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二人のひととき

 目覚めのきっかけは小さな声だった。時間は朝の4時。きっと寝ている紫音を気遣っているのだろうが丸聞こえである。

 重たい眼を開けて見た先には、ヘッドフォンを着けた状態でパソコン画面に向かって話しかける千晶の姿が。

 ゲームをしているように見えるかもしれないが紫音は知っている。テレビ電話だ。

 彼女の第二の故郷、ロシアからの。

 紫音が布団から抜け出すなり千晶に近付いた。千晶は振り返る。



「紫音ちゃん……ごめん、うるさかった?」

「ううん、それより私もエレナとお話ししたい」

「わかった」



 千晶がヘッドフォンを取り外し、スピーカーに切り替える。

 画面の向こうのブロンズヘアの少女は屈託のない笑顔で、流暢な日本語で挨拶をした。



『こんばんは、シオン! ああ、ニホンは今、おはようかな?』


 

 そう言って白い歯を見せる。ロシア人の特徴として十代~二十代の女性は抜群のスタイルをしていると、噂で聞いたことはある。今、テレビ電話の相手も例外ではない。自分達と同世代とは思えないほど体のメリハリは素晴らしいし、女優にいそうな顔立ち。


 女子の紫音からみてもやはり彼女のルックスは最高だと思う。


 決して大きな胸を目の当たりに、尊敬に近い感情を抱いても敗北感を覚えることはない。


 大事なことなのでもう一度。


 彼女のボディーに敗北感は覚えない!



「こんばんは。元気そうね」

『まぁね。ティーナと久しぶりに連絡したからかな』



 そう言ってウインクしてみせる。コミカルな仕草が彼女の魅力のひとつだ。



「レーナ」



 千晶が身を乗り出した。千晶に呼んでもらったことがとても嬉しかったのか、エレナは顔を輝かせる。



『なに? ティーナ』

「私、2日前にも連絡したよね?」



 エレーナの笑顔。そして沈黙。



「……エレナ?」

『だって‼ ティーナとは毎日会いたいんだもん‼』



 なにかの糸が切れたかのように急に駄々っ子と化す。


『だいたい、ティーナが悪いんだよ‼できるだけ毎日連絡するって約束したじゃない‼』



 まくし立てるこの女の子。

 エレーナ・アベルツェフ・ルキーニシュナ。

 ロシアにおける千晶の家族で、千晶の姉でもある。が、年齢は千晶と同じ。

 本当の妹として接し、いつも一緒に遊んでいたらしい。帰国後は頻繁にテレビ電話をかけて、近況報告をするのがエレーナと千晶の暗黙の了解だ。


 が、



『いーなーいーなーシオンばっかり‼ ティーナのお姉ちゃんの座をほしいままにして‼ 毎日一緒なんでしょ‼』



 なんだか昴を見ている気分だった。

 そう、エレーナは妹の千晶を溺愛しているために、普段から千晶関連での嫉妬が絶えない。妹を愛する気持ち悪s……一途さは、ある意味で酷似している。


 それにしても、と、紫音は隣の千晶を見た。無表情の感情が読み取りづらい普段とはうって変わり、微かにだが口許は笑みを浮かべ、どこか雰囲気が柔らかくなっているような気がする。


