マキシムとティーナ
今回はマキシムと千晶の過去話になります。
俺は教育訓練の始まる前から諜報部への転属を期待していた。だからイヴァンさんとは知り合いだったし、彼が連れてきた日本人の女の子、チアキ・タチバナともすぐに接触した。
イヴァンさんは立場上、肩入れできないらしいので俺が彼女を支えるよう言われた。実際、クレムリンで彼女は迫害を受けていたのだ。
俺もまぁ出来る限りの支えになるつもりはあるのだが、その迫害がこちらにまで迫ったら……話は別だ。裏でこっそり手を差しのべるしか出来ない。
チアキは体格的にも優れているとは思えないが、近接戦闘において彼女の右に出るものはいなかった。自分も手合わせをしたことはあるがその迫力、重さ、しなやかさ。どれを取っても並の兵士では敵わない。彼女のことをイヴァンさんは戦の神だとさえ評していた。
なるほど、その喩えは的を得ている。彼女の成績は同期内でも歴代でもトップだったし、センスもある。
しかし常に無表情なまま(ロシア人は感情表現に乏しいほうだが)で長らくルスラン達からの苛めを甘んじて受けているのはなぜか。
イヴァンさんに頼まれた手前もあり俺は、彼女を外出で連れ出すことにした。
とはいっても、チアキは人ごみを嫌う節がある。彼女の過去は聞かされているし、テロ事件では人波に呑まれたりもしたんだろう。
俺も人の多い町を強要するつもりはなかった。
だから辺境のとある湖に案内したことがある。行く途中の列車で俺は彼女とやり取りをした。
「そう言えばチアキって、あまりメシ喰わないよな」
「クレムリンに入ってからは少し食べる量が増えたかな」
「嘘つけ。こないだも大量に残しただろ。俺は見てたぞ」
「マキシムって……お兄ちゃんみたい」
「ニェット」
あくまでイヴァンさんのためだ。他意はない。
「大体、ルスラン達からしょっちゅう嫌がらせを受けて……悔しくないのか?」
彼女の実力なら撃退も出来るはずだ。それをしない心理が俺にはわからない。
この前は隊舎裏でリンチを受け、さらにその前は配食を奪われていた。
さっさと撃退するのが賢明な気がするのだがなぜかしない。
まさか仲間意識とか?
「……痛いのは嫌だし辛いけど……やり返していいのかわからない」
……間違えた。
この子はアホなのか。
普段から感情らしいものなんて見せないし自分に向けられる悪意を素直に受け止めてしまうバカ。これは面倒見きれないかもしれない。そう思って頭を掻いているとチアキはふと、細やかな疑問をなげかけてきた。
「……これから行く湖ってどんなところ?」
今回の狙いはさっきまでの会話にあった。だからそれを終えた今、湖なんてチラッと見て終わらせるつもりだが。
「人が全くいない。夜は星空が綺麗な場所だ」
「星……?」
そこで初めて彼女は人間らしいリアクションを見せた。年相応の好奇心に充ちた眼差し。
今まで物事にあまり関心を示さなかった彼女にしては珍しい反応に、マキシムは「おや?」と首をかしげた。
「……星……好きなのか?」
「ひいお爺ちゃんが好きで、よく聞かせてもらってた」
俺は星を綺麗だと思ったことはあるが、特別好きというわけでもない。しょっちゅう見れるのだし、星にまつわる話にも興味はなかった。
チアキも伝説とか物語とかに詳しいわけではなく、星座程度の知識しか無い。ただ、星空を眺めるのが好きらしい。
曾祖父も多趣味だが星に関しては伝説よりも星の種類や星座の配置しか知らないそうだ。
だが生まれ育った日本の土地で兄弟や曾祖父と一緒に星を眺めたりしていたらしい。
俺の紹介した湖は山に囲まれており、とても静かで綺麗な場所だ。星と月に照らされ水面は夜の中で輝きを放ち、木々はその光に当てられ緑の葉を美しく魅せる。
彼女はテロ事件で家族を失ったと聞く。別に俺達にとって珍しい話ではない。クレムリンの殆どが孤児だ。だからテロや紛争に巻き込まれたという話はよく聞かされる。
