表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
80/103

メモリアルエピソード・昴(下)

はい、昴編完結です。


「パンドラとなりうる子供達を造るべく用意されたのが各国にある孤児院……私達の施設です。

 ですが私達だけでは限界がある。そこであの方は世界に自ら開発した技術を提供しました。

 シュプリンゲン、ATC、人造四肢、ナノマシン……未来を予測できるだけの知識を持つOOはそれらが世界にどのような影響を及ぼすか、知っていたのです。


 まず、ナノマシンや人造四肢は世界の医療に大いに貢献しました。今ではどれだけ普及されているか、貴女ならわかるでしょう。


 ですがパンドラだけは易々と普及できない。世界のエネルギー事情が傾いてしまいますからね。そこで我々は、一定の人にだけそれを提供しました。そのためにその人にしか扱えないようプログラミングもしました。スバル・タチバナ。確かあの子用のプログラムを作った覚えもありますが、お気に召したでしょうか?」



 キャシーは眉をつり上げた。


「まさかあの子のも……」


「ええ。スバルにしか扱えないパンドラを用意したのも私です」


 ため息を吐きたくなった。

 最初から自分達は彼の手の上で踊っていたに過ぎない。


「彼の存在を私は把握しておりました。まさかミカドが子孫を残していたとは意外でしたが……」


「やっぱりミカド・シラトリは貴方達と関係があるのね。彼は貴方達の施設の出身かなにかかしら?」


 グレンは答えなかった。だが寂しそうに目を伏せ、かすれた声を放つ。


「愛する人達との永久の幸せを……」


「……?」


「それよりパンドラについてもう少しお話ししましょうか。


 人を基に造られたパンドラはわずかな電気を倍増させ、無限に近いエネルギーを産出する……カメラのフラッシュに近い仕組みですね。

 なのでATCに積めば少しの充電でいくらでも高出力のパワーを見せるのですよ。

 ですが目的のためには更なる力が必要でした。ただのパンドラでは意味がない……ですが更なる改良には課題があったのです」


「その課題って?」


「成長、ですよ」


 グレンがパチンと指をならすと、辺りにデータが広がった。

 様々な国名に選別され、並べられた人々の名の数は一目では数えきれないほど。

 その一部は右隣に追記された人物と矢印で繋げられていた。


「パンドラは成長出来るのです。

 成長のためにパンドラの基となる人と、そしてその人と相性が良く尚且つ適合の因子を持った人物の組み合わせ。なによりそのセットが確実に実力を伸ばして行く環境が必要でした」


 成長しない人間はいないでしょう。

 グレンはそう語る。

 話を聞きながらもキャシーは目の前の情報を整理することは怠らなかった。昴の他にもパンドラを扱える人はいる。その人物を記憶するためだ。


 だがとある日本人の名前を眼にし絶句してしまう。


「マサト・タチバナ……」


 死んだはずの昴の弟。あのテロ事件で命を落としたのではなかったのか⁉


「なぜその子の名前があるの……」


「スバルのご家族は死んではおりませんから。父親以外はね」


「嘘よ‼だったら私達もとっくに気が付いて……」


「私達使徒は1人ではありませんよ」


 きっぱりと言い切るその様子にキャシーは悟ってしまった。

 こいつはOOの手先だ。そしてその手先は諜報機関の目も欺いてしまうほどの力と権限を握っている。既に世界のありとあらゆる権力まで彼らの手は伸びてしまっている。

 先手はとっくの昔に打たれていたのだ。


「仲間のおかげで日本の殺人事件もあまり世間を騒ぎ立てずに済みましたしね」


「……あの事件は……」


「単に私達の仲間が関わってしまったので、念のために握り潰す必要があったのです」


 だからあの事件に調査の者を向かわせたのか。グレンの父は……いや。


「やっぱり貴方は歳を取ってないのね」


 信じられないことだが確信はしていた。グレンと彼の養父のセインはあまりに似ている上に筆跡まで一緒。彼が老けた顔にメイクをすればセインが完成する。


 しかしだとすれば彼の年齢は相当のものになるはずだ。頬の傷からそれがメイクやマスクでないことはわかる。

 すると今の顔が本物の姿で、そして一切歳を食ってないこととなる。


 キャシーも年齢のわりには若い方だが、グレンの若さはそれほどまでに異常だった。

 時が止まってる。そんな言葉がぴったりと当てはまるくらいに……


「やはり貴女は優秀だ」


「正解したご褒美に教えてくださる?パンドラを使って貴方達はどのようにご主人様の願いを叶えるつもり?」


 そこでようやく、グレンの憎々しい笑みが消えた。能面のような無表情は正面から見ると薄気味悪く、嫌な寒気が体を襲う。その寒さにあてられたのか、彼に向けていた銃口がいつしか小さく震え始めていた。


