宗弥はすぐに左手を突き出すと、黒い光線がその手のひらから放出された。光線は真昼の街並みを黒く染め上げ、悪魔の左角を貫いた。光線が貫通した角は霧散し、断面からも血の代わりに霧が漏れ出している。
その直後、悪魔の尾が唸りをあげて宗弥に襲いかかる。尾は宗弥の首の高さを正確に通過した。しかし、その一撃はただ空を切っただけであった。宗弥は尾が到達する前に跳躍し、悪魔の頭上へと移動していたのである。
悪魔の頭を上から殴りつけて地に伏せさせると、霧で構成された翼を広げ、さらに上空へと勢いよく飛び立った。
宗弥は敵の倍以上の高さまで飛び上がるとそのまま宙で半回転して、魔力を展開する。
「──────魔力放出、[剛大剣]!」
そう叫んだ直後、霧が巨大な剣を生成し、地上の悪魔を貫き、粉砕した。
♢悪魔殺し
「……すごいね、その力」
「ん?ああ、これは魔力って言ってな、悪魔が使う力なんだ。そんで、俺はその悪魔の力を使うことができる悪魔殺しっていう人種。それがあいつらと戦える理由だ」
宗弥は魔力を出したり消したりしながらそう言うと、手をひらひらさせた。
「じゃあ、悪魔殺しって何なの?」
「いきなりその質問か、まあいい、悪魔ってのは人間に取り憑けるって言ったろ?そのときに悪魔の支配に打ち克てば、晴れて悪魔の力を行使できるって寸法さ。まあ、並大抵の精神力じゃできないだろうけどな」
そう言っている宗弥は、どこか得意げなように見えて、諦めたような瞳をしている。それを見て椿は、これ以上宗弥に関して質問することを自重した。
「さて、悪魔も倒したし、そろそろ帰るか」
そう言って帰還しようとした瞬間、二人の背後に巨大な影が浮かび上がった。その影は腕を振り上げて、二人に叩きつける。が、その腕は宗弥の腕に阻まれ、込められた力で震えていた。
宗弥はその腕を押し返すと、椿を守る位置で立ち、臨戦態勢を取る。
その直後、宗弥はこれまでにないほどの驚愕をした。
「嘘だろおい……七体同時なんて初めてだぞ⁉︎」
家の屋根の上と道にそれぞれ二体ずつ、空を飛んでいるのが三体と、合計七体の悪魔が二人の前に現れた。
「こ、これ、まずいんじゃないの……?」
完全に椿は怯えて、宗弥の服を掴んで動こうとしない。しかし、恐怖で固まってしまった彼女とは反対に、宗弥は余裕たっぷりの態度で椿に声をかけた。
「いや、問題ない。そうだな、あそこ、あの路地裏にでも隠れておいてくれ」
宗弥が自分たちの少し後方を指し示すと、椿は淀んだ瞳で見つめ返して小さく頷いた。
彼女はそのあとすぐに走り出すが、鳥型の悪魔が急速に飛来して路地裏に入る寸前の椿を狙う。その速度はジェット機に勝るとも劣らない、それほどであった。だが、その悪魔は椿の場所まで到達することなくその動きを止めた。いや、止められた。
両者の間に割り込んだ宗弥が、片腕一本で悪魔の突進を止めてみせたのだ。踏みしめた道には亀裂が走り、風圧が一瞬遅れてやってくる。あと一秒でも椿が路地裏に入るのが遅れていれば、それだけで吹き飛ばされて死んでいただろう。
それを宗弥はものともせずに、掴んだ腕でそのまま地面に叩きつけた。
「よしよし、やっぱりこの程度か。お前らに、雑魚はいくら集まっても雑魚ってことを教えてやるよ!」
そう言い放って走り出すと、短槍と長剣をひと振りずつ生成しながら地上の悪魔に向かって突っ込んでいく。
一体の足元までたどり着くと、喉をめがけて短槍を投げ上げた。風をきって飛んだそれは狙った箇所を正確に穿ったが、宗弥はそれを確認せずに奥の敵に殴りかかる。
その悪魔を地に沈めると、別の悪魔が空から襲いかかってくるが、強靭な翼は悪魔だけのものではない。即座に空へと飛び立ち、長剣を振るってその翼を切り落とす。
縦横無尽に飛び回り、立て続けに刃が日光を反射し煌めくと、その度に巨大な切り口から魔力が溢れ出していくのだ。
時にはその足は地を走り、巨大な爪が悪魔を大地ごと抉る。
敵の攻撃は当たらない。触れることすら叶わない。
彼の魔力が迸るごとに、何百倍もの大きさを持つ生物がたじろぎ、ねじ伏せられていく。
それは圧巻の光景であった 真夏の昼間に黒い霧が影を落とし、その影は意志を持って乱舞する。やがてその場にある黒は彼だけの物となった。
七体もの悪魔は、すべて撃滅されていた。
♢帰還、そして
「ただいまー。あー、どっと疲れた……」
あの後、二人は即座にこちら側に戻ってくると、簡単に話をして、すぐに解散した。張り詰めた空気から解放されて単純に疲れたのと、椿は恐怖と興奮で、宗弥は戦いの熱で忘れていた暑さをすぐに思い知らされたからである。
「そうだ、明日から補習だっけ……予習しなきゃ……」
ただ、彼女はこの後真夜中まで眠ってしまうわけだが。
「そーやー! 一緒に帰ろうぜー!」
「悪いなカズ、先約があるんだ」
午前中の補習が終わり、部活がない生徒は家に帰ることになる。宗弥の(数少ない)友人の伊東和彦の誘いは、あえなく撃沈された。
「なんだよそれ! オレだって宗弥と一緒に帰りたいんだぜ⁉︎」
「いや知らねえし」
「そんな! どこの誰よ私の宗弥を奪ったのは!」
「お前のじゃねえしとにかく気持ち悪いからやめろ」
どこまでもめげない和彦に対し、どこまでも辛辣な宗弥である。
そこに、最悪(?)のタイミングで彼女はやってきた。
「睦月くーん!」
満面の笑顔で駆け寄ってきた彼女と宗弥に、教室の視線が一気に集中する。
