捜索作戦
千晶のために皆が動きます。
その日の朝はお通夜のように静かだった。誰として言葉を発することなく、黙々と食事を摂り、時間になれば将斗と昴は家を出る。
こんなに気不味い朝は久しぶりだった。過去の例としては、昴と千晶がテロで行方不明になった時。
控えめにエンジンをふかす昴の車を窓から眺め、差って行くのを確認して紫音はノートパソコンを開く。
将斗達には内緒と言われているのだ。内容はよくわからなかったが、やり抜くしかない。頼まれた調査も夜中のうちに半分以上済ませておいた。少し眠たいが、ここで寝たら意味がなくなってしまう。
髪を後ろにまとめて縛り上げ、両頬をはたいて気合いを入れる。
もうひとふんばり。次のステップまでもうひとふんばりだ。
「……今朝は口もきかなかったね」
車のなかで昴が寂しそうに呟く。2人の目は寝不足で腫れていた。
「終わったらきちんと謝るさ」
「僕も一緒に謝るよ」
「その必要は……」
「あるよ」
力強く遮る。
「紫音ちゃんへの説得も、昨日は僕が冷静になるべきだったんだ。僕は皆の兄なんだからね」
将斗は兄を見た。睡眠不足によりやつれ、目の下には隈さえ出来ていたが今の昴には強く決意した感情が秘められている。
「……兄貴がパパになったら、家族想いの良い父さんなんだろうな」
「将斗はぶっきらぼうだから子供から誤解を受けそうだよね」
「うるせぇよ、兄貴の場合は家族が好きすぎて子供まで変態に育ちそうだ」
「将斗こそ。子供が無愛想で乱暴にならないか心配だよ」
「なんだと」
「なにかな」
そんな軽口を言い合っていると目の前の信号が赤になった。危なげなく停車させ、昴は息をつく。
「……ま、そういう将来のためにも千晶や紫音ちゃんは必要だからね。連れ戻そう。なんとしてでも」
昴の決意を聞き、将斗も同意した。
「ああ。んで千晶を引きずり戻して、心配させた分、謝ってもらいたいな」
「まったくだよ」
信号が青になる。2人の目付きはこの時既に鋭くつり上がっていた。
「……イズビニーチェ……」
第一声が謝罪。イゴールの広げた地図には60ヶ所以上、全道各地にマークが付けられていた。
潜伏先にピッタリな廃屋。それを片っ端から調べたのだ。遠方としては釧路や旭川、函館まである。
「………所在がわからない以上、しらみつぶしに当たっていくしかない」
天田が述べる。
「………山縣は道北。……ルスランは室蘭の方を、イゴールは道東。昴、将斗は道央をあたれ」
「道南方面は良いのかよ?」
天田は頷いた。
「……実はな、イゴールが既に調べに行ったんだ」
よく見ると道南方面は既にマークの他に青ペンでバツが書かれていた。 あんな深夜から道南を調べてとんぼ返りしたなら、イゴールの負担は半端なものじゃないだろう。
労りの念を込めたまなざしを向けるとイゴールはうなずき返した。隈もやつれも、将斗達よりずっと酷い。
「ハコダテの方は何もなかった……マキシムはまだ道内にいるはずだから、本土に渡ったとは考えにくい」
「………そういうわけだ。通信機を配備する。見付けたらすぐに連絡しろ。五木はここに残って、指示があればすぐATC を送り届けるんだ」
気の遠くなるような捜索の作戦。その幕が切って落とされる。小型の通信機を手に取り、何も言わなかったが全員が了解の意を示した。
通信機を握りしめ、将斗は千晶の姿を思い浮かべる。
何があっても見つけ出してやる。
絶体に。
「行こう」
弟の思いを悟った昴が背中を軽く押した。
「皆で帰るんだ」
数分後、3台の車と1台のバイクが倉庫から走り去る。
橘千晶を見つけ出すために、各々が胸に強い意思を秘めて。
「………開いた‼」
ディスプレイに羅列する文字列を見て思わず叫んでしまう。時刻は既に昼を迎えていたが、ぶっ通しで調べた疲れなど一気に吹き飛んだ。
正直、今調べた内容が千晶の救出にどう繋がるのかはわからない。しかし今はやれることをやるだけだ。考えたりする時間すら惜しい。
調べものを終えたら、その調査結果を持って行く場所を指定されている。手早く身支度を終え、メモリーカードを抜き取るなり紫音は部屋を後にした。
「あ……」
忘れてた。
調べものを終えたら五木に連絡をしなくてはいけない。
簡単な報告をメールで済ませ、橘家の玄関に鍵をかけた。