「ただの小さな願いです……小さいけど、大事な……」


「…………」


 キャシーの携帯が着信でランプを点滅させ始めるがそれに出ている余裕はない。


 グレンはポケットに手を入れると無表情のまま機械のように話し始めた。一言一句キャシーはそれを噛み締めてゆく。しかしその言葉が続くにつれ、彼女の銃口の震えは大きなものとなっていった。


 一通り語り、最後に締め括る言葉。


「そのためにはテロ国家の支援や煽動もやむを得なかったのです。


    パンドラが殺し合う、そんな世界が」



  ……………。


 メールの内容は簡潔なもので、キャシーの命が惜しくば来いというもの。丁寧に地図まで添付され、昴達MI6は罠を疑った。


 しかしキャシーの安全を思えば罠など些細な問題だ。昴はすぐに現地に行く。


 先に着いた昴は自然の溢れるなかで先進技術の目立ったこの街に違和感を覚えたが、追記のメールに記された通り街の銀行に行き、彼の名義で預けられている包みを受け取った。

 しかし包みの中にあったのは小さなリモコンと通信機らしいイヤホンだけ。メールによる相手からの指示の追加もなかった。試しにキャシーにも電話をかけてみるが、やっぱり繋がらない。


「……そんな状態だけどそっちはどう?会社の情報分析は……」


『まだそれらしいのはないわ』


 ナタリアの声は緊張でこわばっていた。



『調べてみるとすごい街ですね』


 ケビンが割り込む。


『街中に太陽光発電や避難シェルターがたくさん……合衆国の首都にもこんなに豊富な設備はありませんよ』


「シェルター?」


 思わず辺りを見回した。それらしいものは一切見られないところから地下にあるのだろう。


「それよりそっちに新しい指示は来てる?」


『何もないわ……』


 舌打ちしそうになるのを堪え、昴は街の真ん中に建つ建物を睨み付けた。キャシーが行くとしたらあそこだろう。しかし勝手に動いてはどうなるかわからない。なんとももどかしい気持ちだった。


