第13話 プロトタイプ・ガール
「グァァァアオオオオオオ!」
セクメトの上げる咆哮が空気をビリビリと震わせた。
今、目の前に立つ大神殿の太い柱の間から、セクメトが体をねじ込んで僕に食らいつこうと暴れていた。
間近で見るセクメトの形相は恐ろしいほどに猛り狂っている。
だけど僕は一歩も引かずに柱に左手を当てたまま力を注ぎ込んだ。
僕の力によってセクメトはこの8本の柱に周囲を囲まれた大神殿のエントランスから一歩も外に出ることは出来ない。
出すわけにはいかないんだ。
僕は左手を柱に添えたまま、右手に握ったタリオを構える。
途端にセクメトは警戒した様子でエントランスの最後部に飛び退った。
大神殿のエントランスは人が横並びで7、8人は同時に通れる程度の一定の広さを有しているけれど、巨大化しているセクメトにとっては狭い檻のようなものだろう。
逃げ場はない。
僕は狙いを定めると、柱の間からタリオを振り下ろした。
「これで……終わりだっ!」
見えざる刃がセクメトに襲いかかる。
セクメトは体を伏せてこれを回避しようとしたけれど、狭い場所の中では当然避けきれるものじゃない。
モザイクに包まれた黒い羽の片方が斬り落とされて消え、セクメトが唸り声を上げた。
「ウウウウオオオオッ!」
僕は間髪入れずにタリオによる斬撃を繰り返す。
狭いエントランスの中で、見えざる刃に襲われてセクメトは悶え狂った。
僕の連続攻撃によって、もう片方の羽や前脚の片方が斬り離されて分解されていく。
容赦は無用だ。
ここで一気に決めないと僕のほうがまいってしまう。
セクメトが暴れて柱に体をぶつけるたびに、僕の胸は激しく痛み、ライフゲージは消滅していく。
そんな状況で左手でエントランスを維持しながら、右手でセクメトを攻撃するというのは非常に大きな出力を必要とするみたいで、体感的にとても負担が重い。
僕のライフゲージは従来値の4分の1を切り、なおも減り続けている。
このままだと僕のライフの最大値は0という前代未聞のバグのような状況になってしまう。
早く……早く決めないと!
羽や前脚を斬られたセクメトは明らかに弱っていて動きが鈍い。
今がチャンスなんだ!
「うおおおおっ!」
僕は次々とタリオによる斬撃を繰り出す。
セクメトは狭い場所の中で暴れ狂うようにして体を柱にぶつけながら僕の攻撃を避けようとするけれど、タリオから放たれる不可視の刃がセクメトの体を次々と斬り裂き分解していく。
ここだ……ここで決める!
全ての力を注ぎ込み、僕は一心不乱にタリオを振るい続けた。
一振りごとに胸が痛んで内側から破裂してしまうんじゃないかと思えるほどだったけれど、それでも構わずに連続攻撃を続ける。
「ううううう……うああああああああっ!」
そして……ついに僕の放った一撃がセクメトの体に直撃し、その巨体を頭から左右真っ二つに斬り裂いた。
クリティカルヒットだった。
「グィィィィィアアアアアアッ!」
セクメトの上げる断末魔の叫びが空気を震わせる。
崩れ落ちていくその最後の姿を僕はしっかりとこの目に焼き付けた。
自らの勝利を確信するために。
「や、やった……」
思わず声を漏らす僕の視線の先では、ついに獅子の体を保っていられなくなったセクメトが消滅していく。
僕は無意識のうちにタリオを振り上げて胸の内で勝利を叫んだ。
今度こそ……今度こそ勝ったぞ!
その確信を得た僕の視界がふいに真っ白く染まった。
「えっ……?」
一瞬、何が起きたのか理解できなかったけれど、セクメトの獅子としての輪郭が崩壊すると、その体から溢れ出したモザイク液が真っ白な輝きを放ち始めていた。
それは太陽の光を浴びて輝く湖面のように美しかったけれど、僕は直感したんだ。
これは……やばい。
やばいぞ!