「し、し、白坂椿⁉︎ お前、どうやってあの子と仲良くなったんだよ!」
「帰り道が一緒になっただけだ」
「嘘をつくな! その優しさと可愛さから一年の天使とも呼ばれている彼女がというかお前が! 誰かと帰り道が一緒になった程度で仲良くなれるわけねえだろお⁉︎」
「さらっとひでえこと言いやがる上になんだよその異名、完全に恥ずかしがってんじゃねえか」
顔を赤らめて俯いた彼女を見て、教室にいた面々、女子までもが手を合わせて拝んだりする。中には「尊い……」というような声も上がっていたり。
そんなことはお構い無しに二人の言葉のドッチボールは続いている。
「オレは声を大にして言いたい! そもそも何故夏休みに学校に来なけりゃならんのだ! 休みなんだろう?ならば休ませろ!」
「お前の頭が悪いからだよ」
「アァン⁉︎オレのどこが悪いってぇ⁉︎」
「頭」
もはやここまでくると売り言葉に買い言葉、辛辣ではなく暴言の域で、お互いぶっちゃけもうめんどくさいとまで思っていた。
そんなことを続けていると、突然新たな女子が教室に入ってきて、
「はいちょっと失礼するよ、何やってんのさあんたら」
制服のリボンは外され、学校指定のより短いスカート。パッと見でなくても立派な『ヤンキー』としか思えない態度で、その女子は宗弥の机に腰を下ろすと、周囲の視線がその場に集中していることもお構い無しに喋りだす。
「あんたらさあ、さっきから誰々と帰るだの帰らないだの言ってるけどさ、椿はアタシと帰るんだからね?ほら行くよ!」
そう言い出したとたん、突然和彦は慌てだし、
「待て待て待て、ここは穏便に四人で帰るってのはどうだ? オレは宗弥と一緒に帰れる、椿さんはあなたと……そういえば、どなたですか……?」
「アタシは内藤千春。椿の幼馴染よ」
あっさりとした紹介で自分に話が来ないようにすると、
「あっはい、そっすか……というわけで!四人で帰ることを提案します!」
「却下」
「ダメだ」
「うーん……それはちょっと、ごめんね?」
三人から別々の拒絶をされてさすがにいたたまれなくなったのか、
「うわーん! もういいよ! 知らない! 宗弥くんのばーか!」
そう叫んで猛烈な勢いで教室を出ていってしまった。その後、廊下の先から「いってぇ!」という声が聞こえたが。
「いいの? あれ」
「いい。良くないと困る」
と話す椿と宗弥だが、千春はそんなことは気にもとめずに再び宗弥に絡んでくる。
「だいたいアンタなんなの? アタシの椿といっしょに帰ろうとか言い出しちゃってさ、おこがましいとか思わないわけ?」
かなり無茶苦茶な言い分ではあるが、本人は微塵もそうとは思ってないよようだ。それに対して宗弥は冷静に、
「思わないな。第一、本人は納得してるわけだし。そもそも白坂から誘ってきたんだ。文句を言われる筋合いはねえ」
その一言で心底驚いた、むしろ絶望した顔をして、ブリキのおもちゃのように首を動かして椿の方を向くと、両肩を掴んで、顔の近くでまくし立てる。
「なんてこと言ってるの!? 男なんて猛獣よ猛獣!
アンタみたいなか弱い女の子、とって食われてポイよ!」
もう少しで胃の中から朝食が出てくるんじゃないかというような勢いで喋る千春に押されていた椿だが、ようやく言葉を遮った。
「睦月くんは、そんな人じゃないから……」
雷に打たれた、という表現は、まさに今この時、千春のためにあるようであった。一瞬女子にあるまじき凄まじい顔をしたかと思えば、そのままへなへなと膝から崩れ落ちた。
「そう……わかったわ……そこまで言うなら認めてあげる。そうよね、アンタが選んだ人だものね……私が止める権利なんてないわ……」
うなだれたままそう言うと、全身に力を入れて立ち上がり、突然フルスイングで宗弥の顎を下から殴りつけた。
俗に言うアッパーカットを不意に食らった宗弥は、たたらを踏んで後退し、机と机の間に倒れ込む。倒れる最中に引っかけた椅子や机も音をたてて倒れ、そのうちのいくつかが宗弥の肩や脚にぶつかり、さらにダメージを与えた。
「なんて、言うとでも! 思ったかー! いい⁉︎ 誰がなんと言おうと椿はアンタなんかにやらないからね! 今日は椿の顔を立ててあげるだけなんだからねー!」
そう叫びながら和彦と同じように走って教室から出て行くと、今度は転ばずにそのまま帰っていった。
誰もが唖然とする中、起き上がった宗弥は主に顎をさすりながら起き上がる。
「いってぇ……すげえな、お前の幼馴染……」
「うーん、ごめんね。千春ちゃん、昔から私が絡むとムキになる癖があってさ……」
周りを見渡すと、嵐は既に去ったと見て野次馬たちは思い思いのグループを作って下校を初めている。
「まあ、帰るか……」
「で、話ってー、なに?」
校門から出て少し進んで、人もまばらになってきたところで話の続きを始めた。
小中学生は家で昼食か学校で部活動、社会人はもちろん仕事。近隣に大学は無く、このあたりに住む大学生はまれである。昼食などそっちのけで遊ぶ小学生もいるにはいるが、それもまた少数派、一度エネルギーを補給しようという子どもたちが大多数を占めていた。
「ああ、そうだったな。実は、白坂に悪魔退治を手伝って欲しいんだ」
「え? 私に?」
頼みの意味をしばらく理解できていなかったが、理解した瞬間に首を横に振り回した。
「無理無理無理! ぜったい無理!