『……ん?スバル、新しいメールがこちらに来たみたいですよ』


 読み上げられたのは指示なんかではなかった。


『……it's show time』


 ケビンが読み終えるとほぼ同時に街中を埋めつくすかのような爆音でサイレンが鳴り渡る。

 歩く人々も昴も、急な事態に驚くあまり体を硬直させた。

 サイレンと共にノイズ混じりの音でスピーカーから機会の音声が流れてくる。


『緊急事態。緊急事態。武装集団接近中。市民の皆様。ただちに地下のシェルターへ避難してください。繰り返します。緊急事態……』


「ケビン⁉」


『わかりません……テロ国家やそれらしい集団が近づいてるなんて情報は少しも‼』


 こちらの異変が聞こえていたケビンは、流石に狼狽している様子だった。それが逆に昴を冷静にさせたのだが。


「何だって……?‼」


 そんな情報が一切ない?だとしたらこの警報はなんだというのだ?‼


 人々は血相を変えて逃げ始めた。街のあちこちの地面がハッチとして開き、薄暗い中に階段が見える。中の壁は鉄で覆われており、一目でこれがシェルターだとわかった。

 そのシェルターへ雪崩れ込むように逃げ込む街の人たち。怒声と悲鳴が交差するパニック状態に昴はデジャブを感じた。


 あの時は自分も、この群集と一緒だった。弟と妹を手放すまいと必死にその小さな掌を握って、あの群れと共に逃げ回っていた。


『その情報はデマよ‼やっぱり武装集団なんて近くにいないわ‼』


「ナタリー⁉それじゃあ……」


 シェルターから新たな悲鳴が聴こえてきた。

 それは避難中の叫び声なんかではなく、断末魔そのもの。死神に命を刈り取られた犠牲者の最期の感情表現である。


 あまりにも急激に変わる事態に面食らったが、断末魔に続いて液体のようなものが飛び散る音が聞こえてきたとき、昴はようやく理解した。


 拳銃のスライドを引き、戦闘準備を整える。


 現場にいる昴は今、起こっている事態を目の当たりにし、そして闘う意思を表した。


『スバル?‼今、どうなってるの?‼』


「最悪の事態だよ、ナタリー……」


 奥の方から逃げようとする人々が見える。しかし地下シェルターの通路は狭く、ましてや奥の事態に気付けてない人達が我先にと入り口に身を入れるので中はすし詰め状態となり、逃げることもままならない。

 そうしている間にも奥からの断末魔は徐々に近づいて行き、やがて悪魔が姿を見せる。悪魔は目の前にいる無力な人を片っ端から食い散らかしてゆく。

 入り口付近の人々がその姿に気づいた頃にはもう遅い。すべての地下シェルターの中から出てきたのは四つ足のロボットだった。

 見た目はドーベルマンに近いシルエット。しかし塗装はされておらず、灰色とも銀色ともいえる半端な色が地下の薄暗いライトに当てられギラギラとした不気味な光沢を放っていた。

 そしてその爪と牙は日本刀のように鋭く、先まで食い潰してきた人達の血肉が挟まり、時折こびりついた肉片から血を垂らしている。

 おそらく遠隔操作型ドローンか。普及しているATCのようにどこかぎこちない動きだが、闘う術も知らない市民を殺すには十分だ。


 なぜ、安全地帯であるはずのシェルターにこんな脅威がいたのか。

 おそらく最初からいたのだろう。これらは皆、あの製薬会社によって提供された設備だ。街もまさかこんなことになるとはつゆとも知らず、差し出された甘い汁に口をつけていたに違いない。


 しかしそれが罠だったのだ。なにかしら製薬会社にとって……いや、グレンにとって、何か不都合があれば街の人達を皆殺しにし、証拠を隠滅するためにも一気に多勢を殺す事が出来る。これまでの寄付と、このシェルターがあれば人々は疑いもせずグレンの手に掛かるのだ。


 キャシーが目をつけていた通り、あの製薬会社には何かがある。そしてそれを白昼のもとに晒されないためにもじっくり時間をかけて街の信頼を獲得し、罠を張り巡らせてきた。

 ここまでくればキャシーに何かがあったとわかる。


 この騒がしさ。血生臭さ。


 弟達を失ったあの時と一緒じゃないか……



「あの時のトラウマが蘇りそうだ」



 ドローンが数体、昴を取り囲む。しかし取り乱すようなことはせず、昴は携帯を投げ捨て銃を掲げるのであった。


 ……………。


「何をしたの⁉」


 異変は勿論、製薬会社にも起きていた。鳴り止まぬブザーの音に顔をひきつらせ、グレンを睨み付けた。彼がポケットから投げ捨てたのは掌に収まりそうなサイズのスイッチだった。

 またやられた。さっきから後手にまわってばかりだ。


「これ以上ここの研究は不可能でしょう。なので全ての証拠を隠滅し、次の隠れ家へ移動しなくてはなりません」


 新しいモニターが出てくる。そこには街中を走り回るドーベルマンのような姿の殺人鬼が人々に襲いかかっていた。

 いったいどこからこれだけの兵器が姿を現したのかはわからない。しかし、それが市民を殺すためだけに動いてるのは一目瞭然だった。


「この街全てを葬り、私達の研究の足跡を消す……至ってシンプルで簡単な話です」


「ふざけるな……今すぐやめさせなさい‼」


「生憎、私には起動の権限はあっても停止はそこのコンピューターでしか行えないのですよ」


 忌ま忌ましい研究用のこの室内の奥にある壁には、大型のコンピューターが取り付けられていた。

 そこへ走ろうとするがグレンが身を乗り出し、掴みかかろうとする。咄嗟に腕を振り払い、横っ面に裏拳を入れたがグレンは怯むことなく喉元に手を伸ばしてきた。


「邪魔をしないでいただきたい」


「ふざけないで‼そんなくだらない計画のために関係ない人を巻き込むようなクズの願いなんて知りたくなかったわ‼」


「貴女には最低な行いにしか見えないでしょう。ですがあの方の悲願なのです」


「そうよ、最低よ!そしてそのために平気でこんなことをする願いなんて悲願と呼ぶ価値すらないわ‼」


 グレンも拳銃を抜き、互いの眉間に当てられる。2つの発砲音の直後、片方の弾丸はキャシーの肩をかすめて背後の試験管を。もう片方はグレンに当たらず、入り口のセンサーを破壊した。

