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光と影




「マスター。紫音さんにこっそり調べてもらったデータです」


 五木がそう言って開いたパソコンには、今回襲撃したマンションや最初に千晶達が向かったビルについての情報が記されていた。

 しかし天田は怪訝そうに眉をひそめる。


「……紫音を巻き込まない……それがお前達の今回の最優先事項じゃなかったのか?」


「違いますよぉ。紫音さんの動きをロシア側に悟られたくなかっただけです」


 パソコンに並ぶデータを見て天田は目を細める。

 あり得ないものを見た。そう言いたげな様子を確認して五木はすかさずフォローを入れる。


「これは、彼らの独断による行動ですよぉ。マスターが心配する要素は一切ありません‼」


「………本当にか?」


「……今だけは」


 保身もすかさず行っている五木。天田は深く追求はせず、もう一度画面を見て低く唸った。


「………しかし、今必要なのはマキシムの居場所だぞ……」


「……あ……」


「…………」


 まさか……調べてないのか?


 そう問いたげな目を向けられ、五木は慌てて調査を再開するために外へ出た。天田は僅かに肩をすくめ、引き続き捜索の進捗を確かめ始める。


(……ま、わざわざ私が調べなくても大丈夫なんですよねぇ)


 胸のなかで小さくあかんべぇをし、花銀通りの真ん中を軽やかな足取りで進んで行く。

 調べなくても済むのだから、自分はもう倉庫に向かった方が良いだろう。3体のATCを送り届けるために。


 ダンスのポルカによく似た動きで歩道に上がる。新たな期待に胸が膨らんでいるのか、それとも緊張でアドレナリンが分泌されてるのか。





 山縣が腕時計を見る。


「もうそろそろだな……」


 五木は走り出す。


「これからが正念場ですよ」


「千晶さんを救えるか。非業の死を与えてしまうか」


「あの方が望んだ結末を迎えるために」


 どこまでも続く空を2人は見上げる。


「「お願いしますよ。紫音さん」」









 指定されたのは札幌駅の、ビアガーデンがよく開かれる広場だった。

 持ち出したデータをポケットの中で強く握りしめ、間もなく来るであろう人物を待つ。とはいっても、相手が誰かは紫音は聞かされてなかった。


(五木さんのエスらしいけど……)


 エスとは主に警察で使われる用語だが、 この場合だと雇われの運び屋やその他の協力者を指す。

 日射しが暑く、影を探そうとしたときだった。


 自分の影に、さらに大きな影が重なる。場所移動を目的に視線を逸らした一瞬のうちに背後に回り込んできたらしい。

 背中に固く、冷たい感触が押し付けられる。扱ったことはないが見ただけなら何回もある。


 銃だ。


 暑さなんて吹き飛び謎の寒気で身体中、鳥肌が立つ。将斗達が命の危機に瀕しているのを目の当たりにした。あの時のような寒さと冷たさだった。


 少なくとも背後の人物はエスじゃない。


「シオン・クサカベだな」


 流暢な日本語だが名前呼びに僅かな訛りが聞こえた。これはイゴールやイヴァンが呼ぶときと似ている。


「まずはこっちを向け」


 言われるがままにゆっくりと向かい合った。拳銃は紫音の腹を狙うかのように固定され、微動だにしていない。

 見た目は40代。紫音よりもずっと大きな男は、夏らしい薄手のハーフパンツとシャツに身を包み、白いキャップ被っていた。黒く切り揃えた髪で日本人かと思ってしまうが、目の色はロシア人を象徴する灰色だった。


