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紫音の稽古


 この体質には長らく苦労してきた。


 すれ違う人とぶつかろうものならすぐに感情は流れ込み、意識を塗りつぶされてしまいかねないほど記憶や思考が流れ込んでくる。そして頭はその情報量に悲鳴をあげ、吐き気や目眩となって襲ってくるのだ。

 人混みや、雨の降る日などは特に要注意。後者だと水を介して伝わってくるので防ぎようがない。

 

 しかしそんな生活を送ってきた紫音にも転機が訪れる。


 先の任務で昴と共に動いた際、紫音はデヴィットという少年に出会った。

 言葉を話せない彼は特定の物を手にした人物だけに思念を伝えることが出来るという体質の持主………保有者ホルダーと呼ばれる存在で、紫音の体質も保有者としてのものと教えてくれた。

 任務の最中、彼は命を落とすがその前に彼女に体質のオンオフを切り替えるスイッチの仕方を伝えてくれた。


 あの時のスイッチの感触は今でも覚えている。忘れる前に物にしなくては。


 決意と共に紫音は胸の中で握りこぶしを作った。





「……にしても不思議ですよね~」


 喫茶店モルゲンの2階でコーヒーを差し出しながら五木は、パソコンのキーボードを軽やかに叩く紫音の手元と顔を交互に覗きこんでいた。


「?何がです?」


 問い返す紫音の目は五木には向けられず、ただデスクトップに写し出される無数の数字の羅列と別のモニター画面へ向けられていた。

 モニターには黒い服に身を包んだ将斗が映されている。 紫音がキーボードを叩き、デスクトップ上に「clear」の文字が出ると将斗の目の前の扉は解錠されて行く。

 そう、紫音は今、将斗のバックアップに勤めているのだ。滑らかに動く指は止まることを知らず、将斗が扉の前に着くと同時にスムーズ良く扉を開けて行く。

 ここに至るまでに沢山の回線を経由してきた。まずは無線電波で他の人の情報をキャッチし、そこを介して小樽市内にチェーンを置く企業、さらにそこからetc………


 蜘蛛の糸のように細かく、複雑に張り巡らせた経路を使い、将斗の潜入先をジャックして道を造り上げる。


「これだけの情報量を一気に捌けるなんて、昴さんやマスター、あとイヴァンさんくらいしか知りませんよ私」


「私に出来るのはこれくらいですし」


「でも、他人の情報は苦手なんですね」


 痛いとこを突かれたと思う。確かに他人の思考を読み取っても今みたいに捌き切れれば苦労はしない。


「……パソコンには感情はありませんから」


 そう。ただデータを見て捌くだけなら紫音にとっては造作もない。しかし他者との干渉はその感情や傷みまで押し寄せてくるのだから、捌く以前の問題となってしまうのだ。

 しかし五木は納得いかないのかテーブルに肘をつきながら「えー」と不貞腐れる。


「勿体ないなぁ。そのへん上手いことすれば、いろいろ活用できそうなのに」


 何に活用出来そうか、昴みたいに心理戦が出来るわけでもない紫音には仕事での使い道など思い付かない。が、五木に限って言えばある程度の予想はつく。


 合コンとか合コンとか。あと合コンとか。


「………紫音ちゃん、今私の感情読み取りました?」


「いいえ?」


 五木さんがわかりやすいだけです。


 そこで思いついた紫音は五木にお願いをしてみた。


「最近、干渉を押さえるトレーニング中なんです。よかったら実験に付き合ってもらえませんか?」


 要はスイッチの切り替えの練習だ。快く承諾してくれた五木に礼を言い、試しに握手をしてみる。まずはスイッチを切り替える前だ。


 五木の感情は流れ込みやすい。握った途端に強い思念が押し寄せてきて、紫音の意識はぶっ飛びそうになる。


(男おおおおおおおおおおぉぉ‼)


「………紫音ちゃん、顔色悪いけど大丈夫?」


「………大丈夫です。そのためのトレーニングですから」


 これは読み取らずとも先の予想と同じか。

 そんな考えすらも横に置いて、紫音は自分の中のスイッチを意識してみる。

 イメージするのは切り替えレバーみたいなものか。それが自分の中にあるように考え、イメージが固定されてきたらそのレバーを切り替えてみる。

 カチリ、と音がしたような気がする。たちまち五木の思考は読み取れなくなり、手も握りあったままだ。

 

「どうかな?」


「もう少し待っててください」


 今度はもう一度スイッチを換えてみる。そうするとすんなりと五木の考えが手から頭へ伝わるように、把握することが出来た。


(次の合コンでは今度こそ‼)


「……成功しました」


「ってことは今は私の考えはわからないってこと?」


 五木は紫音がoff →onに換えたことに気付いていないらしい。しかしここで否定するのも面倒であった。

 正直なところ、これまでに五木の意識に干渉してしまったことは多々ある。しかしそのいずれも、そして今も


(次の合コンでは将来性を重視した相手選びを‼いや、やっぱり貯金かな………でも顔のレベルも………)