 互いに銃を撃ちながら平行線上に走ってゆく。辺りの試験管は粉々に砕け、中の液体が勢いよく床に溢れ出した。


「価値すらなくて結構です。私達はあの方のために動くと誓ったのです……!」


 ようやくグレンが感情を見せたような気がした。痛々しそうに口を噛み締め、言葉には怒気がこもっていた。


 銃弾をかわす。弾丸は頭上を霞め、背後の試験管を砕いた。背中から水が押し寄せてくるが、かまわず足元に散らばったガラスの破片をトランプ投げと同じ要領で投げる。グレンは立ち止まり、それを避ける。その隙をついてキャシーは彼の頭を狙い銃を撃った。

 グレンはやはり闘い慣れていた。左肘を差し出し、それを防いだのだ。腕から溢れる血が白衣を赤く染め上げる。しかし痛みにのたうちまわるような情けない姿は見せず、銃で応戦してきた。


 グレンの銃弾がキャシーの足に当たる。

 ふらつきながら前のめりに相手をつかみ、今度は取っ組み合いが始まった。


「貴方の言う通りならパンドラは世界を巻き込むんでしょう‼」


「その先に願いがあるのですから‼」


 互いに殴り、膝近くまで浸水してきた保存液に沈め、逃れ、また殴り合う。


「スバルは、あの子は貴方達の玩具じゃない‼」


 肺に貯まった保存液を吐き出し、キャシーは力の限り叫んだ。


「それは貴女にも言えるでしょう‼あの子を思うならなぜ、パンドラを与えたのです‼

 虚偽の申告!貴女の命令‼ひとつでもすればあの子は闘いから遠ざけられたのですよ‼」


 その言葉は鉛の球よりも重く、痛く、キャシーの心を抉った。

 そうだ。自分は彼の幸せを願っていながらこちらに引き込んだ、最低な母親だ。グレンの言うとおり、どれかひとつでもアクションを起こせば昴はきっと……

 そんな後悔が彼女の隙を生み出してしまった。グレンはキャシーの側頭部を殴り、水に沈める。


「今、この街にはスバルが来てます。

 あの子とその弟妹の持つ因子は特殊です。だから私は彼らには可能性を感じている。あの子達ならきっと、誰よりもパンドラを強くさせる」


 そう言ってモニターを見た。ドローン達は既に大勢の人々を食っていた。


 その白衣の裾を掴み、キャシーはグレンを投げ飛ばした。息を切らし、顔色を悪くしながらも眼に宿る闘志はまだギラついていた。


「させないわ……これ以上あの子を……!」


 水の中から立ちあがり、グレンは呆れたように肩を落とした。駄々っ子をあやすような話し方でキャシーに悟る。


「ならどうする気です?既にテロ国家にはパンドラが渡っています。それを防ぐには誰かが同じくパンドラで戦うしかないのですよ?しかも同じくらいの力では勝ち目はない。

 成長させたパンドラで挑むしかないのです」


「そうさせたのは貴方のくせに……」


「そうです。これはスバルへの試練ですよ。

 パンドラを成長させ、力を開放するための」


 キャシーの拳を眼前で握り止め、関節を決める。キャシーは身を投げて逃げた。


「賽は投げられました。もう止める術はありません」


「生憎、この仕事は諦めが早くちゃなにも出来ないわ……‼」


 するとグレンの背後で何かが弾けた。咄嗟に振り返るがそこにはなにもない。


「さすがはマジシャン……猫だましは一流ですね‼」


 すぐさまキャシーを見ようとするが彼女の肘はグレンの眉間に撃ち込まれていた。


 グレンの体が足元に沈む。手応えはあった。キャシーはすぐさまコンピューターのもとに走り寄り、ドローンの制御を試みる。

 しかしそこで指紋認証の要求がされた。思わず舌打ちをしてしまう。気絶しているはずのグレンの場所へ引き返すが、いつの間にか彼の姿はなかった。


「……嘘でしょ……」


 あんな状態からすぐに回復するなんて。慌てて周囲を探すが消えた雲のように、その姿を見つけることは叶わなかった。


(まさか扉から逃げた……?)