だが、俺には何故かそんな過去で心に深い闇を持ちながらも星空一つで彼女がこんなに少女らしい感性を覗かせることが不自然で、歪にさえ感じられた。
近接戦であんなに狂暴性を剥き出しにする彼女が。普段は無表情でなにも言わない、それこそ暴力や苛めを受けながらも顔色ひとつ変えない彼女が、隣で星空とこの光景を見ながら口許を笑みで弛める姿が不思議に思えてならない。
彼女は確かに喜んでいた。こんな些細な事に表情を変えていた。
イヴァンさんから聞かされたことがある。彼女が初めて人を殺したときのことを。
戦神
そう評していた。だがそんな2つ名を持つ子が、星ひとつで笑っているなんて。
彼女の笑顔を見るのはこれが初めてである。
「好きな星はあるのか?」
星空を眺めながら尋ねた。星に詳しいわけでもないが、話を合わせてみようと思った。
ちょっとした出来心だったのかもしれない。
「……あったんだけど名前忘れた」
「何だそれ」
「一回しか聞かなかったから。ひいお爺ちゃんはそれを幻の星だって言ってて……それで、もしあるなら一度見てみたいとも」
随分と夢見がちな爺さんだな。そんなことを考えていると、話を始めた。
「ひいお爺ちゃんは小さい頃、酷い目に遭ってたって聞いた。だから夢なんて無かったそうなんだけど……星を見るようになってからその幻の星について興味を持ったみたい。
本当に誰も見たこと無い星だから、どんな星なんだろうって……お兄ちゃん達と一緒に話したことがあるの」
今なき兄達との思い出にまつわる星でもあるのか。
話を繋げようと思い、声をかけるために隣を見る。そして俺は思わずたじろいでしまった。
夜空を眺める彼女の目からは一筋の涙が流れていた。自身が泣いてるのに気付いてないのか拭おうとする仕草は一切見られず、ただただ過去の想い出に浸って空を見ている。
新鮮だった。泣いてる姿なんて初めて見た。
何より、この光景と共に涙を流す彼女の姿が幻想的にさえ思え、今話かけることでそれを壊してはならない気がした。
慌てて俺も夜空を見上げ、その横顔を見ないよう心がける。
「……チアキは……ルスラン達は嫌い?」
無理矢理話題を変えてみる。チアキはまだ泣いているのだろうか。
「……嫌いじゃないよ」
「苦手とか?」
「ううん。ただ、同じオカマのメシを食う仲間だから仲良くはなりたい」
……うん?
「……何、それ?」
「日本の言葉。仲間に対して使うみたい」
「いや、それは多分だな……」
俺は諜報部に入るべく日本の言葉も学んでいる。それは多分、「釜」じゃないか?
そうツッコもうにもまだ彼女が泣いている気がして、訂正する気に歯止めがかかってしまった。
それにしてもイヴァンさんは戦神と言っていたけど……
本当にそうなら星なんかに興味を持つか?普通……
「……ま、仲良くなりたいならまずはメシを食えよ」
「……なんの関係が?」
「腹が減ったら力が出ない。気だって散る。そうなると仲良くなろうとしてもお互いにピリピリするものだ」
「ルスラン達は常に腹ペコだから私にあたるの?」
「いや……それは無いだろ……」
少しの沈黙の後、彼女の動く気配がした。
うなずいたのだ。
「……うん……とりあえずごはん……ちゃんと食べる」
それからと言うもの彼女はキチンと食事を取り、訓練に励むようになった。
少しして実地訓練でルスラン達を守りきり、英雄のように扱われ、今では彼女を苛める者はいない。
仲間たちに発破をかける彼女の姿はイヴァンさん達が言うように戦の神そのものだった。
それでも時折、彼女は休日を使ってこの湖を眺めに来る。星が見れるし落ち着くしで、かなり気に入ったそうだ。
彼女は表現が豊かになった。酒を飲んでは小さく笑い、仲間のジョークに含み笑いをし。
だが星を見ているとき、毎度嬉しそうな表情の中に悲しみを覗かせる。そして一緒に湖に来る俺はそれを見てきた。
教育課程を終え、部隊として活動するようになってからも彼女はこの湖を訪れている。
