独白・告白
それは昼休みの独白だった。
「昨日、親父に包丁を向けられて一悶着あったんだ。だからむしゃくしゃして、あいつらに当たった」
将斗は驚いてペットボトルのお茶から口を離した。
「それって…」
「ああ、もちろんヘマはしなかったさ。あんな素人の刃物なんか怖くない。俺が酔っ払い相手に負けるわけないだろ」
普段から仲のよろしくない親子だ。
しかし刃物を向けられた時点で傷害殺人という場面は出来上がっている。いくら仲が悪くても、そこまでいくと晴樹の身を案じてしまう。今後もそういうことが起きないとは、さらには晴樹が怪我をしないとは限らないのだから。
「お母さんはなにか言ってたのか?」
「母さんは何も言わないよ。むしろ親父をなだめて機嫌取りばかりだな」
「………」
「辛気くさい顔すんなよ」
笑いながら晴樹はパンにかぶりついた。
「酔っ払い相手にしたらそういうことだってあるんだ」
「でも、刃物となったら……」
「平気だって。俺の強さは将斗も知ってるだろ」
握り拳を作ってみせる晴樹に、笑みを禁じ得なかった。
確かに元空手部の期待の星だった彼にとっては素人の刃物など取るに足らない敵だろう。寝込みを襲ったりしない限り、負けるはずはない。
「わかったよ。でも大変になったら言ってくれ。泊めたり、飯を用意したりくらいはできるから」
あの日言わなかった言葉だが、時として避難の必要性だってあるだろう。公になってないだけで傷害未遂なのだから。
「おう」
晴樹の返事に合わせるようにして昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴りだした。
眩しい夕陽が射し込む校舎の廊下を歩く足音。それは図書館へ向かう速見愛花の背後に迫っていた。
「速見」
愛花が振り向く。
「タカヤン。これからバイト?」
「まあな。今日は将斗は一緒じゃないのか?」
「将斗も家のことで忙しいからね」
「そうか……」
晴樹は愛花の隣に並んで歩きだした。愛花はなにも言わず、足並みを揃える。
「お前はなにも聞かないんだな」
小さく、呟くように言った。
「何が?」
「怪我」
「その顔の?」
「まぁ………一応」
「聞いてほしい?」
「………………」
「聞いてほしくないのかな、って思って。あまり怪我の事を話したくない人だっているじゃん」
愛花が言っているのは将斗達のことだ。仕事で怪我をすることも多々あるし、ナノマシンの治療を行っても一晩では治らないものだってざらなのだから。もちろん晴樹がそれを知るよしもない。ただただ、友人として気遣ってくれる愛花に感謝をすることしか今の彼にはできない。
「そうか………ありがとな」
その唇が笑うのを見て、愛花も屈託のない笑顔で返す。
将斗は今日も任務だろう。普段の彼の態度や些細な様子から愛花がそれを察知するのは容易となっていた。
「何かあったのかな?」
港駅近くの倉庫、天田悠生の仕事場でライフルの分解整備をしながら昴は弟の背中に声をかけた。
今日は将斗の単独任務だ。明日は昴と千晶が大きめの任務を控えているので、温存させる必要がある。
薄手の防弾チョッキを身に付けながら将斗は聞き返した。
「何かって?」
「考え事をしているように見えたからね。もしかして学校で喧嘩でもしたのかな、って」
「喧嘩はしてねーよ。ただ、友人が困っているだけだ」
「ああ、喧嘩仲間の……」
話したっけ?そう問いたげな視線に長兄はウィンクで返した。
「千晶がたまたま耳にしたんだ。僕はそれを又聞きしただけだよ」
「千晶?」
「今日、不良に絡まれたそうなんだけどね」
「ぅわあ………」
不良に絡まれたという事案に対するよりも、千晶に手を出そうとした不良を哀れむ気持ちが強かった。
軍人だぜ?特殊部隊のエリートだぜ?