 しかし扉のセンサーは破壊され、自動ロックを解除することは出来なかった。


 やられた‼


 完全に閉じ込められてしまった。これではドローンを止めることが出来ない!


「冗談じゃないわ‼」


 再びコンピューターに取りかかり、指紋認証をせずに解除する術を探すがやはり何重にも施されたセキュリティでは隙間が見つからなかった。

 こうしている間にも市民は命の危機に晒されてるというのに‼


 途方にくれているとモニターから男の呻き声が聞こえてきた。それはキャシーもよく知る声だった。


「スバル……?‼」





 不覚を取ったのは一瞬だった。ドローンの弱点は頭の薄い装甲にあり、そこを漬けば心許ない拳銃でも対処できる。

 しかし敵の数が多すぎて自分を守るのが精一杯だ。そうしてる間にも目の前で誰かが死んでゆく。街には火の手があがり、建物さえも崩れ始めていた。

 あの時と同じ光景だ。同じ惨劇だ。

 もう二度と見たくない有り様からくる不快感。昴の胃から嫌なものがこみ上げていた。


(駄目だ‼このままだとナタリー達の応援が間に合わない‼)


 焦っているとき、近くから悲鳴が聞こえてきた。見ると少女が赤子の弟を抱き、転んでいた。その背後にドローンが迫っている。


 その姿が、あの時の自分と重なった。

 そして見捨ててしまった。自分の命惜しさに。


 しかし少女は弟を捨てるような事はせず、ただ強く抱き締めていた。

 そんな姉弟に迫る、死の牙。


 昴にもドローンが飛びかかろうとしていたが、彼の意識は完全に幼い2人に向けられていた。


 やめろ。


 飛びかかるドローン。クイックショットで2体同時に撃ち落とせば済む話だが、この状態で昴にはそう考える余裕が無くなっていた。


 やめろ。


 やめろ。


「やめろおおおおおおおおおおっ‼」



 自分の肩に爪が食い込むがそんなの知らない。昴は姉弟を襲うドローンを撃墜していた。

 爪がさらに深く食い込む。呻き声をあげ、それを振り払い、もう一体破壊した。

 すぐさま駆け寄るなんて出来なかった。ただ呼吸をあらげ、守ることが出来た命をその目で確かめる。姉は驚いた様子で昴を一瞥し、直ぐ様逃げ出して行った。


 次に向かうべき場所を考えていると、自分のポケットから小さくだが声が聞こえてきた。


『……?スバル?聞こえる?‼』


「!キャシー‼」


 銀行で受け取ったあのイヤホンからだった。恩師の生存に昴は力を与えられたような気がした。


「今どこに?‼」


『製薬会社よ……スバル、そっちはどうなってるの⁉』


「最悪さ」


 曲がり角から出てきたドローンを撃ち落とす。


「地下シェルターから大量の犬が出てきて、大勢の人がやられた」


『シェルター……そう……こちらは会社の最上階……そのドローンの制御装置を止めれないか確認しているわ』


「本当に?さすがキャシーだ‼」


『喜ばしくない状態よ』


 そこでキャシーは指紋認証の件を手早く説明した。昴の曾祖父やパンドラの話は伏せて。

 今、彼に余計なことを話すのは状況の悪化に繋がると考えたからだ。

 昴は手詰まりの状態に悪態をつきかけたが、そこでようやく銀行から受け取ったリモコンのことを思い出した。

 イヤホンがこうして今、キャシーと繋がっているのだ。リモコンも無関係とは思えなかった。

 昴も手短にリモコンの話をする。


「キャシー。これが何か、そっちで調べられない?」


『ちょっと待ってちょうだい』


 キャシーのキーボードを叩く音が聞こえてきた。その間に昴は他のドローンを破壊する。


『出たわ‼』


 直ぐ様彼女の興奮したような声が聞こえてきた。

 予想は当たっていた。リモコンは製薬会社に設置している爆薬を一斉に作動させる働きをしていた。爆薬は地下から最上階まで取り付けられており、爆発すれば制御装置を破壊できる。

