本当の奪還作戦
ようやく千晶のもとへ辿り着けます
稚内のとある公園に車を停め、紫音とマキシムは廃屋となった旧病院を見ることのできる山へと足を進める。
旧病院には一部、灯りがつけられていた。駐車場には車が何台も停まり、どう見ても解体業者や病院の従事者とは思えない男達が彷徨いている。
「………」
「焦らない方が良い。下手に動けば奴等はATC を出してくる」
はやる気持ちをマキシムが諌めた。紫音は素直に頷き、深呼吸をして一旦落ち着くことにした。
その様子をマキシムは見つめ、首をかしげた。
「ところで君はティーナにスキンシップやらキスをせがんでいるのか?」
「はい?」
大事な作戦前に何を言い出すのですか?
「いや、ティーナとはな……日本に住んでからも連絡をしていたのだが、「姉が女子同士なんて壁は乗り越える」だとか「姉が毎晩毎晩迫ってくる」とか言ってきて困ってると……」
エレーナだった。
「本当のお姉さんであるエレーナはTV 電話を毎日のようにかけては、千晶ちゃんに変なことを求めてますからね……」
というか、何をしているのですか。エレーナは。完全に千晶ちゃんに肉体的関係を迫ってるじゃないですか。だから千晶ちゃんも連絡の回数をわざと減らしたりするんですよ。
すると旧病院からは死角になる山を、2台の車が走っていたことに気づく。ひとつは普通のセダン。もうひとつはトラック。
間違いない。あれらは天田の有する車輌だった。
マキシムが作戦内容を簡潔におさらいする。
「彼らが交戦を始めたら俺達は裏口から。中にいる残りの敵を制圧してティーナを救出だ」
紫電とパーシヴァルがトラックの荷台から姿を見せ、突入のタイミングを窺っている。
おそらく千晶と紫音の奪還に意欲を燃やしているのだろう。そして
「動いた……!」
僅かばかり興奮した声でマキシムが告げる。
2つのATCは闇夜に紛れるようにして駐車場にいた男達に攻撃を始めた。建物や物影からは既に待機していたのか旧式のATCが群れとなって壁を突き破り、奇襲者に抵抗する。
その数、30以上。まだまだ増えるに違いない。
「多い……!」
「行くぞ……!」
数への驚きよりも現場把握に努めていたマキシムは紫音の手を握り、山を下り始めた。
行く途中、五木達が紫音に頼んでいた依頼について尋ねた。
紫音が調べたのは道内の廃屋や倉庫で、大量のATC や器材を持ち込める環境。そして廃屋であるにも関わらず消費電力が見られる場所の特定だった。
廃屋でも場合によっては何者かに使われることがある。だが奴等は千晶を生かし、血液を採集・保存している可能性が高い。
ならば保存のために器材をフル稼働する必要がある。その電力は場合より莫大な量であるはずだ。
紫音はそれに当てはまる状態の建物をリストアップし、その中でも特に……異常なまでに電力を消費しているこの旧病院をつきとめた。
血の話が無ければこの捜査手段は意味さえ感じられない。マキシム一人ならもっと目立たない場所を考えるし、電力をこんなに消費するなんてあり得ないだろう。
『最初から血の話を……知っていたのですね?』
「おや、なんの話でしょう」
パーシヴァルに乗った兄とはぐらかす五木。
『電力も……妹が生捕りにされてるだけでは気づけないポイントのはずです。最初からパンドラの秘密を、僕らの因子を知っていた』
『俺も兄貴に同意だ』
同じく紫電を纏い、将斗も五木に詰め寄る。流石にATC 2体に挟まれては圧力も激しいのか、五木は笑顔に冷や汗を流し始めた。