すっごく怖かったし! とにかく私には無理だよ!」
何が怖かったか、は曖昧にして答えたが、それでもやはり無理であるという思いが強い。椿がいっぱいいっぱいであることを知りながら、宗弥はなおも食い下がる。
「そこをなんとか! 頼む! 椿がいると悪魔が寄ってきやすいみたいなんだ! お前のことは俺が守るから!」
「守るからって……! 無理だよ! だって私、そんな勇気ないもん……」
最後は蚊の鳴くような声をなんとか絞り出した椿。立ち止まって話し合う二人を時折通る人が不思議そうに眺めながら通り過ぎていく。
長い沈黙の後、ようやく宗弥が口を開いた。
「そうか、わかった。じゃあ、これ以上は言わない。悪かったな、変なことに付き合わせちまって」
「変なことだなんて……そんな……」
安堵と寂しさが入り交じったような、どこか遠慮したような言葉で濁す。
「それと、もうひとつ頼みがあるんだ」
これよりもずっと重々しい口調で話し出すと、
「もうこれ以上、俺とは関わらないでくれ。これはお前のためなんだ。悪魔のことを知ってしまった以上、一番被害を受けない方法は悪魔に関わる全てから関係を断つことだ」
悪魔に関わる全て、に宗弥が含まれているのは当然のことで、椿もこれまで以上に驚き、呆気にとられたがなんとか反応した。
「そんな、そんな極端なことしなくても!」
「ダメだ。これだけは絶対に変えられない」
そう言い切り、呆然としている椿を置いて去ってしまった。
♢私の責任
今日も補習。
椿は朝食を食べながらぼんやりとニュースを見ていた。
(ああ、生活が一変するって、こういうことだったんだ)
毎日ニュースで報道される連続殺人事件や海外での銃乱射、果ては自然現象による災害でさえも悪魔がしたことだと思ってしまう。そして、彼ならそれをなんとかできるんじゃないかということも。
「睦月くんは、こんなのを相手に戦っているんだよね…」
ふと呟いたその一言が、椿を深い闇の中に引き込んだ。
朝の支度を済ませ、歩いて家を出る。高校は徒歩で通える圏内にあり、椿は当然歩いて通っていた。
椿が玄関を出てふと右を見ると、同じく登校中の宗弥とちょうど目が合ってしまった。
「お、おはよう!」
「……おはよう」
一応の挨拶を交わすと、そのまま歩き出す。
宗弥の方が歩幅は大きく歩く速度も速いため、しばらくすると椿は追い越されてしまった。が、追い越されると同時に宗弥の袖を掴んだ。
「待って、一緒に行こう」
突然後ろから引っ張られる形になった宗弥は驚きながら転倒を防ぐ。
「なんだよ、もう関わるなって言ったろ」
不機嫌さを普段の二割増しで演出しながら返答すると、掴んだ手を振り払って歩みを進める。けれど、椿はもう一度駆け寄って今度は腕を掴む。
「ううん、そんなのダメ。そうじゃないと私が納得できない。だって、もうこれ以上あなたを一人にしたくない!」
「それがダメだって言ってるだろ! 俺は一人でいた方がいいんだよ! そうじゃないとダメなんだ!」
「だから! それじゃ私の気がすまないって言ってるの! 別にいいじゃない私の責任なんだから!」
顔を真っ赤にして、肩で息をしながらそう言い切って、たじろぐ宗弥の目をじっと見る。
数分か、数秒か、はたまた十数分か過ぎて、ついに宗弥が口を開いた。
「……わかったよ。なら、もう俺も何も言わない。好きにしろ」
「えっ? いいの?」
やけにあっさり折れたことに驚き、素っ頓狂な声を上げてしまった。
「そっちから言い出して何言ってるんだよ…… 別にいいよ、厄介事は慣れてる。どうせ悪魔も勝手に近寄ってくるだろうしな」
そう言うと、また宗弥は歩き出してしまった。すぐ後ろから満面の笑みを浮かべた椿もついてくる。
始業まで、あと五分を切っていた。
♢続・私の責任
今日の補習も終わって、二人がまた帰ろうと教室から出るその寸前に、
「昨日アンタらを二人っきりで帰らせたのは私の失態よ。だからといってこれ以上を許すわけにはいかないの!
