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悲しみを知る者

長ったらしい回ですが、山場です。



「孤独になりたくない。だから今まで血反吐を吐く思いでやってきました」



 雪見の居る試験管に両手を当て、琴禰は背後の真冬に話しかける。



「貴方達に裏切られ、将斗も……」



 ほうっ、と息がかけられ、試験管に小さな曇りが生まれる。



「もう私が……生き残る理由も無くなったわけですね」

「琴禰様……それは……」



 真冬の手が琴禰のを握る。しかし琴禰は握り返すようなことはしなかった。



「良いんです。もう何もない。私には……何もない」

「………っ」



 苦痛に歪む真冬の表情。試験管の中の雪見は眠りについたままだ。

 ようやく振り向いた琴禰の目には泣き腫らした痕がみられる。それが柔らかな笑顔とミスマッチで───


 乾いた唇が静かに動く。



「恋も悲しみも思い出も……すべてを消し去りたい」



 ボディーガードの頬に手が添えられた。冷たく、力の無い手。



「私の駒として……使われてくださいね」



 ◇



「………本当に闘えるんだな」



 準備を進める将斗に天田は問いかける。



「ああ……琴禰はO2の手先だ。それだけじゃない。

 あいつを止めないと、皆に危険が及ぶ」



 対甲ブレードの状態を確認してハッチに仕舞い込む。



「………光石のご令嬢の能力を対処できるのか?」

「私がやります」



 名乗り出たのは紫音だった。

 とはいえ能力を考えたら紫音が琴禰を足止めできるとは思えない。

 だが紫音の決意は揺るがなかった。



「手段なら……用意してます。もう誰も奪われたくないから……」

「…………」



 将斗は紫音の手を見た。緊張で汗ばんではいるが、震えは見られない。

 策があるのは本当のようだ。

 将斗は相棒の紫電を見る。黒曜石に似た光沢を放ち堂々と佇む姿は今の将斗にはこの上なく頼もしく思える。


 琴禰は九家の敵であるO2の手先で、そのために自分の守りたい人達を手にかけようとした。

 脅威はもう間近にまで来ている。それが家族を奪う恐れがあるなら



 闘うまでだ。たとえかつての友だとしても。



 兄妹皆が揃って、紫音もいて、母がいて、愛花がいる。


 それをまた奪われるわけにはいかない。


 第二次世界同時多発テロの二の舞なんて絶対に嫌だ。



「……私が必ず足止めします」



 不意に着替え終えた黒いインナーの裾を掴まれ、将斗は紫音の方を見た。



「だから……将斗は真冬さんに専念してください」



 やはり緊張しているようだ。表情が強張っている。

 だが、それでも自らを奮い立たせ将斗の力になろうとしてくれる彼女の思いが何よりも温かかった。


 バラバラになりかけた自分達兄妹を一緒につなぎとめ、支え、寄り添い、危険になったら危険を省みず力になってくれた彼女の存在が。


 今ではこの上なく尊いもののように思えてならなかった。



「ちょっといいか」



 返事を待たずその腕を掴んで倉庫の外に連れ出す。相変わらず肌寒い潮風だがそんなのは気にせず、倉庫の裏まで引っ張るとそこでようやく向かい合う。


 緊張している彼女を叱るとか、そんな目的ではない。


 ただ、確かめたいだけだ。



「紫音……琴禰は変わった。今のあいつなら間違いなくお前を殺しにかかってくる」



 死


 それはこの世界において常に隣接するものだ。

 今回の作戦では紫音も前に出ることになる。それはつまり、今まで以上に危険に身をさらすということだ。



「何をしてくるかわからない。不意討ちだって有り得るんだ。

 それでもお前は……やるんだな?」