しかも近接戦は得意中の得意な妹。いや、あれに関しては得意を通り越しての特異といった方が正しいか。
「で?」
おおよその結末はわかっているが、促しておく。とりあえず勢い余って殺してないかだけが不安だった。
「もちろん返り討ちにしたようだ。ただ、その不良が将斗とその友人を知ってたらしくて……」
ブフウッ‼と吹き出してしまった。
自分と春樹を知っている不良なんて、あいつらしかいなかった。
昨日は春樹にぼこぼこにされたらしいのに、妹はあいつらの傷をさらに悪化させたようだ。
………本当に殺してないよな?
しかし話には続きがある。
「で、彼らは将斗達にも害をなすような宣言をしていたらしいので千晶は………」
そこで昴は整備の手を止め、「わかるよね?」と言わんばかりに意味深な頬笑みを見せる。
いや、まてまてまて。
まさか千晶、殺っちまたのか?
素行が悪いとはいえ罪なき一般人を殺してしまったのか⁉
だとしたらまずい。あいつらはあの辺では有名だし、急に姿をくらませたら近隣の誰もが疑問を抱くだろう。そうなっては自然とこちらに捜査の目が向けられてしまう。
「しばらく外に出られない程度に、拷問まがいなことをしたそうだ」
殺人よりも質が悪かった‼
「皆、震えて最後には「ごめんなさい」しか言えないくらい失禁していたそうだしね。体も治るまで数ヶ月はかかるだろう、と」
眉間に皺ができてしまいそうだ。
どんな拷問をしたかは知らないが、いくら身内に危害を与えそうだからと言って一般人にそこまでするか?普通。
「そうだよね。僕もまずいかなって思う」
「ああ………」
自分を心配してくれてのことだろうが、いくらなんでもやりすぎだ。そこは注意しないとと将斗は頭を抱える。
手入れ用の油の入った瓶を開けながら昴は頷いた。
「もし口外されたら面倒だから、そっちの処置も済ませるべきだったのに」
「そっちじゃねえよ!」
なんで傷口を抉りかねない追撃を必要と唱えるんだよ‼そんなことしたら死ぬ‼本当に死ぬぞあいつら!
ツッコもうとした矢先、昴の穏やかな横顔に気付いた。
口外されるのは面倒だと彼は言った。たしかに橘家の事情に警察なんかが踏み込んできたら大変だ。しかしそれを憂いに思う様子など微塵も見られず、むしろそんな心配は起きないから大丈夫と確信しているような、そんな穏やかさ。
………まさか
「大丈夫、その処置は僕が済ませておいたから。彼らは口外しないし、当分は社会復帰も難しいだろうね。あの辺では有名だったらしいし、個人の特定は容易かったよ」
「なにしてんだてめえええぇ‼」
傷口を抉るよりも悪質だな‼
最悪だ………
あろうことか俺の兄妹が罪なき一般人を社会的に殺しやがったよ。
ストレスが意識を持っていこうとしているのか、スーッと視界が遠退くような錯覚に見舞われていた。
10分もして将斗の意識はようやく取り戻された。兄達に言いたいことはいくらでもあるが、任務まであまり時間もないので無理に噛みつくようなことはしないでおく。
イギリス式の拷問だよ
とか
機能は損なわない程度に痛め付けたよ
とか
髪が真っ白になってたし、もう戦意も湧かないだろうね
といった報告はスルー。
手早く身支度を整え、今回使う拳銃にサイレンサーをねじ込む。
「今日の獲物は?」
「坂下圭介。37歳独身。札幌在住」
勤務先は札幌の保健屋。
「趣味はドライブ。週に2回の調子で小樽に来ている」
「何をしでかした人かな?」
「テロ国家への日本人投入」
昴の手が止まる。しかし身支度に意識のほとんどを費やす将斗はそれに気付かなかった。
「テロ国家へ渡航したいという日本人の密航を手引きしているらしい」
「それは単独犯かい?」
「まさか。少なくともバックアップがどこかにいるはずだ」
そのバックアップについて、紫音に調べてもらったのだが、携帯・パソコン………記憶媒体にはそれらしい存在が一切見当たらなかった。