仕方がないから譲歩の姿勢は取ってあげるわ。アタシもアンタらと帰らせること! これが条件よ!」
「なになにー⁉︎ 俺も一緒に帰っていいー⁉︎」
「ええ、いいわよ。頭数は多い方がいいわ。できるだけこの二人を引き離すのよ!」
そんな感じで昨日の面々でまた一悶着あって、結局四人で帰ることになった。
右から宗弥、和彦、千春、椿の順で並んで歩く。午後の予定、苦手な科目、教師の批評など、話題には事欠かない。和彦は相変わらず騒がしく、千春は隣の椿にべったりとくっついている。暑くないのか、と宗弥が質問をしたが、二人ともだらけきった顔で、
「暑い〜」
と。
だだっ広い校庭の脇を通り抜け、校門から出ようとした時、突然周囲の生徒が悲鳴を上げた。何人かが屋上を指差し、それにつられて四人もその先を見る。そこには、屋上を囲うフェンスの外側に立つ、女子生徒の姿があった。
「なんだよあいつ!? 何やってんだよ!」
「先生呼んで! 誰でもいいから! 早く!」
悲鳴の中に怒号が混じり、騒ぎは拡大の一途を辿る。
その時、椿が驚きの声を上げた。
「あれって、佐奈ちゃん!?」
「知り合いなのか?」
と、和彦が問うと、椿と千春は頷いて答える。
「うん、私達の幼馴染。でも、なんで突然こんなことを……」
そう言い終わった直後、佐奈の体が傾き始めた。周囲では悲鳴が勢力を増し、逆に怒号は鳴りを潜める。
そしてついに、屋上から真っ逆さまに落下した。
呆然としている椿に宗弥は、
「白坂、あそこまで走っとけ」
そう言うと、宗弥は忽然と姿を消した。
植え込みの向こう側に落ち、誰もが地面への激突を確信し、椿を含めた生徒達が駆け寄ってきた。
しかし次の瞬間、彼女らが見たのは頭蓋の割れたグロテスクな死体でもなく、全身を打ち付け関節が捻じ曲がった死体でもなかった。
そこにあったのは、気を失ってはいるものの傷一つない佐奈と、そのそばで座り込む宗弥の姿だったのである。
宗弥が受け止めたと思った生徒達は次々に賞賛と驚きの声を投げかけたが、当の本人はまるでなんでもないようのことに振る舞い、再び抱えて椿を連れて保健室まで運んでいった。
保健室には椿と宗弥の二人だけ、養護教諭は和彦と千春と共に野次馬を防いでいる。
「ねえ、どうやって佐奈ちゃんを受け止めたの? もしかして......その......魔力使った?」
外が騒がしいのをいいことに、ずっと溜め込んできた疑問をここで聞いていく。
「ああ、正確には一度向こうの世界に行って、一瞬だけこっち側に戻ってきた後、この子と一緒にもう一度向こうに行って、着地して戻ってきたってわけだ。正直なこと言うとギリギリだったからな、ちょうど木で隠れてくれてよかったよ」
立ち上がって伸びをしながら答え、座り直して息を吐き出す。
「そっか、バレちゃまずいもんね」
「いやあ、それもあるけど、実は魔力は向こう側に行かないと使えないんだ。きっと悪魔がこっち側に来れないのと関係があるんだと思う」
静かに眠る佐奈の顔を見ていると、椿の頭にもうひとつの疑問が浮かび上がってきた。
「やっぱり、これも悪魔のせいなんだよね?」
「ああ、間違いなくそうだろうな。落ちてからの意識がなかったし、そもそも逃げる悪魔が一体いた。きっと俺が来たのに気づいたんだろう」
きっぱりとした宗弥の言葉が耳に入ってくる度、ひとつの可能性が形になって現れてくる。
「もしかして……さ、今回の悪魔も私が引き寄せたってことは……ないよね?」
それは彼女にとっては非常に深刻な問題で、これからの行動を分けかねない重要なことだった。
「絶対にそうだ、と言い切ることはできないけど、可能性は高いと思う。実際、これはまではこんな頻度で悪魔が現れるなんてことはなかった。何らかの関係性はあるだろうな」
それは重大な決断だった。
あの日宗弥と出会い、椿は自分がどうすればいいかをずっと悩んでいた。しかし、今の宗弥の言葉で、これまで肌で感じた経験と今目の前で起こった出来事が、彼女にその決断をさせたのだ。
「あのさ、ひとつお願いがあるんだけど……」
「ん? まあ、とりあえず言ってみな」
「やっぱり私にも悪魔退治、手伝わせて欲しいです!」
突然立って頭を下げた彼女を見て、宗弥は驚き、慌てて顔を上げるように言う。ゆっくりと顔を上げた椿は照れくさそうに椅子に座り直した。
そうしてようやく、宗弥から疑問を返せるようになった。
「いや、それはいいし嬉しいんだけどさ、なんでまた急にそんな決心をしたのさ。散々無理って言ってたのに」
「うん、まず思ったのはね、宗弥くんはずっと戦ってるのに、自分にも出来ることがあるのに、何もしないなんてのはやっぱり卑怯かなって思ったの。でも、これはずっと考えてることだった」
俯いて話す彼女の表情と静かな声が、自らを「卑怯」と評した心境を雄弁に物語っていた。そんな彼女を宗弥は何も言わずに見つめている。
「でも、それだけじゃないの。さっき、宗弥くんは今回の出来事には悪魔が関わっていて、私が呼び寄せたことかもしれないって言ったよね。もし本当に私が悪魔を引き寄せていて、これからも私の大切な人に、ううん、他のみんなに犠牲が出るなんて、私には耐えられない。だから、私の力で、みんなを救って欲しい!」