 両手をその華奢な肩に置き、じっと見つめる。

 だが紫音の瞳が揺れるようなことは一切無かった。



「やります。そのために私はここに居るのですから」



 ため息を抑えきれなかった。

 残念とかそういうのではなく、ただ彼女の決意に納得した自分に気付かされたのだ。

 いつもならきっと、彼女の身を案じて後方に回していただろう。だが今それを言うのは野暮というやつか。


 自分でも気づかないうちに両手は紫音の身体を抱き寄せていた。幼なじみだというのに、こうして感情を込めて抱き締めたのは初めてな気がする。

 紫音の身体は柔らかくて、でも華奢で、これ以上強く抱き締めたらガラスのように壊れてしまいそうだ。

 それでも、抱き締めずにはいられない。


 これから自分は、かつて心を許した人を。守りたかった人達と闘いに行く。



「もう誰も……失いたくない……兄貴も千晶も、母さんも愛花も……お前も……」



 掠れ、震える声で紫音に打ち明ける。紫音も将斗の胸に手を当てた。



「……ありがとう。今はそれだけで……私は幸せです」

「……危険になったら迷わず兄貴達を頼れよ」

「……はい……将斗も気をつけて……」



 2人は見つめあって、そして……



「あっ、千晶、何をするんだ!」

「昴兄ぃこそ何してるの?」

「僕はただ、紫音ちゃんの唇を守るべく……ていうか君は休んでなきゃ!」

「……なにしてんだよ」



 物陰から昴にコブラツィストを決める千晶と、片手に吹き矢を持って必死に抵抗する昴が現れた。将斗達に見つかっても悪びれる様子もなく昴はあっけらかんとしている。



「いやいや。僕は風紀を乱す気配を感じて止めに来ただけさ」

「そして私は変態の奇行を止めに来た」

「風紀を乱す行為をするつもりもなかったし何だかイラついてきた。一発殴らせろ」

「へぶぅっ!」



 弟の右フックを受けてなお幸せそうに倒れる昴。だがすぐに思い付いたように顔を上げた。



「そうは言っても将斗、君だって紫音ちゃんだけじゃなく愛花ちゃんや琴禰ちゃんまでたぶらかしぶぎゃっ!!(蹴られた)……だからそんな君に紫音ちゃんを渡さないようにすべひでぶっ!!(蹴られた)……はい、僕はまだ紫音ちゃんを諦めてないので未然に防ぐことにしたのです」



 清々しいくらいの執着心だな。



「でも、将斗はいいの?」



 兄をサンドバッグ代わりに蹴りながら千晶は尋ねる。

 仲間殺しを経験したことのある妹だからこそ、将斗がこれから闘う辛さを知っているのだ。



「ああ。悪いな。迷惑かけてばかりで」

「じゃあ、私はなにも言わない……」



 そう言って千晶は拳を突き出した。将斗もそれを拳で小突き返す。



「僕も……味方を殺したことがあるからね」



 ヨロヨロとしながらも昴は立ち上がった。



「将斗がこれから受ける痛みは……理解してるつもりだ」

「……もっとマシなシチュエーションで言ってくれよ……でも……ありがとな」



 将斗は兄とも拳を突き合わせた。


 誰かを失った痛みは皆同じだ。それを分かち合う存在は、いまここにいる。


 互いの覚悟を確かめ、兄妹と紫音は頷き合った。

 月が夜の海を照らす。約束の時間までもう少しあるだろう。



「そうだ。将斗。救出したときなんだか淫らな格好だったけど、彼女とどこまで行ったのかな?」



 ピシィッ! とヒビが入ったような幻聴がした。


 昴の言い方は無邪気そのものだが笑顔の裏からは黒い何かが輝いて見えた。

 弟の足を引っ張ることで自分と同じ立ち位置に引きずり下ろそうとする魂胆が手に取るようにして伝わってくる。



 抱きつかれはしたがそれ以上は……あ、口づけはしてないからセーフなのか?



(というか今ここで持ち出さなくても良い話だろうがっ!)



