裏のメニュー
始めて会話をしたあの夜、晴樹のことを話好きな奴だと思ったのが印象的だった。くだらないことに笑いあい、それでも家庭に暗い影を抱く彼に、シンパシーすら感じていたのかもしれない。
そんな明るい悪友は今、閉店したバイト先のバーのソファでただ脱け殻のように塞ぎ混んでいる。
彼の実家はそれは悲惨なものだった。包丁で惨殺された幼い少年と、顔が砕けた男。母親は帰っておらず、その中で晴樹はただぽつんと座り込んでいた。
何があったかは一目了然。2つの死体には時間差があるのはわかっていたので、誰が誰を殺したなど聞くまでもなかった。
バイト先に連れていってくれ。
座り込んでいた晴樹の第一声はそれだった。
バイト先のマスターも何があったかを察したらしく、客がいないのを理由に閉店させ晴樹に水を手渡していた。
警察にはまだ連絡を入れていない。落ち着いたら彼を説得するとマスターが言っていたので、将斗は彼に委ねることにした。
人を殺したときの空虚な気持ちは将斗も知っている。任務で何度も味わった感覚。だが初めて人を殺した晴樹がそれに放心してしまうのも無理はないし、立ち直れなんて言えるはずもなかった。
「今夜は彼をここに泊める。連れてきてくれてありがとう」
何もできない将斗にはただこの場を離れ、マスターに託すことしかできなかった。
「晴樹………」
最後にもう一度、脱け殻の友人を見る。晴樹は下を向いたまま何も言わなかった。
流石に0時を過ぎたら繁華街も人が少なくなる。バーを後にして将斗は息を吐き出した。
何もかもが手遅れだった。
晴樹の手は血が滲んでいた。恐らく、死んでからも執拗に殴り付けたのだろう。
怒りに身を任せて、何度も。そうでもしないと自分を取り戻せなかったはずだ。
正当防衛は成立しない。彼の行為は警察によって絶対悪と見なされてしまう。そうなれば自由なんてない。
イゴールだって言ってたじゃないか。この国は犯罪さえしなければある程度は保障してくれる。人殺しという罪を犯した晴樹に、大切な家族を失った彼に、保障のない世界は堪えられるのだろうか?
初めて人を殺したときの感覚がよみがえった気がした。胸にぽっかりと大穴が空いたような、そんな虚無感。自分が何か大事なものを失ったような錯覚。
ああ、そうか。晴樹という友人が罪を犯したことで、自分はこんなにも落ち込んでいるのか。
繁華街のイルミネーションがこの上なくぼやけて見えた。
「………マスター………」
ようやく口を開いた晴樹に、マスターが近寄る。晴樹はまだ下を向いていた。
「俺………もう無理です………人を殺した………もう居場所もない」
さっきよりも声に落ち着きが戻ったが、力は完全に抜けていた。マスターは黙って頷くだけ。
「弟を守れなかった………俺には………俺には………」
今まで翼を授けられなかった若鳥は、悲しく声を震わすことしかできなかった。それをマスターがやさしく宥める。
「君は精一杯生きてきた………何も悔やむことはない」
「俺には………もう………………」
守れなかった罪悪感と良心の呵責に耐えきれず、このままでは自滅してしまうと確信するほどにその姿は弱々しかった。
ただいまも告げずに家に入る。部屋の電気はすべて消えていたが、リビングだけは小さく灯りがついていた。
「おかえりなさい、将斗………」
寝巻着にパーカーを羽織った紫音がそこにはいた。将斗の様子がおかしかったとイゴールから連絡を受けていたのだ。
心配して待っていてくれたのだろう。しかし今はただ疲れている。早く横になりたい気持ちが紫音よりも勝っていた。
「将斗が血相変えて出ていったって聞いて………大丈夫ですか?」
紫音が顔を覗きこんでくる。ああ、今きっと、自分は最悪な顔をしているのだろう。
「平気………ごめんな」
そう言ってフラフラと階段を登る。何度か紫音が名前を呼んだような気がしたが、それも聞こえなかった。
自室に入り、着替えもせずベッドに倒れこむ。体はただ睡眠を求めていた。
「で、将斗は何も言わず部屋に直行した、と」
朝御飯も黙々と食べ、そのまま登校した将斗について紫音から説明を受けた昴と千晶は学校に行く支度を整えながら確認をした。
早朝を利用して倉庫で火器とナイフ、そしてキュプロクスをチェックしながら千晶は首を傾げる。
「紫音ちゃんに何も言わない、少し不自然」
「少しどころじゃないね………昨日は任務中に何かあったのかな?イゴール」
「ないね」
倉庫で寝泊まりしたイゴールは倉庫で作業する物音にイラつく様子を見せながらもちゃんと受け答えをした。