今度は最初に悪魔の話を聞いた時と同じように、真っ直ぐ見つめ返す椿、しかしその瞳には、恐怖ではなく決意が、そして、それ以上の勇気で満ちていた。
それに対し、宗弥も迷わずに答える。
「もちろんだ、これからよろしくな」
♢悪魔祓い
「よし、これで終わりだ!」
威勢のいい声と共にかかと落としで悪魔の頭部を粉砕する。
時刻は午前二時、深夜の悪魔狩りに出ていた二人は、早々に現れた悪魔を撃破した。宗弥が踏みしめたあたりからは未だに魔力が漂っていたが、もう既に霧状となり、生物の形となっていなかった。
「……終わった?」
椿がビルの陰から聞く。無言を肯定と捉えた彼女はゆっくりと光の当たる場所へと出てきた。
二人は辺りを見回して周囲が安全なことを確認すると、息を大きく吐いてある程度気を抜いた。
「しかし、やっぱ白坂がいると違うな。悪魔の出現数が段違いだ」
入った直後に一体、その後すぐに二体、合計三体の悪魔が現れたが、宗弥はあっという間に倒してしまった。周囲にはまだ悪魔がいる気配はあるが、まだ遠くでこちらに来るというような感じもしなかった。
その時、どこからか宗弥でも椿のものでもない、完全な第三者の声が響いた。
「まったく、相変わらず君は雑な戦い方をするな。もう少しスマートに戦ったらどうだい?」
突然罵倒された宗弥は思わず眉をひそめ、声のした方向を確認する。それは彼から見て斜め上、つい先程まで椿が間に隠れていたビルの屋上にその男は立っていた。逆光で服装や顔は見えないが、宗弥は誰かわかっているようだ。
「なんだよお前か、さっさとそこから降りやがれ!」
叫ぶと同時に魔力の刃が一筋男を襲うが、まるでそれを予測していたかのように跳躍し、回避する。男はそのまま飛び降りて二人の前に姿を現した。目を引く純白の服にマント、背負った矢筒に首から下げた銀色の十字架。ペンダントになっているそれは、月光を反射して鈍く光っていた。
「まったく、君は乱暴だな。突然攻撃してくるなんて、危ないじゃないか」
「よく言うぜ、見てから回避余裕だったじゃねえか」
二人が皮肉の応酬をしている時、椿は状況がまったくわからずただ右往左往していた。そこに口喧嘩に飽きた二人が話を彼女についてに変える。
「そうだ、彼女は一体誰なんだ? まさかとは思うが、新しい悪魔殺しとでも言うんじゃないだろうな。これ以上君みたいなのが増えるのはごめんだぞ」
このようなところにも嫌味を混ぜてくるのは性格か病気なのか。椿はそう思ったが黙っておく。
「安心しろよ、完全な一般人だ」
そう返すと、急に男の語調が変わり、一気に怒気が増した。
「はあ!? 一体何を考えているんだ君は! 一般人を悪魔退治に連れてきているというのか!?」
「おっと、そう言うとは思っていたぜ。ただの一般人じゃない、とびっきりの厄ネタ持ちだ。なんと、こいつは悪魔を引き寄せる体質なんだ」
男はその言葉を聞くと表情が固まり、胡散臭そうに眺めた後、ため息をついて話し出した。
「なるほど……今日はやけに悪魔が多いと思ったらそういうことか……君、名前は?」
「えっ⁉︎ わ、私は白坂椿っていいます。悪魔を引き寄せる体質らしいです……一応……」
突然自分に話を振られた椿は慌てて答え、自信なさげに体質のことも肯定する。男はもう一度深いため息をつくと、自らも自己紹介を始めた。
「そうか、僕の名前は志野響真だ。悪魔祓いをやっている。まあ、これから君の体質を利用させてもらうことも多くなると思うから、よろしく頼むよ。白坂さん」
自己紹介の中に、椿が聞き慣れない単語が一つあった。
「えっと……悪魔祓い? だっけ? 悪魔殺しじゃないの?」
その言葉にもっともだという顔をしながら、それとは反対にやや不機嫌な口調で答える。
「そんなものと一緒にしないでくれたまえ。あんな悪魔もどきと違って、僕らの力は正真正銘悪魔を倒すための力だ。……詳しい説明は、この後にしようか」
宗弥と響真は振り向いて道の先を見据える。悪魔の気配を感じたのだ。数十メートル先に赤い眼光が浮かび上がり、それに応じて二人の殺気が瞬く間に増大する。が、爆発する寸前に宗弥のそれを響真が制した。
「数は十六体か、この程度は僕に任せるといい。君らをここに引き止めてしまったせめてもの詫びだ。ついでに、実際に見せた方がわかりやすいだろうしね」
「詫びとはおかしなことを言うじゃねえか、後者の事情が本命だろ。まあいい、やってくれるってなら勝手にやってくれ」
そう言って宗弥は椿を守るように一歩下がる。響真はそれとは逆に歩き出し、首から下げた十字架を握って簡単な祈りの言葉を呟く。その直後、十字架は眩い光を放ち、十字架をそのまま大きくしたような長弓に変化した。
「さて、君たちは運が悪かったね。数いる悪魔祓いの中でも、まさか僕に出会うとは!」
そう言い放った直後、弓を持った左腕を前方へと突き出す。その瞬間、輝く「弾丸」が猛烈な勢いで打ち出された。大量の弾丸は正面の悪魔に直撃し、光に包み込んで消滅させる。
まさにそれは弾丸で、その源となる弓はさしずめマシンガンといったところか。本物の銃と違うのは、その弾丸は決して切れることはなく、そこらの鉛玉より相当硬いということか。