つまり黒幕とはアナログ的手段で接触していることになる。今回は坂下を殺し、その黒幕と接触した証拠を押収すること。
スライドが動く音が倉庫に響く。将斗の表情は既に任務時のそれに切り換えられていた。
さっきは濁してしまったが帰ったら友達のことで相談にのってあげよう。そう思いを込めて、昴はエールを送る。
「気をつけて」
「ああ」
フルフェイスのヘルメットを左脇に抱え、将斗は倉庫を後にした。
花銀通りが混むのは6時を回ってからだ。それまでは居酒屋などあまり混むはずもない。
サンドイッチに使う肉を焼きながら晴樹はマスターに訊ねた。
「予約のお客様って何人ぐらいっすか?」
「10人。来たらすぐ後ろの広間に通すんだよ」
こぢんまりしたバーだがその奥には扉一枚を隔てて、広い部屋が設けられていた。
「今日もそこそこ来てくれたら良いんですが………ょっ、と」
話しながらフライパンを持ち上げる。ハーブの効いた香ばしい匂いが厨房を満たした。
「そうだね………
聞き忘れたが弟にハンバーグは作っておいたのか?」
「ええ。バッチリっすよ」
唯一の弟が腹を空かせちゃ大変ですからね。
朝作っておいたから、帰ってきてレンジで温めるよう置き手紙をしてある。すでに研修旅行を終えて家に向かってきているだろう。
肉を焼く晴樹からは充実したなにかが滲み出ていた。
『本日のおすすめメニュー
夏野菜のピクルス盛り合わせ………490円
トマトの冷製パスタ………800円
チキン6ピース………540円
チャージ料なし。ご来店お待ちしてます。
バー・chandelier』
「………やっぱりこんな暑い時期はピクルスが人気みたいですね」
洗った皿を拭きながら喫茶店・モルゲンの店員である五木は同僚の山縣に言った。
「そうだな………季節限定メニューがあってもいいかもしれない」
「マスターに進言しようかなぁ、限定メニュー目当てで来るお客さんもいるだろうし」
「夜になったら混む店だぞ、ここは。これ以上客が増えたらたまったもんじゃない」
「それは皆、常連客ですよぉ~。
たまには若いお客様が来てもいいじゃないですか~。
わ・か・い!殿方とか」
「下心が見え見えだな。ほら、来たぞ」
扉の鈴が鳴る。今日も常連客で賑わう気配を噛みしめ、五木はホールに戻った。
花銀通りにある喫茶店モルゲンは、近隣のバーやスナック・居酒屋などの情報を仕入れてはいるのだが、他店と比べて客の年齢層が高い上にそのほとんどが常連客という……まぁ、なんとも目立たない存在であった。
時計は夜の10時を指していた。バイクのエンジンをかけて暗い道を走り出す。国道を抜け、車が全然走らない峠に入る。この峠をまっすぐ抜けると、札幌の定山渓に出るのだ。ターゲットはいつもこの道を通る。
途中の脇道にバイクを停め、ライトを消す。見つからないよう木々の間に隠れるようにして待ち伏せた。耳につけた通信機に問いかける。彼もこの近くに隠れているはずだ。
「イゴール。ターゲットは」
『そちらに向かっている。およそ10分だ』
「わかった……近づいたら連絡頼む」
『ダー』
イゴールはクレムリン・ロシア側の人間だが、こうして通信や輸送、事後処理などで行動を共にすることが多い。周囲がボケてトンでもない事態に巻き込まれる、いわゆる苦労人としての気質が近いからか将斗にとっては話しやすい相手でもあった。
「イゴール」
『?何かあったか?』
「いや………やっぱり………」
『ここまできて言わないのかよ?気になることがあるなら言ってくれ。逆に集中できない』
「………」
話しかけたのはこちらだし、引き下がることはできなかった。
「友人が、親に刃物を向けられたそうなんだ」
『………』
「で、大事はなかったが母親は助けてくれなかったらしい」