「ああ、初めましてだよな」


 表情を変えず男は話しかける。


「これでも年齢は君達と大差ないんだ。今はメイクであれだが……

 それにしても驚いた……ティーナの姉は皆美人なんだな」


 その名前に思わず反応を示す。


「千晶ちゃんの知り合い……?」


 さらに紫音が千晶の姉的存在であることやエレーナのことさえ知っている。千晶と近い仲としか思えなかった。


「ダー。ここに張り込めば君が来るのはわかっていた。

 俺はマキシム。ティーナと同じクレムリンだ。

 悪いが一緒に来てもらう」


 マキシムの名は五木から教わっていた。寒気は絶望へと変わる………













 車を運転している時に昴の携帯が震えだした。運転中の昴に代り将斗が覗いてみると「Natalia」とある。


「兄貴。ナタリアさんからだぞ」


「ああ……ナタリーか……」


 着信に昴も反応したが、名前を聞くなり脱力の様子を見せた。


「切っていいよ」


「おい」


 仕事仲間でしょうが。


「上司ならまだしも、ナタリーはね……今、話せる気分じゃない」

「大事な話かもしんないだろ」


「まさか。ナタリーに限ってあり得ないよ。話す内容の9割が喧嘩、1割が仕事なレディの欠片もない、残念な美人だ」


「よくわからんが1割の可能性で仕事についてかもしれないんだな」


 あり得ないって。なんなら将斗、出てみなよ。

 そう言われ、迷わず通話ボタンを押す。

 するとやけに怒りのこもった女性の声が。


『……やけに待たせるじゃない』


「すいません、兄貴が運転しているもんで」


 相手の声が違うこと、兄貴と呼んだことにナタリアはすぐに気付いた。


『あら、じゃあ貴方、スバルの弟さん?』


「ええ……将斗っていいます」


『貴方の話はスバルからよく聞いているわ。しょっちゅう貴方達の様子を変態らしく話しているのよ』


 この兄貴は仲間にも変態性を隠さずにいるのか……

 詳しく聞き出したい衝動を抑え、控えめな返事で話す。


「そ……そうですか……」


「ナタリー。世間話なら切ってもいいかな」


『あ、ちょっと!待ちなさいよ‼貴方なんかじゃなくてマサトと話をしたくてかけたのよ!』


 おや?2人はミラー越しに視線を合わせた。


「俺と?」


『ええ。調べものをしてるんだけど確信がほしくて。いいかしら、マサト』


「将斗。おかしなことを聞かれたら迷わず切っていいからね」


「待てよ。結局は仕事の話みたいじゃないか」


『……弟はまともなのね……嬉しいわ』


 急にすすり泣く声。


『スバルは優秀なのにいつもこうなの。ある時なんて任務中にも関わらず数時間、弟妹やシオンのことで自慢話するわ、提出書類は誤ってあなた達を盗撮した写真を添付して送ってくるわ……』


 まじか。


「将斗。やっぱり電話を切っ……てぶぉっ‼」


 自分達の知らないところで被害を被っていたナタリアへの謝罪と礼、そして自分達の写真をばらまいていたらしい兄への制裁として横っ面に拳を打ち込む。

 方向を変え、危うく反対車線に飛び出しかけたが流石は昴。迷わずハンドルを切り、S字状に動きつつも車は元の車線へと収まった。

 音から状況を察したナタリアは将斗の意を汲み取り、『サンクス』と述べた。

 頬をさする昴を尻目に将斗は電話の方を向く。


「それで聞きたいことって?」


『ああ、話を逸らしてごめんなさいね。マサト。貴方もパンドラを登載したATC を使うのよね』


「まぁ、一応は……」


『それでなんだけど、今までにユウセイ・アマタにDNA マップを提供したことはあるのかしら?』


 DNAマップ?少し考えてみるが心当たりなんてない。


『聞き方を間違えたかしら。ごめんなさい』


 ナタリアはすぐに謝った。


『アマタに血液や唾液……そういったものを個人的に提供したことはある?』


 それならあった。スカウトされ数年たったある日のこと、急に血液を採取されたのだ。

 あの時はあくまで検査としか考えてなかったが……


『そう……あるのね』


「ああ、でも特には異常はなかったし……」


『違うのよ』


 断言するような言い方のナタリアへ、兄弟は表情を変える。

 何が違うのか。

 なぜ将斗にそれを聞くのか。


 ナタリアは衝撃の事実を述べた。


『それは単なる血液検査ではなかったのよ。スバルは覚えてるかしら。MI6に入ってから何回か血液や口腔の粘膜を採取されたこと』


「もちろんさ」


 おかしくはない。MI6のような機関では勤務する者の状態を管理するためにマメな検査もあるだろう。

 しかし、


『貴方達のそれは健康のための検査なんかじゃなかったの』


 彼女はそう語るのだ。


『なぜ貴方たちがパンドラ登載のATC を扱えるのか、気になって調べた。するとね、先代が残したデータに気になるのがあったのよ』


「ナタリー……さすがに気になるが、今の任務との関連は……」


『あるのよ。大有り』


 ま、私の推論が当ってればの話だけどね。ナタリアはそう付け加える。


『スバルのパンドラ がMI6にやって来たのはスバルが引き取られた2年後。

 それまでに何人もの研究員や仲間が起動実験を行っては失敗したの。中には死亡した人もいたわ。

 それで研究部は、パンドラを動かすための条件を探した。調べて行くうちに特定の人物しか扱えないことがわかって、MI6はまず内部の者とその家族から適合できる人を探したの。

