女スパイの来訪
ダブルフェイス編のプロローグです。
今回の章は昴・紫音・新キャラのナタリアがメインです。
自室のパソコンに向かい合う。パソコンの画面にはチェス盤と、そして上司とのTV電話画面が同時に開かれている。
見た目は40代にしか見えない、綺麗な女性だった。青い瞳は人形のようで、すっとした鼻立ち。美しい金色の髪はおろしていた。
『ナタリアが明後日、そっちに行くわ』
昴は上司の方を見た。
「なぜ」
『日本での情報収集にね。ま、それが終わったからこのまま観光して、明日貴方に会いに行くって言ってたわ』
「やれやれ、ナタリーのために天ぷらのおいしい店でも探さないとな……」
『………』
「大丈夫だよ。折角ナタリーが来るんだ。おかしな店に走ったりはしないさ」
『なら良いのだけど……』
昴を見つめるキャシーは本気で心配しているのか、眉を潜めている。
昴はそれを嘲笑うかのように眼鏡をはずして拭き始めた。
「大丈夫大丈夫。天ぷらなら……君も好きだろう?」
◇
新千歳空港の人ごみを抜け出し、ボストンバッグを置いて空を見る。
広く続く空を耐えず飛行機が飛ぶ姿を見上げていたのは170もありそうな高身長の女性だった。全体的に細く、モデルのような体型。長い金髪は風になびいて、艶を放っている。
茶色い縁のサングラスをはずして女性は余裕のある笑みを浮かべた。
「待ってなさい、スバル」
ハイヒールのピンがカツンと高い音をたてる。騒音の止まない空港内でその足音はリズミカルに鳴り響いた。
――今度こそ殺してあげるわ――
◇
「昴さん。良いのでしょうか?」
「なにが?」
「今日、将斗や千晶ちゃんを抜いてこんな……」
急に橘昴から連絡を受け一緒に食事しようと誘われたときはファミレスやチェーン店を連想した紫音だったが、いざ来てみると敷居の高そうな、俗に高級料理店と呼ばれる所。出される料理のひとつひとつが上品な皿に盛り付けられ、食べる側のこちらが箸をつけたくないと思うくらい、丁寧に繊細に作られていた。
「まあ、弟妹に内緒で良いものを食べてるってことに僕も多少の罪悪感はあるけどね」
「そこじゃなくて………」
今日、昴に連れてこられたのはデートだけではないことを紫音はよく理解していた。
日本で仕事をする昴の仲間として共にいる存在・紫音は仲間の代表としてこの場に来ているのだ。そう。話し相手は昴と同じMI6
「仕事の仲間としてなら私ではなく、将斗か千晶ちゃんの方が……」
「僕の仲間がうっかり手を出してきて、それを将斗や千晶がうっかり殺しちゃったら大変だろう?」
うっかりにも程がある。
話している2人の所に新しい天ぷらが運ばれてきた。
「そのうっかりの連鎖が起きてしまうほど、危ない人なんだ。僕の仲間は………ねっ‼」
店員は料理を置いたかと思えばテーブルの箸を手に取り、昴の首を突いてきた。それを片手で流し、手を叩いて箸を落とす。突きを流された店員は伸ばした上体をテーブルに叩きつけた。
唖然とする紫音の目の前で昴は天ぷらの載せられた皿を片手に、もう片方の手で店員の腕を締め上げる。
テーブルに突っ伏した店員を見る。戦闘経験のない紫音から見ても明らかなほど、眼には敵意の光が宿されていた。
「頸動脈を狙うなら、後処理に困らない場所か、せめて周囲に気付かれにくい工夫を………」
「うるさ………んむ?‼」
口答えの隙を与える昴ではない。熱々の天ぷらをその口に突っ込み、喋れなくする。いつしか同じような光景を見たことがあるような気もしたが、紫音が驚いたのはそこではなかった。
その声は、明らかに女性のものだった。もちろん、昴もそれには気付いている。悪い結果のテストを隠していた子供をねめつけるように厳しい眼差しで、店員………いや、襲撃者へ冷ややかな判定を下した。
「さらには戦闘経験がない紫音ちゃんにも見抜かれるほどの不注意……師匠は君に何を教えた? ナタリー」
襲撃者が表情を歪めた。
「その呼び方は………やめなさい‼」
空いてる方の手を腰に回し、ナイフを抜き取った。紫音が息をのむ。しかし突いてきた。しかし昴は落ち着いてナイフを皿で受け止めた。皿を斜めに傾けていたので、盛り付けられていた天ぷらにナイフの尖端が突き刺さり、易々と2分割されてしまった。
