星空の下で
紫音にスポットを当てました。あと、もうすぐニューイヤーですね。
今回、調査対象となっているのは暗殺された調査員が生前に容疑者リストからシロと報告したものを除く、残りの企業である。それらの多くは北海道にも存在するため千晶と昴は道内各地の財閥が抱える企業を調べることになっていた。
マキシムに車で連れて行ってもらい、潜入して内部の資料を覗き見る。千晶一人では二重帳簿といったからくりを見破ることはできないため、マキシムに協力してもらう。本来なら昴も同行する予定だったが紫音がああなっては仕方ないと千晶は割り切っていた。
(……昴兄ぃ、紫音ちゃんに変なことしてなければいいんだけど)
なんてことを考えつつ、頭の中では先の紫音の姿が何度もよみがえる。
あんなに苦しそうに泣く紫音は初めて見た。もしかしたら昴一人では荷が重い何かを抱えてるのではないだろうかと不安になるが、そうなると橘3兄妹から調査に行ける人員がいなくなってしまう。将斗は休暇という実質謹慎につき動けないのだし。
「この会社にはそれらしいのは見当たらないな。シロと断定していいはずだ」
書類を本棚に戻しながらマキシムが言い切った。彼がそう言うならこちらも疑う余地はないと判断した千晶は読みかけのファイルを閉じる。
会社に人がいない時間を見計らって潜入したものだが長居しては足跡を残しかねない。二人はすぐさまその場を立ち去った。
「財閥の規模を考えたらそう簡単に当たりを引くなんてありえないに等しい。次に行こう」
マキシムが車のエンジンをかける。助手席に乗った千晶はタブレットを取り出し、ほかの調査対象の位置を確認するためにマップを開いた。
「だが理解できないな」
走り出した車の中、ミラーを介して二人の視線が合う。
「武力も技術も調査力も優れた財閥が、内部の裏切り者を調べるのに難航しているとはな」
「痕跡を残さないよう融通の利きやすい小さな企業をいくつも使っていたらしいよ」
「それでもだ。やってきたのが幹部であるなら会社というのはその人物を覚えておくものだ。だが調べてもそういった証言がなかったというのだろう?それがどうにも気になってな…」
千晶はそこで想像した。内容は不祥事を働くようクレムリンの幹部が自分たち隊員のもとへやってきた、というシチュエーションだ。
確かに、それなら脚はつきやすい。幹部が来るというだけでも隊員の中では印象に残りやすいし、同期間ではニュースにもなる。だがそれらしいのが見当たらないうえに財閥の調査でも見つけられないとなると……
「考えられるのは以下の通りだ」
マキシムが説明する。
財閥でグルになっている可能性。先日説明を受けたとはいえ、怪しい集団には変わりないので十分にあり得る。
が、これは一回保留にしておく。ここで下手に探りを入れて財閥との関係を悪化させれば将斗と紫音の立場にかかわる。
次に、内部の裏切り者がいない可能性。財閥の身内調査に引っかからないことを説明できるが、今までの事件に財閥の内部から干渉があったことは事実なのでほぼありえないだろう。
あと、調査結果でシロと判断された企業に裏切り者がいる可能性。これは単に今までの調査に穴があったという場合はあり得る。
「…どのみち、最初からもう一度すべての企業を調べる必要性が出てくるのでは?」
「だとしたら財閥内の調査能力に問題があると言っていい。だが今までの調査能力を思えばそう考えるのは難しいだろう」
「財閥が敵になるかの瀬戸際じゃない…」
結果、その日調べることになった企業はいずれもシロであった。その数は二桁にも及ぶが、いずれもシロであったなら調査側としては力も抜けてしまう。
「調査とはこういうものさ。地道にやってくのが肝心なんだ」
諜報部の人間であるマキシムは慣れた様子で言い切るが、戦場一筋の千晶としてはむしゃくしゃしてならない。