「様子が変になったのは、そこで作業中に電話が鳴ってから」
3人は机の上を覗きこんだ。昨日押収した物品が手付かずで放置されている。
「シトー?」
「昨日のターゲットの証拠品だ。毎週、小樽に来てはテロ国家密航の手引きをしていた疑いが強い」
昴が眼を細め、逆に千晶は丸くした。
「イゴール………」
「なんだよ」
「私より日本語、上手になったね」
「………手元のネイルハンマー投げつけられたいか」
「じゃあこの証拠品は将斗とは関係ない、ということで良いんだね」
昴が釘を刺した。
「ああ……そういえばこれから学校だろ?早く行かないとまずいんじゃないのか?」
「ダー。昴兄ぃ」
「ああ………そうだ、昨日の押収品はこれだけ?」
「そうだが?」
「わかった。それじゃあ失礼するよ。2人とも、送っていこう」
昴はそう言うと、倉庫を後にした。任務が始まるまで彼らも普通に学生として過ごさなければならない。紫音が慌てて後ろについてゆく。
「千晶はどう見る?昨日の将斗が担当したターゲットは記憶媒体にそれらしいのを残さない手口だと聞いていたが」
千晶の無表情に冷たい何かが走った。
「じゃあ……店、ってところ?」
「そうか。君は優秀なワトソンになるぞ」
「あの………2人はなんの話を?」
おそるおそる尋ねる紫音に昴は
「移動しながら話すよ。紫音ちゃんにも手伝ってもらうかもしれない」
と、車の後部座席から取り出したパソコンを差し出した。
学校には晴樹は来ていなかった。
当然である。昨日あんなことがあったのだから………
それとも既に出頭したのだろうか。
「将斗」
隣には愛花が立っていた。
「どうしたんだ」
「それはこっちの台詞だよ。元気ないじゃん。やっぱりタカヤンが心配?」
「あ、ああ………」
晴樹のことを思い出して、返事を濁してしまった。
「やっぱり!でも安心して‼」
「へ?何が?」
「タカヤンが、心配するなって連絡くれたから‼」
「………は?」
えっへんと胸を張る愛花。しかしその言葉を理解するのに時間が必要だった。晴樹、まだ出頭していないのか?
教師や周囲の様子から昨日の父親殺しはまだ知らないらしいが、まだ心の整理がつかずにあのバーにいるのだろうか。
詳しく聞こうとしたら、チャイムが鳴ってないにも関わらず一時限目の国語の教師が入ってきた。
「ほら、席につけ~」
早くにはじまる授業にブーイングを飛ばしながらも生徒たちは各々の席に戻る。
将斗は不安をぬぐうことができなかった。
先週のSNS
『1700~2200間でとなります。チャージ料なし。
ご来店お待ちしてます』
「これだね」「ダー。これ」
紫音の開いたパソコン画面を千晶は覗きこみ、昴は頷いていた。
「これがですか?それらしいものは見当たりませんが」
「紫音ちゃん。チャージ料っていうのは大抵、ホーム画面やメニュー表に記載するものだからね。ましてや平日にも関わらずチャージ料をサービスするのは不自然だ」
「それにターゲットが来た昨日。ピンポイント。怪しい」
「でも………なんの関係が?」
「チャージ料なし………これが合図」
「そう。大方、この合図を発信した日に坂下は来ていると思うよ。密航者も呼びつけてね。坂下個人では密航の手配なんて難しいからね。主な手配はこの店が行っていたのだろう。坂下の仕事は………」
少し考えてから答えが出た。昨日の押収品には密航に必要そうなものなどなかった。
「多分だが地方の人に声をかけて、人集めをしていたんじゃないかな」
保健屋は車での移動が多い。勧誘目的で遠出をしても怪しまれなかったのだろう。
「チャージ料だけ載せても怪しい。毎度料理を変えて、合図の文面、目立たせないようにする」
「やり口としてはそうだね」
改めて説明するとこうだ。テロ国家から募集の依頼がかかれば、店は坂下に人集めを指示する。坂下は仕事の特性を使い、車で移動。勧誘活動をして、参加を希望するものに店のSNSを伝える。チャージ料なし。これが合図だと言う言葉とともに。
合図が出された日、密航者と坂下は店に集合する。そこで密航に必要な持ち物と、坂下は集めた人に見合う報酬を受けとる。
あとは依頼金を店はテロ国家から受けとる算段だ。集まった人達が店で飲食してくれたらまた別の金が入る。
今のところはたしかな証拠があるわけでもないが、一番怪しいのはここだろう。昴は紫音に、以前からの投稿をもっと調べるように指示した。
料理の更新とチャージ料についての言及が載せられるようになったのは去年からだった。オープンしたのが二年前となっているが、密航の手配をするようになったのは去年からだったのだろうか。