そこで晴樹のことを軽く話した。今の父親がろくでなしなこと。晴樹は弟のためにバイトを頑張り、部活もやめたこと。刃物を向けられてさすがに腹が立ち、他人にあたったこと。
「俺たちは仕事やらで刃物を向けられることはあるし、さすがに家族から受けたことは………あるけど………」
『ま、お前らは事情があれだったしな………』
刃物を向けたのはまだ互いが敵だったから。それは将斗の図りもあってのことだったが、晴樹は違う。
理由もなく、ただ憎悪を刃物にのせられた。
仮に、母が、兄妹が、紫音が理由もなしに将斗に刃を向けたら自分はどう思うだろう。兄妹は職業病みたいなものもあるが、ただ嫌いだからと言われたら。
そう思うとやるせない気持ちになるのだった。
少ししてイゴールは答える。
『答えにはならないが、ィーポン(日本)はそういうのに対する法があるが、ロシアは杜撰だからな。勢い余って刺しても金を積めば許されることもあるし、子供を守る法律なんて穴だらけだ。助かっても保護されずにスラム街に放り出されたり、衛生環境がなってない孤児院に回されるのも多いぞ』
「………やっぱり事になるまえに、そういうのに手を回すのがいいのか」
『この国ではそうかもしれないがな。ただ、1人でならまだしも年下の兄弟がいるとさらに苦労はするだろうよ。兄弟を見捨てれないやつらは自らテロ国家に行ったりもするんだ。ロシアのテロ国家・ピオネールは知ってるか?』
当然だった。第二次世界同時多発テロでロシアのキュプロクスを略奪した代表格。襲撃してすぐさま国境付近まで撤退したためロシアは襲撃の被害も少なく終わらせることができた。しかし彼らを潰すのは用意でなく、香龍会と手を組むことで各国からの攻撃を防ぎ、今も着実に戦力を集めているらしい。
「そのピオネールに子供達が?」
『ああ。戦闘員になれば衣食住は困らないし家族も保護される。子供ながらにその辺を考えてわざわざ遠い道を歩ききって入っちまう奴もいる。確かにスラム街はモスクワにもあるし、孤児院に行けば少なくとも手を汚さずには済むさ。でも………テロ国家にしかもう可能性を見出だせない子だってロシアにいるって話だよ』
「イゴールは、そういう子を見たことが?」
『あるよ。俺の場合は近所の幼馴染みだった』
意外な発言に我を忘れる。
今、なんて………
『俺がモスクワの学校に行ってる間に参加したそうだ。次に会ったのは戦場でだった。既に死体になってたがな』
「………」
身近な人が敵になっていた事実。それを知ったときのイゴールの心境は想像もつかない。将斗たちみたいに共通の敵を持つものではなく、水と油のように交わることのない関係。
彼はどんな心境でかつての友を見ただろう。
『一瞬、言いたいことがいろいろ頭に浮かんだな。「なんで黙って行きやがった」とか、「そんなやつらと手を組みやがって」………ああ、「裏切り者」とかも考えた。
でも、すぐに頭は冷めちまったんだ。治安の悪いロシアに居ても、生き残れなかったんじゃないかって』
その親友は両親の都合で莫大な借金を抱えていた。両親は夜逃げし、そいつに押し付けられた金額は一生かかっても返済しきれない額にまで膨れ上がっている。
孤児院も引き取るはずがないし、スラム街に生きても借金取りの眼を盗み、怯えるだけの生活。子供一人ではどうしても乗り越えることのできない世界に、問答無用でぶちこまれたのだ。
ロシアで生きる道を失った小鳥は、テロ国家で羽ばたくことが出来たのだろう。
そう思うと親友を責める気にもなれなかった。
『お前らの事は知っている。俺だってテロ国家と戦ってきたし、奴等を敵と見なしている。
だがお前らがテロ国家を生涯の敵とするように、逆にテロ国家みたいな場所にでも居場所を見つける奴はいるんだな。って思ったことがあるだけだ。
悪いな、相談の答えにはならなかった』
最後にはいつものぶっきらぼうな言い方に戻っていた。