「嫌ですねぇ、ほら、私って謎を飾って美しさを保ってるじゃないですか?それ以上踏み込んだら美しさの秘訣が……」
将斗はもう一歩詰め寄る。
『あんた達は何者なんだ』
沈黙。静けさ。
五木は答えない。否、答えられないのだろう。
昴も将斗も知りたい気持ちに身を任せたいのだが、そこでレーダーに反応が見られたのでなにも言わず五木から離れる。
見回りだろう。旧式のATC が複数、レーダーの範囲内に侵入してきたのだ。
『……車を遠ざけてください』
トラックの運転主である五木に、続いてきたセダンの山縣と天田に。昴は指示した。
『もうすぐここは戦場になります』
『兄貴……敵の数、もっと詳しくわかるか』
昴は黙ってレーダーの機能強化を実施した。写るのはATCを表す光、光、光……
『ATC だけで49機はあるね』
『まじか……』
『人数は90以上。……いずれも日本で雇われた暴力団やチンピラだろう。ATC に乗る分を差し引いても50人はいるかな』
本当に戦場じゃないか。こんな大勢のATCと人数を相手にしたことはあっただろうか。
『……少し疲れそうだね』
パンドラを使えば周囲にも被害が及びやすい。建物のどこにいるかもわからない千晶への配慮を考えたらセーブして戦う必要があった。
『パンドラの力は僕の方が慣れている。将斗はいつも通り闘ってくれ』
車が遠退くのを確認し、将斗は了承した。
『ああ……行くぞ、兄貴』
その声を合図に加速した。最初に将斗が見回りしていたATC数体を対甲ブレードで切り伏せる。くぐもった悲鳴と共に血が月夜を舞った。
昴が将斗の隣で速度を落とし、ヘカートⅡを放つ。建物に当ててはいけないので敷地ギリギリのライン、丁度余波が駐車場に留まる程度にだ。
停めてあった敵の車が爆発を起こし吹き飛ぶ。悲鳴と怒声が静寂を破り、建物の中や物影から次々と人が、ATC が雪崩れ込むようにして現れる。
『今までにない大規模な任務だね……!』
『こりゃあATCの性能を見せつけるチャンスだな!』
軽口を吐き、ブレードと銃を構えた。
真っ暗な世界。でもこの光景を知っている。
あの星空のきれいな湖。あそこを潜ると、こんな暗くて静かな世界につながる。前回と違い、手足を動かすことが出来た。軽く、自由に。
もう一度水面上に出て、あの満天の世界を眺めたい。そう思ったとき。
背後に「あの人」がいた。
白色のワンピースに長い栗の髪。鍔の着いた帽子を深くかぶり、顔は見えないが。
……大丈夫だよ……
ワンピースの女性は声に出さず千晶に語りかける。言の葉は音ではなく頭に直接投げ掛けられているような、そんな気がした。
千晶は、彼女に向かって手を伸ばしていた。
その手を向こうも握り返す。白く、柔かな手は紫音によく似ていた。
握られた手をそのままに彼女へと近付く。
家族を見るような、やさしい眼差しへとそれは変わる。
横たわる傷だらけの狂犬は目を閉じたまま、静かに呟いた。
「……白夜……」
人の少ない裏口を乱暴に開け、マキシムは紫音を引き連れて中に入り込んだ。
生身の人間達がこちらに視線を向ける。いずれも銃を所持しており、仲間でないと判断するなり二人に銃口をつき出してきた。
先に動いていたのはマキシムである。持っていた銃を照明に向かって撃ち、視界が不良になるなりナイフを抜くと敵の中に飛び込みその喉を切り裂いて行く。
闘い方は千晶に似ている。違う点があるとすれば千晶は獰猛な圧力を放ち蹂躙して行くのに対し、彼は近接戦の模範的な動きを体現したかのような丁寧さと素早さが見られた。