その日の任務は普段よりも特殊な内容だった。
以前から内部の情報を漏らし、他国に取り入ろうとしているクレムリンの先輩がいた。実力としてトップ3に位置する俺はその暗殺任務を彼女と一緒に受けたのだ。
同胞を暗殺した任務は俺も彼女も初めてだった。ザスローン部隊を上回る力を持つ標的を彼女は躊躇うことなく葬る。
上層部からは勿論褒め称えられた。仲間たちもだ。
しかし、先輩の同期にあたる人物達が褒め称えると同時に冷たい目を向けていた。
それは当然とも呼べる。
俺達にとって同期がかけがえの無い存在であるように、その先輩も裏切り者とはいえ彼らにとって大事な仲間でもあったからだ。
結果、廊下を歩いてるときに先輩達は彼女へわざと聞こえるように嫌みを言う。
「味方殺し」「血も涙もない狂犬」と……
「今回殺した先輩……一緒に任務をこなしたことがある」
その日も湖と星空を眺め、彼女は溢した。
「仲は良かったのか?」
「そこそこ。ごはんも一緒にしたことがある」
「そうか……」
その横顔は見ない。彼女は黙って涙を流しているのだろうか。
「流石に辛かったか?」
「…………」
彼女は答えなかった。ただ静かなひとときを噛み締めるように受け入れている。
泣いても泣き叫ぶことはしない。ルスラン達の苛めを辛いと思っても泣き叫ばない彼女だ。きっと今回も……
「少し泳いでみる」
何を思ったかすると急に立ちあがり、上着を俺に預け彼女は湖へと足を踏み入れた。
彼女がこの湖に入るのは初めてだった。
星で、月で光る水面は彼女の華奢な体により波紋を生み出し、黒い髪からは雫が舞う。
幻想的な風景の中、魚のように泳ぐその姿は人魚を連想させた。
人魚の姿は俺の目に美しく映った。
なにも知らずに見れば、それは水泳を楽しむような姿。
しかし湖から姿を見せる度、水に濡れたその横顔が歪んで見えてしまい。
俺は気付いてしまう。
何とも思っていないはずがなかった。あまり表に見せないだけで彼女も傷付いていた。
初めての実地訓練で仲間を見捨てることを良しとせず、吠えた彼女が。
かつての仲間を殺して、平気でいられるはずなんてなかった。
俺に見られないよう、彼女は湖の中で泣いている。
美しくも悲しいその姿を見て胸が痛んだ。
彼女の痛みを理解してこなった自分に恥ずかしささえ覚えた。
彼女は戦神なんかじゃない。
星を見て感傷に浸り、同胞を殺して泣き叫ぶその姿はただの女の子だ。
ただ、人よりも闘いの才能に恵まれ
才能を存分に発揮する場所に来てしまい
過去の事故で感情表現に乏しいがゆえに、忠実に見えてしまうだけ。
本当は感性豊かで仲間思いで、でも傷つく姿をあまり見せないただの女の子。
ただの女の子が過去の事故をきっかけに、ここまで変わり、傷付き、泣く姿を。その真実を
誰が知っているというのか。
「……マキシム?」
気付けば自分も湖に入り、彼女の小さな背中を抱き締めていた。
華奢だが引き締まってもおり、そして、何よりも弱いその肩を力一杯抱き締める。
服が濡れようが構わない。俺だけに見せてくれた彼女の真実を。
どこまでも強く、そして弱い彼女を。
誰よりも守りたいと思った。
「俺は何も知らない」
きっと彼女は、誰かに辛い感情をぶつけたことがないから。だから誰にも泣き叫ぶ姿を見せない。
抱き締めた腕を緩め、俺は言い放つ。
「何も見ていない。だからお前が泣いても…聞かなかったことにする」
だから思いっきり泣け。
そう伝えると彼女は自身の体を抱くように身を屈め、そして
泣き叫んだ。
森は、空は、湖は。そんな彼女の悲しみを吸い込むように受け入れる。静かに、優しく、残酷に。
泣き叫んぶ。そんな彼女の悲痛な叫びは、狂犬と呼ぶにはあまりに悲しくて儚いものだった。
泣いてスッキリしたのだろうか、帰りの列車で彼女の顔は柔らかなものになっていた。
だがこれからも彼女は仲間殺しを強いられるだろう。その度誰にも見られない場所で泣き続けるに違いない。
しかし、これで良かったのだ。