絶えず打ち出される弾丸は悪魔を次々と消していくが、群れの奥から一体の悪魔が弾丸をその身に受けながら飛び出してきた。それは弾丸では粉砕できない硬さの表皮を持っているようで、怯むことなく響真に迫ってくる。
それをすぐさま理解した彼は、本来弦を引き絞った位置に右手を添えた。するとこれまで弾丸だった光は矢の形となり、弾速と鋭さを増し、連射速度は落とされて射出されていく。矢は表皮を貫き、針鼠のようになった悪魔を消し去った。
その後も悪魔の掃討は続き、ついに最後の一体となった。その悪魔も圧倒的な連射力の前に打ち砕かれるはずだった。悪魔は矢の嵐を浴び、そのまま消滅すると思われたが、凄絶な雄叫びを上げて全身を震わせると、突如として翼が生え、それはねじ曲がって顔の前へと降りた。
「形態変化か!」
響真がそう叫ぶと同時に悪魔は突進を開始し、薄い膜のような翼を盾のように使って矢を防ぎながら響真の元までたどり着くと、爪で横から振り抜いた。
響真はそれを後方への跳躍で躱すと、繰り出される連撃を同じように躱していく。あえて直撃寸前での回避を繰り返す響真に苛立った悪魔は、腕を振り上げて叩きつけた。砂埃が舞い散り、悪魔は響真の位置を見失う。大きく飛び退いた彼は、砂埃の外で弓を構えると今度は本当に弓を引くように右手を動かす。光で弦が生み出され、次いで矢が形成される。その矢はこれまでのどれよりも強く、鋭い矢であった。
ちょうど砂埃が晴れた瞬間、引き絞った矢を放った。それは一瞬のうちに飛び、翼と顔面を貫き通す。その直後、矢は十字の形で悪魔の体ごと爆散した。その一矢だけで、その悪魔は倒された。
「どうだったかい? 少しは悪魔祓いというものが何かわかったかな?」
いわゆるドヤ顔で語る響真に、椿は思ったことをそのまま述べる。
「うーん、やってる事は睦月くんとそんなに変わらないよね」
「なっ……! そんなことはないだろう! おい睦月! 答えろ!」
その一言に聞いている側が驚くほどに取り乱し、比較対象の宗弥にまで問う始末である。宗弥はそれを適当にあしらいながら、声を上げて二人に提案をした。
「ここにいてもしょうがねえし、悪魔祓いについては移動しながら説明しようぜ。オラ、さっさと行くぞ」
そうやって、三人は移動を始めた。
♢神の僕
「僕ら悪魔祓いは、神に与えられた力を使って戦うんだ。宗教的な面も持っているから、悪魔殺しに比べて絶対数が多いし、大きな組織の後ろ盾もある」
移動を始めた三人は、主に響真が説明をしながら歩いていた。
「へえ……要するに、悪魔祓いっていうのは神様の力を使って、悪魔を倒す人たちのことなんだ。でも、神様なんて存在するの?」
「する。これは間違いない」
断言したのは以外にも宗弥だった。
彼をよく知る響真が、意外そうに問いかける。
「へえ、君が有神論者だとは思わなかったな。いったいなぜそう思ったんだい?」
「神様ってのは総じて底意地が悪くて身勝手だ。そんなやつらがいなけりゃ今頃世界はもっと平和だろうよ」
何事も無いように言い切った宗弥を見て、二人は目を丸くすると、その直後に吹き出した。
「なんだよ、なんで笑うんだよ」
「いや……ごめんね、なんだか睦月くんらしい答えで……」
なんとか笑いを抑えた二人と、一転して不機嫌になってしまった宗弥は再び歩き出し、説明を再開した。
「そうだ、武器についての話もしなくちゃいけないね。悪魔祓いの武器は、十字架を変形させた武器になるんだ。だから僕らは必ずどこかに十字架のアイテムを持ち運んでいるよ。まあ、中には使わない悪魔祓いもいるらしいけどね。噂程度でしかないよ」
そう話して先程も使っていた弓を出現させた。元の十字架と同じ銀色で、中央で十字架となっている。
「これが僕の武器だ。弓以外にも、長剣や槍、双剣を使う悪魔祓いもいる。これは人によってバラバラだ」
一通りの説明を終え、話すことがなくなってしばらくした後、突然轟音が地を震わせた。音のした方を見ると、ビルが根元から倒壊していくのがはっきりと見える。
「あれは……僕と一緒に来た部隊がいる方角だ!」
「てことは悪魔か! 行くぞ!」
二人はそう言って走り出す。少し遅れて椿も追っていった。
「というかお前はなんで一人でいるんだよ! 部隊じゃないのか!」
「僕は単独行動が許されている! 部隊はあくまで僕と一緒に来ただけだ!」
「二人とも! 速い! ちょっと持ってよー!」
ほとんど叫びながらの会話をしながらビルの間を駆け抜け、倒壊したビルの元へたどり着いた。
「こいつはひどいな……」
そこにあったのは三人分の死体。散らばっている武器も多種多様で、双剣に大剣、狙撃銃の三種が落ちている。
宗弥と響真は椿を挟んで互いに背を向けて立つと、周囲への警戒を最大級に引き上げた。
「……あそこだ。あの曲がり角の向こう側にいる」
動く尾を響真が目ざとく発見し、そちらに向かって徐々に移動をしていく。こちらの足音に気がついたのか、先程まで見えていた尾が角に消え、代わりに宗弥たちの前にその姿を現した。
♢共闘
これまで椿が出会った悪魔より一回り大きい体躯に、それを支える強靭な脚。杭のような指と角に尖った爪、大木のような太く長い尾。四足歩行のその悪魔は宗弥たちをはるか上から見下ろしていた。
