邂逅のデルタ 0・ミッションスタート
ワンボックスカーに体を預けながらルスランは、向かい合ってハンバーガーにぱくりつく千晶を見ていた。
「……よく食えるよな……俺なんて仕事の前は食事を食っても戻してばっかりだったぞ」
思わずそんな小言を放ってしまう。しかし千晶は顔色ひとつ変えず、
「食べなきゃ体調が悪くなる。私は今日、夕飯を食べてないから今のうちに食べておかないと動けない。あと戻すのは、ルスランが神経質過ぎるだけ」
「…………ティーナの食い意地が飛び抜けてるだけ、って可能性は? まぁ。その食欲には感心するけど……」
「せっかくルスランが買ってくれたから、残すつもりはない」
ハンバーガーを平らげ、ソースのついた指をペロリと舐めるしぐさを見てルスランは気まずそうに視線を逸らしつつ、「アー……」と返した。
「ハンバーガーだけじゃなくて……ティーナのためなら、俺だって乗り込むのに……」
「スパシーバ。でもルスランを死なせたくないから、私は」
食べ物の名残を舐め取りつつ、しかし千晶は真顔だった。
無表情ではなく真顔。
信念さえ伝える何か大きな存在がそこにある。
クレムリンの兵士としての時代を思い出す。
あの頃は共に任務中の仲間と確かな結束があった。
その結束には千晶とルスラン。互いの存在が強く彫り込まれている。
「ああ、ティーナ。頼んだぜ」
握手を求めた。酒があれば杯を交わしたところだが、生憎と持ち合わせていなかったので千晶も握手で返す。
たった1分間の握手だったが、確かな信頼が再確立された時間であった。
ルスランは背を向け、静かに去っていった。闘いに巻き込まれないよう、身を隠すためだ。千晶はその後ろ姿を見送っていたが、やがて踵を返しワンボックスカードアを開く。
白銀の物体が、まるで躾をされた軍用犬の如くそこに鎮座していた。まるで愛する人を見るかの様に愛しげな眼差しを向ける。
「お待たせ、"白夜"」
白夜と呼ばれたソレは瞳を紅く輝かせた。
◇
秀英運輸を見下ろすことの出来る小山では昴が双眼鏡を覗き込んでいた。
時折、荷物と言う名の人型の機械を確認できる。
(ATC……やはりか……)
あまりに愚直なくらい、素直に当たってしまった予想。
予想が当たった事に満足感は覚えない。これからの事を考えての緊張感も覚えない。というか正直どうでもいい。
さっさと家に帰って弟妹と日常を過ごすことが全てだ。それ以外は眼中に……
「ああ、将斗………千晶………」
無意識に呟いていた。耳に着けている通信機から上司の声。
『ここまで重症だと貴方が鬱にもならず仕事をこなすのは、そういう病気からきているのかしらと考えてしまうわ……』
呆れを通り越し、感心といった様子だ。
「重症とは失礼な。こういうのを純情っていうんだよ、キャシー。ちなみにここからだとある程度の数を減らせそうだ」
『もう少し待ちなさい。クレムリンが潜んでいないか確認しないと危ないわ』
もはや日常の会話みたいなやり取りである。
敵を前にして、乱れのない声色。
修羅場を潜り抜けてきた者だけが見せる姿だ。
「それにしても驚いたな。天田悠生は情報が足りないからアレだけど……イヴァン・ベルキナ。彼がロシアにいた頃は、かつて"狂犬"が猛威を振るっていた時期と全く同じじゃないか」
『そうね……彼があの"狂犬"だとしたら、貴方、パーシヴァルで対処出来るのかしら?』
後ろには血のように紅く、黒さを含んだ甲冑が立っていた。
正確には甲冑ではない。
甲冑をイメージしたようなデザイン性のATCだ。その容姿はまるで、かのアーサー王伝説に出てくる円卓の騎士を連想させるような気品さを備え、血のようなカラーリングは悪魔のような禍々しさを漂わせていた。
「場合によりけりかな。おっ、またATCが運ばれてる……」
『もう少し待ってちょうだい』
「わかってるさ……でもあれだね。弟でも妹でもない奴の監視をするときほどつまらないことはない……やつらは手を出しても殺意でしか返してこないしね」
『貴方は弟妹になにをしているのかしら、普段……』
スルーしておく。一応、言えなくもないがこの場で言って上司の血圧を上げるのはよろしくない。