次にこの扉を開けるのは全員揃うときだ。そう自分に言い聞かせ、足早に港駅へと走り出す。
札幌市の白石区にある廃工場の前に車を停め、寄りかかるようにして兄弟は報告を始めた。
工場の中は既に調べたがそれらしい者や人などなかった。
「…こちら昴。7件目も当たってみたが外れだったよ……」
昴の声はわずかばかりだが弱々しくなってきている。コーヒーを飲む将斗も、眉間に皺を寄せていた。
まだだ。まだ調べるヶ所はある。もしかしたら他を当たっている仲間が見つけるかもしれない。
だがもし見つからなかったら?そう思うと……
『山縣です。砂川をあたってますが……こちらも外れです』
『イゴールだ。帯広に向かってるがまだ見つからない』
『こちらルスランだ。こっちも……』
「まだ見つからないのか……」
空缶を手近なゴミ箱へ叩きつけるように捨てる。
「将斗……すべてを調べた訳じゃないんだ……」
「……わかってるさ」
焦りはある。
しかし今は粘り強く調べなくてはならない。
そう自分に言い聞かせ、将斗は車に乗り込んだ。
「兄貴、次に行こう」
意外と冷静に判断をくだすことのできる弟に微笑みかけ、昴は次に調べる場所を頭の中で思い出す。ここから車で20分といったところか。
「そうだね。次こそは見つかるかもしれない」
またひとつ、地図にはバツ印がつけられる。
短い前髪をぐしゃぐしゃとかきながらイゴールはくわえていたタバコを投げ捨てた。
かなりの規模の捜索だ。長期戦を覚悟しているが、もし手後れだったらと思い、頭がマイナス思考にいってしまう。
(これで全部だめだったらおしまいだぞ……)
負傷の様子を聞くからに時間はあまり残されてないはずだ。いつ千晶の死体が見つかってもおかしくはないのだから。
苛立ちのあまりにため息を吐き出すとかつて、彼女がイゴールに言った言葉が蘇ってきた。
『私はあなたを死なせない』
初めて一緒の任務に就いたときだ。
いつも気ままで、振り回されてばかりだったがあの言葉は彼女の本心だ。強い意思だ。
戦場では仲間を見捨てるのもやむをえない場合なんてザラであり、決して見捨てないという意思表示を簡単に言える環境ではない。そんな優しさと強さをこの世界が認めれば、戦死なんてなくなってしまう。
だからいつ死んでも、見捨てられたとしても相手を恨むことはできない。だがそんな理不尽さを塗り替えんばかりに力強く、守ると言ってくれた彼女を、千晶を見捨てていいなんて道理にたどり着くなどイゴールには出来なかった。
(お前が死んだら……後味悪いんだよ!)
諦めるわけにはいかない。イゴールはもう一度車に乗り込むなり、エンジンをふかしはじめた。
胸ポケットの携帯が鳴り出す。運転している車を路肩に停めると山縣は電話に出た。
「どうかしたか」
『山縣さん。紫音さん、もう調べ終えたそうですよぉ』
「もう……?」
そう問い返し、ニヤリと笑う。
「流石紫音さんだ……仕事が早い」
『ええ、私達の予想を上回る早さですよぉ。なので早速例の場所に行かせました』
「イゴールが目をつけた場所は恐らく全てがハズレだが……紫音さんがもうじき見つけてくれるはずだ」
「ええ……最悪の事態は今度こそ防ぎますよ」
肌寒い倉庫の中で1人、五木は電話を切って並べられた3機のATC の前に歩み寄ると唯一、白夜だけが首を動かし五木の方へ顔を向けた。
白夜には自律制御のシステムが搭載されている。主である千晶の身の安全を守るためだが、千晶とのコネクトが取れない今ではまるで自分の意思で動いてるような印象を与えるのだった。
その白夜の頬に右手を添える。
「千晶さん……聞こえてますか?」
千晶が載っているはずもないので聞こえるわけがない。それでも五木は話しかける。普段のふざけた態度など微塵もなく、恋人や家族に向けるような優しさをこめた優しい声で。
「必ず助けます。だから死なないでくださいね。皆さんの誰か1人でも欠けたら……あの方が悲しんでしまいますから」
バイクに跨がったまま地図に印をつけて行く。ルスランは時計と地図を見合せ、静かにため息をついた。
通信機からはまだ見つかってないと報告があった。長いため息を吐き出し、かつての記憶に思いを馳せる。
千晶とマキシムとは戦績のトップを占めた仲だ。良きライバルでもある二人と行動を共にすることは多々あった。