「まさか名持ち級、それもかなりの上位個体まで引き寄せるとは……これは優先討伐対象に指定されるのも時間の問題だな」
「名持ち級だかなんだか知らねえけど、俺たちがするべき事は一つだろ?」
「そうだね、こんなやつを表で活動させるわけにはいかない。ここで倒すしかないみたいだね」
そう言って、椿を先に元の世界に戻らせた宗弥は殺気を露わにして突撃し、響真は弓を構えて弾丸を打ち出す。それに対して悪魔も全身に力を入れ、眼前に迫ろうとする宗弥へ急襲する。が、彼は高速で飛び上がり、背後に隠れていた弾丸を直撃させた。しかし、悪魔はそれを無視して上空の宗弥を前脚で狙う。強烈な爪での斬撃をかわすと、急降下して地面に降り立つと魔力を纏った腕で胸の部分を下から殴りつけた。インパクトの瞬間に魔力が一点に集まり、さらに威力を増した拳は悪魔を少し後退させる。そこへ背後から跳躍した響真が矢の雨を降らせた。弾丸より威力を増している矢はもはや鎧となった外皮に食い込み、傷を残して消え去る。
痛みを感じたのかどうかはわからないが、動きがこれまでより一段階速くなったのが宗弥たちにはわかった。尾がうねって着地した響真に向かって横から振り抜かれ、同時に前脚が再び宗弥を狙う。二人は若干の意表を突かれた。
「ぐ……っ!」
宗弥は即座に盾を形成し、真正面から攻撃を受け止めはじき返す。踏ん張った地面は砕かれ隆起する。反対に響真は横からの一撃に対して同じ方向に跳び、さらに防御した腕を引くことで完全に衝撃を吸収した。
「まだだ! 攻撃の手を緩めるな!」
着地と同時に矢を連射すると、最後の一矢は直接引いて放つ。何度も矢が当たって深く抉られた傷に、より強烈な一撃が襲いかかる。悪魔はそれだけは前脚で防ぐのが間に合ったが、今度はそこに矢が食い込み十字の光を放って爆散させる。右の前脚を失った悪魔は激昴し、三本となった脚で響真へと突っ込んできた。が、脚を一本失ったことによる速度の低下と隙を宗弥は見逃さなかった。宗弥は高速で飛ぶと、響真と悪魔の間に割り込み、掲げた拳を振り下ろす。それに連動して魔力の奔流が悪魔の真上から叩きつけられた。
突然背中に衝撃を受けた悪魔はバランスを崩して転倒する。そこに、響真が今度こそ深い傷口に矢を打ち込んだ。同時に宗弥は大剣を生成すると、顔面めがけて振り下ろす。打ち込まれた矢は傷ごと大きな穴を開け、魔力を纏った刃は顔の三分の一を粉砕した。
椿がこの戦いを見ていれば、勝敗は決したと思ったであろう。しかし、宗弥と響真はこれまで以上に警戒を強め、倒したはずの悪魔から一度距離をとった。
「やっぱするよなあ……こいつも」
漏れ出していた魔力が急に荒ぶり、新たな形を作り出していく。大木のような四肢はよりしなやかに、強靭に。これまで単なる爪だった手先は五本の指へと変化する。
形態変化とは多くの上位悪魔が瀕死になると行う活動である。それまでの傷ごと修復され、基本的にはより強力になっていく。四足歩行から二足歩行に変わったこの悪魔は、体の巨大さという点を除けばほとんど人間と同じ形状をしていた。
「来るぞ!」
どちらかがそう叫ぶや否や、悪魔は大地を割らんとする勢いで駆け出す。変化前より増したストライドと足の速度は、完全に二人の不意をついた。
まずは宗弥へと強烈な蹴りが繰り出される。前と同じように盾を作り迎え撃つが、不意を突かれたことによることでこれまでより踏ん張りがきかなかった。宗弥の身長ほどもある足の甲が振り抜かれると、宗弥は耐えることができずに空へと吹き飛ばされた。そのまま遥か遠くのビルに激突し、壁を破壊して中に転がり込んだ。
次は響真が狙われる。地面を擦るように振られた拳を跳んでかわし、民家の屋根に降り立つ。三度弓を引くが全て避けられてしまった。連続して拳が襲い、その都度立つ家を変えながら攻撃を加えていくが、決定打を与えきれないまま戦闘は続いた。
ついに周囲から家が無くなり、着地までの時間に少しの間が生まれる。その隙に鋭い一撃が叩き込まれようとする。しかし遠くから極太の黒線が飛来し、悪魔に直撃した。今まさに殴ろうとしていた左腕を防御に回し、直撃は防いだが押し戻されるように後退する。それは瓦礫から脱した宗弥が放ったものであった。
彼はビルから飛び立ち、高速で近づきながらさらに柱のように伸びる黒線を何度も打ち出す。当たりはするものの、致命傷にはなり得ずに間隔が生じていく。だが、それよりも速く宗弥が距離を詰め、腕に魔力を込めて全力で鉄拳を叩き込んだ。悪魔はこれまでと違い明確に吹き飛ばされ、少し宙に浮いたが着地と同時にその場に踏みとどまる。そこで響真が空に向かって弓を引くと、悪魔の上空で大量の矢へと変わり、悪魔へと降り注いだ。滝のように落ちていく矢の雨は対象をその場に留めるには十分で、その圧力に耐えかねた悪魔がついに大地に膝をついた。その時、矢に紛れるようにして宗弥が剣をうなじに突き立てる。その切っ先は皮膚を貫いたが、剣の根元までは通すことができなかったためこれも決定打にならず、刺したまま首から離れた。
その後も攻防を重ね、何度か強めの攻撃を叩き込んだがところどころから魔力が漏れ出す程度で消え去るには至っていない。むしろ傷口からの魔力も利用して攻撃してくるため、追い込まれているのは宗弥たちの方であった。