 ざまあみろと舌を出す兄を睨み付けていると、隣から潮風よりも寒い、まるでドライアイスのような冷たさが肌を刺してきた。

 出所は見て確かめなくてもわかる。


 というか、目の前に兄と妹がいるのだから、有り得る人物なんて1人しかいない。



「…………将…………斗…………?」

「ひぃいっ?!!」



 我ながら情けない声が出た。


 さっきまでのしおらしい幼なじみはどこへやら。身体からはゲームの魔王が放つようなどす黒いオーラが漂っている。

 血に飢えた獣の如く強者の眼光を放っていた。


 怖いです。怖いですよぅ紫音さん。


 話すから、お願いだからその禍々しい何かを鎮めてください。


 昴としてはこれで、紫音の中の将斗への好感度が下がってくれて万々歳なわけだから、飛び火を受ける前にそろそろ撤退しようと踵を返す。

 普段は兄の愚行に呆れつつ千晶も立ち去ろうとした。



「じゃあ僕らは倉庫に……」

「そういえば昴さん、千晶ちゃん?」

「「ひぃいっっ?!!」」



 やはり血の繋がった兄妹。リアクションがさっきの将斗と一緒だ。



「今回の件で色々……そう……色々、無茶してくれましたね?」

「ど、ど、Doしてそんな話を今頃……」



 落ち着け兄貴。少し英語が混じってる。



「あんな大ケガをしてたのにまた無理をして? 千晶ちゃん。昴さんのためとはいえ、パンドラで無理矢理体を動かしてましたね」

「だ、……ダー……」

「昴さん……千晶ちゃんに迷惑かけた記憶は?」

「お、ぼえ…てないなぁ……」

「す・ば・る・さ・ん?」


「………はい」



 3兄妹は紫音の弾劾を前になす術なく。



「そこに正座しなさい」



「「「……はい、すいませんでした……」」」



 戦闘前に閻魔よりも恐ろしい方からの有難いお言葉(お説教と尋問)を受けるのだった。


 それを遠目に見ていたのは、五木と山縣の2名。



「……ギクシャクしていたようでしたが、なんとかなりましたねぇ。すっかり元通りで」

「だな……それよりデバイスの……雷光のプログラム調整は?」

「あと僅かです……必ず間に合わせます」



 ◇



 毛無山峠の展望台に停められた1台のセダン。その車体に寄りかかるようにして身体を預けているのは長い刀を脇に携えたスーツ姿の男。

 展望台の手摺に片手を載せ、小樽の夜景を見渡すドレス姿の琴禰。

 約束の10分前に着いた2人は約束の相手が来るまでの間、互いに無言を貫いていた。


 自分達以外誰もいない筈の毛無山展望台に、砂利を踏む音が聞こえて、2人は身体を音のする方へと向ける。


 暗闇の中から紫音が漆黒のATCを伴って姿を現した。

 紫電の赤い瞳が琴禰達を捉える。



「……好きな人を迎え入れ、穏やかな時間を共に過ごす……それが私の夢でした」



 琴禰の乾いた唇が震えるようにして動いた。



「安住の地で毎日一緒に……昔約束したことを体験して、子供を作って……それが私には何よりも尊い未来だった………」



 幼い頃に話した釣り、キャンプ、バーベキュー……やりたかったことが次々と溢れ返る。



「貴方が……将斗が誰よりも欲しかった……たとえ力尽くでもいい。手に入れたかった…」



 でも、と琴禰が紫音にチラリと目をやる。真冬が刀を抜き始めた。白銀の刀身が月の光を帯びて、まるでもう1つそこに月があるように錯覚してしまう。


 真冬にも、琴禰にも。


 将斗に笑いかけていたあの時の面影は微塵も存在していなかった。



「将斗は……決めたんですね……」

『ああ……俺はお前と一緒には生きられない……俺が守りたい人達は別にいる』



 迷わない。決意を固めた最愛の人を前にして琴禰は哀しそうに笑う。



「……やっぱり将斗は……今みたいな方がカッコいいな……」



 私じゃ無理なんだね。



 最後の言葉を言い終える前に、真冬が跳躍するように踏み込んできた。

 将斗もすかさず対甲ブレードを抜いて真冬の攻撃を防ぐ。


 双方の身体がぶつかり合い、2人を中心に衝撃が波となって広がった。



「将斗………!」



 眉間に皺を寄せ、犬歯は剥き出しに、目をぎらつかせ真冬は燃え上がるような激しい殺意を将斗にぶつける。



「琴禰様の幸せだった記憶として……この場で死ね……!」



 真冬は本気だ。本気で殺しにかかってきている。刀越しに伝わる力と将斗に浴びせている殺気が何よりの証拠だ。

 だから将斗も遠慮しない。



『お前らが生きてる限り俺の家族達は命を狙われるだろう。だから……ここで終わりにする……!』



 互いの手が相手の掌を握りつぶすようにして掴み合い、真冬は刀の刀身をずらして刃を立たせようとする。

 だがそんな隙は与えない。将斗は迷わずその顔面に頭突きを喰らわした。

 ATCの装甲がぶつかったというのに骨が砕けるような感覚は無く、真冬の身体は後方に吹き飛ぶ。

 その背中は林道の木に叩きつけられた。



(砕けた感覚はない。か)



 真冬は膝を付くようなことはなかった。刀を片手に姿勢を低くして木を蹴る。器械の足は太い木の幹をまっぷたつに折り、代わりに真冬の身体を将斗の上空まで飛ばした。


 頭突きされた箇所の皮膚は剥がれ落ち、その鼻、目、骨格は黒い器械で成り立っていた。



『やっぱり……頭まで造られてたのかよ』

「琴禰様を守る度に身体を喪ってきた……これはその証だ!!」



 真冬の右目が赤く光った。落下しながら構えを取り、将斗目掛けて切りかかる。それをローラーで滑るようにして将斗は避け

る。



「逃がすか!!」

『っ?!』



 着地した真冬の足が硬いコンクリートの地割れを起こす。地割れは将斗の足場まで及び、その身体は崖の向こうへと投げ出された。



『っ………まだだ!!』

「まだだ!!」



 ホバリングで減速させながら斜面を滑るようにして落下してゆく。だが真冬は追撃の手を緩めない。彼も崖へと身を投げ出すと斜面を滑り、走り、時には跳びながら銀月の刃で迫ってくる。

 一見すればただの自殺行為である。しかしそれを涼しげな顔で難なくやってのけるのは、彼の言った通り、身体を喪ってきたから……その度に器械で身体を補ってきた故のものだろう。

