第5話 ようやく届いたこの手を
破滅の女神セクメトが歌う奇妙な旋律が響き渡る。
それは喜びと悲しみの入り混じったような不思議なメロディーだ。
だけどその歌が鳴り響いた途端にミランダとジェネットの動きが目に見えて悪くなったんだ。
ま、まずいぞ。
時折、流れ弾のようにモザイクが飛来して通り抜けていく中、僕は決死の覚悟で戦いの渦の中へと駆けつけようとした。
だけどそこかしこにモザイクによって大きな穴が開いていて、平坦な箇所はもうほとんどなくなっている。
穴はちょっとしたクレーターのようになっていて、僕は穴の底に駆け下りては、そこから穴の外へ駆け上がるという動作を繰り返すことを強いられた。
そんな僕の頭上を高速のモザイクが通り抜けていき、思ったように進めない。
くそっ!
隠れていた建物からオアシスまでのほんの数百メートルの距離がもどかしい!
ミランダもジェネットもあのままじゃモザイクを浴びてしまう。
そして僕の心配した通り、歌い続けるセクメトは弱ったミランダとジェネットに狙いを定めて高速のモザイクを放ったんだ。
「くっ!」
避けられないと悟ったミランダは即座に魔法を唱えた。
すぐにミランダとジェネットの足元からせり出してきた亡者の手が彼女たちを1メートルほど担ぎ上げる。
その直後にモザイクは彼女らのすぐ下を通り抜けて黒い亡者の手を次々と消し去っていく。
ミランダとジェネットは咄嗟に宙に身を躍らせて地面に転がった。
あ、危なかった。
2人とも難を逃れたけど、あんな回避方法は何度も使えないぞ。
あれじゃあ長くはもたない。
僕は穴から這い出ると足元に落ちている石を拾い上げ、それをセクメトに向けて思い切り投げつけた。
石はセクメトの背中に命中したけれど、当然のように彼女の体表に生じた揺らぎの中に石は吸い込まれて消える。
まるで水面に小石を投げ入れたような手ごたえの無さだった。
そしてセクメトは僕の方をチラリとも見ようとしない。
僕はそれでも構わずに、辺りに落ちている石をいくつも拾っては投げつけた。
「セクメト! こっちだ!」
僕は大きく声を張り上げた。
だけど彼女は僕のことをまったく無視して歌い続けている。
くっ!
ダメだ。
僕のことなんかまるで眼中にない。
きっとセクメトは分かってるんだ。
彼女にとって僕なんてちっとも脅威ではないってことを。
そしてセクメトはミランダとジェネットに向けて再び高速のモザイクを放射する。
ミランダは再度、亡者の手を発生させて先ほどと同様に自分とジェネットの体を持ち上げさせて回避を試みたけれど、今度のモザイクはさっきとは様子が違った。
まるで浮き上がるようにグンと方向転換するとカンダタによって宙に浮かぶ2人の方向へと向かっていく。
2人は慌てて魔力と法力でそれぞれ上昇しようとするけれど、回避は間に合わなかった。
「ぐっ!」
「あうっ!」
モザイクを避け切れなかったミランダとジェネットは、両足の膝から下を消されてしまった。
その衝撃によって2人とも空中でバランスを崩し、地面に落下してしまう。
や、やばいっ!
残り数十メートルの距離を僕はほとんど転げるようにしながらクレーターを駆け抜けるけれど、砂に足を取られて派手に転倒してしまった。
「うぶっ!」
顔面から砂に突っ伏した僕は、顔中を砂だらけにしながら、すぐに顔を上げる。
全速力で走り続けて息が切れているのも、体のあちこちを打って痛むのも構わずに僕はすぐに立ち上がろうとした。
だけどそこで僕は目にしたんだ。
セクメトが両手を頭上に掲げ、そこにひときわ大きなモザイクを生み出したのを。
僕は直感した。
セクメトはミランダとジェネットにトドメを刺そうとしていることを。
「う、うああああああっ!」
僕はたまらずに右手のすぐ傍にある石を掴んでセクメトに投げつけた。
そんなことをしても何の意味も効果もないと知りながら、それでも何とかセクメトを止めたくて、何とか2人を助けたくて石を投げつけたんだ。
そして、僕が投げた石はセクメトの背中にトンッとぶつかって地面に落下した……えっ?
「あ、当たった……」
そう。
つい先ほどまでいくら投げてもセクメトの体表を包み込む空間の揺らぎに阻まれて彼女に当たらなかった石が、今度は当たったんだ。
な、何で?
