幻影(まぼろし)
将斗と紫音、そして愛花とのすれ違い。
愛花の家庭の闇がでてきます。
幾重も重ねた変装用の顔を使い分け、昴は札幌駅の喫茶店で携帯を打っていた。
もうすぐ予定の人たちは来るはず。コーヒーを飲みながらそれを待つ。
(………あれだな)
最初に男子3名。大学で見かけたあの男子達だ。数分遅れてスーツをしっかり着こなした男が入ってくる。
男子達はその男を見つけると背筋をただした。上下関係はもう明白であった。男子達に名刺のようなものを差し出した。受けとる彼らの顔に緊張が走る。昴は携帯のケースに取り付けられた鏡を使い、彼らのやり取りを盗み見た。
軽い挨拶のやり取り、世間話、彼らが口に出す名前。「吉高先生」。
(おや?)
彼らが吉高の名を呼ぶ際、その顔は憧れの感情で満ちたものになっていた。昴はてっきり、彼らが吉高に悪意を持っていると踏んでいたのだが………
短いやり取りの後、彼らは席を離れた。わずかに遅れて昴も立つ。
「瀬良さん」
喫茶店から少し離れた場所で声をかける。瀬良と呼ばれたスーツ姿の男は振り返った。
「丸山さん」
「喫茶店から出るのを見かけたものでして。これからお帰りですか?」
「ええ。丸山さんは?」
「僕もですよ。バスが来るまでご一緒して良いですか」
「かまいませんよ」
そう言って時計を確認する瀬良は人当たりのよい好青年に見える。しかし瀬良に対して昴は 疑いの目を持っていた。
先日、丸山に扮しタ昴は酒で潰れそうになった村井から、瀬良についての情報を入手していた。
――瀬良くんが器物損壊の犯人を捕まえたらしい。相手はまだ大学生だったそうでねえ――
――なんとも、先生の政治的手腕や方針に不満があるとかで、そのあてつけだとか………―
――先生はその学生達を警察につき出すことはしないで、逆に喜んでいたそうだよ――
――このご時世で政治に興味を持ち、動こうとする若者に感心したわけだがね――
――先生は器の大きな人だよ……… ――
昴は吉高に会ったわけではないので彼の器を計ることなどできない。
千晶より兵士としての精強さはみられず、昴自身より何かを秘めているようにも見えず、とはいえ将斗のようなバランスの良さもみられない。
ただのビジネスマン。
これは意図的に実力を隠しているのだろうか。だとすれば恐ろしい。
そんなことを考えていると瀬良の視線が不自然な動きをしていることに気付いた。
視線の先には観光のバス。
(………?)
千晶は携帯の画面を見ながら躊躇っていた。
これを聞くのは簡単だ。しかし後のリスクを考えると、聞く行為が正しいのかどうかわからなくなる。
迷っているとき、連絡したい相手からメッセージが送られてきた。
――おつかれ‼明日の夕方、一緒にケーキでも食べない?――
行村佐江からであった。
わずかに躊躇った後、千晶は返信する。
自分の仮説を決定付ける要因が欲しかったからだ。
天田はゲルベゾルテを吸いながら昴が持ってきた文書を見つていた。
中国語で書かれた文書。そして天田に報告はしていないが、MI6とクレムリンは吉高本人ではなくその側近と背景に目をつけている様子。
兄妹の眼と鼻の良さはよく知っているつもりだ。彼らが目をつけるだけでいくつかの仮説が生まれてくる。携帯電話を取り出し、何名かに連絡を入れた。いずれも非合法的商品を取り扱う者達である。
非合法的商品。それには戸籍も含まれている。
支払える金額を頭で計算しながら、向こうがコールに出るのを待っていた。
いつものように紫音を交えて食事をし、のんびりとくつろぐ橘家に一本の電話がかかってきた。
家の電話が鳴るのは大抵、母が連絡を寄越すときである。
だが今日に限っては、天田からだった。
仕事の合図である。
……………
「ただいまぁ」
声をはりあげて愛花が自宅に入る。いつもより声が弾んでいるため、彼女の機嫌がよくわかる。
「おかえり」
出迎えた父親は愛花の機嫌に気づく様子もなく愛想のない返事。
父は掃除用のシートを取り出すと、仏間へと進んでいった。
その背中は明らかに小さくなっている。昔と体格は変わってないのに。
埃ひとつない仏壇には火をつけたばかりの線香がたてられていた。
父は仏壇の前に膝をつき、蝋燭立てを拭き始めた。今朝も掃除をしたはずなのに、念入りな手入れである。
「母さん………愛花も帰ってきたよ」
そう小さく呟く声が聞こえた。父は手を合わせ、目を堅く閉じている。それを見て胸がチクリと痛んだ。
しばらくしても父は両手を合わせたままでいた。
仏壇にある小さな写真に写る母親は愛花とよく似た笑顔でこちらを見ていた。
速見家の食卓では父、弟の和也、そして愛花が取り分けられたおかずをつついていた。
この家は食事中3人が会話をすることはない。
無言の中にテレビからの音声と食器がぶつかる小さな音。
それは決してマナーを徹底しているわけではなく、彼らが会話というコミュニケーションを意図的に避けているからである。
父は無表情で食事に専念し、和也は家族から目をそらすようにしてテレビに専念し、愛花はそんな二人を盗み見てはいつもの団欒に虚しさを覚え、ため息をつきそうになる。
母が死んでからはいつもこうだ。この家族に本当の団欒が訪れたことは一度もない。
家族なのに遠い心。
帰ってからの家事のほとんどは愛花が担当している。皿を洗いながら今日、将斗と遊んだ時間の余韻に浸っていた。
優しく背中に回された腕は細いように見えて案外と鍛えられて逞しかった。いや、腕だけでなく全体か。触れてみただけでわかったが、彼は野球部やサッカー部のようなバリバリ鍛えている運動部よりも体が出来ている。
あんなに鍛えているのに帰宅部な理由がわからない。まさか隠れてボディービルをやっているとか………?