 ドローン達を止めることが出来るのだ。


 しかしそれは……………………………………


『なら‼キャシー、急いで脱出をして‼』


 しかしキャシーは動かなかった。

 勘が良いとはこういうときだけ腹立たしく思える。力なく腕をだらりと下げ、キャシーは静かに尋ねた。


「ねぇ、スバル……生存者はまだいるのよね?」


『?ああ。だから早いところ破壊しないと……』


「……そう……」


 生存者はまだいる。それだけである程度心は軽くなった。


「私は逃げれないの。でもかまわないわ。

 スバル。スイッチを押しなさい」








 幼い昴はキャシーの手品を見よう見まねでやってみせた。自分を追いかけようとするそのひたむきな姿が眩しくて、嬉しくて、なにより愛しかったことをキャシーは覚えてる。

 頭を撫でながら誉めてあげると昴は照れ臭そうに笑っていた。


「ねえ、僕もキャシーみたいに、もっと上手になれるかな⁉」


 ああ、あの笑顔の眩しさときたら。


「なれるわよ」


 少年が取り戻した笑顔の尊さに、思わず笑みをこぼす。


 私はやっぱり、彼にこうして笑っていてほしかったのだ。






「……何を言って……?」


『言葉の通りよ。扉はロックがかけられて、出ることが出来ないの。だから私はここから出られない』


「なら僕が行く!」


 昴は思わず走り出していた。会社の中に入り、外側から破壊すればキャシーは出られる。そこから2人で離れ、スイッチを押せば良い。そうすれば2人は助かる。ドローンも止められる!


 しかしキャシーはそれを許さなかった。


『時間がないのよ⁉貴方がそこから離れたら何人の市民が犠牲になると思ってるの‼』


「知るもんか‼」


 昴は脚を止めなかった。

 恩人が。上司が。キャシーがいるのだ。家族が取り残されてるのだ‼

 そんな彼女を殺してまで他を救うことなんて考えれない。昴には彼女がすべてだ‼


『スバル‼‼』


「嫌だ‼君を死なせない‼もう僕はあの時とは違う‼」


 あの時は無力だった。誰一人助けることが出来なかった。

 でも今は違う。闘う術も助かる道も知っている。力だってある。

 さっきだってあの姉弟を救えたではないか。


「もう大切な人は死なせない‼僕は君を死なせない‼」


 悲痛な声ははぐれた弟や妹の名を叫んで探していたあの頃のまま。

 普段のすました態度なんてかなぐり捨て、必死に走る今の昴はあの時とまったく同じ姿だ。


『目を覚ましなさい‼』


 凛としてよく通る声が昴を叱責する。そこでようやく昴は脚を止めた。彼女がこういう声を出すのは命令する時である。


『貴方が迷ってる間にも大勢が死ぬのよ⁉貴方と同じ思いをする人が増えるのよ⁉

 そんな人達を見捨てて、どうしてあの頃と違うなんて言えるのよ‼‼』


 厳しく、鋭く、痛いところを突く。昴のトラウマにも触れたその一声は彼に心臓を掴まれるような痛みを与えた。





 ああ、やはり傷つけてしまった。

 コンピューターに上半身を預け、キャシーは悲しみに涙を流す。

 守ってあげられなかった。グレンの言う通りになってしまった。

 あの子を思いながら、利用していた。今もこうして、自分の意思のために利用している。傷つけている。


 あの時、グレンの罠に気付いていたら。

 グレンがスイッチを押す様子に気付けていたなら。

 いや、それよりももっと前に昴をこっちに引き込むようなことを、受け入れなかったらこんな辛い思いはせずに済んだというのに。


 すべては自分の招いたミスだ。既に昴は新たなトラウマを刻み付けられた。なにもかも、グレンに負けてしまった。

 昴がここに来れば間違いなく自分は助かる。助かって、ドローンを殲滅できる。

 しかし昴がこちらに来ると言うことは、街の人達を見捨てることになる。彼が守れた人たちも無惨に殺されるだろう。昴がそんな有り様を見て平気でいられる筈がない。ましてやこの研究室を見て、正気を保てるかなんて……