 赤い瞳が残像を残して眼前に迫ってくる。



『真冬!』



 ぶつかり合う刃。減速していた落下速度が一気に上がり、2人は猛スピードで崖を下ってゆく。


 ぶつかり合った刃は離れ、再びぶつかって火花を散らした。

 力と頑丈さは五分五分。



「こないだの仕合とはワケが違うな……」

『剣の腕ならお前が上のはずだ……!』



 鍔競り合いの中、将斗の対甲ブレードが悲鳴をあげ始めている。力は五分五分。だが太刀筋は真冬の方が上というべきか。

 刀より短いブレードでは習っている居合いの全てを活かし切ることが出来ない。真冬の太刀筋は確実に対甲ブレードの刀身にダメージを与えていた。



「わかってないな将斗……俺にとってお前は目標であって……越えたい存在だったんだよ!!」



 真冬が吠えて将斗の胸に蹴りを入れる。たちまちバランスは崩れ将斗の足は斜面から外れた。



『ぐっ!』

「俺や雪見なんかには出来ないことを平気でやってのける力があった……剣では勝てても俺はお前に敗け続けてきたんだよ!!!」



 浮き上がった身体に切り返される刃が襲いかかる。

 直ぐに銃を抜き、放り投げるようにして刀にぶつけた。弾薬に衝撃が入り、暴発を起こして2人の距離が離れる。


 暴発は煙と火を帯びて煙幕と化した。その煙幕から真冬が飛び出してくる。

 とはいえ将斗もそれを予想していなかったわけではない。ブーストして真冬の体当たりを紙一重でかわすと真冬の身体が下になる。その背中を強く蹴りつけた。


 真冬の身体が崖下の森林に突っ込んでいった。木の枝が揺れて、折れて、ドスンと重たいなにかが落ちる音が聞こえる。

 ゆっくりと降下しながら将斗も森林に着地した。月明かりが木々の隙間から差し込み、不安定な足場も少しは見える。


 ATCのモニターを明るくして視界を鮮明クリアにするのも手だが、今はこの月明かりで充分だ。


 真冬の落ちた地点からは少しだけ離れている。辺りは木々で隠密行動にも適しているが彼の闘い方を考えたら多分それはないだろう。



「将斗。もう一度聞く。

 なぜ琴禰様を選ばない。なぜ……日下部紫音を選んだ」



 闇の何処かから声が聞こえてきた。



「そんなにあの女が好きなのか。琴禰様を見捨てることが出来るくらい…………」



 今だけ、真冬の声には殺意と言うものが感じられなかった。

 まるで友達に絶交を言い渡され、しょげているかのような口調。


 周囲への警戒を解く。


 真冬が、将斗の前方に現れたからだ。


 その顔の半分が黒いメッキで覆われていた。顔だけではない。先ほどの落下のためかシャツの前が裂かれ、その胸から首にかけても黒い身体が見えている。手袋は千切れ、両手も器械。