あっという間に敵を殲滅し、断末魔と遺体の真中で立ち上がるマキシム。
彼に促され、紫音も続いた。
「近接戦は苦手だったんだが、ティーナに決闘を挑むうちにある程度は克服出来たんだ。実力は彼女より遥かに劣るがな」
紫音の携帯には既にこの病院の内部のマッピングと消費電力の激しい箇所が入っていた。
場所は地下。この旧病院の裏口から入り、通路を40M抜けた後、エントランスに出る。そこの地下へ続く階段を下りればすぐだ。
「行こう、ティーナが待ってる」
マキシムが後ろに目をやると、黒服達の援軍が銃を手にやってきた。およそ10名といったところか。
紫音を曲がり角の影に押しやり、応戦を始める。さすがに一人相手に人数が多いのか、マキシムは小さく舌打ちをした。
直ぐ様紫音は携帯の方を見る。この病院の内部は調べた。
「マキシムさん、15秒持ちこたえてください!」
了承を得る前に指は端末を打ち込み始めた。マキシムは紫音を一瞬だけ見た後、
「ダー」
と返す。
パソコンと勝手は違うが携帯も立派なコンピューターである。
この病院に電源が通っているのだから通信回線による介入は可能だ。セキュリティーシステムにつなぎ、ポイントを指示。タイミングは問わない。
10秒もかからないうちに後方……紫音達と黒服達の間に防火扉が立ちふさがる
防火扉は頑丈だ。並の拳銃では開けられない上、ここはシステムにより扉の開閉を行っているので紫音が解除するか、誰かが病院のセキュリティーを上書きしない限り勝手に開くことはない。
マキシムは軽く口笛を吹いた。
「……流石だな……」
ともあれ、これで背後を襲われる心配はない。二人はエントランスへと走り出した。途中、待機していた黒服達と銃撃戦になったがそれはマキシムが一掃してくれた。
階段へ向かう途中、柱の影に隠れていた黒服が4名、攻撃してきた。こちらも物陰に隠れながら対処しているが、マキシムならこの程度の数はすぐに殺せるだろう。
だからどうか。
どうか間に合ってください。千晶ちゃんの命が繋がる間……
そう祈っていると、頭の中で自身の声が聞こえてきた。
(大丈夫……やれるよ)
「……?」
「シオン?一掃したが……」
おそらく数秒間かたまっていたのだろう。気付くとマキシムが不思議そうにこちらを覗き込んでいた。
「怪我をしたのか?」
「い……いいえ……」
「なら行こう。もうすぐだ」
彼に手を引かれるように、紫音は地下へと向かった。
『ウジャウジャ湧いてくるじゃねえか‼』
黒服の頭を銃で撃ち抜き、間に入ってきたATCの首を対甲ブレードで切り裂く。
厄介なのはATCの相手をしている間、離れた場所から敵がグレネードやらで攻撃を仕掛けてくるところだ。対甲ブレードほどではないにしても装甲にダメージを受けてしまう。
彼らの闘い方はアリを連想させる。個々の力は弱くても、集団で挑めばそれは驚異となる。今も前衛と後衛に分かれつつ、絶え間ない攻撃で兄弟は足止めを食らっていた。
『うーん……将斗。どうにか正面出口に行きたいんだよ』
接近しようとする黒服の胸を蹴る昴。装甲で固められた蹴りを受け、敵の胸には風穴が空いた。
『病院を背にすれば……パンドラが使いやすいからね』
言いたいことはわかった。病院を背にパンドラを解放しても、攻撃を受けるのは前方のみで病院に被害はいかない。
こちらも一気に数を減らせる。千晶への被害もない。WIN -WINというわけだ。
だが数の暴力を前にそれは難しい。なにせ病院を巻き込んでは千晶も被害を受けてしまうかもしれないし。
さて、どうする?
