並行、そして交差
千晶は「友人と遊ぶ」と言ったきり帰ってこない。昴は夕食後すぐに着替えて外出の仕度を始めた。テキパキとした手つきで準備を整える。
出る直前、昴は将斗と紫音を見るといつもの優しそうな笑顔を向けてきた。
「さて、僕はもう行くけど……2人きりだからっておかしなことはするんじゃないよ」
「一言二言、余計なんだよ」
弟の辛口を受けて昴は笑いながら、風のように去っていった。
さあ、兄はいなくなった。
この家には今、紫音と将斗の二人きり。
甘くて素敵な時間が……
と、想像した方。
残念。この作品に甘々なシーンを求めるんじゃないの。
家の前に黒いセダンの車が停まる。2人は家の戸締まりをすると無言でその車に乗り込む。
運転手は小柄の中年男性、助手席には天田が座っていた。
「……紫音が入手したデータから、密輸ルートが割り出せた」
天田はミラー越しに2人を見ながら話しかけた。
紫音が入手したデータは、秀英運輸が拠点を置く港町のリストだった。
「それらの輸送ルートが1ヶ所に集中する場所がある。
強行突破だ 」
ーー20:45ーー
札幌東区に、モエレと呼ばれる地区がある。ここは平地が多いのもあって、広い倉庫等を設置するには適している。
秀英運輸本社の倉庫もこの土地にあるが、この辺の人気は少なく、少し離れたヶ所には広大な公園や小山がある。
倉庫も遅くまで電気が着くことは滅多にないので、ここ周辺の夜は何もない暗闇のみが存在するのだ。
今日みたいな特別な日を除いて。
「29か……全員が銃を持ってると見て良いよな……車が6台。セダンが4、ワゴンが2」
「……いずれも暴力団の様な顔ぶれだ……雇ったのだろう」
「数的には不利だな……まあ、殺すけど」
丁度山の陰になるような所に車を停め、暗視スコープを覗き込む将斗と天田。普段はヒトひとりいないような倉庫の周囲には大勢の人だかりが出来ていた。明らかに何者かの襲撃を警戒している様子だった。
だがここで逃したら密輸の品は隠されてしまうだろう。
将斗は車から下りて、黒い手袋を着ける。
同じく、車から降りた老人の目は夢を見る少年の様に輝いていた。
「生身で挑むのは無謀だ……実戦でアレを使うには良い機会だな」
「人を実験道具みたいに扱うんじゃねえ」
「なぁに、お前に"アレ"を使ってもらうだけさ」
その時、将斗と天田の間に軽トラが一台停まった。運転していたのは私服姿の五木だった。
「マスター、注文の品、届きましたよぉ」
「……ご苦労だ、五木……さあ将斗……いくぞ」
踵を返す天田。
「……お前の最大の武器が待っている」
黒く光る塗装。滑らかなカーブを描くフォルム。
軽トラックの荷台に繋げられていたのは等身大のロボットであった。
将斗はこの存在を知っている。
現代科学が産み出した、まるで映画にも出てくる夢のような兵器。
パワーアシストスーツ Armerd Tactical suit model Cyclops
ATC
それが将斗と向き合うような形で佇んでいた。
「ATC……」
思わず呟いてしまう。
それは従来のよりもは一回りほど小さい。
一般的なのは2メートル程度で全体的に装置が多く、タンクを連想させるような装甲である。
しかしこれは装甲が薄いためかフォルムが小さく見える。まるで防御よりも機動性を重視しているかのようだ。
頭部は額から顎にかけて前面へ突き出されており、カメラが搭載されてる瞳は紅く、広いY字状で1本に繋がっていた。
これらの外骨格型パワーアシストスーツに『Cyclops』という名称がつけられた由来は、瞳部分が1つしかない、神話のサイクロプスを彷彿とさせるデザインからである。
「……安心しろ、今はやりの特殊合金の装甲だ。薄型だが信頼はできる。訓練を思い出せば問題なく動く」
背後から天田が。
今はやりという言葉に疑問とツッコミを持ち出したい衝動が込み上げてきたがどうにか押し留め、将斗は黙ってそれに近づいた。
漆黒のATCは将斗が近寄ると自動的に背中のハッチを開いた。ここから入る、いや、装着するのだ。
背中から入ると目の前のモニターが薄暗く光を宿す。
ーーー搭乗を確認。認識を開始しますーーー
ーーー虹彩。完了ーーー
ーー指紋認証。完了ーーー
ーーー音声を確認します。ーーー
「橘将斗」
ーーー音声。完了ーーー
ーーー搭乗者、橘将斗を確認しましたーーー
ーーーATC.コード紫電。作動開始ーーー
身に付けたとき、腕回りなどに余裕があったが固定ベルトが自動的に作動し、将斗の体にフィットさせる。
視界が急に明るく、そして拓けた。
クリアーな世界、指先まで細かく行き渡る感覚。
なにより器械を動かしてるというのに、すべての動きが生身と変わらない、滑らかなもののように感じた。
ATCは夜の闇の中で紅い1つ目を光らせ、まるでこれから死ぬ人を迎えにきた悪魔の様に降臨した。
モニターの済みに通信機の作動が表情される。
上司が接続してきたのだ。
『……どうだ。専用の機体は』
『悪くない』
将斗は鼻をならして言った。
『欲を言えばあばら骨への配慮が足りないことくらいだ』
固定の強度は未だ調整されていなかったので、将斗の肋骨は固定ベルトのせいで悲鳴をあげていた。
倉庫に向かいながら、将斗はモニターが逐一入手する情報の確認を怠らない。
紫電は良い機体だ。動きに無駄はなく、電気で動くためエンジン音の心配も少ない。なにより従来の機体よりも小さく、さらに軽いため一般型以上の隠密性。
現代科学の恩恵に思わず感謝したくなってしまうほど、その世界には心くすぐる何かがあった。
───それは遠い日の記憶
まだ十にも満たない少年。彼は夏休みを使ってここに来ているのだろうが、少年からは幼さ故の無邪気さは感じられなかった。
虚無。この単語の方がふさわしいほど、少年の瞳からは生きる気力すらも見えないのだ。
少年はベンチに座って、テニスコートで対戦している青年達を眺めていた。青年達は兄弟らしく、冗談を交わしながらダブルスを楽しんでいる。
少年に声をかけてみた。
しかし彼は虚ろな瞳をこちらに向けるだけだ。なにも言わない。
そこで懸命に話しかけてみる。
ようやく少年は口を開いたかと思うと、
「お父さんと……お兄ちゃんと妹が……死んじゃった……」
そう言ったのである。
彼は数ヵ月前の第二次世界同時多発テロで家族を失ったのである。
幼い身にはなんとも受け入れがたい事実だろう。だからこうして虚ろな心を、体を引きずるようにしてここにいる。
少年とのやり取りはその後もいた。しかし一向に光を灯さないその瞳を前に、なぜか歓喜する自分がいた。
いや、理由は既にわかっている。
ここまでテロで失ったものが大きいのだ。この子は必ずテロに憎しみを抱く。自分の目的と彼の目的が一致すると、理解したのだ。
「……坊主……テロリストは……憎いか?」
その時少年の瞳に光が宿るのを見逃すはずがなかった。
次回、紫音の視点で日常のシーンのみになります。