「なわけないか」
おかしくなって吹き出した。
将斗がボディービルをやっている姿など想像するだけで笑ってしまう。
学校では静かにしているが、いざ話すと意外に楽しくて、流行物の情報も豊富。遊びに行けばなんでも出来て、一緒にいるこちらを盛り上げてくれる。
なにより過去に家族を事件で失い、それなのに悲しみにうちひしがれるわけでなく前向きに生きている姿。
自分がありたい姿をそのまま体現したような彼にいつから憧れていたのだろうか。
「愛花。少しいいか」
彼の姿を思い出していると父が声をかけてきた。
普段は仏壇や必要最低限の話しかしないのに、だ。
「どうしたの?」
「………昨日会った、吉高先生のことだ」
緊張が走る。
昨日遺影碑に花束を置きに行ったときだ。たまたま居合わせた吉高とその助手に会い、声をかけられた。
あのときの愛花を見る吉高の眼に走った欲望の色。それを忘れることが出来ない。
あの日の前日も愛花の母は吉高と会っていた。前からの学友らしく、面識もあったと聞いている。実際、吉高は若い頃からこの積丹によく顔を出しては母と話していたし。
しかし事故前から吉高と母の間に軋みが生じてきたらしい。吉高と連絡するごとに母の表情は険しくなってゆき、亡くなる数日前には電話で何かを怒鳴りつけていた。
あの頃の母の疲れきった姿は、今でも覚えている。
だからだろうか。母が亡くなったあの日、見舞に来た吉高に対して、愛花は理由もわからず彼を敵と認識していた。
従ってはいけないと本能的に認識していた。
愛花は吉高が嫌いだ。
理不尽かもしれないが、母の死の遠因のような気がしてならない。
だが北海道の議員であるうえに積丹に何度も挨拶にきては町の皆から支持を得る吉高をなじるなど、愛花には出来なかった。
彼はこの積丹のスポンサーも兼ねている。積丹が観光の力だけでやってきたわけではない。今日も豊かな暮らしができるのは背後に吉高がいることもある。
愛花の好きな積丹を支えているのは彼でもあるのだ。
本能的に嫌う相手の名を聞いて身構える愛花の変化に気づいてないのか、父はそのまま続けた。
「お前と個人的に話をしたいと言ってるんだ」
背筋がゾクリとした。
あの男が?私と?なぜ?