『ひとつ、思い付いたのだが』
『お、ナイスなアイディア?(о´∀`о)』
『そ。ただ、後が怖い……恨まないでいてくれるか?』
『弟の頼みだもんね。勿論だよ(*^ー^)ノ♪』
実はを言うとかなり切羽詰まった状態だ。雨のように群れて襲いかかってくる敵に囲まれてるというのに、何故か昴は顔文字が着きそうなほど声のトーンが高くなっている。
さて、OKはもらった。
将斗は兄の背中に回り込むと。
『それじゃ……行ってこい、兄貴‼』
『……へ?(°▽°)…あああああああぁぁぁぁー……‼』
実の兄の背中を思いっきり、正面出口に向かって蹴りつけた。
兄と機体は目の前の敵を吹き飛ばすようにして出入り口めがけて突っ込んで行く。
ATC が数体、パーシヴァルによって突き飛ばされた。
人を下敷きに、機体を押し退け。パーシヴァルの機体は減速して行き、玄関の前で停止する。敵陣にぶちこまれた兄はノロノロと立ちあがり、襲いかかってきた黒服の頭を掴んで投げつけた。首の折れる音が銃声の中でもハッキリと聞こえる。
『……なるほどね、確かにナイスアイディア』
『サンキュー、後で恨まないでくれよな!』
『後でなんて……そこまで引きずる男じゃないけどね。それじゃあ僕も、キチンと働こう』
ガコン‼と音をたて、肩の装甲が大きく動き、赤い光が漏れ出る。
――パーシヴァル、『パンドラ』起動――
『……ん?兄貴……待て待て、俺も巻き込まれ……!』
直後、将斗がいる位置を高密度の熱エネルギーが襲った。半径20m。紫電(少し焦げてる)を残し、敵は木っ端微塵になる。
『危ねえじゃねえか!恨まないって言ったよな⁉』
他の敵を対甲ブレードで凪ぎ払いながら兄のもとへ駆ける。
『ははは、『後で』は恨まないって話だろう?これでもセーブしたんだ。将斗が無事且つ、奴らは殺せる威力でね』
『大人気ねえ……』
『それより僕は固定砲台となるから……援護、頼むよ?』
言われるまでもない。将斗は兄に飛びかかってきたATC の胸を突いた。
幹部達はまた集まっていた。緊張に顔を強張らせるもの、狂犬の死を待ち望むもの、逆に狂犬への仕打ちにしょげてしまうもの……様々だが、ここにいるはずの人がいない。
「ところでイヴァンよ。モノロフはどうした」
「大佐。モノロフ大佐は狂犬暗殺に異議を唱え、作戦を妨害しようとしたために……始末しました」
「そうか。まぁ、仕方ない。前から奴は狂犬を擁護していたしな」
シトラニコフ大佐は納得した様子だ。
「今日、クレムリンは生まれ変わる。邪魔な膿を排除してな。事が済んだら存分に祝おう」
五木と山縣は、白夜を見る。この機体も稚内まで運んできたが、自律機能のある白夜は2人とまるで話し合うかのようにこちらに視線を向けていた。
2人は知っている。この機体が、このままでは引き下がるはずもないことを。
白夜は微かに動いた。2人の表情にはどこか影が見られる。
「本当は……あなたに動いてもらわずに終われば万々歳ですが……そうはいきませんよね」
「……どうか……ご無事で」
簡単な見送りを受け、白夜は闇夜へ姿を消した。
「……ちゃん……千……千晶ちゃん!」
悲痛な声で千晶は目を覚ます。体中包帯とチューブで埋め尽くされ、更には皮のバンドで体をベッドに固定されまったく身動きが出来ないが、その人物がこちらの顔を覗き込んでいるものだからすぐにわかった。
「……紫音……ちゃん?」
千晶の声は掠れていた。口は渇き、血を失って顔色も悪い。さらに言うと、力がまったく入らない。
だが彼女が声を出したのを確認し、紫音の目には嬉しさの涙が溜まっていた。
「な……んで……」
「ティーナ。話は後だ」
マキシムが手早くナイフでベルトを切り裂く。ようやく動かせるようになった身体だが力が入らないせいで、紫音の肩に倒れてしまった。
「……あ……ごめ……」
謝ろうとするがそれより先に紫音の腕が背中に回された。
鼻を、幼馴染みの嗅ぎなれた香りがくすぐった。
「良かった……」
耳元で囁くような紫音の声。
「間に合って本当に……良かった……」
かつてエレーナと打ち解けた時によく似た感触に、千晶は安堵の息を吐いた。
「ティーナ……」
そんな千晶をマキシムが苦々しげに見る。
「今すぐ信じてくれとは思わない。ただ……」