 少なくとも、橘家の食卓だけでは見ない表情だ。



『グスン……いいもん、ティーナが私を無視するなら、私も1人で楽しむもん……』



 ヨヨヨと落ち込む演技をしつつ取り出したのはウオッカの瓶とグラスだった。



「エレナ……それはちょっと……」



 ラベルが貼ってあった。『エレーナ』

 流石ウオッカの盛んなロシアン。その若さにして既にマイボトルを所有しているのか。



「レーナ、落ち着いて」



 千晶がすかさず宥めに入る。さすが妹。姉へのフォローを忘れない。



「ウオッカなら私も一緒に飲むから」



 期待は裏切られた。

 気づけば千晶の持つグラスには既にズブロッカが注がれていた。



『「 |ザ・ナーシュ・ドゥルージブ《あなたに栄光あれ》~」』



 エレーナは目の前で景気よく一気に飲み干す。千晶は……紫音にグラスを取り上げられていた。



「紫音ちゃん……」

「子犬みたいな眼で見つめても無駄です。朝から酒を飲むのは感心しません」



 なにせ幼馴染みの妹である。目の前で飲酒して急性アルコール中毒になられても困るのだ。



『シオンも飲んでみる?』


 画面の向こうではエレーナがニコニコとこちらを見ている。ウオッカをイッキ飲みしたのに顔色ひとつ変わらないのは流石だ。



「飲みません」



 対する紫音は即答。するとエレーナはコロリと表情を豹変させるのであった。



『私とティーナの愛の乾杯さえも許してくれないの?!

 シオンは一緒に住んでるんだからその分、私に華を持たせてくれてもいいじゃない!! ついでに【自主規制】させてくれても!!

 私達の愛を邪魔するなんて!!

 シオンの鬼! 悪魔!! シベリアに送ってやる!!!』


「「…………」」



 紫音と千晶の様子を一言で言うならば。「絶句」。

 まず、千晶としてはエレーナ相手に家族愛はあれど、【自主規制】に及ぶような危ない心は持ち合わせていないし、紫音も、こんな危ない女性と一緒に暮らしてきた千晶の心情に対して「ドンマイ」の一言しか浮かべる事が出来なかった。


 2人の冷たい眼差しを受けてなお、我を忘れたエレーナはギャオンギャオンとわめきたてる。



『大体! シオンはいつもティーナと寝てるんでしょ!?

 私だって恋しいのよティーナと寝る時間が!!

 それすらも叶わないからせめて、乾杯したかったのにそれさえも邪魔してくるなんて……』

「千晶ちゃん……」

イズヴィニーチェ(ごめん)……ここまで悪化してるとは思わなかったから……

 でも、レーナとそういう関係になった事はないよ?」

「いや、そうじゃなくて……」

『ティーナぁぁあ!! いつロシアに帰ってくるの?!

 言ってくれたらママがボルシチ作って待つって!!

 私だって、シャワーとか【自主規制】の準備を……』



 最後まで言わせない。千晶は無言のまま、パソコンの電源を落とすのであった。

 


 …………………………

 ……………………

 ………………

 …………

 ……。



「……やっぱすげぇよな……千晶のロシアの家族……」



 将斗の小言。紫音は「ええ……」と小声で生返事することしかできなかった。

 駅近隣の商店街の脇にある喫茶店。薄暗くも落ち着いた空間で、所々にボトルシップやらスノードームやらが飾られている。

 椅子は深紅の布地で覆われており、照明は金のシャンデリアという、ひと昔前の小樽の街ではよく見られたモダンな内装だ。


 しかし将斗と紫音しかいない2階ではガラスの装飾品は一切ないし、シャンデリアに灯りが点くことはない。あるとすれば……



「お持ちするように言われましたぁ」



 紫音よりもずっと明るい茶色の髪をした女子がランチセットをを運んできた。



「おう、五木さん。そこ置いてもらっていいかな」



 将斗が友達相手の口調でお願いすると、五木と呼ばれた女子は2人が着くテーブルにそれを置いた。

 五木はこの店のバイトをしている。いつも仕事で2階を借りる将斗たちのために、バイトと同時進行でこうしたサポートもしてくれるのだった。確か大学生だと聞く。



「橘さん。紫音さん。いつものコーヒーでいいですね」

「ああ、よろしく」



 すると下の階から五木を呼ぶ声が聞こえてきた。



「はい、今行きます‼……それじゃ、また」



 五木は2階を後にした。仕事のたびにしょっちゅう話す間柄だが、彼女はさっぱりした性格もあって、将斗としてはとても話しやすい。なんだか男友達と駄弁っている気分だ。


 そんな五木がいなくなった2階には将斗と紫音しかいない。下は客数が増えて賑やかになりつつあった。



「それじゃあ紫音。さっさと仕事するぞ仕事」

「そうですね……」



 喫茶店[モルゲン]の2階。薄暗いこの空間に、パチパチとキーボードを叩く音が響く。将斗は向かいに座る幼馴染みを黙視した。

 普段のおっとりとした雰囲気は一変し、矢のように鋭い瞳でノートパソコンのディスプレイを見る幼馴染み。パソコン使用時のみに身に付けるブルーライト対策の眼鏡には、ディスプレイに映し出された複数のページが反射されては消えてを繰り返す。細い指は絶えずキーボードの上を走り続け、口はきつく結んである。