ルスラン達の代が成績優秀の表彰を受け、基地で同期水入らずの宴会を開いたことがある。ルスランは酒を飲めない体質だったが、他の皆はアルコールの耐性が強いものを除いて異様なテンションの高さを見せていた。
中でも最優秀賞をもらった千晶は皆から称えられ、マキシムに肩車をされながらスミノフを掲げていた。
「今年もティーナがしでかしてくれたぞ‼」
酒で顔を赤くしながらマキシムが叫ぶ。周囲からのコールに応え、千晶はスミノフを飲み干した。
さらに沸き上がる歓声。止まないティーナのコール。同期兼千晶のファンである女子からもう一本受け取り、千晶は吠えた。
「クレムリンの同胞に‼愛するロシアに‼」
そうして音頭を取る。狂犬の合図と共に同胞達は咆哮をあげた。
「「「「ウラアアアアアアァァァッ‼‼」」」」
ヒートアップする室内。クレムリン達の叫び声は壁を震わせ、中には服を脱ぎ捨てるものもいた。
クレムリンの黒い一面は彼らが一番知っている。かつて同胞には組織を裏切ったりする者もたくさんいた。その処理を最も引き受けたのは千晶であり、裏切り者の大半は彼女が殺したと言っても過言じゃない。
しかしそんな事情や人種の違いがあってもこうして手放しの賞賛を受けるのは実力のみならず彼女の人柄をクレムリンの同期皆が知っているからである。
仲間には分け隔てなく接し、時には自分の命を危険に晒してでも仲間のために闘う。そんな千晶に皆が惚れているからである。
思わずルスランは手を差し出した。千晶を抱えるマキシムが周囲に揉みくちゃにされ、乗っている千晶が落ちないか心配したのだ。
しかし器用にもふらつくマキシムの上で酒をのみながらバランスを取る千晶は、必要のない手助けをしっかりと受け取り、瓶を突きつけてくる。その瓶に自分のグラスを軽くぶつけ返すと、千晶とマキシム、ルスランの3人に軽い笑みがこぼれた。
同期とはまた違った、上位を競いあった仲だからこそ通じ合うものがある。
歓声の中で3人の心は静かに、しっかりと確かめあっていた。
だがそれも今では過去の話だ。
マキシムは敵だし、千晶に至ってはこんな状況。
(……割り切ったつもりだったのに……)
「やっぱりやるせないな……」
ヘルメットを深く被るとルスランはバイクのエンジンを鳴らした。
そして彼は峠へと走って行く……
モノロフ大佐はクレムリン設立のメンバーとして活躍していた。
寄せ集めの少年兵というレッテルを覆すべく組織内に工作員の育成を促したのも彼の実績によるものだ。イヴァンが工作員として育てられはじめて間もない頃、ロシアが第二次世界同時多発テロで日本人の女の子を保護したと聞き、真っ先にイヴァンに日本語を学ばせるべくモスクワの病院にイヴァンを連れていったときのことをよく覚えている。
最初に少女を見たとき思ったのは「失敗したか」という疑念だった。
家族を失い見知らぬ土地に連れてこられたせいか、少女の目には生の光が一切見られなかった。
試しに日本語のガイドを通じて話しかけたが、これといって反応を示さない。イヴァンに至ってはこんな少女を相手にするだけ無駄と考えたのだろう。
「日本に送りましょう。こんな幼い子です。我々の正体に気づくはずもない」
イヴァンにそう言われ、あまり考えもせず頷いてしまった。このまま送り返せば傷心の日本人を救ったとして顔もたつ。当時はその程度にしか考えてなかった。
しかしあの事件が起こる。同じ病院に収容されていたテロ国家の戦闘員が少女を人質に脱走したのだ。
既に工作員として目覚ましい活躍を遂げていたイヴァンによって、居場所はすぐに特定できた。あとは少女が無事であるなら完璧だった。
そして少女は無事だった。しかし無事と言い切ることもできない惨状に言葉を失う。
一面に広がる血の海。同じく赤い血を白い服に染み込ませ、メスを握る少女の足元には動かなくなったテロ国家の男の亡骸が横たわっていた。
誰が殺したか。そんなの一目瞭然だった。傷ひとつ負ってないにもかかわらず血濡れの少女と、彼女の手にある凶器がそれを物語っている。
命の危機に瀕した底力だけでない。兵士に問われる闘いの才能があってこそ、10にも満たない少女を無傷で人殺しを成せたのだ。
さらに驚くことに、虚ろな魂だったはずの少女の目には光が宿されていた。
人殺しをして心を取り戻すなんて本来ならあり得ない。大抵は狂人と化すか、さらに深い闇に陥るかだ。