 どこまでもダメな人間だ。自分は。母としても上司としても、道化師としても。昴に……息子に辛い選択肢しか与えることが出来ないなんて。


「貴方はエージェント。仲間より近くの命を救うことを優先なさい」


『……でも僕は……』


 昴は迷っている。今、彼の中の天秤は大きく両腕を揺らしていることだろう。

 しかし迷っている時間が惜しい。彼が悩むほど死人が出ているはず。

 その痛々しい姿を想像するだけで胸が張り裂けそうだ。出来ることならこんなことはしたくなかった。

 辛い思いなんてさせたくなかった。


「私は貴方の眼も鍛えたつもりよ、スバル……今、本当に貴方を必要としているのは誰なの?貴方の眼にはその人が映ってる?」



 それはとどめだった。

 今、本当に守らなくてはならない人が。あの頃の自分がたくさん近くにいて、死んでゆく。

 守るべきはどちらか。


 自分が被るべき罪はどちらか。


「……わかったよ、キャシー」


 昴はスイッチを取り出した。


「僕は選択した」





 話してる間にも新しいモニターを次々と開き、情報をチェックする。

 やはり昴に伏せておいて良かった。今の彼が知るには真実は残酷すぎる。


 なにより、自分のミスで大勢の市民を死なせ、おめおめと生きて帰るなんて事はしたくなかった。

 もし昴を引き込んでいなければどうなってたろう。少なくともグレンによる陰謀をある程度小さく抑えることができたかもしれない。

 しかし結局はそれも、彼を利用していた自分の責任だ。

 母親でありたいなら。彼を普通の人として幸せにしてやるなら。


「……貴方に手品とか教えるべきじゃなかったのね……」


 そんな本音がポロリと出ていた。それは昴の胸に憎しみとして捉えられ、深く楔を打ち込むこととなる。


『キャシー……すまない……僕のせいだ……真っ直ぐ君の元に駆けつけていたら……』


「……私のミスよ」


 これから自分を待ち構えるだろう死というものに、恐怖がないと言えば嘘になる。

 だが、それ以上に使命感が彼女キャシーを支配していた。

 自分が弱音を吐けば昴の決意は無駄になる。

 自分がここで得た情報を伝えれば昴はこの先の不幸を知ることになる。


 そこでとある情報に目がゆき、キャシーは息を止めた。


(チアキ・タチバナ……ロシアにいるのね)


 昴の弟妹の生存は確認できた。

 それだけで胸が少し軽くなったような気がした。

 昴は一人じゃない。彼には本当の家族がいる。

 さあ、道化師クラウン最期の仕事だ。彼を笑わせる、取って置きの魔法を置き土産にしてやろう。


「スバル……今後、日本の家族の消息がわかったら……その時は日本に帰りなさいね」


『……え?キャシー?』


「ただの独り言よ。

 それに忘れないでちょうだい。貴方に教えた信条。守らないと容赦しないから」


 今後彼は家族を見つけ出すだろう。


 家族を愛せ。

 名一杯愛せ。


 自分みたいな最低な母なんて忘れてしまうくらいに幸せになれ。それだけの権利が貴方にはあるのだから。





『勿論だよ、キャシー。君は僕の師匠で、母で……愛する家族だ』




 …………何でそんなことを言うのかしら、この子は……死ぬのが恐くなるじゃない。




 通信を切って私は返事をする。



 愛してるわ。スバル……








 崩壊する建物。動きを止めるドローン。

 その残酷な風景と真実は昴に深い傷を与えた。









 しばらくして……



 力強い拳が青年の頬を襲う。青年はそれを防ぐもかわすもせず、素直に受けていた。

 それが彼らを余計にイライラさせると知っていて。


「どういうことだよ。日本に帰るって‼」


 仲間の怒声が響き渡る。しかし昴は物怖じもせず、静かに返すのだった。


「先代の遺言に従ったまでだよ。家族の生存が確認されたのです」


「ふざけるな!キャシーさんを……!」


「落ち着きなさい……」


 ケビンが宥めるが、昴に向ける瞳には侮蔑の意が込められていた。


「ですがスバル……貴方もですよ……」


「日本でも仕事はするよ。じゃなきゃキャシーに怒られる」


「あの方を語るのをやめなさい……もとはと言えば貴方が……」


 報告書は次のようになっている。

 キャシーはあの製薬会社に捕らわれ、昴は彼女と一時的に通信ができた。しかし万が一の時は爆破を躊躇うなということと遺言として昴の家族のことを伝え、通信は途切れてしまった。その後ドローンの駆除にあたったが被害に追い付かず、爆破スイッチを押した。