「あ、ああ。いや、こちらこそありがとう。引き続き頼む」
『おう、任せてくれ』
イゴールはターゲットの監視に戻ったらしい。静かになった世界で将斗は夜空を仰いだ。
日本というこの国は保健に徹底している。確かに児童相談所などを頼れば晴樹と弟は親元を離れれるかもしれない。
しかし晴樹はまだ学生だ。そんなことをすれば弟を食わすために学校を辞める必要だってあるかもしれない。それに弟はまだ幼い。親から引き離すなんてこと、晴樹もしたくないのだろう。
児童相談所に通報するのは簡単。だがそれが晴樹達の幸せに直結するかはわからない。むしろ、前よりも拘束された世界を強要されてしまうかもしれない。里親だって必ずしも現れるわけではないのだから。
通報した後の世界。そこで晴樹が自由に羽ばたけないのだとしたら。
考えすぎだと解っていても、将斗は晴樹の自由を思わずにはいられなかった。
イゴールの過去を聞いて、親友を助けられなかった彼なりの後悔が多少なれど将斗に伝わっていたからだろうか。
『マサト』
次にイゴールの声が聞こえたとき、それが任務のものであるとすぐに気づいた。ヘルメットをかぶり直し、大きく息を吸う。
考え事は中断だ。ここから先は死神に愛される時間。
「わかった」
『黒の軽。ナンバーは………』
読み上げられた数字を頭のなかで復唱し、バイクに跨がる。見開かれた眼は前だけを見つめていた。
「了解」
予約の客が解散し、あとは残り少ないカウンターの客のみとなった。
テーブルを拭きながら片手で皿やら食器を片付けているマスターのフォローに入る。
「ありがとう。晴樹くんがカウンターの対応をしてくれたお陰で助かったよ」
「どうでしたか?」
「上々だよ。ご注文も多く戴いてね。売り上げがまた伸びたんだ」
「やりましたね」
笑うとマスターは晴樹を真っ直ぐに見据えた。
「仕事の覚えも早かったし、やはり君を雇って良かった。いつも助けられているからね。よかったら卒業後、ここに勤めないかい?後釜になってほしいんだ」
「え………」
今のバイトには満足している。マスターもこうして自分を頼ってくれるから好きだ。
でもまさか、本当に勤めてほしいと言われるなんて。
気付けば鼻は熱く、眼からは涙がにじみ始めていた。
「おいおい、仕事中なんだ、泣くなって………」
「すいません。マズダー………おれ、うれじくて………」
「泣くのは後にしてくれよ」
マスターは笑うとティッシュを差し出した。
「今日はお疲れ様。帰ってゆっくりしなさい」
鼻水を切らしながらの威勢の良い声。
「はいっ!」
やった。ついにやった!
踊り出したくなる気持ちを懸命に堪える。
これで将来の就職先も決まった。この職場は給料が良いことになにより満足している。
最初はうまく出来ずに四苦八苦していたが、ここまで頑張って良かった。
この気持ちを弟に、真っ先に伝えたい。
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握力が抜けて買い物袋が掌から滑り落ちる。安売りしていた卵はひとつ残らず割れて床を汚
していた。
家に居場所はなかった。弟といる時しか、家族と言うのを感じたことはなかった。
普段はタバコと酒臭い家だが、生きていくためには仕方ないと割りきっていた。どうせ自分は卒業すれば家を出る。弟と一緒に。
それまでの辛抱だ。卒業前に相談所なんかに駆け込んだら、ただ苦労するだけだ。なにもかも拘束された鳥籠に収まる気はない。弟をどこまでも羽ばたかせてやりたい。
それが今のバイトに精を出す自分が見つけた道。
相変わらず散らかっている茶の間だ。清潔さなんて微塵もない。
少なくともあのバイトを本職にすれば、自分達兄弟はやっていける。生きていける。あんなクズな親の庇護なんてなしに。
なのに
なんで
胸から血を流す弟が、勇気が?