 四肢も、頭も、心臓も………


 作り物の赤い瞳は悲しみを称えていた。



『真冬………』



 造られた命


 ただ1人の主に仕えることを強いられ、彼女の捨て駒になる運命


 主を守る度に身体は壊され、そして新しく作り直される。


 そうして出来た、器械と人体の中立的存在。


 彼を知ればヒトとも器械とも呼びがたいその判断に誰しもが迷うだろう。



「俺達双子は……人じゃない。

 ただの器械マシンだ。

 遊ぶときも学ぶときも、俺達は俺達しか知らない」


『………』


「でも琴禰様は……知らなかったとはいえ、俺達を初めて人間として扱ってくれてたんだよ……あの人に教えるために俺達は世界を知る努力をした。

 あの人がいたから俺達は新しい感情を知ることが出来た……人になれたんだよ!!」



 琴禰は鳥籠の中の少女だった。

 閉じ込められた生活。変わらない毎日。


 だがそれは真冬も雪見も同じだった。


 造られた命が自分以外を知った瞬間、彼らには心が生まれたのだ。

 使命という鎖に繋がれながらも心を知った彼らには……琴禰という存在はかけがえのないものだったに違いない。


 だから裏切り者と彼女に罵倒されても従った。彼女への償いと、そして感情をくれた恩を返すため。


 そして真冬は普段は快活な性格のためわかりづらかったが……



『真冬……お前もしかして……琴禰が好きだったのか?』



 ◇



「私と対峙することの危険性を知ってるでしょう?」



 琴禰の冷たい目が紫音に向けられる。だが紫音も引かない。



「そうですね……貴女の能力は大変危険です」

「なぜ、自ら的になるような真似を?」

「貴女ときちんと話をしたかったから」



 真顔で返す紫音を見て面食らった様子の琴禰だが、すぐにおかしそうに笑いだした。



「話すって……これから私と貴女は殺し合うのに? ああ……もしかして今の貴女は、電話の時のような幻影でしょう。それが能力。だからこうして堂々と目の前にいる」


「いいえ。私は紛れもなく生身の人間です。いつでも貴女の攻撃を受けるリスクを背負ってます。


     ですが………」



 周囲の風景が突然として変化した。小樽の夜景はどこかへ消え去り、地平線のみが見える2人だけの世界。


     保有者ホルダーの意識の世界だ。


 ここでは生身の身体で向かい合ってる訳ではないので、琴禰の能力は意味をなさなくなる。


 その様子を森林からスナイパーライフルのスコープで覗きこむのは昴だった。

 意識下で話し合ってる今、琴禰も紫音も身動きが取れない。だがそれでも撃たないのは、紫音からお願いされてるからだ。

 ATCは装着していない。怪我でパンドラを使えないだけでなく、パーシヴァルの機体ではいくら隠れても目立ってしまうからであった。



「昴兄ぃ……紫音ちゃんを守ってよ」



 隣で千晶が声を潜める。彼女の背後には小柄故に擬装で隠すことの出来た白夜が待機している。



「ああ……」



 唇を舌で湿らせて昴は答える。



「必ず……」

「でも……ユキミ? って出てこないね……」

「僕らと同じように隠れてるのかもしれない。もし出てきたら、千晶。頼んだ」

「ダー」

「……でも悲しい少女だね。彼女は」

「急にどうしたの」

「家族に裏切られ、将斗しか希望がなかった。その将斗に拒まれた今の彼女は……生きながらにして死んでるんだよ」



 昴はスコープで琴禰の表情を見ている。諜報活動のために心理にも長けた彼は、表情から彼女の心の穴に気がついていた。


