負の遺産
真冬・雪見と琴禰のやり取り。
そして将斗が真実を知る鍵となる回です
モルゲンの前に車が停まる。降りてきたのは紫音と、車椅子に乗る千晶。そしてそれを押す昴の3名だ。モルゲンの入り口には五木と山縣が待機している。
「準備は整いました。あとはいつでも……」
頭を下げる山縣の脇を振り返ることなく紫音は通りすぎた。
「ありがとうございます。あとはこちらで済ませますね」
いつもの紫音なら頭を下げたりなどのアクションを見せただろうに。
彼女の変貌に戸惑いながらも昴と千晶はモルゲンの入り口に足を踏み入れた。
2階には誰もおらず、パソコンが1台、テーブルの上に開かれている。それを見て満足そうに頷くと紫音はキーボードに片手を置くと、目を閉じた。
画面はすでに琴禰の会社用のパソコンに繋がれていた。そこから一体何をするつもりか。兄妹は固唾をのんで見守る。
抜き取れる情報はすでに紫音が抜き取った。これ以上琴禰のパソコンから何を得るつもりなのか。まだ予想もつかない。
「……ああ」
やがて紫音がうっすらと目を開ける。
「……やっぱりこの感じ……懐かしいですね」
「「っっ?!!」」
昴は咄嗟に千晶の車椅子を強く引き、千晶はというと体を捻って兄にしがみついていた。
紫音を中心とした空間が水に浮かべた油のようにぐにゃりと波打ち、見る者の視界をねじ曲げたからである。
「な…何が?!」
車椅子が倒れないよう配慮しつつも昴は目の前の歪んだ空間に度肝を抜かれていた。兄に肩を抑えてもらいながら千晶はその歪みに既視感を覚える。
公園で能力を使った琴禰と同じ現象だ。
だがなぜ、紫音にも同じ現象が?
空間が捻れる中、パソコンは大きく揺れながらその画面に膨大な情報を映し出す。
「紫音ちゃんは今……能力を?」
「そうとしか……考えれない……」
だが紫音の能力がここまで目に見えるような異変を起こしたことはなかった。
「だがこれは……」
「パソコンに干渉しているだけです」
屈曲と捻れを繰り返す中、紫音は抑揚のない声でこちらの疑問への答えを示す。
「光石琴禰のパソコンを中心に、過去にアクセスしてきた別の端末へと幅を広げているのです。
そこから光石琴禰が財閥の目を盗んで連絡していた相手を全て洗いだし、さらに情報を絞り混みます。
パソコンでは痕跡を消しても、アクセスした端末もそうとは限りませんからね」
そのキーボードに置かれた手は一切動きを見せない。
まさか全て能力だけでやっているのだろうか。
歪む世界に、一瞬のうちに文字の羅列が反映されては消えてゆく。
それは全て、紫音が干渉している情報だろうか。
「ゼロ・ユートピア……」
ねじ曲げられた空間に圧倒される兄妹の前で紫音の口が動く。
そして流れるように、詩を読むかのごとく唄い始める。
「それは滅びの序章。
世界の在り方を否定したOOの意思……
保有者
それは絶園への礎。人類の負の遺産……
パンドラ
破滅への引き金。悲しみの連鎖の象徴であり……
人類最期の希望」
それはまるで流水のように冷たく、透き通っていて、掴むことのできない言葉遊び。
兄妹は紫音の背後に、黒い服を着てヴェールで顔を隠した女性の泣く姿を見出だしたような錯覚を覚えた。
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…………………。
「……雪見。どうだ」
心配そうに尋ねてくる双子の弟に向かって頭を横に振る。雪見の両手にはお粥を載せたお盆がひとつ。
「だめです……やはり出てくれません……食事も手をつけてくださらないし……」
「弱ったなぁ……もう3日目だぞ」
真冬は扉を軽く叩き、その口から大きな声で主に呼び掛けようとする。
「琴禰様ぁ…」
「構わないで!!」
部屋の内側から聞こえてきた主の怒声。しかしその怒りが涙に震えていることを見抜けない2人ではなかった。
長く一緒にいたのは伊達じゃない。
「琴禰様……ここでは他の方々に聞かれてしまいます」
盆を握る指に力を込めて雪見は呼び掛けをやめない。
「せめて中で……お話しさせていただけませんか」
このやり取りも3日目である。