そうした僕の直感が示す通り、エントランスの床を浸すモザイク液が膨張し始めたんだ。
その表面からは、バチバチッと危険なノイズが生じ始めている。
エントランスの中にあるため、見えない壁に阻まれて8本の支柱の外に溢れ出すようなことはなかったけれど、モザイク液は見る見るうちに増幅し水位を上げていく。
僕は自分の体にかかる負担が増していることをすぐに感じ取った。
モザイク液はあっという間に天井まで満ちると、その容量をさらに増していこうとする。
セクメトを閉じ込めるために僕が作り上げた檻は今や巨大なモザイク液の水槽と化し、内側からの圧力によって破裂寸前となっていた。
な、何てことだ。
せっかくセクメトを倒すことが出来たのに。
勝利の余韻に浸る間すらなく、僕は驚愕に肩を震わせた。
「くっ! モザイク液が外に飛び出そうとしてるんだ」
白く輝くモザイク液から発生するノイズはさらに激しく暴力的になっていて、そのせいで8本の柱に次々と亀裂が入り始めた。
ま、まずい。
まずいまずいまずい!
その様子に僕は倒したはずのセクメトの意思を感じずにはいられなかったんだ。
ま、まさか……破壊の本能を持つセクメトが最後の抵抗として、モザイク液の大暴発を起こそうとしているんじゃ……。
その執念に戦慄を覚えながら、僕はどうすることも出来ない。
モザイク液が溢れ出さないよう力を込め続けること以外には。
「アル!」
「アル様!」
背後から聞こえるミランダとジェネットの声に僕は振り返った。
2人は両足を失い、飛ぶ力も失い、傷つき疲れ果てた体で、それでも懸命に砂の上を這って僕に近づいて来ようとしている。
「アル! あんた……何よそのライフゲージは!」
「私たちに黙っていらしたのですか? アル様!」
ミランダがその顔に怒りの表情を浮かべていて、その隣ではジェネットが悔しそうに唇を噛んでいた。
そうか。
摩耗し続ける僕のライフゲージに気が付いたんだね。
僕のライフゲージはとうとう従来の10%ほどまでに溶けてしまっている。
このままライフゲージが消失すると僕はどうなってしまうんだろうか。
消えてしまうのか、機能停止となるのか。
何にせよ、そうなれば僕はこの大神殿のエントランスを維持できなくなり、戒めを解かれたモザイク液は奔流となって荒れ狂い、世界を飲み込むだろう。
そうなれば全ては失われる。
僕も、この取り残された砂の都も、そしてミランダとジェネットも。
そんなのは嫌だけど、でも……もうどうすることも出来ない。
何かをしようとする力も時間も残されていなかった。
万事休すか。
僕の気持ちが折れかかったその時、うつむきかけた僕の視界にふいに見慣れない人影が見えたような気がして、僕はハッと顔を上げた。
「……何だ?」
だけど目の前にはモザイク液で満たされたエントランスがあるだけだ。
「まさか……」
もう自分の特性について心得ている僕はすぐに目を閉じた。
おかしいな。
目を閉じた状態で見えるのは建物とか自然物の元の姿だけで、人は見えたことがないのに。
そう思いながら僕は目を閉じたまま目を凝らす。
目の前に見えるのは大神殿のエントランスだ。
光り輝くモザイクは見えない。
目を閉じたこの世界の中は静寂に包まれていた。
だけど……。
「あ、あれは……」
僕は思わず息を飲んだ。
僕が少しだけ立ち位置を横にずらすと、目の前にある柱が邪魔になって見えなかったその向こう側、数メートル先に見たことのない少女の姿があったからだ。
それは長い黒髪と赤みがかった黒い瞳を持つ美しい少女で、薄い紅色の綺麗なローブをその身にまとっていた。
「だ、誰……?」
僕は思わずそう呟きを漏らした。
どうして目を閉じた僕の視界に人の姿が映るのか、その少女が一体何者なのか、不可解なことだらけだったけれど、その少女は確かにそこにいたんだ。
まさか……もしかして……あれはセクメトなのか?