 絶望、虚無……今の琴禰からはこの2つがよく見えている。



「……無くしても……新しく作ることはできる」



 千晶の返答は冷たいものだが、彼女はロシアでアベルツェフ家という家族と触れ合うことで無くしかけていた心を取り戻すことが出来た。


 冷たい言葉だが確かに重みはあった。



「……僕も……裏切りをしたことがあるから、彼女を裏切った双子の気持ちも……少しはわかるだけさ」



 師匠を殺し、仲間からの憎しみを背負う昴だからこそ双子が琴禰を思う気持ちも、琴禰の傷付いた心も理解できる。



「でも、だからこそ踏みとどまるだけじゃ駄目なんだよね」



 スコープはもう一度、琴禰の表情を捉えていた。




 ◇



「……この空間にいると、能力が使えないってわけですか……」

「……貴女の能力はナノマシンが定着した実体にしか通用しません……意識までその力は作用しない」

「こんな空間に引き込んで何を話したいのですか?」



 息を深く吸い込み、緊張している心と身体に鞭をいれた。



「琴禰さん……貴女とは……どこか通じるものを感じていました」



 同じく閉ざされた環境から救ってくれた将斗という存在。それをきっかけに外を知った。大切なものを得た。



「………でも将斗は私を選ばなかった。貴女と私の……何が違ったのか……それはきっと、貴女が将斗の隣にずっといたから」



 憂いを帯びた表情で語る琴禰。


 紫音と琴禰。女性としても普段の明るい性格を見ても琴禰が彼女に劣っているとは思えなかった。


 だが将斗は拒絶した。


 それは………



「貴女は……真冬さん、雪見さんを突き放しました……」

「私を裏切ったのよ? 罪を負った」

「それが間違いなんです。貴女にとって一時でも家族だったのならそれを守り抜くべきだった」



 触れてもいないのに琴禰の冷たい感情が伝わってくる。それを振り払うかのように紫音は首を横に振った。



「私と将斗も……昴さんや千晶ちゃんに裏切られたことがあります」



 かつて2人は自分の所属を隠して偽りの顔で接してきた。それは紫音、将斗にとっては裏切りとも呼べる行為だった。

 そして2人に黙ってきた自分達も。同じく裏切っていた。



「でも……私達は許し合えた。それが貴女との違いです」



 裏切り者の2人を許すこと無く、自分の目的エゴのために利用した。

 2人が自身に忠誠を誓うのを良いことに、ただただ自分の目的を押し付けてきた。



「家族として貴女は……2人を許し、共にやり直すべきだったんです」



 琴禰の目付きが鋭くなる。だが紫音もそれに負けず睨み返す。


 2人の立つ場所から少し離れた場所から、赤い光が爆発するように弾けた。



 ◇



「……悪いかよ」



 真冬は力のない声を出した。

 あんなに琴禰と一緒の時を過ごした真冬だ。思えば彼が琴禰に憧れを抱いてもおかしくなんてなかったのだが。



『真冬……想うなら彼女を支え、過ちを認めさせるべきだったんだ』

「琴禰様は独りだ。それを支えるのが従者である俺と雪見の仕事」

『違う……お前らはあの子の従者であり家族だ』

「はっ、あの方にとってもう俺達は家族でもなんでもない。俺と雪見は……罪を負ったんだからな」

『真冬……家族ってのは1つの罪でバラバラになるものじゃないだろ……どうしてそれがわからない……!!』



 吐き続ける言葉に感情が籠ってしまう。



『お前達は琴禰を騙していた。でも……確かに互いを信頼しあっていたはずだ!!


