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衝撃



 産まれて初めてできた楽しみ。


 それは名前も知らない、ただただ好きなった男の子と一緒に、海を見に行くことだったかもしれない。


 母にその事で話をすると、決まって祖父の昔話を聞かされた。

 一語一句、覚えている。

 そして母は尋ねるのだ。


 積丹は好きかと。


 町はまだ好きになれないけど………海は大好きだよ。


 小さいときのやりとりを口ずさもうとしたとき、幻は終わった。






「………か?………に………、しろ」


「…?ああ………ね。……」


「………い。………」


 途切れ途切れの声。体は冷たい床に横たわっていた。


(自分………どうして………)


 思い出す。突発的に紫音の部屋から逃げ出し、宛もなくただ走っていたら、背後から口を塞がれて………

 曖昧な記憶を呼び戻していると、声が急に止んだ。


(………?)


 眼を開けるが辺りは真っ暗でなにも見えない。


「もうお目覚めかな?愛花くん」



 降ってきた声に体がビクッと反応した。すると誰かが力任せに愛花を立たせて、近くの椅子に座らせると、椅子と愛花を手錠で繋いだ。


 暗闇に目が慣れてきた頃、自分がどこかの使われていない建物にいるのだとわかった。カビの臭いと埃っぽさが広い部屋に充満している。


 座っている愛花と向き合うように、スーツ姿の男が立っていた。


「まあ怯えるな」


 暗がりにさしこむ月の灯りが、男の顔を見せる。愛花は背筋に嫌な汗が流れるのを覚えた。


 食事していたときの温厚な顔も、迫ってきた時の恐怖も、すべてをひっくるめた、初めて見る表情。


 含みのある、不気味な笑い方。


 吉高淳一は


「悪いようにはしないさ。君が要求をのんでくれたらの話だがな」


 そういってリモコンの様な物を片手に持っていた。



 …………。



『船は積丹に着いたみたいだ。さっきのトラックとワゴンも、浜トンネルを通過したよ』


「おう」


『あと、駐車場で吉高の車を見つけた。愛花ちゃんは積丹にいるとみて間違いない』


 将斗と千晶はマガジンを取り替え、ホルスターに収めた。

 目の前では山縣がバイクを用意してくれている。今回はヘルメットをちゃんと着けて、2人はバイクにまたがった。


「将斗。いけるよ」


「ああ!」


 2人の乗るバイクが速度を上げて走り出した。確実にスピード違反であるが、仕方ない。


「天田さん。自分が運転します」


 山縣が天田のセダンに乗り込んだ。助手席に乗り込みながら天田が通信機に話しかける。


「………昴も、将斗と合流しろ………それから全員、トンネルは気を付けろ………」


 天田の勘だが。


「………いつ、またトンネルが崩落するかわからないからな」



 …………。


「私は……本当に何も知らないんです」


 必死に訴えるが吉高はかぶりを振るばかりだ。


「確かに君はあの時、小さかったからね。恵美さんも、小さい子に難しい話をしようとはおもわないだろう。


 だがね。君にはその異常な記憶力がある。つまり、知らないうちに教えてもらっている可能性は十分にあり得るんだよ」


 条件を変えましょう、と部屋に若い男が入ってきた。吉高は男を見て面白くなさそうに鼻をならす。


「瀬良…」


「速見さん。あなたは時間内に、ご家族から教えてもらった情報を思い出すのです。そうすればあなたは解放し、私達も………」


「駄目だ」


 吉高がぴしゃりとはねのけた。


「その条件は賛成できない」


「しかし吉高さん……」


「言う通りにしろ。彼女の価値は君にわからない」


 瀬良と呼ばれた男はしばらく黙っていたが、肩をすくめると部屋を出ていってしまった。


「……すまないね、愛花くん。大丈夫。君は選ばれた人間だ。悪いようには……」


 吉高はそういって愛花を拘束させた若い男にテーブルとタブレットを用意するよう伝えた。

 物が運ばれる最中も絶えず話しかけてくる。


「もし心当たりがないのなら、丁度いい。君に話すとしよう。私達の過去と、真実を。


 だがそうだな…我々もこれについては本気でね。君には脅迫まがいなことをするのだよ。