「そういえば」
俺は彼女に、ティーナにあることを尋ねた。
「お前が好きだって星……他に何かヒントは無かったのか?」
ティーナはキョトンとした顔で俺を眺めていたが、やがて思い出したように話した。
「神さまの名前に因んでるって聞いたかも」
「ほう。どんな神様だ?」
「あー……憎しみや復讐……だったかな」
それなら
「ネメシスだろう」
これでも彼女が好きだって星かもしれないものを調べてきたのだ。
仮説上でしか存在しない死の星を気に入ったとも思えなかったので、あまり気にはしなかったが。
「……そう。それ」
まじか。そんな星に彼女達は憧れたのか。
「あまり良くない印象だな……」
「でも、ひいお爺ちゃんはネメシスを悪い星ではないって言ってたよ」
「そうか……」
まぁ、いろんな伝承もあるだろう。そのなかにはきっとやさしい話もあったのかもしれない。
その後、俺はイヴァンさんに報告した。
「相変わらず無表情。戦闘ではアレ……ですが」
「そうか……」
どこが解せないのか、イヴァンさんは声のトーンを落としていた。
「ですが……彼女は戦神ではありませんでした。普通の女の子です」
そうも付け加えておく。
すると彼は口をニヤリと吊り上げた。
「そうか……」
……この表情……さては俺とは別の視点から彼女の本質を見抜いていたな?
まぁ、人心掌握や話術に長けたこの人だ。きっと俺なんかより先に気付いていたのだろう。
あんなに戦神とか言っていたくせに。
「あの子が素顔を見せるとはな……さてはマキシム、お前あの子に惚れたのか?」
「違います」
さらりと返した。
結局は軍の仲間だし、同期だ。同じ釜のメシこそ食っても彼女を……
……そういえば、なぜ俺はあの子のために必死に星を調べたのだ?
「……ティーナにまた負けた……」
ルスランが決闘の名ごり(全身打撲)を惜しげもなく露にし、隣に座っている。
「お前も懲りないな……」
「マキシムには言われたくない」
「む」
俺もルスランもティーナとの決闘を繰返し、今では38戦0勝38敗……
流石に凹みそうだが、そんな相手だからこそこちらも精進を忘れない。
「ティーナはすごいよなぁ……」
ルスランがぼやきだした。
「……ああ」
「こないだの任務も被害ゼロだったし……」
「ああ……」
「ATC を受け取ってから、勲章をいくつ貰ってるんだか……はぁ、俺が1位になって結婚できる日は来るのか?」
「なんだ、ルスラン、ティーナと結婚したいのか」
当たり前だろと返される。
「あんなに強くて可愛い子、他にいないよ。まぁ日本人てのが珠に傷だが」
「日本人のどこがダメなんだ。ティーナが日本人なのはお前達だって……」
「ティーナは、と・く・べ・つ。だよ。あんなに強いし、俺らも認めてる」
そういえばルスランは両親が元軍人だったか。もう亡くなってるが。自国に誇りを持つ家の出身なら他国の者に差別意識をもつようになるのもおかしくない。
「そ。だから日本人のティーナが1位の座にいるのは正直悔しいけど……それは仕方ないじゃんか。あいつ、あんなに強いし。でも俺にもロシア人の誇りはあるわけ。だから絶体ティーナより強くなって、そしてゆくゆくは……」
言ってるうちに鼻の下を伸ばし始めた。
ロシア人の誇りはどこに行った。
「結婚する、と?」
「うるさい。とにかくもっと強くならないと」
そう言ってルスランはティーナを見た。今も同期と決闘して、危なげなく完封している。
ルスランも、仲間達も、俺も。ティーナが好きだ。頼れる仲間。親しみやすい日本人。
しかしそこには彼女の強さしか見ていないものが殆どだ。彼女の弱い一面を知らないから、強さしか見えていないのだ。
近いうちにティーナはまた湖に行くのだろう。そして仲間には見せない孤独を吐き出すに違いない。はたして彼女がその一面を見せるとき、彼らは今までのように彼女に強い理想像を、狂犬の肩書きを押し付けることが出来るのだろうか。