 琴禰はお前達を許し、お前達は琴禰を殴ってでも間違いを正すべきだったんだ!!』



 騙し合ってきた兄妹。それを互いに認め、受け入れ、許してきた。

 そんな将斗だからこそわかる。



『やり直せた筈だったんだ!!』



 真冬は何を考えたのだろう。


 その目に誰の姿を思い浮かべたのか。


 刀を握る手に力が入り、奥歯を噛み締めるように表情をきつくしていた。



 何者かに唆された未来なんて関係ない。

 互いに許し、受け入れていれば。

 琴禰はきっと将斗と今でも友達でいられた。真冬も雪見も一緒に笑えた。


 自分達のように。



「……よ」


『真冬……?』


「うるさいんだよ……

 雪見は……後先が短かった。

 受け入れても雪見あいつは俺や琴禰様を遺して死んでいたんだよ……!」



 やはり雪見の命が枷だったのか。



『だがきちんと措置をすれば延命は出来るはずだ。雪見はまだ……』

「もう遅い」



 途端、真冬の身体に異変が起きた。

 胸の器械が音をたてて割れ始め、その隙間から目映いばかりの赤い光が漏れ始める。その光は彼の器械の瞳と同じで、そして将斗達がよく見る光でもあった。



『真冬?!!』

「姉ちゃんと琴禰様の願いだ……俺に断れるはずがないだろ!!」



 ――認証・確認――


 ――承認・完了――


 ――オールコネクト――



 鈍器で殴られたような衝撃が将斗を襲った。


 間違いなく真冬の胸からの光はパンドラによるものである。


 だが、ATCを纏ってない彼がなぜ?!!



「……俺の身体のほとんどが器械だ。この心臓も…生きたATCと言ったって過言じゃねえ」

『心臓……?!!』



 器械の心臓をパンドラと同化させたのか。


 でもそこで、将斗はある疑問に行き着く。


 パンドラの基は保有者ホルダーだ。


 琴禰の別荘ではパンドラを見たことがない。なら、あのパンドラは新たに保有者ホルダーから造られたと見られるが。



(まさか……!)



 全身に鳥肌がたつ。


 もし将斗の予想通りなら……



 ――琴禰様を頼みましたよ……――



『真冬……そのパンドラは最近造られたものか』

「…………」


 ――私達は……罰を受けなくてはならないのです――


『雪見は……雪見はどうした……さっきから姿も見せないで、隠れているのか?』


 ――琴禰様の大事なお方ですから――


    『答えろ!!』



 真冬の頬を、ようやく涙が伝った。


 それは将斗の予想を肯定し、そして雪見の最期を告げるものだった。



「もう引けない……やり直せないとこまで堕ちたんだよ将斗……


 全てを捨てた琴禰様も、


 死を受け入れた雪見も、そして……



 姉を兵器として利用する道を選んだ俺もだっっ!!!」



  雪見は保有者ホルダーだ。


  パンドラは保有者ホルダーを素材に造られる。それを琴禰と真冬は教えてくれた。


  琴禰を頼むと言った雪見の悲しい笑顔が脳裏を過る。




    ――承認・完了――


  ――セカンドセーフティ・解除――


   ――紫電・パンドラ開放――




  『このバカ野郎がぁあああああっ!!』




  2つの赤い光が広がり、ぶつかり合う。




  それはあまりに悲しく、美しい輝きだった。


真冬も琴禰もそして雪見も、もう引き返せない場所まで来ました。

次回、少し遅れての投稿予定です。

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