 ここまではいいかしら?』


 2人は頷いた。

 

『そして唯一、反応を示した血液があった。それがスバル。引き取られて間もない貴方よ。

 でも、貴方の血液に反応したとはいえまだ調べる必要があった。そこで研究部は貴方の血液で反応したパンドラを別の人が扱う実験に踏みいったのよ』


「待つんだ、パンドラは1人にしか使えない。君もそれを認めたじゃないか」


『そうよ。長時間使って、生きて帰るには……適合できる人しか扱えないの』


 でも、一時的にでも扱えないか。昴の血である程度制御すれば可能ではないか。

 そう考え、研究部は決行した。

 結果は半分成功で半分失敗したという。

 最初こそ扱えたものの、途中でパンドラは拒否反応を起し、被験者は死亡したのだ。


 当時の実験とさらにその後の検査で判明した。


 まず最初に、昴の血液でパンドラは他者も動かせたこと。


 そして……


『パンドラには内部に厳重なロックがかけられていたから全容はわからなかった。

 でも、それを完全に扱うために必要なデータだけは計測できたの。

 それはスバル。貴方のDNA マップだったのよ』


 路肩に車を停めた。

 いくつか不可解な点があり、兄弟はそれを確認する必要があったのだ。


「待ってくれ。ナタリア……」


 昴は携帯の方に目をやる。


「確かにパンドラは個人にしか使えないようプログラミングされてるらしい。しかし………」


『そうよ。最初に手に入れたその時から、パンドラには既に貴方の情報があったの。MI6に渡る、もっと前から』


「………」


『マサト。貴方のパンドラも提示されたDNA マップの本人であるからこそ、パンドラを動かせるのよ』


 そうなると千晶も……


『ええ。白夜だったかしら?それも間違いないわね。彼女は軍にいたのだから血液検査名目の採取も簡単だったろうし』


「……ナタリアさん。あんたは千晶の拉致がこの事実に関係していると言ったな」


 将斗はおそるおそる尋ねた。


 ここに至るまで彼女はいくつかの情報を提示した。その中には千晶がいるからこそ可能となる事例も……


『ええ。これまでの実験から2つのことが解るわ。

 ひとつ。パンドラには提示されたDNA の人物しか扱えない』


 そしてもうひとつ。これは実験回数が少ないのもあり、まだ確証は持てないが。


『貴方達兄妹のDNA があれば一時的にも他者はパンドラを扱えた。つまり貴方達には、パンドラを起動させる最低限の因子が存在するのよ』


 あくまで可能性でしかない。明確な根拠も足りないし、ユウヤみたいな血の繋がりのない人物だってパンドラを扱っていたのだ。

 しかし、橘3兄妹の因子で他者がパンドラを一時的にも扱えると言う可能性は高くなる。

 3人揃って扱えるのだ。共通した何か……それこそDNA レベルの小さく、細かな存在が鍵となっているという説は有力である。

 そしてナタリアの言いたいことを、勘の鋭い兄弟は察知していた。


「そうなると自然と見えてくるよな」


「そうだね……」


 マキシムは大量のATC を用意していると知っていた。

 しかしいくら多く用意しても、白夜1機を前に意味を為さない。ロシアだってそれを知っているはすだ。ただの旧式ATC の群れでは白夜の代用にならない。


 ならば逆に、白夜の代用になる存在なら?