「うん。丁度一口サイズになった」
武器の手入れとサービス精神は満点、と言って、皿を持っている方の手を回す。襲撃者の手は合気の要領で流され、昴の手首とテーブルに挟まれていた。
「久しぶりに指導をつけても良いんだよ」
「っ………お断りよ‼」
紫音は自分の目を疑った。
襲撃者が腰のエプロンを外し、投げ付けてきた。布で視界が一瞬途切れ、次に見えたとき長い金髪の女性に変貌していたのだ。
「紫音ちゃんは初めて会うからね。驚いてもおかしくない」
一方で昴は襲撃者の変身を確認するなり不敵な笑みを浮かべる。あんな襲撃があったというのにテーブルに載せられた料理は全て無事であった。
「紹介するよ。彼女はナタリア・アクロイド。僕の兄弟弟子で同僚だ。ナタリー、この子が紫音ちゃん。僕の幼馴染みだ」
紹介が入り戦闘意欲が削がれたらしい。女性は昴の横に座り、紫音に握手を求めた。
「はじめまして、話は聞いてるわ。凄腕のハッカーですってね」
「ナタリーはね。24時間365日、隙あらば僕の命を狙うんだ」
「同僚ですよね……?」
「同僚でも殺す理由があるから仕方ないのよ」
ナタリアは慣れた手つきで箸を使っている。スパイだから現地に溶け込みやすいよう、和食や中華料理の食べ方も学んでいたに違いない。
さつまいもの天ぷらを食べて今度は表情を輝かせる。
「スバル、テンプラって美味しいのね!初めて知ったわ‼」
ナタリアと話して間もないが、ある程度わかったことがある。
まず、彼女の人柄だ。基本的には人当たりはよく、明るい性格なので親しみやすい。休日はダイビングやツーリングに出たりと、なかなかアクティブな人間らしい。人見知りの傾向にある紫音とのコミュニケーションも欠かさなかった。
「シオンはそういう趣味ないの? 外での趣味のひとつやふたつ、あっても損はないわ」
自分の体質を思い出しながら返す。
「今はまだ……なかなか外に出られないこともあって」
海なんかでうっかり周囲の人の思考に干渉したら………なんて考えるだけでゾッとする。紫音の事情を知っているのかナタリアは申し訳なさそうに顔をしかめた。
「紫音ちゃんは体質をある程度まで制御できてもまだ完全ではないんだ。それよりもナタリー。いつまで日本にいるんだい?」
ナタリーと呼ばれたのがよほど気に入らないのか、ナタリアは昴の首に手刀をいれようとした。もちろん昴はそれを防ぐ。
「4日は観光するつもりよ」
「長いな。北海道の名所でも制覇する気かい?」
「まさか。マ………キャシーからはしばらく滞在して良いって許可をもらっただけ」
天ぷらを味わいながらも素っ気なく返す彼女を見て、紫音は違和感を覚えた。
昴を殺しにかかる彼女は間違いなく殺気を放っていた。しかしこうして食事をしている間や日常話になるとそれらはなりを潜めており、少なくとも昴との信頼関係みたいなものを垣間見る事が出来るのだ。
どちらが彼女の本心だろう?
「美味しかったわ。ありがとう」
店を出て、ナタリアは2人にウインクしながら礼を言った。結局、山菜には手をつけていなかったが天ぷらという料理は気に入ったらしい。今後エビフライに騙されることもないだろう。
「気に入っていただけたならなによりだ」
「私はホテルに戻るわ。あなたたちは?」
「僕らも帰るよ。送ってこうか?」
ナタリアは首を横に振った。
「やめておくわ。車であなたを殺そうとして事故なんて起こしたら、シオンに悪いわよ」
「賢明だ」
踵を返すと紫音の肩に手を回して、駐車場に向かい始めた。
英国の女スパイはそんなカップルのような2人の背中を見つめていた。
自分達を見送るこの女性が、紫音の秘密に関する依頼を持ってくるとは、このとき誰も予想していなかった。
天田悠生らが拠点とする、港駅付近の倉庫。そこで深紅のATC・パーシヴァルの傍でパソコンのキーボードを叩く昴の背中に、老人は静かに問いかけた。
「………お前の同僚が来た本当の目的はなんだ」
「観光ですよ」
昴の返事はどこか素っ気ない。互いに相性が悪いようだ。
「………あの女が簡単に部下を4日も滞在させる理由にはならないと思うが?」
ここで昴はようやく振り返った。
「僕の上司を知っているのですね」
天田はタバコをくわえながら視線を下に向けた。態度だけでの返事だとしたら、なんとも曖昧な表現である。
