そうだ、旅行に行こう
今回はなんと。道北へゆきます
喫茶店モルゲンは本日、都合によりお休みさせていただきます。
そう書かれた貼り紙を扉に張りながらも、店内2階には人気があった。
いるのはこの店のマスター、天田。それに橘将斗と千晶の兄妹。そしてパソコンを扱う紫音。
今やっているのは天田から依頼された、とある企業の二重帳簿の情報を探すための作業である。その情報にかけられたロックを解除するまでに時間はかかったが、この調子なら昼までには終わらせることが出来るだろう。時計の針は午前の10時を指していた。
「………あ」
パキッと、薄くて固いなにかが割れる音と同時に千晶の小さな声が聞こえてくる。休憩がてら見てみると、千晶のもつピンセットが摘まんでいるのは小さなプラスチックの板だった。しかしそれは従来のものと比べ、さらに半分程のサイズにまで小さくなっている。
千晶の席に鎮座しているのは無色透明で横倒しにされたボトル。なかには小さな部品をいくつも繋げた船………ではなく、まだ船の形にも近付いていない物体が組み立てられていた。
「ピンセットで摘まんでいるのに壊すとか………どんだけ馬鹿力なんだよ」
呆れながら同じ作業を違うボトルで行っている将斗のは、僅かだが船らしい形を見せ始めている。
「……こういうの初めて」
「初めてと言ってもなぁ。普段から爆弾やワイヤーを使ってるんだろ?手先の器用さならお前の方が……」
「それは人を殺すためのもの。観てもらうためのものづくりは………慣れてない」
幼い頃から軍で育てられた千晶にとって、武器こそあたりまえの毎日だった。そのための手先の器用さとボトルシップのような娯楽重視の工作はまた勝手が違うのだろう。
「………慣れれば問題なく作れるようになるさ。………まあ………今回のはパーツの代えも利かないが………」
天田がさりげなくフォローを入れて将斗達の近くにコーヒーを置く。香ばしい豆の香りが室内に漂った。
「余ったパーツなら、他のも作れる。平気」
「………やっぱり器用じゃないか」
「でも何を作れるんだよ」
今だって船の作成に失敗している。代わりに作れる物など、想像もつかなかった。
「ドラグノフ」
「「「………………」」」
予想の斜め上を行きすぎていた。
三人の白い目を気にすることなく千晶は船のマストや甲板部分を器用に掴み上げ、中で組み立て始める。単に武器以外を作ることに慣れてないだけだろう。
すると将斗は思い出したように首だけ天田の方に向けた。
「そうだ。きっと兄貴から聞いてるかもしれないが、次の休日……」
「………ああ、聞いている………旅行に行くんだろ?」
「そう。何とか都合合わせてもらえないか?」
天田は口端を吊り上げるようにして笑って見せた。
「………御安い御用だ」
「サンキュ」
「………で、どこに行くんだ?」
「留萌の方だよ」
随分と珍しい場所を選んだものである。
事の発端は四日前に遡る。
『ごめんなさい……やっぱり都合がつかなかったの』
橘3兄妹の母、橘明恵がTV電話の向こうですまなそうに顔をしかめるのを宥めるようにして昴がフォローを入れる。
「仕事だからね。仕方ないよ」
『……昴。旅行先は何処?』
「まだ決めてないよ」
『そう………なら………』
明恵はそこで、ある提案をした。
『もしこの町の近くを通るようだったら、この家にお土産を届けてほしいの』
そう言って携帯に送られてきたのは、留萌地区にある一軒家の住所と名前だった。
「留萌……親戚じゃないね」
『ええ。私が小さい頃、お世話になった人。お土産代は振り込んでおくから頼めないかしら』
「任せて。母さんの名前を言えば伝わるかな?」
『大丈夫よ。私、毎年行けるときは顔だしてるから…。すぐにわかってもらえるわ』
「オーケィ。それじゃあそうだな……あっちの方はまだ行ったことがないからね。せっかくだし、その近辺を当たってみることにするよ」