 核弾頭。しかしこれは最初からナタリアも否定してる。


 他にあり得るとするなら。


『同じパンドラ。そう考えるのが妥当よね』


 そう。同じくパンドラを登載したATC なら。そしてそれを起動するだけの因子……つまり千晶の血があれば。


 クレムリンの他の誰か。千晶でない者がパンドラを扱える。狂犬の後釜が出来るのだ。

 たとえマキシムがその力を手にいれても、最後にクレムリンが奪えば済む。


 ここまであくまで推測だが、全容が見えてきた。

 千晶を殺し、パンドラを手に入れて、そしてパンドラを動かすために千晶の血を利用する。



「だがマキシムは……」


『ええ……白夜を交換条件にすら出してこない……のよね』


 少なくとも白夜を狙うならこれまでに何かしらのアクションがあったはずだ。

 しかしそれがなかったということは、わざわざ将斗達に接触するリスクを負ってまでパンドラを手にいれる必要がないということ。


 それは……


「既にパンドラを持っているか」


 そして千晶の遺体が見つからないというのは、あえて生かしている可能性が高い。

 起動するための因子である血液をより多く入手するため、今は生かしているという線が濃厚だ。


「出会い頭に戦闘になるとしたら危険だ。すぐにATCを運んでもらおう」


 昴が提案した。


「そうだな。パンドラ相手に普通の銃じゃ太刀打ちもできない」

『信用してくれるのはありがたいけど……間違ってる可能性もあるのよ?』


「そのときはナタリーの勝手な推測に振り回されたってキャシーに訴えるだけさ」


『ちょっと!』「おい!」


 弟とナタリアをスルーして昴は通信機を取り出す。一刻も早くこの事を伝え、ATCを傍においておく必要がある。

 そして血液や延命措置を取られているのだとしたら専用の器材を持ち込める場所。ただの狭い廃屋ではあり得ないだろう。

 調べる場所が絞られる。


 そう思った矢先だった。

 ノイズ混じりに聞こえてくる将斗の上司の声


『……聞こえるか?』


「ジジイ、悪いんだが今すぐ五木さんを合流させてくれ。それから捜査する場所を……」


『……やられたぞ』


 彼にしては珍しく沈んだ声に一抹の不安が 芽生える。兄弟は通信機に耳を近付けた。


「……何があったのです?」


 まさか千晶の遺体が……?

 そう考えると顔から血の気が引いた。


 しかし不安はまったくべつの方角から、それも厄介な意味で当たってしまった。


『……マキシムが紫音を誘拐した……紫音から先程連絡があってな……だがそれも途切れてしまった』


 紫音まで……

 意識の向こうで、何かが崩れ落ちたような気がした。







「これで紫音さんは嫌でも千晶さんのところにたどり着く」

「そこからどうなるか……もう予想は出来ない」

「さぁ、始まりましたよ。昴さん、将斗さん」



 五木と山縣は不安げに、しかし期待の意を込めて携帯をしまった。


「「ここからが本当の救出戦です」」









 ……湖の奥深くに沈んでいるときのような静けさだ。

 手足を動かそうにも思ったように動かせない。しかし何故か息を吸うことは出来、自分はまだ生きているのだと実感できる。

 静けさの向こうに何かが見える。誰かが見える。

 皆、自分の知っている人たちだ。明るい笑顔でこちらに手を伸ばしてくる。


 名前も呼ばれたような気がした。


 手を伸ばしたい。その手を握り返したい。

 そんな衝動に駈られるも、握り返したら最後、自分の意思はもう手の届かない更なる闇へ沈んでしまいそうな気がした。



 ……死なないでくださいよ



 誰かの声が聞こえた。



 でも誰の声か、わからない。


 まったくわからない。


 わからない。

 声の主が誰なのかも、どうして自分の体が動かせないのも。



 もう一度自分の名が呼ばれたような気がした。


 それもすぐ近くから。


 ようやく動かせた首で見てみると、白いワンピース姿の女性が近くにたっていた。

 初めてみる人だ。年は自分達と同じくらいか。同じく白い帽子を深く被り、顔が見えない。

 しかしどこか懐かしく、温かい雰囲気を醸し出していた。


 女性の手がこちらに伸ばされる。帽子の隙間から鮮やかな栗色の髪が艶を放つのが見えた。


 手が頬に伸ばされる。愛する我が子に触れるような優しく、眩しいくらいに綺麗な手。


 それが頬に触れるか触れないかの刹那、新たな声が。



 ……あの方が悲しみますから



 あの方とは誰だろう。

 わからないにも関わらずその一瞬のうちに自分は願ってしまった。



 生きたいと……








「…………っ…………」


 ベッドの上で手足と首を拘束されたまま、千晶は小さく息を吐き出した。

 袖無しのシャツの下は包帯でぐるぐる巻にされ、身体中のあちこちにチューブが繋がれている。首にはいつものチョーカーはつけられていなかった。


 パンドラはパンドラが提示するDNAマップの人物しか扱えないという事実。そして橘3兄妹の血があればDNAマップの人物でない人も一時的に扱えるという可能性が出てきました。

 パンドラはOOが作ったとされています。MI6やクレムリンに渡る前から橘3兄妹のDNAマップが既にプログラムされていたのなら、OOが3兄妹のことを知っていて、あらかじめ情報をパンドラにインプットしたことになるでしょう。

 しかしこの時点でまだOOは橘3兄妹のことを知りません。実はこれ、ささやかなネタバレです



 あ、あと紫音ピンチですね笑

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