 見事な具合に統一されているものである。おそらく今回の合コンも失敗するオチだろうと予測して


「ええ……」


 控えめな答えの中に(五木さん、今回も頑張ってください……一応)とだけ念を込めた。









 まぐれの成功も有りうるのでマメなトレーニングは欠かさない。橘家のソファーで読書にふけりながら次の練習相手選びを考えていると、2階から物音が聞こえてきた。

 将斗と昴は出払っているので、あとは千晶か。確か今朝まで任務に出ていたので、今日は休みだろう。

 ちょうど良い。練習相手をロックオンした紫音は階段を登り始めた。


 かつて記憶を見たことにより紫音が体調を崩したことが理由で、千晶はあまり自分に触れるとはしなくなったが、これで大丈夫なら彼女も安心してくれるだろう。

 部屋を覗きこむと千晶はラフな格好のままベッドに横たわっていた。声をかけようか迷ったが、定期的に聞こえる寝息に気付き、考えを改める。

 どうやらかなり疲れているようだ。わざわざ起こすのは申し訳ない。

 それに相手が眠っていても練習は出来るのだ。


 近寄っても起きないので枕元に腰を下ろし、もう一度、眠っているか確認する。

 よく彼女の部屋で寝泊りするので意識したことはなかったが、寝顔を見ると将斗の面影は確かにある。


 やはり兄妹、と言うべきか。


 眠っている千晶の手に右手を添えてみる。今はスイッチを切っているので記憶が逆流することはないはずだ。

 手が触れたにも関わらず、千晶の記憶が見えてくることはなかった。安堵のため息を吐いてから今度はスイッチを切り替えてみる。


 刹那、紙に滲んだインクのように、紫音の頭に浮かび、そしてじんわりと世界が広がりだした。















「で、千晶の記憶を視たと。具合はどう?」


 紅茶を淹れながらニコニコと笑う昴だが、紫音への配慮は忘れておらず時折、コップに冷たい水を継ぎ足してくれる。礼を言って飲み干してから答えた。


「少し目眩がする程度ですが、あんなに流れ込んでくるなんて…」


「干渉する量はこれまでのトレーニングを続行した方が良いのかもしれないね。でもスイッチとやらの切り替えは成功したのだろう?」


「はい、それはもちろん」


 スイッチを学ぶ前からある程度の制御は出来てきた。つまりスイッチをオンにしつつ、流れ込んでくる量を調整すればいいのだ。


「ちなみに千晶からは何を見たの?」


 素朴な質問を投げ掛けられ、返答に詰まる。紫音が見た千晶の過去は、あまり堂々と語って良いかわからないものばかりだったからだ。

 だから話せる部分だけ考えて選ぶ。


「千晶ちゃんが……エレーナと仲良くなった時の記憶でした」


「エレーナ、確か向こうでの御家族だよね」


「ええ。最初こそ二人はあまり仲良しではなかったんですよ」


「意外だなぁ、彼女は僕と同じく、最初から妹好きだと思ってたのに」


「昴さんの弟妹好きが爆発したのは2年ほど前では?」


 甘いなぁ、と昴は笑う。


「爆発したのは最近でも、好きなのはずっと前からさ‼」


「………………」


 なぜかこの人なら納得出来てしまうのは、普段の行いのせいだろうか?

 そんな事を考えていると、疑われていると勘違いしたのか昴は自信満々に手を差し出してきた。


 疑っているのかい?なら見てみると良いよ。


 そう言いたげな笑みに苦笑いで返しながら紫音はその手を取った。


 ノイズ混じりの世界だが見覚えはある。

 本棚には難しそうな英語の本が綺麗に並べられ、そこには一切の隙間や乱れもない。

 昴の自室だ。彼はこの本に囲まれた自室を好んでいる。

 そこで昴はワクワクした様子で本棚に手をかける。一部の棚はスライドさせることが出来、その向こうには隠し本棚があった。

 隠し本棚から黄色い冊子を取り出す。冊子の中はビニールの層となっており、写真ケースだとわかった。


 そしてその中は、紫音1色。どのページをめくっても紫音、紫音、紫音、紫音、紫音………

 普段の生活で撮られた写真はもちろんだが、昴と一緒ではなかったときの喫茶店での姿や登下校中の様子、はてには学校帰りに立ち寄った本屋での姿までもが………


「盗撮じゃないですか‼」


「はっ、まさか見たのかい、僕のときめき●モリアル」


「なにがときめきですか‼盗み見ですよ!盗撮メモリアル‼大体、なんで私の行く店を把握してるんですか‼」


「甘く見てもらっちゃ困るなぁ、僕はスナイパーだよ?遠くから辛抱強くターゲットを観察するなんて日常茶飯事さ」


「自信持って言わないでください‼まさか私の盗撮写真を見せるために干渉させたのですか?‼」


「そんなことはないさ。これでも閉心術は心得てるよ。隠したい記憶は深層に隠して、出しても良い情報だけを表面に植え付ける。スパイの基本さ」


「出来てないじゃないですか‼」


 むしろ、なにを見せようとしていたのだろう?