扉の向こうからは返事がなく、双子は扉の前で居心地の悪い時間を過ごすのだった。
だがその日の夜、せめて野菜ジュースだけでも飲んでもらうべく無礼を承知で部屋に入ると、その室内の変貌に双子は言葉を失うのだった。
かつて琴禰が描きあげた風景画はその手ですべて引き裂かれ、3人仲良く読んでいた本はページが引きちぎられ、ボードゲームは叩き割られていた。
ベッドでは枕を力強く抱きしめ、ひたすら嗚咽を繰り返す琴禰が。
「琴禰様……」
「私達は……」
思い出は、彼女の手によって破壊されていた。
当然だ。
最初は親の言いなりとはいえ、自分を慕ってくれた2人が、実は第3者の命令で自分の傍にいたとなれば。
それはかつて孤独だった彼女へ手を差しのべ、わざと引っ込める。そんな裏切りに等しい行為なのだから。
自分達は。
主を。琴禰を、騙していたことになるのだから………
「琴禰様……」
ジュースを机に置き、彼女の前に膝をつき、ひたすら謝る。
「申し訳ありませんでした……」
涙にうるんだ目は裏切り者の双子に向かって憎悪の光をギラつかせる。
今にも2人に自害を命令しそうな殺意さえそこにはあった。
謝罪は数時間にも及んだ。双子がひたすら土下座を続け、琴禰がそれを睨み付ける構図。
長い時間の正座のせいで足に血が回らず、動けなくなってしまう。それでも双子は一心不乱に許しを乞うのだ。
そこに一切の言い訳は使わない。
双子の正体を。グレンという男が語った真実を。
それらを知ったがために彼女はこうして自分達にまで殻を張ってしまったのだ。言い訳でごまかせるわけがない。
だからせめてもの誠意として、琴禰の気が済むまで彼女の怒りをその身に受ける。
たとえ死ぬまで許してくれなくても、双子はそれを受け入れるつもりだった。
それほどまでに、琴禰への裏切りを自覚していたのだから………
どちらの体力が先に尽きようとしていたか。わからない。
泣き疲れた琴禰と、土下座であちこちが痛む双子。互いに頭に血をうまく巡らせることができず、両者の意識に靄がかかり始めようとしていた。
「……私がそうしていたように……2人も私に無条件に親しくしてくれてた……そう思っていました」
先に渇いた口を開いたのは琴禰だった。
真冬と雪見は頭をあげることなくただ土下座を貫く。
「「……はい……」」
「……でも、違った……友達だと思ってたのは私だけで……2人はあの男の人の目的のために私を利用していただけだった……」
シーツに涙が落ちる。双子は床を見つめている眼をきつく閉じた。
「私は……2人がいたから、独りじゃないって思ってた……なのに!!」
琴禰の孤独も努力も見てきた双子だ。その言葉がどれだけ辛いものかをよく理解している。
ごめんなさいも、許してほしいの言葉も出せなかった。
ただ、床に置いた手を強く握り、琴禰に乞う。
許しではない。
今までの罰を。
「琴禰様……私達は貴女様の駒です……ここから先は……貴女のボディーガードとしてのみではなく貴女の手段となって、これまでの無礼の数々を精算して行きたい……だから……どうか………」
それが琴禰の、悪魔と契約する序章だった。
グレンに言われた言葉が琴禰の脳内で何回も再生される。
『貴女の大切な人も、ゼロ・ユートピアで亡くなるでしょう。それを止めるには……我々と来ていただいて、安全な場所に身を置くことしかありません』
琴禰が破壊した思い出に、鳥籠の外の少年との思い出はない。
彼との思い出だけは綺麗に、手付かずになっていた。
信頼していた双子には裏切られた。このままでは独りだ。
自分にはもう……「あの人」しかいない。
琴禰の悲しみは双子への認識を残酷なまでに塗り替えてしまっていた。
「では……2人にはこれから……私の使い捨ての駒となってもらいます」
双子は反論も抵抗もせず
「「は っ!!」」
その忠誠心を見せつけるのだった。
……………。
渡されたシャツを羽織り、両手に手錠をかけられ、将斗は真冬と雪見に挟まれるようにして立ち上がった。
「将斗……歩けるか」
真冬はやはり小さい頃のまま。気さくな奴だ。なぜこんな敵対関係になったのか、自分の記憶を疑いたくなる。