 ああ、心配はいらないよ。君は傷つけない。ま、君以外の人には多少犠牲になってもらう必要があるかもしれないが………」


 用意されたタブレットには幾つか、積丹町の道路や店、民家などの映像があった。


 犠牲


 まだ何もない映像を前に、愛花は感付く。


「仕方ないだろう?」


 そう問う暗闇の中の吉高は、まるで悪魔のように思えた。


 吉高がリモコンのボタンを押したとき、画面の1つに映されていたトンネルが赤い光を放ち、崩れ始めた。

 1台のバイクがトンネルに入った直後だった。


「あっ‼」


 崩壊の速さが増してゆく。最後には大きい岩盤が落ちたのか、カメラが揺れるほどの衝撃。

 崩壊が落ち着いて、土煙が舞っている。


「さっきのバイクは……」


「まさか。生きてるわけないだろう」


 人の命を容易く奪おうとする残忍性。

 取り返しのつかないことをしたのに吉高はさらりとした様子。


 愛花には理解できない精神構造だった。

 脳裏で、母が亡くなった事故の現場がフラッシュバックとなって見える。



 助けてくださいと泣き叫んでいた遺族の姿。



 運び出される、母の姿………



「っぁああああああああ!!!」



 感情に我を忘れ、叫びだしていた。思い出したくない姿がいくつも頭の中で蘇り、またひとつ、またひとつとあの時の光景を愛花自身に見せつける。


 頭が痛い。いくつもの記憶が愛花の頭を支配する。



 頭痛から抗おうともがくが、若い男性に椅子ごと押さえられ、床に叩きつけられた。

 顔を赤くし荒い息を吐く愛花に、愉悦感さえ感じ始めたのか吉高の顔に黒い笑みが広がった。


「やはり超人的な記憶力は健在みたいだね」


 愛花の鼻からは血が流れていた。長時間、体質により記憶を蘇らせたときの反動。


「少し休憩にしようか」


 古びたソファーに座り、吉高は脚を組む。










「?!なんだ?‼」


 浜トンネルに入った直後、地面を揺らすような衝撃が2人を襲った。バイクが倒れそうになるがどうにか持ち直す。


「今の……爆発音」


「爆発?そんなバカな……」


 こんな崖で爆弾なんて使ったら………


「止まらないで」


 千晶が兄の腰を強く抱き締めた。


「このトンネル、多分崩れる」



 ………



「っぅおおおおおおおお!」


 スピードを上げる。うねるように避ける。

 頭上から降ってくる巨大な瓦礫や岩。地鳴りによる激しい震動。少しでも遅く走れば下敷きだ。


「舌噛むなよ‼千晶!」


「将斗こそ………ぇあ゛っ」


 噛んだらしい。


「‼」


 千晶はトンネルの天井を見ていた。将斗達の進む方向、トンネルの出口まで亀裂が走る。


「将斗!」


「間に合わせる!しっかり捕まれ、千晶‼」


 刹那、最も大きな崩落が。


 ………。


「私が初めて長谷部先生とお会いしたのは大学生のときだった」


 肩で呼吸する愛花へ静かに語る視線はどこか遠く、懐かしそうだった。


「右翼派として学生運動に参加し、いつも引っ張られていた私を先生はかばってくれた。


 長谷部先生は物静かで、あまり目立たない人だった。普段、ことなかれ主義者だった先生がなぜ、私をかばってくれたのか………


 後になって先生も、かつて右翼派だったのだと知ったよ」


「………」


「後に恵美さんとも知り合いになり、先生のもとで勉学に励んだ。


 先生はかつての右翼派として、国を思う私を放っておけなかったんだ。

 本当に優しい人だった。おかげで学生運動を控えるようになり、無事に卒業できたよ。


 やがて先生が北大の名誉教授になったとき、私は恵美さんと一緒にお祝いの食事に誘った。その席で先生は話してくれたんだ」


 かつて、私も国を守る力が必要と唱えたことがある。

 そんな私に、ある人物が話しかけてくれた。顔も名前も覚えていないがその人は、私にとある文書をくれた。

 これから起こること。世界がどうなるか。

 それらを細かく記載し、日本が生き残るにはどんな力が必要か。それをどのように造るべきか。


 それらが書かれた文書と、最後に1つのアドバイス。


 君は優秀だがこの文書は使いこなせない。