 間違ってはいないがキャシーとのやり取りをわざと伏せている。結果ケビン達は昴に疑いの目を向け、敵意を隠さないようになったのだ。

 後ろめたいことがないなら素直に話せるはず。それを言わない昴はアウェーな存在となっている。


 勿論、ナタリアも例外ではなかった。

 部屋に戻るなりナイフを持って斬りかかってくる。その関節を決め、易々と地に堕とす。


「甘いね、ナタリー。そんなんで僕を倒せると……」


 しかし彼女の姿に気付き、言葉を失ってしまった。

 奇襲を仕掛けてくるようになったのはもっと前からだが、今回ナタリアはキャシーの変装をしていた。金色の髪。わざと老けるように見せた化粧。

 なにもかもが一緒だった。


「……私達は貴方を許さないわ」


 その忌々しげな表情がこちらに、キャシーの怒った顔が見えてしまう。


 手品とか教えるべきじゃなかったのね……


 そうだ。自分は恨まれて当然だ……


「報告書にまだ書いてないことがあるわね。吐きなさい‼そこから貴方を罰する手段を考えるわ」


「………………………………」


 ああ、そういうことか。


 ナタリーはキャシーになることで、皆を引っ張っていこうと考えてるのか。

 今後も変わらぬ情報収拾能力を維持するために。任務の効率を落とさないために。

 そして僕を殺す意思。

 そこには僕に対する罰もあるんだね。


 受け入れよう。甘んじて受け入れよう。


 昴にとってその残酷は、一種の刺激のように思えた。痛快だ。

 その罰がある限り、自分は罪の意識をより強く思い出すことができるのだから。


 最愛の人を失った悲しみをもう二度と忘れないために。


「そうだね……じゃあ僕を殺して見せてくれ」


 師匠から引き継いだ演技力で昴は笑って見せる。相手の癪にさわるポイントを見事に押さえた笑い方だった。


「師匠に近付いたか、その都度採点してあげよう」


 キャシー。僕は罪を背負う。

 そのためには恨まれてもいい。ただ、君の後を追いかけるナタリーが一人前になるまで……君を越えるまで。

 あの時の会話は胸にしまっておきたいんだ。











 ……現在




 リビングに行くと食卓に突っ伏して寝ている紫音の姿が。

 彼女は本当に綺麗になった。小さい頃は暗いだけの女の子だったのに、今では思わず見とれてしまう。


「…………」


 昴はそんな彼女をじっと見つめていた。

 以前、ナタリアと一緒に船に乗ったとき、味方殺しの自分を彼女は受け入れてくれた。キャシーの本当の思いに気付かせてくれた。

 以来、彼女に対する思いは日に日に強くなっていく。

 ありのままの自分を受け入れてくれた彼女。自分を信じてくれた彼女。


 ……自分を受け入れてくれる人……


 キャシーは信条に良く似た教えもしていた。

 あの頃は迷ってばかりだったが今ならわかる。


 紫音が好きだ。自分を認めて、受け入れてくれた彼女を僕は愛している。


 今は彼女に気付かれなくてもいい。それでも伝えたい。


 昴は紫音の近くにしゃがみこみ、その顔を覗き込んだ。きめ細かい肌に茶髪がかったサラサラの髪。ほんのり赤い唇はこの上なく色っぽく見えた。


 誰よりも愛情を捧げたい。


 昴はその唇に顔を近付ける。夕暮れ時、二つの影は重なり、そしてしばらくしてから昴の影が離れた。自分の唇に残った感触を確かめ、そして声に出すことはなく。


 愛してます。誰よりも。


 そう告げて自室に戻ったのであった。

キャシーはMI6のトップでありましたが、昴の母でもありました。



さて、メモリアルエピソード編が終わり、次回でSS2は終わります。そのあとは最新章で、皆様を驚かせたいと思います。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