『ごめんなさい昴……本当はこういうの、私の役目なのに』
「気にしないで。向こうに行けば利尻昆布とか買えるかな。母さんにも送っておくよ」
お土産はいらないと言ったばかりでしょ、と呟きつつも母は微笑んでいた。
『でもそうね……ありがとう』
こうして一泊二日のドライブ旅行が決まったのであるが。
その日昴は何かにとり憑かれたように自室に籠っていた。夕飯のために千晶が呼びに行ったところ、パソコンで何かを調べていたという。
不思議に思った千晶が聞いてみると、昴は今回の旅行に必要な情報を真剣な表情で調べていたとか。
主にデートのおすすめスポットを。
「向こうは日の沈みが見えやすいらしいね。夕陽が沈む海をバックに紫音ちゃんに指環をプレゼントしたらロマンチックだろう?」
ほざく兄の首に容赦なく手刀をいれてきた。
ちなみに今回の旅行に千晶は同伴出来ない。クレムリンとして別の任務を控えているらしく、一緒に行けないのを残念がっていた。
「千晶ちゃん。お土産、何が良い?」
「んー……お母さんと同じが良い」
目の前のボトルから目を離すことなく言う千晶。
「でも日本海側の町、行ったことある」
過去に稚内で貨物船を沈めたことがあるのだ。
そうして将斗達は千晶から向こうの特徴などについて聞いた。
日本海側の地域は強風だと聞くが、石狩より上の留萌・苫前・稚内はその中でも特に風が強いらしい。あの周辺は風力発電に力を入れてるくらいなのだから当たり前だが、帽子など被っていると易々と吹き飛ばされてしまうとか。
あと何点か向こうについての情報を聞いてから天田にも質問をしてみる。
「留萌を経由するならどのルートで行くんだと思う?」
「………普通に考えたら沿岸沿いだな…………下手に旭川から行こうものなら遠回りになる」
「?そうなんですか?」
最後のは紫音の質問だった。
「………そんなものだ。あの辺は内地側の道が不便でな……高速なんざ、もっての他だ」
「将斗。昴兄ぃをしっかり監視してね。旅行にかこつけて紫音ちゃんにセクハラ、しかねないから」
「はぁ?さすがにそこまでは………やりかねないか。変態だし……」
「弟なんだから、兄をしっかり。ね」
「そういうお前だって妹だろ。兄貴の普段からの不届きをなんとかしろよ」
「そんな兄、知らない」
本人不在を良いことに散々な言われよう。
千晶のボトルの中には本当にドラグノフ小銃が完成されつつある。やっぱり器用じゃないか。どの部品を使ったかはわからぬがご丁寧にスコープまであるし。
しかし紫音は最後の「知らない」の言葉に反応してしまった。
知らない………今朝見た夢では紫音があの男を知らないのも事実だった。
だがあの夢は生々しかったような気がしてならない。
(夢は夢………ですよね)
非現実的な出来事をいちいち報告する必要もないだろうと、紫音は一人呑み込んだ。
将斗の作り上げるボトルシップを遠くから眺めながら。
「と、言うわけで僕は不安なんだよ」
不安と言うわりにはケロッとした顔で昴がマウスをクリック。相手のポーンが取られた。
『不安と言うならもう少し、らしい表情をしてほしいわ。チェック』
「お、やるねキャシー」
『それはどうも………と言いたいところだけと参ったわね』
「どこが?どう見ても君の勝ちじゃないか」
『ここで貴方に勝てても嬉しくないわ。貴方には最初から駒を七つも抜いたハンデがあるのよ』
「それでも僕に勝てるようになったんだ。成長したんだよ。君は」
『まぁ、そういう言葉でなら喜んで受けとることにするわ』
決めの1手を打つ。昴の画面には「lose 」の文字が出たが、悔しいと言う感情は芽生えなかった。
むしろ喜ばしい事だった。今まで昴に連敗してきた彼女がこうして勝つことを覚えたのだから。