場所は花園銀座通りの居酒屋密集地帯。
「花銀………天田に聞く?」
「そうだね………千晶。悪いけど連絡入れてみてくれないか」
千晶は携帯電話を取り出した。
「もしもし、天田?ドゥーヴラエウートラ」
『………急にどうした?』
「調べてほしい店」
『………どこだ』
流石話が早い。千晶はバーの名前を言った。
「chandelier。昨日、将斗が殺した密航の手配人。このバーで仕事してたのかもしれない」
『………あいつの店か………』
「知り合い?」
『………同じ花銀で店を持つからな………面識くらいはある………食えない奴だ。幻想主義なところがある』
「調べてもらえる?」
千晶は手短に、こちらで推理した手口を話した。
『………わかった。調べてみよう』
電話を切る千晶の横顔を見ながら紫音は呟いた。
「でも……昨日のターゲットは、店に利用されてただけってことになりますよね」
「そうなるね。でもテロ国家に与したのは間違いない」
そう話す昴の冷たい目をミラー越しに見つめ、紫音は黙りこくってしまった。
昼休みの鐘が鳴り、皆は食事のために席を立つ。将斗は鞄から弁当箱を取り出し、机の上に置いた。
最近は愛花が将斗と一緒に食べたがるが、先生に呼び出されたとかで今はいない。
先に食べようと包みをほどいていると、携帯電話が鳴り出した。
上司の天田からだった。
「………もしもし」
『………昨日は連絡を寄越さなかったな』
怒っているのかわからない口調だ。
「学校が終わったら報告するよ」
『………その必要はない。あの後、調査が進んでな。………坂下の背景に誰がいるのか、調べがついた』
将斗の顔に緊張が走る。慌てて場所を屋上に移し、確認を取った。
「………何処だったんだ?」
『………chandelierというバーだ』
手口や細かい内容は昴達が推測した通りだった。
『………去年から腕のいいバイトを雇っていたらしく、SNSに料理ばかり載せてたが………
………さっき山縣に調べにいかせたら、証拠の品がたくさん出てきたよ』
証拠品というのは、道内各所から室蘭へ行くための切符、そして偽造されたパスポートや戸籍証の数々だった。
今日の密航に一枚噛んでいたのだ。
『………中には誰もいなかったが、もうすぐ帰ってくるだろう………こちらで始末しておく。
………将斗?』
その問いかけに答えることはできなかった。
天田の声は特別響くわけでもないが、耳の奥がキーンと鳴ってやまない。
chandelierは昨日、晴樹を送り届けたバーだった。
「何をしてるんですか?」
鍵を閉めたはずなのに中には人がいる。客でないのは明らかだった。
もちろん、裏の客でも。
店にいたのは男性2名だった。1人は中年の男性。もう1人は年輩のようで、見慣れない銘柄のタバコを取り出し灰皿がないにもかかわらずふかしはじめた。
「………悪いが邪魔してたよ」
口を開いたのはタバコをふかした男だった。見覚えのある顔だが、思い出せない。マスターは眉をしかめた。
警察には見えない身なり。しかし男が言ったのは、己を断罪する言葉だった。
「………テロ国家に与した容疑と密航の手配犯として………お前を殺す」
はじめて話した人気のないこの道。特に何かがあるわけでもないが、晴樹はこの場所に立っていた。生い茂る雑草が風になびく音だけが聞こえてくる。
特に手荷物もないが、ポケットにはバイト先の客からもらったタバコがあった。1本取り出し、ライターをつける。肺に一杯の煙を吸い込むと、なつかしい記憶が甦った。
ジュースが欲しいと言いながらもタバコを受け取ったあいつは、自販機の前でずっとむせていたっけ。
半分くらいまで吸い、あとは投げ捨てる。流石に足で残り火を消すのは忘れない。
ここに至るまで時間をかけすぎた。時刻は昼の1時だがもう行かないと。
最後の煙を吐き出し、踵を反す。
しかし目の前には
「将斗………?」
制服姿のままの悪友がそこにはいた。
イゴールが倉庫で寝泊まりしていたのでこのおまけコーナー
将斗「毎日ここで寝てるのか?」
イゴール「まさか。普段はイヴァンさんのアジトで寝泊まりしてるよ」
将斗「寒いんじゃ?」
イゴール「そうでもねーよ。毛布2枚でこと足りる。これでも軍出身だからな。なんなら一泊してみるか?」
将斗「え?」
………………………………………………。
昴「じゃあ着替えた(シャツ&ジャージのズボン)かな?」
千晶「ダー(タンクトップ&短パン)」
昴&千晶「電気消すよ~~」
イゴール&将斗「おかしいだろおおおっ!(ジャージ&フリース&毛布2枚)」