その光景を前に思ってしまった。
もしかしたら彼女は神が遣わした戦神の子で。自分達はこの子を甦らせるための儀式を行ってしまったのではないかと。
特殊部隊という現実主義が神を信じてしまうなど、なんとも皮肉な話だった。
その後、2人の薦めでクレムリンに入り、少女は数々の戦績を残す。彼女を推薦したモノロフにも賞賛の目は向けられたが、そんなことよりも彼はこの少女が、戦の申し子が戦場で活躍していくことの方が遥かに嬉しかった。
いつしか親のような気持ちで見守っていたのかもしれない。
だがある日、少女がアベルツェフ家に引き取られしばらくして。
彼女の成長を見て行くうちにモノロフ大佐は、ティーナと呼ばれる少女に普通の人としての笑顔が宿ってゆくことに気付いた。
戦場しか知らない彼女が成長して行くのは嬉しい。しかしそれにつれ、自分が大きな思い違いをしていることにさえ気付いてしまう。
少女は人殺しが好きな子じゃない。
根はそこらの一般人と同じ、些細なことに喜怒哀楽の感情を抱く普通の少女だったのだ。
普通の友達と笑うティーナはただの少女だった。
自分がしでかした事に気付き、彼女と話をしたことがある。それまでに何度もイヴァンを介して会ったことはあるが、2人きりで話したのはこれが初めてだった。
軍服に身を包み、節度のある礼で挨拶をする彼女に紅茶を勧める。受け取りはしたものの一向に飲む素振りを見せないのでしびれを切らし、彼は思いきって尋ねた。
ロシアで家族が出来た今、一般市民として生涯をまっとうしたくないかと。
白夜を解体し、彼女を除名すれば普通に生きて普通に死ぬことが出来ると。
しかしその頃には既に、彼女は狂犬となっていた。
「申し訳ありませんが……それは出来かねます」
理由を尋ねると彼女はまっすぐな眼で返した。
「私は既に人を殺すことに抵抗を感じません。今のまま一般社会に生きることは出来ないでしょう」
アベルツェフ家とずっと一緒にいたくないのか。
「家族は……好きです。愛してます」
そう呟く少女は初めて、表情に陰りを見せた。
しかしすぐに顔つきを変え、
「だからこそ、家族を守るこの仕事を続けたいんです。家族のために命を使うつもりです」
すべては手遅れだった。
心優しいはずの彼女はいつしか戦で感覚が麻痺してしまい、家族と共につかめたはずのありふれた一生は狂犬にとって手の届かない場所となっていたのだ。
彼女をこんなにしたのは誰か。
彼女から幸せを奪ったのは誰か。
勝手に彼女を祭り上げ、兵士としての精神で汚染させたのは誰か。
紛れもない自分達だ。
娘のように思っていたのに、こんな世界を見せてしまった自分の責任だ。
本当に彼女の幸せを願うなら、あの時迷わずアベルツェフ家に会わせておけば……
「どこへ行くのです」
気づけば制服の上衣を手に部屋を出ていた。その前を遮るようにして、イヴァンが立ち塞がる。
「やはりもう一度幹部たちに会い、ティーナの暗殺を取り止めてもらう」
「バカな真似は止してください。これは完全なる決定事項です。下手に動けば貴方の身にも危険がふりかかりますよ」
「かまうものかっ!」
そこでようやくイヴァンが体を硬直させた。モノロフ大佐は温厚な性格で有名のため、滅多に怒る姿を見せない。
「彼女の幸せを奪ったのは私達だぞ‼なのにこのまま死なせるのが誇り高きロシアのやり方かっ‼」
唾を吐き散らす勢いでまくしたてる。
対談したあの後、去ってしまった千晶を惜しむかのようにモノロフ大佐は机に両肘をつき、泣いた。
ただ、ひたすらに泣いた。
何度も胸のなかで少女に詫びた。
無力さを。自分の愚かさを。ひたすらに嘆いた。
だからこそ今、彼女を死なせたくなかったのだ。
しかししばらく黙っていたイヴァンが懐から銃を出して大佐の腹に突きつけた。
背筋を冷や汗が走る。
無表情のままイヴァンは声をあげた。冷たく、低く、死を覚悟するくらいに迫力に満ちた声。
「……貴方はティーナ暗殺の反対派でしたね……よくわかりました」
イヴァンもモノロフ大佐が我が子のように見守ってきた存在だった。
それが今、こうして拳銃を突きつけてくるなんて。
裏話
モノロフ大佐は千晶を戦神のように思う反面、人としても愛してました。
彼女がすんなりアベルツェフの家に養子入り出来たのも、彼のおかげです。