「北海道の土地が買収されたんだ。どのみち道内のいずれかの企業に裏切り者がいるという可能性は高い」
「でもあんな大それたことをして痕跡も残さないなんて…」
手渡された缶コーヒーを受け取りながら千晶は考える。
昴かイヴァンがいれば少しは絞り込みも可能かもしれない。調査に不慣れな彼女としてはほとんどの調査をマキシムに任せてしまうため、知恵も限られている。
「明日以降の調査で新たな発見がある可能性を信じるしかないな」
マキシムには裏切り者の手口はまだ想像もつかないようだが、それは千晶も同じである。調査能力に長けていない彼女にはマキシムの意見に従うしかできることがない。
(でも本当に明日以降、新しい情報が入る可能性なんて…)
あるのだろうか。そう自問自答したとき。
((ニェート…ありえない))
「……え?」
マキシムは千晶の様子に気づかなかった。その場に立ったまま千晶は周囲を見渡した。だがマキシム以外に誰かがいる気配もない。
だが確かに声は聞こえた。
(今の声は……)
一瞬だけ、強い風が背中を押した。
「…収穫はなし…って事でいいのかな?」
千晶に電話で確認を入れながら昴は情報を素早く頭にインプットして行く。財閥の目を潜り抜けるような実力者なら、そう簡単に尻尾を捕まえるなんてできないとわかってはいたものの、やはり土産話がひとつもないのには落胆してしまう。
残念だが仕方ない。調査に必要なのは根気。めげずに長期に渡って調べて行くことが大事なのだ。
(とはいえこんなやり方ではいくらたっても解決の糸口なんて見つからない気もするが……)
『昴兄ぃ。紫音ちゃんは?』
「ああ。今頃落ち着いて寝ているはすだよ。でも参ったな…」
あんな状態では復帰も難しいだろう。昴は一瞬、紫音の情報収集の能力を考えたのだが……
それを伝えると千晶は納得したようだった。
『…それならこの手で地道に調べる、しかないね』
「だろうね。だが君も紫音ちゃんに優しいなぁ」
『お姉ちゃんだから』
「ロシアの姉には手厳しいと聞くが?」
『………昴兄ぃと同類。優しくしたら調子にのる。レーナは……』
「…もしかして兄と姉を非難してる?」
『まさか。バカにしてるのは昴兄ぃだけ』
昴は電話を片手に突っ伏した。
「……手厳しいなぁ……」
『それより昴兄ぃ。明日の調査なんだけど…』
「そうだね…ああ、いや」
そこで昴は思い付いたように話し始めた。
「今日は千晶にいろいろ押し付けちゃったからね。明日は僕一人で行こう」
『え?でも…』
「いいからいいから」
昴は自身のポケットに手を突っ込みながら笑った。これはポーズなんかではなく、あるものを探すためである。
「借りを返すだけさ。少しは千晶も休んでくれ」
そう言って取り出したのは、1つのUSBメモリーだった。
将斗達と合流してから一切使っていなかった彼の武器。それは紫音という有能なハッカーがいたからだ。
かつて紫音に破れた逆探知ソフト。HOUND DOG。
財閥の調査をもっても、こうして現地に乗り込んでも何も見つからないなら。
リスクはあるが賭ける価値はある。
まずは調査員が何を調べていたのか突きとめる必要こそあるものだが……
「千晶。少し調べものしたいから電話切るよ」
USBを空に放り投げ、片手でキャッチする。
(紫音ちゃんに任せてばかりだったからこういうのは久しいが…)
ハッキングはしばらく行っていなかったので、うまくいくか自信はない。ましてや今回の相手はよほど狡猾な人物のようだ。うまく調査の目を潜り抜ける知識と技術をもち、なおかつ調査員を突き止め暗殺する手口。
もし昴が失敗すればそれは藪をつついて蛇を出すにも等しい状況となる。いや、蛇ならまだ可愛い方だ。
それが鬼だったとしら……
千晶にも協力を願えばよかったのだが、本来の調査方法から外れた手段で問題を起こすかもしれない状態に彼女を巻き込みたくはなかった。
…………………………………………………。