「よくやった。ナタリー」
それは愛弟子が成長する姿を見て嬉しく思う、師匠のような気持ち。
今までどんなハンデを背負っても倒せない自分をようやく乗り越えた、姉弟子の新しい一歩
『ありがと………でも考えすぎよ。いくら母と親しい人だからって、浮気だなんて』
「甘いね。毎年行けるときには会いに行って、ご家族にまで公認されてる様子………由々しき事態だよ。これは調査しなくては」
『……新しいお父さんという可能性に期待はしないの?』
「まさか」
清々しいくらいにきっぱり言い切る昴を見てナタリアは
『……家族好きが悪化してないかしら?お母さんの方が気の毒よ』
と、姉弟子として不安を口にするのであった。
………………………
………………
………。
「……またここ……」
暗い地平線の中
出口の見えない世界
そして目の前にいる、右目の下に傷痕を持つ男
「また会ったな」
男の苦笑いを受け、紫音も軽く頭を下げる。理由はわからないがこの夢の中で異常な存在感を放つ彼をぞんざいにするような態度は取りたくなかった。
「そうですね……」
「ああ、名乗らせてくれ。俺はユウヤ。お前は?」
「私は……紫音っていいます」
「シオンか……」
名を噛み締めるように復唱した後、ユウヤははにかんだ笑みを見せた。
「良い名前だと思う」
「ありがとう………ございます」
シオンと言う名にめでたい由来などはないが、彼の態度からそれがお世辞ではないと感じることが出来た。というか、今のはにかみ方はどこか将斗と似ているような。
いや、そもそもここは夢だ。自分が将斗に似た人の夢を見たっておかしくはない。夢まぼろしで片付けるにはあまりに存在感があるように思えるが。
そう自己完結させてから紫音は、ユウヤと名乗る男と会話を始めてみる。
「えと……ユウヤさんはどこの出身なのですか?」
「俺か?……すまん、施設の出でな。出身地がわからないんだ」
「あ………ごめんなさい………」
「謝らないでくれ。俺は気にしてないから」
優しげな態度のユウヤだが、その瞳には悲しみに似た色がにじんでいた。施設ということは訳ありなのだろう。親からネグレクトを受けていたせいか他人事とは思えず、変に追求することは出来なかった。
「それよりシオンは?見たところ、施設の出身ではないようだが」
「私は……北海道です」
下手に住所を露見するようなヘマはしない。だがユウヤは不思議と納得した様子だった。
「北海道?………なるほど……道理で……」
何が道理だというのか。
「ああ、気にしないでくれ。俺も今、日本に来てるんだ。夢で会うのはそれが原因なんだろう」
「?それってどういう……」
「俺達では当たり前の話だろう?」
当たり前と言われても。少し考えてみるが、やはりわからない。
そもそも夢とはいえ、ユウヤと会うのはこれで2回目だ。込み入った会話もしていないし、この関係に何か「当たり前」と呼べるようなものも思い浮かばない。
思案に暮れる紫音の態度からそれを感じたためか、ユウヤの表情に陰りが見えた。
「……シオン……もしかして、同類に会うのは初めてなのか?」
最初に会ったときも彼は仲間だと言ってはいたが、そもそも自分が仲間と呼べるような存在は橘家や仕事の面子以外にいただろうか?
「あの………さっきから何の話か、わからないんですが……」
恐る恐る尋ねてみる。それが決定打だったようで、ユウヤの表情は悲しそうなものへと移り変わった。
世界に霧がかかり始める。
「……そうか……お前は……」
互いの足元が霧で隠れた時、ユウヤはついに口を開いた。
「まだ能力を理解してないオリジナルだったんだな……」
能力?紫音はその単語を脳内で復唱した。
自分にとって能力と呼べるものと言えば、ハッキングの技術と体質からくる干渉しかない。
超能力と呼べそうなら後者だが………
(………え?)