だがそれ以上は追求せず、昴はパソコンと向き直った。
「………踏み込んではこないんだな」
「ええ」
深紅のATCは昴のパソコンに合わせて、天田へ照準を合わせた。照準速度の調整だった。しかしそれはまるで昴の意志に相棒が応えたかにも見られる。
「貴方と僕の上司を接触させるつもりはありませんし、お互い距離を置くのが妥当でしょう」
双方の沈黙。天田はタバコをくわえたまま昴を見つめ、昴はそんな天田を威嚇するかのように見返していた。
まるで電気が走ったかのような緊張が2人の間に生まれる。その電気に誤って触れてしまえば、この倉庫は戦場と化すだろう。
「戻ったよ」
倉庫の扉を開けるなり遠慮なさげに入ってきたのは妹の千晶だった。変化の少ない表情と片手にはショッピングモールで買ってきた器材。
張りつめていた緊張はいつしか取り除かれていた。昴がキーボードから手を離す。いつもの兄妹愛に満ちた変態紳士の面構えになっていた。
「おかえり、千晶。道具はあったかな?」
「ダー。お金は家に帰ってからでいいよ」
導線の袋を取り、投げ渡してくる。それを片手でキャッチする昴を尻目に、千晶は天田と向き合う形になった。商品の詰まった袋を突き出す。
「物はこれでいい?」
「………ああ。これで全部だ………礼を言う」
礼というのがおつかいに行ってきてくれたことではなく、昴を止めてくれたものだと理解していた。
「勘違いしないで」
千晶の声は冷たい。
「貴方に死なれたら、将斗や紫音ちゃんが悲しむから」
その片手には既にナイフが握られていた。ご丁寧にワイヤーまでつけて。おそらく昴の銃よりも素早く天田の命を刈ることができるだろう。
千晶の視線を受け、天田は肩をすくめる。もちろん演技だろうが、本気で残念がっているようにも見えた。
「そういえば千晶。将斗や紫音ちゃんは?」
「将斗なら剣術の稽古中。紫音ちゃんも一緒じゃないかな」
「………剣術か」
意外だったのか天田の声は少し弾んでいるように聞こえた。兄妹が視線を向ける。
「剣術に興味でも?」
「……まあ、習っていた時期があったからな………そうか。将斗も…」
「曾祖父から色々学んでいたんです。剣術もその1つでした」
「………曾祖父か」
昴が代弁したので自分が話す必要はないと判断した千晶は無言のまま昴の方へ歩き始める。
固い靴底が倉庫の中でカツンカツンと響いた。
港公園で木刀を振る将斗を遠目に、紫音は将斗のクラスメイトである速見愛花とコーヒーを飲んでいた。
「あの後、家族とは?」
「んー……弟は相変わらずかな。前よりちょっと、私に対して過保護になっているかもしれないけど………」
紫音が自分とよく似た境遇であり不思議な体質の持ち主と言うこともあり、愛花は彼女に本音で接してくる。紫音もまた愛花には砕けた態度で話すことが出来るのだ。
「お父さんはまだかな………やっぱり私のことまだ受け入れられないみたい」
愛花の父は体質のことで娘を毛嫌いしていたことを吐露してしまった。そのせいで愛花はテロ国家に関与する者に囚われることとなったのだ。
そんな関係をすぐに直せと言う方が無理な話である。自分の過去と重ねて見てしまい、口をつぐんだ。
「大丈夫だよ。紫音ちゃんを将斗達が受け入れたみたいに、佐江や将斗達、紫音ちゃんだって私を受け入れてくれるんだから」
特殊な自分を呪い、誰かに救われ、成長した愛花だ。
私は独りじゃない
そんな彼女がそういうと説得力が感じられる。心が少しだけ軽くなった。
「それにしても将斗、随分頑張るね………」
疲労から木刀に振り回され、足をよろめかせるクラスメイト。
「自分に合った闘いかたを見出だそうとしてるみたいだけど……」
「それなら普通に学校の剣道部に参戦すりゃいいのに。1人で練習しても埒があかないって」
愛花は将斗達の秘密を周囲に話していない。それだけ彼らを信頼し、助けてくれた恩も大事にしてくれているのだろう。
紫音の携帯が震えたので開いてみた。
知らない番号。電話がくる心当たりもない。
愛花から少し離れて電話に出てみた。相手は若い女性の声だった。
『はぁい、シオン。よかったら付き合ってくれないかしら?』
予想外の相手で呆気に取られる。
「え、ナタリアさん?」