目を覚ますと紫音は夜の湖のほとりで横たわっていた。
満天の星が宝石のような輝きを放ち、湖に無数の光を灯している。
この光景を紫音は知っている。
だって一度、ここに来たことがあるのだから……………。
「白夜」
湖の真ん中に彼女はいた。相変わらずの白いワンピースに帽子を被って、美しい自然の中に身を置く姿は童話に出てくるお姫様のよう。
「シオン。アロー」
既にこちらに気付いていた白夜は紫音に手招きして見せた。
「……なんで私……」
「私が招いたの。貴女、すごい泣いてたでしょ。それを見たティーナの不安な気持ちが私にも伝わってきたから」
湖の上を歩きながら紫音は千晶の顔を思い出そうとする。しかしあの時は紫音は自分のことに手一杯で、まったく千晶の様子を見ていなかった。
(申し訳ないことをした……)
「あの子の見たもの感じたことは私にもダイレクトに伝わってくる。だから貴女が早く元気になってティーナを安心させないと、私は常にあの子の感情に振り回されることになるわ」
「それは…その…ごめんなさい…」
「それ、私に謝ってるの?」
側まで歩いてきた紫音を見上げ、白夜は問う。
「…………」
「謝るならティーナにしてほしいわ。あの子、ずっと貴女たちを見てヤキモキしていたのだから」
「ヤキ…?」
「……マサトがシオンになにもしてこない状態に苛立ってたのよ」
「ああ……将斗が…え?……えぇっ?!」
急に狼狽して紫音は後ろによろめいてしまった。すかさず白夜が手を伸ばし、紫音の腕を掴んだので倒れずには済んだが。
さっきまでの穏やかさとはうって変わって、その目は真剣に紫音をにらみつけている。
「気を付けて。下手に倒れたら湖の底へ沈むかもしれないわ。沈みきったらどうなるか…話したわよね」
「え…ええ…。…ここ、やはり…」
「そ。パンドラよ。貴女の意識をこっちに引っ張ってきたの」
「そんなこと…」
「出来るわ。私は自分の意思で動けるのよ?その気になればATCの姿で貴女の枕元に立つことだって出来る」
なにそれ怖い。半端な幽霊よりずっと怖い!!!
だって狂犬の片割れがあの紅い目を光らせてこっちを見下ろしてるんだよ?!
「って、それ因子を持たない私にとって危ないじゃないですか?!」
パンドラに干渉するには橘3兄妹の因子をあらかじめ接種することが前提だ。でないと紫音はパンドラに閉じ込められ、永遠に出れなくなる。
最初に白夜と話したときは千晶の血という因子を紫音が飲んでしまったため、帰ることができたが……
「え?ああ……そうだったわ……でもどうしてかしら。貴女には僅かに因子が残ってるから、こうして会うくらいには問題無いみたい」
これには白夜も首を傾げていた。彼女も紫音が持つ因子の出所を知らないのである。
もっても、その因子というのは最近、昴が寝てる紫音の唇をこっそり奪ったときに得たものだが。それを白夜が知ってるとすれば当然、千晶も知ってたりするわけだ。そうなれば昴の命は今頃天に召されていたことだろう。
「千晶ちゃんの血…まだ残っていたのでしょうか?」
「あの時使い果たしたと思ってたけど…でも貴女があの3人のいずれかとキスでもしない限り、それしか考えれないわ」
「いや、何でキスするんですか。何で千晶ちゃんまで入れるんですか」
さりげなく千晶もカウントしていることにツッコミを入れる紫音。しかし白夜はあっけらかんとした様子だ。
「日本以外では挨拶にキスをする文化もあるのよ?だから不思議ではないかと…」
「私は日本から出たことありません!!!」
「残念だけどティーナはロシアにも居たから。それに挨拶のキスにも慣れてるよ」
「え?その……本当に?」
「嘘言ってどうするの」
耳まで真っ赤にして言葉をつまらせる紫音を見て、白夜はぷっと噴き出した。
「やっぱり泣いてるときより、そうしてるときの方が可愛いわ」
「…ちょっとバカにしてません?」