「紫音ちゃんへのクリスマスプレゼント選びをしていたときの記憶だよ。ブライダルショップで指輪を見ていたんだ」


 それこそ深層にかくしてほしい。表面に植え付けた昴の記憶は愛が重すぎた。





「以上が、今日のトレーニング結果ですが……」


 ルーズリーフにペンを走らせながら将斗は考えるように目を逸らす。


「つまり……スイッチのオンオフは出来ても、まだ特定の記憶や意思を選定して見ることまでは出来てない、って認識で良いのか?」


「はい……」


「身体への負担はどうなんだ?」


「頭痛や目眩がしますが、流れ込んでくる量を抑えれば軽減出来ました」


 成る程、と将斗は首肯く。以前に比べたら大きな進歩だ。少し触れただけで大量の記憶を見て倒れていた当時は、紫音がふらつくだけでかなりヒヤヒヤしていたものである。


「とはいってもあまり無理するなよ。もしかしたら記憶や意思の選定は出来ないかもしれないんだ。そのためにお前が体調を崩したりしたら……」


 それでも幼馴染みへの心配は揺らがない。そしてそんな将斗の優しさを知っているからこそ、紫音は温かい気持ちになれるのだ。


「わかってます。私もこの体質をむやみやたら使うつもりもありませんよ」


「ならいいんだが……ってか、兄貴もなんつーもん見せてんだ……」


 あの後、千晶と将斗が合流した後に昴の本棚に一斉捜査が入った。すると例のアルバムの他、出るわ出るわ。

 スナイパーの経験を必要最大限まで無駄に活かした弟妹の盗撮シリーズの他、小さい頃にもらった玩具や手作りのアクセサリー、さらには幼き将斗が描いた絵まで、大事に保管されていたのである。


 もはや狂気以外感じられない。


「でもやっぱり、選定した干渉は実現させたいですよね……」


 そう名残惜しそうに呟く紫音には思うところがあった。

 3兄妹のバックアップとしては優秀だが、共に行動するとなると現段階ではやはりカムフラージュ的要員でしかない。3人を思うがゆえに紫音にとっては歯痒い現状なのだろう。

 だから能力を使ったサポートが出来れば、彼らをもっと支えることが出来る。紫音はそう考えているのだ。


 そんなことしなくても、俺達はお前に助けられている。気にしないでくれ。

 そうやって言えたらどれだけ良いだろう。だが言ったらそれは紫音の必死な思いを蹴り捨てることになるのを将斗は知っている。


 能力の使い方をイメージして、紫音は将斗をチラチラと見た。

 もう一度、もう一度試してみたい。表情はさう訴えている。

 仕方ないな、と笑いながら将斗は手を出した。その甲に重ねるように手を置く紫音。


 体温は熱となり、記憶が、思いが紫音に流れ込み始めた。


 幼き頃に家族を失った悲しみ。


 復讐のために自身を追い込んだ苦しみ。


 また兄妹が揃った時の戸惑いと、彼等が自分と同じ世界にいると知ったときの怒り。


 そしてそんな家族を、今を守りたいと強く願う決意。


 兄妹を、紫音を、家族を思う心は堅く、強い筋が入っているような気がした。同時に温かい優しさが混ざっており、それが紫音には心地よく思えてしまう。


 強くて温かい。思えば紫音は将斗のそういうところにいつも助けられている。初めて会ったときも奥手な自分を引っ張って、それでいて優しくしてくれた。

 高校生になった今もそれは変わらない。


 今だって、あせる自分を心配してくれる気持ちが伝わってくるくらいなのだから。


「………どうだ?」


 不安そうに尋ねてくる将斗。

 ああ、そういえば子供の頃は自信家な所があったなと思う。

 そう考えると前言撤回。基本的には変わらないけど、小さい頃より用心深くなったといいますか。かなり心配性になりましたよね、将斗は。


「干渉は出来ましたが……昔を思い出してましたか?」


「へ?夕飯のメニューを考えてたんだけど」


「じゃあ失敗ですね」


 失敗と言いながらも嬉しそうに笑う紫音を見て不思議に思う。何があったのだろう。


 首を傾げるが、まあ幼馴染が笑っているから特には気にしなくていいだろう。それにこうやって2人でいる時間は嫌いではない。


 紫音がまだ手を離そうとはしないので、こちらも彼女が満足するまでこうしていることにする。


 たまにはこんな時間も良いだろう。


 互いの温もりを確かめあうように2人はしばらく手を重ねあっていた。


次回、千晶の過去編になります。次回でss編はラストです。

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