 この文書を使いこなせるのは君の子孫で、それも特別な才能をもって産まれた子だ。


 もし君が日本を守る使命に燃えているのなら、子孫にこの文書を継がせるように。


 ………と。


「先生がその文書を読んでも使いこなすことは出来なかった。絶望した先生はそれを子孫に託そうと決めたらしい。


 私の過激な思想もなりをひそめていた頃の思い出だ。


 数年後、先生が亡くなって仕事に明け暮れていた頃、それは起きた。


 あの忌々しい同時多発テロだよ」



 その言葉を聞いて愛花は将斗達の顔を思い出した。多くの日本人が亡くなった、事件………


 あの惨劇をメディアを通じて見ていた吉高は、眠っていた思想を蘇らせた。

 たくさんの人が理不尽に殺されたのである。日本という国も、いつこの危機に晒されるかわからない。


 国を守る力が必要だった。


 他国に守ってもらわずとも、自らの手でこの国を守る圧倒的な力が。


 そのためには長谷部が持っていた文書が必要だと考えた。


「先生が言うには、その文書にはATCやナノマシンの存在も示唆されていた。先生が若い、まだそれらが産み出されてない時代にだ。


 手に入れる価値はある」


 愛花の母、恵美は町の天才と唱われ、名門大学も出た。吉高は、彼女こそ文書を使いこなす才能の持ち主であり、長谷部から文書も授かっていると見越して協力をもちかけた。


 だが恵美はそれを拒んだ。理由を聞いても答えないし、いくら頼み込んでも首を縦に振ってくれない。だが吉高は粘り続けた。


 そして………


「あのトンネル事故で恵美さんは亡くなった。


 辛かったよ。彼女が亡くなって、私は国の未来を守る術を失ったかと思った」


 話していくうちに声が小さくなってきた。恵美を喪った過去を思い出し、当時の感情を思い出したのか。


 急に愛花を押さえつけた男を部屋から出させ、2人きりになるのを確認して吉高は立ち上がる。出ていった若者を見る目は優しさに満ちていた。


「彼らも昔の私みたいに、右翼派で国を守るためなら過激な手段も問わない。しかしそれだけ母国を愛する気持ちがあるんだ。うれしく思うし、私はそれを導いてやりたいと思う。


 昔、先生が私を庇ってくれたみたいにね………


 どうかな、愛花くん。私に協力してくれないかな」



 先の狂気しかない顔から、急に変わった国を思う男の顔。この演技力が学生の心を掴んでいたのか。


 愛花が答えずにいると、吉高はやれやれと手を肩の高さまであげた。


「それじゃあもう少し話そう。

 恵美さんが亡くなっても私は積丹に通っていた。先生と恵美さんの故郷だからね。


 しかし最近、町の人から気になる噂を聞いた。

 恵美さんのお子さんに化け物がいる、と。


 詳しく聞くと、あり得ないほどの記憶力を持つ娘の存在が浮き彫りになった………


 そう、君だよ。愛花くん。


 私は直ぐに察した。先生が言っていた才能の持ち主は恵美さんではなく、君だったのだと。


 そこで私は事故現場に花を添えにきた君たち家族に接触し、君のお父さんから詳しい事情を聞いたよ。

 愛花くん。君はこの町に居場所はあるのか?」


 胸を締め付けるような痛みが愛花を襲った。


「なにを………」


「家族からも嫌われているそうじゃないか。そんな君にはこの町を気遣う必要がないんじゃないかね?」


 そういってもう一度リモコンのボタンを押す。次は山にある建物が爆破された。


「‼っ………‼」


「この町は君になにをした?いつ助けてくれた?


 君の才能に怯え、化け物呼ばわりしただけだろう。


 私は違う。私なら君の才能をいかんなく発揮させることができる。君の居場所を作ることができるんだ」


 居場所。


 今の愛花が追い求めてやまないものだ。


 自分がこんな体質で産まれた意味、レゾンデートル。


「さあ、愛花くん。


 恵美さんが君に教えたもの、すべてを話すんだ。

 私が君の居場所になろう。第2の恵美さんとなって、私を支えてほしいんだ」


 顎に指がかけられ、太腿に手が添えられた。


 父が、彼が愛花との将来を望んでいるような旨を話していたことを思い出す。


 だがそれは偽りの居場所に過ぎない。

 吉高も言ったではないか。


 第2の恵美さん、と。


(所詮私は………)