 普段の橘家で食事をしている紫音とはまるで別人だった。


 彼女は普段、バイトという名目でこの喫茶店の2階を使って情報収集を行っている。


 おもにハッキングで。


 最初は将斗と同じように自らも戦闘訓練を積みたいと申し出た紫音。だが天田は彼女の体質や筋力を鑑みて、戦闘員としての訓練を施しはしなかった。


 代わりに、彼女にバックサポートとしての役割を与えた。


 絶対的な情報収集能力。それを用いて将斗の仕事の成功率を爆発的に上昇させる。

 実際、コンピューターの仕組みを覚えた紫音はその才能を開化させた。

 現に先日の運び屋殺害。彼を追い詰めたのは将斗が身体を鍛えた成果だけではなく、紫音が監視カメラを次々に乗っ取り、行き先を掴んでいたからである。


 それは彼女の規格外な才能の1つとも呼べるであろう。


 もう1つ。彼女には常識的に有り得ない才能があるが……


 それのためにこれまで苦労してきた事を思えばそれは、才能というよりも「呪い」と呼ぶに相応しい。


 これまで彼女が経験してきた痛みを考えながら見つめる中、彼の考えに気付くことなく紫音の指は素早くキーボードの上を走っている。


 

 ちなみに今、紫音は将斗が殺した運び屋のデータから運送のルートを割り出しているのである。


 仕事を始めて早5分。パソコン用にかけている眼鏡を人差し指で持ち上げながら紫音がため息を吐いた。

 その素振りは決して、失敗によるものではない事を将斗は知っている。



「もう終わったのか」

「ええ」

「……腕をあげたな」



1階から姿を表した老人、この喫茶店のマスターである天田悠生が声をかけてきた。



「ジジイ、店は良いのか」



 落ち着いた物腰の上司に尋ねる将斗。確か下は客数が増えていたのでは。



「五木と山縣に任せてるよ」



 老人はニヤリ、とイタズラっぽくウインクして見せた。山縣というのもここのバイトだが。



「……押し付けてきたな」



 おそらく下のフロアは繁忙を極めて戦場になっているだろう。総大将が逃亡した今、バイト2人は客の軍勢を相手に、己の主の逃走を怨んでいるに違いない。



「……紫音よ……めぼしい情報はあったか?」



 老人に尋ねられ、紫音は表情を変えた。



「運び屋の過去の記録に。どうやら運送会社のようで、北海道の港町にいくつか縄張りを持つようです。おそらくはそれらが密輸入の現場になっているのではないかと……」



 話し方は事務的であった。

 そんな幼馴染みを見て将斗は考える。


 変わった。本当に変わった。

 昔はおとなしくて、満足に自分の意思を伝えることのできなかったのが今、こうして上司に報告している。

 自分達とは家で笑うし、兄達の暴走に巻き込まれて一緒に頭を抱えることもある。

 幼い頃に抱いた復讐の念。家族を奪ったテロ国家(奴ら)を国内で排除するという目的のためとはいえ、それは確かに紫音の性格を明るく変えた。



 人殺しのために磨く技術が彼女を良い方面に突き動かすなんて。


 そう考えながら将斗は息をつく。



 事務的に話す紫音と、それに対して質問を投げ掛ける天田のやり取りは聞こえてくるけれども。


 それでも将斗は1人、この空間の中で寂しさという名の疎外感に取り残されてしまっているように思えてならなかった。


  


次回、間話入れます

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