いや、それよりももっと。大事なことを彼は口にしたではないか。
オリジナル
その単語の意味を知るのは一部の人しかいないはず。
氷を丸飲みしたかのように、冷たい感触が喉から腹へ伝った。
慌てて辺りを見渡す。
地平線の世界
しかし紫音は、これを確かに知っていた。
「……どうしてそれを……」
振り向き様に問うが、霧の深くなった世界は徐々に薄れていき………
「っ?!!」
置き時計のアラームで目を覚ました。
見慣れた自室。開いたままのノートパソコン。
だがそれらを見ても不安は拭いきれなかった。前まで悪夢を見たら大汗をかいていたが、今回もそれに近い量で背中を濡らしている。
「どうして……」
ため息をつきながらもカレンダーを見る。今日の日付には水色の文字で「ドライブ」と書いてあった。
「ごめんね、千晶ちゃん……」
「いいよ。気にしないで。私のは仕事なんだし」
朝の6時。柔らかい日差しが降り注ぐ頃、橘家の前で紫音は何度も千晶に謝っていた。
本当なら千晶の都合も配慮するべきだったのだろうが、なにせこの兄妹の仕事が仕事だ。急に任務が入る可能性も高い。
紫音が車へ荷物を置きに行くのを確認して紫音は兄二人と向かい合う。
「将斗。自転車借りるね」
「ああ」
「昴兄ぃ、運転気を付けて」
「勿論だよ」
彼女もこれから仕事で忙しいだろうに、こうして声がけを忘れないようにしてくれる。そのことで昴と将斗の胸に温かいものが込み上げてくる。
「あと二人とも。紫音ちゃんに変なことすると………許さないから」
が、その鋭い瞳のせいで温かさは一気に下がってしまう。
「「…重々承知してます」」
兄達への牽制を終え、ようやく千晶は自転車を取りに姿を消した。
「……生きた心地がしなかった」
「僕もだよ……」
二人とも妹の実力は知っているし、昴に限っては判断不足で紫音を暴漢達の手に陥れそうになったことから、マイシスターに半殺しにされた過去だってある。
ちなみにその時の殺気が、今のであった。
鬼………いや、狂犬の居ぬ間に出掛けよう。
予定より数分早いが、兄弟は紫音のいる車へと向かった。
トランクに荷物を詰め込みながらも頭の中は今朝の夢でいっぱいだった。
思い返せばいくらでも気づく点はあった。地平線だけの場所に取り残されたような世界観。そこに存在する自分と他者。
ユウヤはシャツを着ていたので首もとは見えなかったが、きっとあるのだろう。あの豪華客船で出会い、命を落とした少年………自分と同じ保有者として生きてきたデヴィのように、個人を識別するための番号が。
なぜなら紫音を保有者の中のオリジナルと知るのは、仕事の仲間か、自分と同じ………保有者だけだからだ。
あの世界で出会った。施設出身だと聞いた。それだけで少しでも予想はできたはずだ。
トランクを閉めた手が止まる。眼は手元に向けられているが、彼女はどこも見てはいない。
あの時デヴィは、意識同士を通じて紫音にスイッチの切り替えかたを教えてくれた。保有者同士は意識を連結させることが出来るらしい。
そうなるとユウヤも、眠っている紫音と意識を接続して、夢の中で対話したということになる。しかしどうやって?普段は体質を抑え、むやみやたらと他人の意識を覗き見るようなことはしていない。
スイッチをオフにすれば普通の人として活動できると聞いた。だが意識を連結させるのは別だというのだろうか?
考え出したらキリがない。
(そもそもどうやって私に気付いたの?オフにしていたのだから見つかりづらいはずだったのに………)
だとしたら相当間抜けな話だ。そんな間抜けな自分に呆れてさえいると、背後から昴が両肩を抱きしめるようにしてくっつく。
「紫音ちゃん、そろそろ行こうか」
「?!!ひゃあああっ⁉」
セクハラまがいな不意打ちに悲鳴をあげてしまう。先程千晶に注意されたばかりというのに………
「なにしてんだバカ兄貴‼」
ゴシャッ‼
駆けつけてきた将斗の背負い投げを受けるも、地に背中を着けたまま昴は幸せそうな笑顔を浮かべるのであった。
うん、やっぱり昴さんはわかってる。わかっててこうした家庭内暴力を受けることに幸福すら懐いてるのでしょう。故意犯です。
下手をすれば千晶ちゃんも翔んできかねないのに。そうなれば本当に殺されるだろうに。
「大丈夫か?紫音」
「ええ、………ただ昴さんが………」
にへらと気持ち悪い笑みを浮かべる昴を見ながら呆れ、しかし普段と変わらない毎日に幸せを僅かに噛み締めて、紫音は笑いだしてしまった。
「眼を離せばすぐこれだ……油断も隙もあったもんじゃない………ほら。兄貴。そろそろ行くぞ」
細かいことを考えても仕方無い。今はこの旅行を楽しもう。
おまけコーナー
山縣「橘さん達のお母さん、ようやく出ましたね………」
五木「作者としてはあまりお母さんは出したくなかったそうですよ?でも今後の都合上、やむを得ず出すことにしたそうです」
山縣「へぇ?なんで出したくなかったんだ?」
五木「えす!の方で橘3兄妹を華麗に撃破する形で登場させたかったそうですよ?」
山縣「ぇ………」