髪の色も目の色も雰囲気もまるで違うのに、不思議とその姿はセクメトを思い起こさせる。
そこで僕は神様から聞いた話を思い出した。
黒幕はセクメトを作り出したけれど、ウイルスに乗っ取られてしまい、まったく制御不能で破滅的なキャラクターに作り変えられしまったと。
ということは……。
「多分あれはウイルスに乗っ取られる前のセクメトなんだ」
僕はそう感じたけれど、同時にどこか違和感も感じていた。
あの少女には存在感がないんだ。
まるでまだ生まれる前みたいな……。
それが僕の率直な感想だった。
先ほど僕と戦った女性の姿のセクメトは、確かに生気の感じられない表情と雰囲気を漂わせていたけれど、それでも一キャラクターとしての存在感がそこにはあった。
だけど今、目の前にいる少女はまるでこの世に生を受けていない、それこそ絵画のような現実感のない存在だったんだ。
「そうか……セクメトはまだロールアウトされる前のキャラクターだったところを乗っ取られたんだ」
もしかして……あの少女はまだキャラクターとして命を吹き込まれる前のデザインの状態であり、ウイルスに乗っ取られたセクメトに取り込まれていたのかもしれない。
そうか。
まだキャラクターとして稼働実績のないプロトタイプだから、建造物や自然物と同じと見なされて僕の目に映るんだ。
「……待てよ。ってことは」
僕は目を閉じたままその少女をじっと見つめた。
この閉じた視界の中に映るものを僕はこの手で触れることで復元できる。
ということは、あの少女に触れることでセクメトを元の普通のキャラクターに戻すことが出来るんじゃないか?
全ては推測だけれども、辻褄は合っている。
だけど……。
僕は目を開けた。
目の前には今にも破裂しそうなモザイク液の水槽と化したエントランスがある。
あの少女に触れるってことは、この中に入らなきゃならないってことだ。
「自殺行為だ。でも……」
どうせ何もしなければこのまま消える運命だ。
だから僕は即座に決意した。
どのみち僕のライフゲージはもう残り一桁に落ち込んでいこうとしている。
ライフの最大値が9。
ちょっとした攻撃を受けただけで即ゲームオーバーになる超ザコキャラと化した僕だけど、今の僕にしか出来ないことがあるんだ。
僕は左手を柱に当てたまま後方を振り返る。
ミランダとジェネットはまだ砂の上を必死に這い寄って来ている。
そんな2人に僕は決然と告げた。
「そこで待ってて。もうすぐ決着が着くから」
この言葉から僕が何か無茶なことをしでかすと感じ取ったようで、ミランダとジェネットが血相を変えた。
「ま、待ちなさい! 家来のくせに私の許可なしで勝手なこと……」
「アル様! どうか早まったことは……」
僕のことを真剣に心配してくれるそんな2人を見るうちに勇気が涌いてきた。
2人には元気でいてほしい。
僕は心からそう思う。
アリアナにもアビーにもそうであってほしかった。
彼女たちが理不尽に消されてしまうような、こんなひどい馬鹿騒ぎはもう終わりにしよう。
僕はミランダとジェネットに笑顔を向けると、再び視線をエントランスに向けた。
そしてタリオの柄でとぐろを巻いておとなしくしている蛇たちの頭をそっと撫でた。
「おまえたちにも一緒に危ない橋を渡ってもらうことになっちゃうね。許してほしい」
そんな僕の言葉に蛇たちはシュルシュルと舌を出して賛同の意を示してくれた。
「よし。行こうか」
僕はタリオを振り上げると、エントランスの柱の間からモザイク液に向けて気合いを込めてその刀身を振り下ろす。
「はあっ!」
すると斬撃を受けたモザイク液が左右に割れて、1メートル幅の隙間が生じる。
それを見た僕は迷いなくそこに飛び込んだ。
だけどモザイク液の圧力は桁違いに強く、すぐに隙間は閉じていこうとする。
僕の体中が左右から迫るモザイクに包まれていく。
背後で僕の名前を叫ぶミランダとジェネットの声が聞こえたけれど、それもすぐに遠く消えていった。