「あーもう……どうすんだよこいつ……」
「つべこべ抜かすな! 黙って戦え!」
忌々しげに呟いた宗弥にわざわざ反応する響真、どちらにせよこの硬さに辟易しているのは確かだ。そこに再び拳が襲い、二人は左右に散って避ける。漏れ出す魔力も共に襲いかかるため、普段より大きく動かなければならない。それもあって、非常に体力を消耗していた。
触手のように動く魔力が伸び、二人に連続して突きかかる。繰り出される槍のような攻撃を回避するのが精一杯で、反撃の手は現状無いに等しい。酸欠で判断力が鈍り、互いの位置を確認することもままならない。気がつけば、二人は一点に固まってしまっていた。
「ヤバい!」
狙っていたかどうかはわからないが、悪魔はこれを好機と見たようだ。口へと魔力を集中させ、咆哮と共に吐き出す。回転するそれはまるで横向きの竜巻のようで、大地ごと二人を蹂躙した。
二人は回避を試みたが、風のように荒れ狂う魔力から逃げ切ることはできず、寸前で巻き込まれて吹き飛ばされる。
「ちっくしょ、痛え……」
「まさかここまで強くなるとは……」
舞い上がる土煙と瓦礫が二人を覆い隠すが、傷までは癒してくれない。血だらけになった脚や腕、二人はなんとか立ち上がったものの、押せば倒れそうな危うさがあった。
その時、響真が突然口を開いた。
「睦月、まだ戦えるな?」
有無を言わせぬその問いに宗弥は多少目を丸くしたものの、すぐに不敵な笑みを浮かべて答える。
「なんか案があるんだろうな?」
「ああ、奴を間違いなく倒せる、とびっきりの案がね」
♢強化詠唱
土煙は消えると即座に宗弥が悪魔に向かって飛び立つ。速さはこれまでより遅いが、一直線に悪魔へと向かう姿は単なる特攻ではなく明確な戦闘の意志があった。一方響真は再び弓を構え、背負った矢筒から初めて実物の矢を取り出してつがえる。
「其は、万物を斬る剣と成る……」
これまでの何倍も強く弓を引き絞り、祈りを捧げる。すると、弓の前には巨大な紋様が入った陣が浮かび上がり、矢の輝きは増していく。
「──────強化詠唱!」
放った矢が陣を通過した瞬間、それは一本の長剣となった。
強化詠唱。こうであれ、という祈願。その祈りを捧げられし物は、純粋な強化だけではなく神の加護を受け、性質そのものを変化させる。
矢は猛烈な速度で飛び、瞬く間に宗弥の元までたどり着いた。矢が彼を追い越そうとしたその時、彼は剣の柄を握ると、剣に引っ張られるようにして加速を始める。
それに呼応して魔力が溢れ出し、剣を中心に回転し始める。次第にそれは巨大な剛槍と化した。
「やれ、睦月!」
「いっけええええええええ!」
黒い槍は襲い来る攻撃をまとめて弾き返し、悪魔の胸をブチ抜いた。悪魔は苦悶の声を上げ、なおも宗弥に向かって手を伸ばすが、指先から霧となっていく。そして全身が霧散して、その手が届くことはなかった。
剣と魔力は消え、宗弥はそのまま墜落する。ドンという音が響き、すぐに駆けつけた響真が笑って話しかける。
「無事か、なら帰るぞ」
「立たせてくれよ、この鬼畜が」
響真は宗弥を立たせると、元の世界への扉を開く。そうして二人は、自分たちの住む世界へと帰っていった。
♢夜明け
その頃椿はというと、自分が戻ってきた路地裏から動かずに留まっていた。
「二人とも遅いなあ……大丈夫かな?」
そうは思っているものの、自分にはどうすることもできないのが歯がゆい。悶々としたままただ時間だけが過ぎていく。
しかし、それは長くは続かなかった。まずは足音が聞こえる。二人分の引きずるような足音だった。そしてついに二人が椿の前に姿を見せた。ボロボロになった体を支え合い、しかし、笑いながら短く椿に声をかける。
「ただいま。ちゃんと、帰ってきたぞ」
それを聞いた椿は、ほんの少しだけ笑い、二人に抱きついた。二人から驚きの声が上がったが、耳元からすすり泣く声が聞こえ、二人は黙った。
「うん……おかえり……」
泣きじゃくる椿に何も言えないでいたが、椿はやっと離れて涙を拭う。
「ごめんね、二人とも疲れてるのに。帰ろっか!」
それに宗弥たちは頷くと、ゆっくりと、だがしっかりと地面を踏みしめて歩き出す。
少し歩くと、響真が何かに気がついたように二人へ声をかける。
「二人とも見てみるといい。朝日が昇るよ」
響真の指が東を指し示すと、そこにはちょうど金色に輝く太陽が顔を出そうとしている。
「綺麗だなあ……」
容赦なく照りつける日差しは不思議と暑さを感じさせずに、三人の心も晴れ晴れとしたものにした。
朝は空から黒を追い払い、人々に平穏をもたらす。
そこで椿はあることを思いついた。
「そっか、そういうことなんだ」
「ん? どうかしたのか?」
宗弥が疑問の声を上げ、困惑の表情を浮かべる。
「ううん、二人って、朝日みたいだなって思ってさ」
これには宗弥も響真も首を傾げ、そして考えるのをやめた。考えてもわかりそうになかったし、そもそも何も考えたくなかったからだ。
世界は既に、光に包まれていた。
途中書きのを放置して、新しい作品です。
ぶっちゃけこちらの作品の方がよく考えて作ってるので、もうひとつの方みたいにはならない......と思います。
まあ、適当に読んでいってください。