弟の横では酒をのみ過ぎたのか顔を真っ赤にしたクズが包丁を握っていた。包丁も、そのシャツも、勇気の胸から流れる赤い液体と同じ色をしていた。
しゃっくりしつつも捲し立てるように言う男の声など、耳にはいるはずもない。
「こいつが……(ヒクッ)お前と飯を一緒にって聞かねぇから…(ヒクッ)
…ぶん殴ったら今度はお前の名前をうるさく言うから…………
(ヒクッ)………包丁で脅したらよぉ…(ヒクッ)
……お前がいるからあーだこーだ騒ぎやがって…………(ヒクッ)……………」
ああ、きっと言ったのだろう。「お兄ちゃんが守ってくれる」って。
信じたのだろう。俺が颯爽と駆けつけ、助けてくれるって。
夕飯も食べずに、俺を待っていてくれた弟。そのからだは既に冷たくなっていた。
彼は昨日、晴樹に激昂して包丁を向けたのだ。晴樹の名を呼ばなければ屈辱に火がついて、勢い余って刺すことはなかったろう。
しかし罪のない弟の命が無惨にも、こんなクズに奪われたのだ。
なぜ自分達ばかり?なぜ弟が?
遠退いていた聴覚が戻った時にはもう考えるだけの理性などなかった。
昨日不良にぶつけた苛立ちでもない。将斗に向けたゲームのときの力でもない。
ただ、ありあまる憎悪と怒りをありったけ込めて。
晴樹は吼えた。
後方から一気に距離を詰め、直線に入ったところで拳銃を取り出す。狙うは後方のタイヤだ。
ハンドルを固定させて銃をかまえ、2発。サイレンサーで多少のズレは生じたが、弾は確実にその後輪を突き破った。
ブレーキをかける音とともに車がケツを振る。4回くらい振り子のように揺れた車はやがてスピンを繰り返しながらガードレールに衝突した。砕けたサイドミラーが道路に散らばる。
運転席からヨロヨロと出てきたのは中年の男性。写真で見たターゲットだ。
バイクを停めずにそのまま加速し、ぶつけた車両の横に並ぶ。額から血を流しながらも自分の危機を察した坂下は両手を挙げた。
が、将斗は人質目的でやってきたわけでもない。そんな降参の意に応じるわけもなかった。
サイレンサーをつけても発砲音は完全には消えない。だが控え目な銃声は男の頭が吹き飛ぶ音にかき消されていた。
「さすがティーナの兄貴なだけある」
「誉めてもなにもでないぜ」
事後処理を終えて押収した鞄やら財布から、坂下が接触したであろう人物の手掛かりになりそうなものを探していた。
名刺でもメモ切れでもあれば良いのだが。
コーヒーチェーン店のレシート………違う。
札幌の◎◎党の人の名刺………とりあえずよけとく。
小樽の居酒屋やバーのカード………運転してたんだし。
ターバン状になるよう折り込まれた千円札。昔流行ったよね‼
「………ないな」
「そうだな………」
机に散乱する名刺やカードを前にげんなりしていた。時間は既に夜の11時。
今日は切り上げよう。そんな会話にさえなったとき、将斗の胸ポケットから振動が。
電話らしい。見ると晴樹からだった。
イゴールに断りを入れてから倉庫を出る。肌寒い潮風にさらされて、肩が小さく震えた。
「もしもし、晴樹?どうした?」
『将斗………………』
晴樹の声は死人のように力がなく
『俺………人を、殺、しちゃった………』
そう告白したのである。
おまけコーナー
晴樹の場合
晴樹『殺、し、ちゃっ………た』
将斗「何っ!晴樹、今どこにいる⁉」
千晶の場合
千晶『ダー。殺しちゃった』
将斗「ぉいぉいぉいぉい!誰を殺っちまったんだ⁉何人殺っちまったんだ⁉」
その後、事後処理に駆り出されるのであった………
昴の場合
昴『殺しちゃったけど、証拠は消したから安心して~』
将斗「よくねえから!なんで殺した‼言え‼なんで殺ったんだ‼」
昴『僕の愛する家族に手を出そうとしたからね★』
将斗「ざけんなクソ兄貴っっ‼」