とはいえ退屈なのも事実だった。
イギリス時代は家族は皆いなくなったと思い込んでいたので、ターゲットの観察を暇潰しとして興じていたような気もする。
しかし帰国して目の保養を手に入れた今、仕事のターゲットの監視は苦痛でしかない。
(んー……興じる工夫も必要だな)
そこで閃く。
抹殺対象……この場合、倉庫で作業してる者全員をターゲット・目の保養として見れば良いのだ。
(ターゲットは目の保養……ターゲットは目の保養……ターゲットは……)
「ターゲット依然、倉庫前にて待機。ターゲット2は倉庫の中と推定。ターゲット、西に移動……ターゲット……将斗、西10メートルにて停止。千晶、倉庫内。将斗……」
『現実に戻ってきなさい』
的確なツッコミがきた。
「作業効率を高めているだけさ」
『おだまり。変態もそこまできたら芸術よ。貴方のハッピーな世界観を絵にすればルーブル美術館にだって出展できるわ』
「ははは、上手いこと言うねぇ、キャシー。でも僕の愛を芸術に例えたら隣国のルーブルなんかには収まりきらないよ」
『その性癖を壮大に自慢するのはやめて頂戴。貴方を育てた親の顔が見たいわ……』
「産みの親という意味でならデータを見れば済む話さ。仕事での親なら今、君が手鏡を見れば解決するよ?」
ボケを重ねれば永遠に返ってくるツッコミ。しかしこれは最近の昴にとっては当たり前のやり取りだ。電話の主は仕事上の上司だが、彼女とのやり取りは実の家族よりもスムーズなキャッチボールを可能にした。
いや、もしかしたらドッジボールか。昴が緩い変化球を投げ、向こうは容赦ない一撃を投げつけてくる。それをキャッチしては互いにループするような。
ともあれ、こうして慣れ親しんだ人との他愛ない会話が続くのは悪い気はしない。
しかし、そんな一時も終わりを迎えた。
意識はたちまち現実に向けられ、すぐに息を潜める。
異変に気付いた上司の問いかけがきた。
『どうしたの?』
昴の瞳は暗殺者特有の光でギラついていた。
「……動いたみたいだ」
『狂犬?』
「いや……あれは……」
ピクリ。昴の眉が跳ね上がる。
スコープの向こうでは、倉庫からあわただしく出てくるATCと、それに対抗するかのように1機、躍り出る……
「黒いATC……?!!」
『イヴァンの兵器ではないの?!』
そこまではわからない。ただ、『得体の知れないATC』という、情報外の存在が現れたのが問題だった。
ただの機体なら、昴だってそこまで意識はしなかったであろう。
しかし問題なのは、その動きだった。
通常、現代に普及しているATCには脳波を受け取ってからの動きの再現というものにラグが生じてしまう。
だというのに、今、スコープの向こうで闘っている機体にはそれが見られない……
その事を上司に伝えると案の定、悲鳴に近い驚きの声が聞こえてきた。
『まさか……!!』
「仕方ないか……任務追加。あの黒いATCについての調査も開始するよ」
スコープから目を離し、後ろの機体と向かい合う。
「パーシヴァル。機動」
その声はどこまでも冷たいものだった。
昴の声に合わせ、深紅の騎士は主を守る為にその身を捧げる──
◇
『将斗。聞こえますか?』
紫音が通信機に呼び掛けてきた。
「ああ。感明良好」
『良かった……私が倉庫の電気を落とします。暗くなったと同時に乗り込んで、機体の破壊と対象の抹殺……で、当ってますか?』
やるべきことを丁寧に述べてくれたお陰で、自分の任務に落ち着いて取り組むことが出来る。
「おう。頼んだぜ。任務を開始する」
紫電はトラックの荷台から降りると、倉庫へ向かって前進を始めた。
脛から真横に突き出された細い羽が赤い光を後方に放ち、微かに宙を浮くその体は前進を始める。時速80キロ。出力ならばまだまだ出せるが、紫電を使ってまだ間もない将斗の技術と体への負荷を考慮しての速度だ。
しかし80キロという威力で突っ込まれ、無事で済む人間はいない。
黒の襲撃者の存在に気づき銃を構えた男1名をぶっ飛ばす。
倉庫の電気がパッと落ちたと同時に、漆黒の雷は死神と化した。
次回、戦闘メインです。