父の顔には相変わらず生気がない。
「先生がお前を見て、お母さんを思い出したそうだ。お母さんについて色々話したいと言っていたよ」
「お母さんって………」
「あの頃は仕事のせいで凄く疲れていたからなぁ…昔は凄く元気で活発だったんだってな」
そういう父は眼を細めていた。が、見ているのは愛花ではなく、その背後にいる母の面影である。
母を喪ってから下しか見なくなった父。
「お父さん…私はあの人が…」
「そうそう、お前の進路についても言ってたぞ。将来はお前を秘書として迎えたいとか」
「そんなの……」
「お母さんもあの方と一緒に仕事をしていた時期があったらしい。良かったじゃないか」
「私には……」
もっとキラキラしたものを見せてくれる人がいる。
もっと知りたいことがある。
「よかったな。お前もお母さんみたいに活躍して………」
「………だ」
首をかしげる父。
「嫌だ……あの人には……会いたくない」
父へ救いを求める言葉だった。
娘のSOSを受けた父はしばらく黙っていた。
愛花が本気で言っているのか、決めかねている様子だった。
やがて父は首を振り………
「そうか………」
ため息を吐きながら言った。
「お父さん……」
「だがこれは決まったことだ。明日の夕方、会ってきなさい」
………。
「イズビニーチェ………昴兄ぃ」
いつもの倉庫からの帰り道、千晶は申し訳なさそうに兄の隣で肩をすくめていた。
そんな妹の頭を昴は優しく撫でてやる。
「いいさ。今回の仕事は千晶と将斗への依頼だ。仕方ない」
「でも………」
「積丹への調査の同行は紫音ちゃんにお願いするよ。今回の任務の編成にあの子は組み込まれてないからね」
昴は少し遠くを見ていた。おそらく当日の行動計画を練っているのだろう。
レトロな街灯が臨港線を照らす道を歩きながら四人は海岸側の道を進んだ。
急に千晶が昴の腕に抱きつく。前触れのないアクションに、プロのスパイである昴はドキッとしてしまった。
「はあぅああっ‼平常心、平常心‼とまれ、僕のこの動悸ぃっ!」
「………昴兄ぃ。どう思う?」
千晶の声は密着している昴にしか聞こえなかった。
「今回の任務は武器商人兼運び屋の殺害…でもこの任務と今回の吉高、関係が………」
「……これは僕の予想だが…この商人はおそらく、吉高の側近の瀬良と繋がっている」
千晶がピクリとしたのが腕を通じてわかった。
「瀬良………」
「君達が調べてくれたおかげでわかった。日本の国籍を闇ブローカーから仕入れているなら、奴は………」
「でもわからない……なんで……」
「僕は瀬良に会うことで、そしてクレムリンが情報をくれたことで確証が持てた」
そう言って優しく千晶の肩を片手で抱き寄せた。
「今回の件は瀬良が首謀者だ。奴は吉高の秘書としてのポストを確立し、僕らが持つブラックボックスに近しい存在を探している。おそらくそれは吉高にも関係してる」
昴の言いたいことを全て理解した千晶は黙ってうなずき、兄との密着を解いた。
「千晶?僕としてはもう少し………」
妹が舌を出してべーっとしてきた。昴、妹萌えにより轟沈。
「なにしてるんだか…」
急に千晶が昴にくっつく様子を見て将斗は呆れていた。
「多分、千晶ちゃんもお兄さんに甘えたいときがあるんですよ」
「そんなもんかねぇ…って紫音、危ないぞ」
今4人が歩いているのはカーブが急な道である。将斗は紫音の肘を引き、車道に出そうだったのを止めた。
「あ、ありがとう………」
将斗の手を握り、傍に寄る。
いつもの幼馴染みの手だ。温かく、頼もしさを感じる。
もっと握っていたい。思わずそう願ってしまう。
知らず知らずに将斗の記憶に干渉してしまったのはそんな欲が出たからかもしれない。
幼馴染みが、泣いている女の子を抱き締める光景まで見てしまった。
女の子は紫音が心配していた人だった。
「っ?‼紫音?‼」
目眩を起こしたにもかかわらず将斗とはまったく別の方向に逃げようとしたのだ。いつもとは様子の違う幼馴染みに戸惑いを覚えた。
将斗の手から逃げるように紫音は数歩離れると、頭をおさえながら息を荒くしていた。
「ぁ………大丈夫です」
紫音の顔は青く、吐き気もあるのか口元に手を添えている。干渉してしまった時の症状だ。
しかし紫音は幼馴染みを突き放すように無理に1人で歩いた。
「平気………ですから気にしないでください………」
そう言って紫音は将斗から、さらに離れてしまった。
………。
「決まったって……お父さん、勝手に決めたの?‼」
信じられなかった。まるで父に売り飛ばされたような気分だった。怒りで頭は熱くなり、顔に力が入るのが自分でもわかる。
しかし父は悪びれなく話をすすめる。
「明日はお前を迎えにもくるそうだ。失礼のないよう………」
「なんで‼私はあの人が…」
「昔の母さんよりも出世するじゃないか。さらにゆくゆくはお前と幸せな家庭を築けるようになりたいとも言ってたぞ」
そう言う父は珍しく笑っていた。
だが冗談じゃない。
結婚?なんでそんな話が浮上する?!
なぜ父はそこに疑問すら抱いてくれない?!!
「お父さん………」
「母さんは小さいときから天才とか神童って言われてたもんなぁ……嬉しいよ」
「お父さん……私……愛花……」
「和也にも教えてやんなきゃなぁ、」
私の、愛花の名を呼んでくれないの?