 居場所も、認めてくれる人も………


 そんな思考を繰り広げてるうちに、愛花の唇は目の前の男に奪われていた。


 …………。


「………間一髪だったよな………」


「空挺部隊の出動よりスリルあったよ………」


 崩落を通り越して崩壊したトンネルを背に、兄妹はバイクにまたがりながらガクガクと震えていた。


 実際に、危機一髪であった。あと少しでも遅れていたら彼らは瓦礫によって圧死していただろう。


「千晶。怪我はないよな?」


「ダー………埃被っただけ」


「そうか………」


「それより将斗……」


 千晶は崩落したトンネルを見た。


「すぐ崩れたよ。あのトンネル……」


「ああ、崩れやすい質なんだ」


「それに、この崩れ方………」


 最後まで言わなくてもわかる。2人は黙ってしまった。


 通信機が今になって繋がった。


『2人とも、無事?‼』


「紫音……ああ、ピンピンしてるよ」


「ダー……」


 一生に一度、命知らずでない限り体験できない命がけのアトラクションである。


『良かった……トンネルが崩れるのが見えたから………』


「ああ………もうこのルートはもう通行止めだ」


『違うルートも、いつこうなるかわからないし……』


「だから俺と千晶で決行するが……愛花はどこかわかるか?」


 紫音が積丹にあるカメラを覗き見てくれたのですぐにわかった。町の山近くに旧スキー場があるのだが、そこの売店に使われていた建物に

不審車両が停められていたのだ。


 建物の周囲には見張りのように男達が立っている。全員が拳銃を所持しており、その近くには2台の………


『え?………ATC?』


 紫音の驚く声で、2人の目は点になった。


 …………。


「ひどい崩れ方だ………」



 天田が送ってくれた映像を見て昴は呻くように言った。

 道が使えない以上、別ルートを使うしかない。そのためには一旦、引き返す必要があった。


「ですが昴さん、これ……」


「ああ、過去の事故の時とよく似た崩れ方だ。これじゃあ………」


 紫音と昴の間に、重たい空気が流れる。

 しかし弟と妹がこれから迎える危機を思うと、落ち込んでる場合ではなかった。

 相手はATCを持っているのだ。それならばこちらも早く用意しなくてはならない。


 だが、遠回りのルートでどうやって?


「……五木さん、今どちらに?」


『………余市に………ぉえっぷ』


 まだ嘔吐の余韻に苦しんでるらしい。丁度昴達とは近い距離だし、このまま………


「いや、待ってくれ。五木さん」


 昴が待ったをかけた。


「余市で待っててくれ」


 ………。


 夜の特性として、下から上を見ると視界は開けるが、逆となるとまったく見えない。


 それを利用し、途中でバイクを置いて2人は草むらのなかを匍匐しながら進んでいた。建物は坂の上にあるので下から進めば見つかる心配はない。

 匍匐はプロの千晶が先行し、将斗を案内していた。途中で軌道を変え、山よりにずれてゆく。道路から離れるので、奴等が見回りを始めても見つかることはなかった。

 さらに逸れたが途中で森に入り、スコープで奴等の様子をうかがう。よほどのことがない限りここがバレる心配はないはずだ。

 スコープを覗いていた千晶は将斗の腕を叩いた。


「瀬良って男、見つけた。見張りと話してる」


 将斗も千晶に倣う。


「瀬良、何て言ってる?」


「待っててな…」


 唇の動きを観察した。



 以下、読唇術


「瀬良さん。見回りの者が帰りました」


「ご苦労様。誰もいませんでしたね?」


「はい。ただ、気になるものが………」


「なんです?」


「町のはずれにバイクが乗り捨てられてました。ヘルメット2つです」


「それが?」


「最初の見回りではこのバイクはなかったんです」


「………」「………」


「石狩の犬かもしれません。周囲の建物、隠れられそうな場所、念入りに調べなさい」



 読唇術、終わり


「………」


 固まる兄に、妹は問う。


「ねえ、なんて言って………」


「まずいことになった」


おまけコーナー



将斗「………」

千晶「………最近、ツメが甘いよね」

将斗「お前だってバイクのことはうっかりしてただろ」

千晶「でも大丈夫。相手のキュプロクスはわりと初期のモデル。だから感熱レーダーは搭載されてないの」

将斗「だが大丈夫かよ、兄貴達がくるまで生身でキュプロクス相手なんか………」

千晶「(目を逸らして)………」

将斗「………詰んだな」


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