「……ううん、わかってる」
紫音の肩を優しく退け、千晶は自分の足で立った。
「だってマキシムは…………」
敵じゃないから。
~~イゴールとイヴァンの電話(20分前)~~
「イヴァンさん……今さら電話なんて、随分な態度ですね」
『すまない。だがどうしてもお前には伝えておきたくてな』
「ああ、まさかティーナ暗殺の件ですか?」
『……鋭いな』
「ルスランって事情の知らないガキを寄越してそちらでコソコソされてましたしねぇ。マサト達は既に気付いてる様子でしたが、ここまで露骨にこられると俺だって気付きますよ」
『…………』
「なにも言わないってのは肯定ですか?」
『……半分は肯定しよう。確かに上層部の目的はティーナの暗殺だ』
「…………」
『だがそれらは、前から仕組んでいた事だった。今回のマキシムの件を利用し、ティーナの命を狙っている』
「……じゃあマキシムの行為は、わざと見過ごされてたんですね?シュプリンゲンも……」
『見過ごされてた。確かにそうだな。だがマキシムに罪はない』
「はぁ?何を言い出すんです?奴は現にティーナを……」
『最初の銃撃戦ではわからんが……イゴール。お前に本当のことを話そう。
…………………………、……、…………………………』
~~~~~~~~
何者かが近寄ってくる気配に気付き、マキシムは表情を険しいものに変えた。
コンマの速さで銃を抜き、降りてくる人物に向ける。
「だ……待て‼」
声の主に気付いたのは千晶と紫音だった。
「マキシムさん!待って‼」
マキシムは僅かに戸惑ったが、引き金を引くことはしなかった。
知り合いか?マキシムの視線を受け、紫音が首肯く。そして侵入者…イゴールを招いた。
「あんたがマキシムか……」
イゴールはシャツの下に防弾チョッキ。片手にマシンガンと、準備を整えてきていた様子だった。
「正直言うと、お前のことはまだ信用していないからな。お前がシオンを拐ったのも事実だからな」
「俺こそ回りくどいことをして誤解を招いたのも確かだ。否定はしない」
険悪な空気が漂う。敵対視はしないが味方としての認識はしない。アイコンタクトだけでその確認を取り、了解したイゴールは千晶の方を向いた。
血の少ない彼女の顔色を見てため息をつき、そして気遣う。
「そこの野郎に胸を撃たれたそうだな……平気か……」
「イゴールさん……それは……」
紫音が割って入ろうとするが千晶が先に返す。
「イゴール……私は胸を撃たれたんじゃない……」
紫音とマキシムが顔を曇らせ、察したイゴールは面白くなさそうに舌打ちをする。
少なくともマキシムの容疑がひとつ、晴らされた。
同時にイヴァンの説明を思い出す。
繋がった。全て繋がった。
『最初、クレムリンはティーナを殺し、白夜を奪う算段だった』
そうだ。千晶の血でパンドラは動かせるようになる。
『だが既にティーナは日本に移住し、露骨には動けない。北海道では既にMI6の噂も流れていたからな。
そこでクレムリンは新たパンドラを調達する必要があった。
テロ国家による紛争地域にてパンドラの情報を掴んだ上層部は、地域の混乱を激化させることで人目につかず盗み出す手段を見つけた。
それがシュプリンゲンの大量流出だ』
流出は個人ではなくクレムリン上層部によって指示され、行われていたのだ。
激化した紛争地域ではシュプリンゲンによる殺戮と副作用による自爆が繰り返され、逃げ惑う人々には隣の誰がどこの国の人か、疑う余地もなかった。その中で物を盗み出すなど、クレムリンには造作もない。
『そうして手に入れたパンドラを起動するべく、クレムリンは2人のエリートに目をつけた。マキシムとルスランだ。2人とも実力は申し分ない。成績もほぼ互角。
ならばどちらを優先するべきか?それは良き体裁を保てる方だった』
ルスランは親が軍人だった。人種を重んじる上層部は軍人の子であるルスランを選んだのである。
だが問題が発生した。
『シュプリンゲンの流出量は異常だった。ある日マキシムは私に、秘密裏に調査する旨を伝えてきたよ。そのままにしておくと世界情勢も破綻しかねないからな。
優秀なマキシムは上層部にとって厄介な相手となった』
マキシムに露見されたら上層部の大半の首がとばされかねない。