遠回しに「弄り甲斐がある」と言われてるような気がして紫音は眉をハの字にさせた。
「してないわよ。だってティーナのお姉ちゃん同士の関係よ?バカになんか出来ないわ」
「…本当に?」
「本当よ」
白夜の手が紫音を引く。それほど強い力で引かれたわけでもないのに紫音のカラダは白夜の膝の辺りに引き倒された。白夜が引いたからか身体は湖に沈みきることはなく、その膝に自然と頭を乗せてしまう。
紫音の前髪を優しく指で払いながら白夜の顔が夜空を背景にこちらを見下ろしている。
純白の衣類に透き通った肌を覗かせ、優しく微笑む目をした彼女に紫音は一瞬だが天使という印象を抱いてしまった。
「あの子が守りたい存在だもの…私にとっても宝物なんだから…」
「……白夜……」
「マサトを除く」
「待ってくださいなぜ将斗を?」
そう。天使なんて感想はほんの一瞬だけ。それは将斗の名前を出したとたん白夜が見せた、害虫を見るかのような目にかき消された。
「貴女という女がいながら他の女に目移りするような優柔不断…さすがに一途できちんと想いを口に出せるスバルを見習ってほしいわ。
それになんなの?貴女にさんざんお世話になっておいて感謝もしないふてぶてしさ…」
「あの?あの?白夜?」
「もしティーナから許しを得ていたらあんな男、ワイヤーで逆さ吊りにして1週間飲まず食わずに…」
「ダメですよ?!やっちゃダメですよ?!」
というか貴女、そんなキャラでしたっけ?
「いいの?せっかくティーナがあんなに怒ってくれてるのよ?便乗するなら今でしょ!!」
「然り気無く古いCMを織り込まないでください。それに…悪いのは私もなんですから」
なんで?そう問いたげな視線が投げ掛けられる。
紫音は僅かに視線を逸らすようにして星空を眺めた。
「…将斗を好きな人は皆さん、私なんかよりずっと強い人達ばかりなんです」
思い浮かべるのは唯花、そして琴禰の存在。
「私と同じような境遇に生きていた。でも私なんかよりずっと明るく生きることが出来る、そんな人達なんです……」
天真爛漫で将斗の良き友人である唯花。
素直に想いを伝えることのできる琴禰。
紫音には無いものを2人は持っている。そして将斗はそこに惹かれている。
「私には何もない……将斗に好きになってもらう価値も…無いんです」
言ってて涙が滲んでくる。
己の無力さが胸を刺してくる。
将斗はいつも紫音を引っ張ってくれた。引っ張ってくれたということは自分より常に先を歩いているということになる。
そんな彼と並んで歩くことが出来る唯花と琴禰。
紫音では見ることの出来ない世界を将斗と一緒に見ることが出来る存在。
追い付けない。自分ではあの2人のようになれない。
いつしか紫音は白夜の膝の上で泣きじゃくっていた。
将斗に想いを伝えれない弱さを恥じて。
琴禰や唯花のようになれない自分を呪って。
白夜にしか知られないこの世界で。
ただ、ひたすら、泣き続ける。
……………………………
…………………。
泣きつかれて眠ってしまった紫音の頭を撫でながら白夜は鼻歌で子守唄を奏でていた。
どこか寂しく、しかし、優しい音色。
星は変わらず輝きを放ち、湖には静寂が漂っている。
泣き腫らした目元を優しく指でなぞり、白夜は息を吐く。
「……後ろで見るからこそ、見える世界もあるのよ……」
補足します。
なぜ昴は最初から千晶とおなじ調査を選ばないか。諜報機関の彼は情報収集のプロです。そんな彼は今回の犯人の狡猾さ、捕まえることの難しさを察知していました。
千晶とマキシムのペアが今回、何も得られなかったので確信を得た彼は逆探知のソフトを利用し、一気にカタをつけようとします。これは紫音が弱ってた上に告白までしてしまった彼の焦りとはやる気持ちから起きたアクションです。
また白夜の最後の台詞ですが、これは彼女の本音であります。
どういった本音か?語れません(ごめんなさい)