僕は不思議に思って石を投げつけた自分の右手を見つめた。
するとさっきまで乳白色だった右手が、完全にペールオレンジに染まり切っていた。
へ、変色が終わったんだ。
僕が夢中になって走っている間に、僕の右腕は指先まですべて元々の僕の肌の色であるペールオレンジに戻っていた。
その現象と投石がセクメトに命中したこととを結び付けようとして僕はハッと顔を上げた。
突き刺すような異様な視線を感じたからだ。
背すじを悪寒が這い登る。
ゾクッして目を見開く僕の視線の先では、セクメトが動きを止めていた。
そして彼女は大きなモザイクを発生させた両手を頭上に掲げたまま、こちらを振り返る。
その顔には明らかに意思のある表情が浮かんでいたんだ。
それは先ほどまでの彼女とは明らかに違う顔だ。
そう。
セクメトは僕を認識したんだ。
それまで道に転がる石ころのように見向きもしなかった僕に対し、彼女は見る者の背すじを凍りつかせるような不気味な視線を向けている。
そして今しがたまでその口から紡がれていた不思議な歌が途絶えていた。
たった石ころ一つ。
たかが石ころ一つ。
だけどそれが自分に触れたことが、セクメトの意識を僕に向けさせた。
今、セクメトはミランダとジェネットへ向けていた意識を完全に遮断し、僕を敵として認識しているんだ。
底冷えのするような彼女の視線が突き刺さるのを感じながら、僕は恐怖心を抑えて勇気を振り絞ると声を上げた。
「そうだ。こっちに来い。僕は……おまえの敵だ。僕を放っておくと痛い目にあうぞ」
震えそうになりながらそう言う僕を前方から見ていたミランダとジェネットは、驚愕に目を見開いて苦しげに声を上げた。
「ア、アル……馬鹿なマネは……」
「アル様。すぐに逃げて……」
僕は前を向いたまま声を張り上げて、彼女たちの言葉を遮った。
「嫌だっ! 僕は……君たちを失いたくない」
ミランダもジェネットも僕の大事な友達だ。
何にも代えられない、かけがえのない大事な2人なんだ。
譲れないものなんて他に何もないこの僕が、唯一譲れない存在。
それが友達という存在なんだ。
そんな彼女たちを消されるなんて許せるはずがない。
僕はタリオを構えてセクメトと対峙する。
「2人のことは絶対に消させないぞ」
「アル……」
「アル様……」
タリオを握り締める僕は、セクメトをこちらに引きつけるために精一杯の敵意を視線に込めて破滅の女神を睨みつけた。
だけど頭の中では必死に勝利への可能性を模索し続けていた。
石が当たった理由は十中八九、腕が変色したせいだ。
神様は言っていた。
右腕の変色が完成すれば、僕はネオ・ワクチンを体内で生成することが出来る。
そしてセクメトはウイルス自身が自我を持ってその身を乗っ取った、言わばウイルスの権化であると。
だからこそ、さっきまで無効だった僕の投石がセクメトに届いたんだ。
「ようやく……ようやく届いたんだ」
僕はやっと掴んだ手ごたえを放すまいと拳を握り締める。
セクメトは掲げた両手に発生させたひときわ大きなモザイクを、そんな僕に向かって投げつけた。
僕は思考を中断させ、反射的に真横に飛んだ。
自らに向けられたモザイクは先ほどまでより一層速く見えたんだ。
横っ飛びした僕の足のすぐ先を掠めて飛んだモザイクは、クレーターだらけの砂地をさらに削り取り、より巨大なクレーターをこしらえる。
くっ!
こ、これは直撃したら問答無用で即死だ。
ミランダもジェネットもこんな恐ろしい攻撃を避け続けていたのか。
僕は戦慄を覚えながら、それでもすぐに立ち上がる。
セクメトは容赦なく次々とモザイクを放つ。
その一つ一つが確実の僕の命を奪いに来る。
と、止まったらダメだ。
僕は決死の覚悟で足を動かし続けた。
必死に走り続ける僕の体のすぐ近くをモザイクが次々と通り抜けていく。
僕は右に左にステップを踏みながら、死に物狂いでそれを避ける。
一瞬の油断が命取りになるこの状況に追い込まれた僕を見て、ミランダとジェネットが必死に僕を助けに来ようとしているのが見えた。
だけど彼女たちは両足を失っていて立ち上がることも出来ない。
かといって魔力で宙を舞おうとすれば、モザイクに狙い撃ちにされる恐れがあるため、迂闊に動けないんだ。
でも、それでいい。
2人は自分のことだけを考えてほしい。
このまま避け続けるだけなら、いずれ体力が尽きてしまうだろう。
だけど僕はあきらめていない。
僕の投げた石が当たったなら、タリオの刀身で斬りつけることも出来るはずだ。
蛇たちの攻撃やステルス・ナイフも、この新たな右腕によってきっと進化しているはずだ。
だけどあまりにも苛烈なセクメトの連続攻撃は僕に反撃の隙を与えなかった。
決してあきらめてはいないけれど、状況は好転の兆しすら見えない。
くそっ!
何とかセクメトに近づかなきゃならないのに、これ以上一歩も近づけない。
モザイクが宙を舞う速度は相当なもので、今の僕の能力ではギリギリで避けるのが精一杯だ。
1メートルでも距離を縮めれば、おそらく避け切れずに体のどこかにモザイクを浴びてしまうだろう。
直撃でなくてもそれは致命的な一撃になる。
体力がジリジリと奪われ、気力は徐々に消耗していく。
それが僕を焦らせた。
モザイクを少しでも浴びないよう必死に飛び上がって着地した砂の地面が、予想していたよりも遥かに柔らかかった。
そのせいで僕は砂に足を滑らせて尻餅をついてしまったんだ。
それは命取りとなる僕のミスだった。
し、しまったぁ!
セクメトの放ったモザイクがあっと言う間に目の前に迫り来る。
よ、よけられない!
死を覚悟する暇すらない一瞬だった。
だけどそんな僕の目の前を大きな影が遮ったんだ。
巨大な物体が僕のすぐ眼前に落下してきて砂を巻き上げた。
それは僕の代わりにモザイクを浴び、消滅の危機から僕を守ってくれた。
とたんにヒンヤリとした空気が僕の鼻先を撫でる。
それは冷たい冷気を放つ立方体だった。
僕は思わず顔を上げ、その立方体の上に一人の少女が立っているのを目にした。
「アル君!」
忘れようもないその声に僕は思わず息を飲む。
そう。
そこに立っていたのは、救護班によって病院に搬入されていたはずの僕の友達。
魔道拳士アリアナだったんだ。