「ああ……ありがとう」
「地下まで薄暗い道が続きます。足場に気をつけて」
「雪見も、サンキューな」
「いえ……琴禰様の大事なお方ですから」
「……お前ら少し様子が変だったよな」
琴禰が独りと言ったとき。双子の心臓について触れたときの双子は、どこか悲しそうだった。
将斗にはそれがどうしても引っ掛かる。
「……お前ら……琴禰と何かあったのか?」
廊下からだろうか。時計の鐘が鳴り始める。金属音の震えるチャイムが鳴り続ける間だけ双子は何も口にしなかった。
「……私達は……」
チャイムの鳴り終えるタイミングを見計らうかのようにして雪見が告げる。
「罰を……受けなくてはならないのです」
……………。
「この双子は私が造り上げた中でもかなりの自信作でしてね。心臓が弱いので人工心臓が必要なのは唯一の難点ですがね。
保有者と新融種……どちらも能力は身に付けてませんが、貴女が闘う道を選んだとき。これが役立つでしょう。
どうぞ、それまでお持ちください。
これもその双子の命も……
貴女の道具です」
……………。
男が用意してくれたのは自分くらいの人間なら易々と入ってしまうであろう巨大な試験管だった。中には半透明の液体が満たされ、琴禰の姿を反射させている。
地下室ではこの試験管の場所しか灯りがついてない。というよりも、地下室にはこの試験管しかないのだ。
液体に映され、揺らめく自分の顔を見て琴禰は自嘲じみた笑みをこぼす。反射する世界の背後には、この地下室に新たにやってきた3名の姿が映っていた。
「これは……」
巨大な試験管を見て将斗が第一に連想したのは研究所というものだった。
試験管しかない地下室だが、そんな殺風景が逆にその存在感を際立たせている。
ガラスの壁に片手を添える琴禰はこちらに背を向けているが、中の液体が反射して歪んだ彼女の笑顔を写し出していた。
「将斗はこれを見るのは初めてかもね」
「琴禰……一体これは?」
「これは……負の遺産の象徴よ」
真冬と雪見が隣で表情を暗くする。
「負の遺産?」
「そう。そして私の希望の光………
保有者を基にパンドラはここから産まれるの」
~~~~~~
「干渉の中で貴女も見たでしょう?光石琴禰が何を望んでいるのか……なぜあそこまで歪んだのか」
黒服の女性は紫音と向かい合う。
「ええ……今の干渉の中で見えました。あの人の……琴禰さんの心が。
わずかにですが、貴女の心にも触れました。
彼女を憎み続けていた貴女の気持ちが………」
「……貴女はあの人を許す道を選ぶのですか?」
「貴女は永遠にあの人を許さないつもりですか?」
「…………」
「…………」
少しの静寂
「……許した時には……何もかもが手遅れでした」
「許し方は様々です。私は貴女とは違う選択を選んで、将斗を救います」
「……非常に危険な賭けですよ?」
「だとしても、私はあの人と……向き合う必要があります」
紫音の目に宿る光を見てか、黒服の女性は億劫そうに息を吐いた。
「私はいつしか合理主義になったので……今の貴女の気持ちは理解しがたい。このまま昴さんに強襲させ、将斗を奪還し、光石琴禰達を殺す方が確実だと思うのです」
「将斗の気持ちを踏みにじってでも、ですか?」
「…………」
指を組み、考えるような仕草の後、黒い服の女性は紫音の正面、暗くて深い海へと脚を踏み入れた。
「そうですね……今は貴女の方が将斗の気持ちを理解できる立場にいます……
いいでしょう。今回は貴女の意志に賭けます。また私が目覚める時……少しでも良い方向に事が進んでることを祈りますよ。
また会うときまで、おやすみなさい。
日下部紫音………」
そう言って女性は海へと沈み、その姿が見えなくなった。
波紋を広げない静かな水面を見つめ、紫音は小さな声で挨拶をする。
「また会いましょう………
日下部紫音」
~~~~~~
補足・紫音がパソコンに干渉し、パソコンにせつぞくしたことのある琴禰の携帯まで嗅ぎ付けます。その時琴禰の前に姿を現したのです。
ちなみに最後のシーンで、紫音(?)の正体をちゃっかり載せちゃいました