そこで彼に汚名を着せることにした。わざと監察に任命し、ありもしない証拠を作り上げ、罪を彼に擦り付けた。
マキシムは逃亡せざるを得なかった。
だがこのままでは日本にいる千晶にいつ、上層部の手が届くのかわからない。彼は救いを求めて、また、真実を話そうと来日した。
だが簡単に引き合わせるほどクレムリンも甘くない。
『ルスランを送り込み、既に買収した日本のマフィア達にマキシムを襲わせていた。ティーナが捕まったあの夜、ビルにいたのはマキシムの仲間じゃない』
そこへルスランと千晶が突入してきた。マフィア達は突然の侵入者に反射的に応戦してしまう。
そこにあの銃声。千晶は無力化された。
『そうしてティーナを連れ去り、どこかで血液やDNAマップを採取する。あとは邪魔者なマキシムを殺せば、クレムリンの計画は完遂される』
そこまで知っていて、なぜ未然に防げなかったのか。
なぜイヴァンは今も、上層部と一緒に動いているのか。
『クレムリン全体で情報を操作している。日本にいた私に飛び込んできたのは偽りの話ばかりだったし、現状証拠だけでもマキシムにしか容疑がかからなかった』
だがある人物がイヴァンに声をかける。
クレムリン全体の動きに違和感がある。本部へ戻らないと真実は見えない。
そう教えてくれたのは五木と山縣だった。どこか確信めいた物言いが気になり、ロシアへ戻った。
『そこで彼らの言っていたこと全てを理解はしたよ。
だが上層部に近付いたことで勝手に計画の仲間入りをされた私は、日本に戻る術を失った』
幹部たちの耳となり情報をかきあつめ、報告する。その役割を与えられ、彼には日本で弁明するチャンスすら与えられなかった。
『イツキとヤマガタとの秘匿回線で私は上層部の動向を彼らに伝え、彼らもまた、私にどう動くべきかは教えてくれたよ』
上層部に悟られないよう、従うフリ。
クレムリンが千晶とマキシムを処分し、正式なロシア人にパンドラを与える舞台を整えていた裏でこちらは常に情報を手に入れていた。
……………
「早く行くぞ」
イゴールが銃のマガジンを取り出し、カチリと嵌め込んだ。
「マサト達に合流して、ティーナを安全な場所に……」
しかし言葉は最後まで発せられない。
タァン、と乾いた音と供にイゴールはその場に崩れ落ちたのだ。膝から下は血で真っ赤に濡れ、水溜まりを作る。
紫音が息を呑む。
千晶が表情を険しくする。
そしてマキシムは……
イゴールに向かって銃を向けていた。
だがイゴールを狙って撃ったわけではない。むしろ彼を守るために、背後の人物を狙ったのだ。
弾は相手に当たらなかったが、イゴールの頭が吹き飛ぶのを回避することができた。
「まさかこんな早くに再会するとは、夢にも思わなかった……」
あの時、千晶は胸から血を出して倒れた。
しかし千晶の正面に立つマキシムが撃ち、胸を貫いたのなら血は貫通した背中から吹き出すものである。
「随分な挨拶だな。あんなに一緒にいた仲じゃないか」
なら、どうして胸から血が?
答えは逆だからだ。
背中から撃てば貫通した胸から血が溢れる。
そして千晶がそんな不覚を取ったもうひとつの理由。
「とにかく、せっかく3人揃ったんだから。久し振りに仲良く話そう」
簡単だ。千晶が仲間だと信じ、背中を預けていたからだ。
本当の裏切り者はどっちか。
「ルスラン……」
黒服を雇ったロシア人がマキシムでないなら?
マキシムは獸のように唸り、それをバカにするかのようにルスランは鼻で笑う。
上層部から何も聞かされていない?パンドラの使い手に決定された彼が?
そんなわけなかった。
彼は全てを知ってて、千晶を助けようとする将斗達と行動を共にしていたのだ。
おまけコーナー
千晶「裏切り者が(‘ー‘)」
マキシム「まったく(-_-)」
ルスラン「あああああああぁぁぁぁっ!やめて!やめて!悪いのはシナリオを書いた作者だから‼俺個人の意思じゃないから‼」
千晶「そんなメタ発言、信じると?」
マキシム「無理だな」
ルスラン「ギィヤアアアアアアアッ‼」
昴「将斗。千晶は?」
将斗「あぁ、さっき連絡で『裏切り者粛清なう』ってきたけど……」
昴「なう……あの千晶が……」
将斗「……日本に溶け込んでるよな」
紫音「いや、粛清って不味いじゃないですか‼」