私はお母さんじゃないんだよ。
取り憑かれている。その言葉がふさわしい。実際に合っている。
普段は平然を装っているが、感情が昂ると母が生きているという幻に取り憑かれるのだ。
心はまだあの事件から戻ってきていない。
多分、父はもう、言葉だけでは届かない場所にいるのだ。
「愛花のことは忘れよう。気味悪いあの子のせいで母さんも苦労しただろう?」
胸に突き刺さるとは、この感触を言うのか。
「昔から変な体質のせいで母さんもこの町で不当な扱いをされたじゃないか。あんな子はいらないよ‼3人でやり直して、今度こそ………」
目を危ない色に光らせ唾を吐きながら叫ぶ父の言葉を、床に落ちた皿の割れる音が遮った。洗って重ねていたのを愛花が落としてしまったのだ。
その音は父の意識を取り戻すには十分な役割を果たし、父の表情が一気に無へと変わった。
「………愛花?」
なぜ娘は震えているのか。今にも泣きそうな顔をしているのか。
父は気づくまで少しの時間を要した。
気付いたとき、自分が何を言ったかも思い出し、表情に恐れが浮かび上がる。
父娘揃って震えていたが、その質は違うもの同士だった。
「愛花………今のは」
逃げるように自室へ走り去ってしまった。
割れた皿、後悔、悲しみ。
それらを残して………
………。
「将斗」
千晶が扉をノックしてくる。開けるとノースリーブのシャツにハーフパンツというラフなスタイルで入ってきた。
「ジョーホーコーカンしようよ」
「情報交換?」
「ダー」
「何について聞きたいんだ?」
「愛花ちゃん、佐江ちゃん」
「意外なところに興味を持ったな……」
ベッドに千晶を座らせ、自分は勉強机の椅子に座る。
「何から話せばいい?」
「多分私、佐江ちゃんや愛花ちゃんと今後遊ぶと思う。だから2人について聞きたい」
「そうだな………佐江は落ち着いてるけどカラオケとかよく行くみたいだぞ。あと。面倒見は良いんだ。お前みたいな子は甘えるのがいいんじゃないか?
愛花は………遊ぶとハードだぞ?」
「あー………」
「とにかくテンションが高い。記憶力が良すぎるからうかつなことは言うなよ。それから………」
「記憶力が良いって?」
「言ってなかったもんな…あいつは記憶力が良いんだよ。1年前に1回教えただけの名前もあっさり………千晶?」
千晶は口元に手を当てて何かを考えていた様子だったが、将斗に聞かれてすぐに態度を戻した。
「なんでもないよ。ありがとう」
「本当か?あと、教えてほしいのとかは…」
「ううん、もう大丈夫」
心配しないでと言わんばかりに立ち上がり、千晶は兄を見た。
「それじゃあこちらからも情報。将斗。バットか木刀はある?」
………………………………
「前話した、将斗の戦いかた」
「なあ千晶………本当にこれでいいのか?」
家にあった小太刀サイズの木刀をクルクル回しながら妹に問う。家から近い公園には人一人いなかった。
「ダー。そこに立っていて」
「いいけど…ってまさか」
千晶が手頃なサイズの石を拾い上げるのを見て、なんとなく先が見えてきた。
「おい千晶、お前がそれを使うと………!」
椅子やコート掛けが槍と変わる妹の投擲能力を思い出し、慌てて手を振ってやめろと訴える。
脳裏で蘇る、妹の投擲。壁に深く食い込んだ家具類………
「小さいときにじいちゃん、剣術を教えてたよね」
千晶は石を上に投げては宙でキャッチしてを繰り返していた。
「確かに教えてもらった時期はあったけど‼」
千晶投手。石を将斗選手に向かって………投げたああああっ!
「っぎゃあああ!」
ぎりぎりで避けた将斗の肩を掠り、石は後ろのアスレチックにぶち当たり、バラバラと音と土煙をたてて一部を砕いた。
当たったら死ぬよね、これ。
背中を冷たい汗が走る。
すっご~い!石ころでアスレチックが粉々だよ~‼
じゃなくて‼‼
「俺を殺しかけただけじゃなくて公共の器物までやっちまったよ‼」
「将斗が避けたから」
「避けなきゃ死ぬだろ‼」
千晶は不満げに頬を膨らませながら石を拾い上げた。
「将斗なら避けなくても対処、できる」
「その過大評価は俺を殺すためのリップサービスか?」
「ニェット」
千晶の顔は本気だ。将斗も茶化すのをやめる。
「居合いの動き。将斗の特技」
確かに昔、曾祖父から剣術を学んだことはあったが教えてもらったのはたったの1年だし。それが体に染み付いてるとも思えない。
「論より証拠。頭蓋骨は傷つけないから」
さらりと「頭以外は保証できない」宣言されました。ピンチです。
よけたら公共の遊具が破壊され、失敗したらdeadEND。腹に命中したら貫通するよ絶対。
選択肢があるとすれば強制的に「命懸けで迎え撃つ」しかない。
遊具の破壊を見られて弁償など論外である‼
幼い頃、曾祖父から学んだ構えを取る。千晶は微かに笑ったように見えた。
千晶はまた石を宙でキャッチし、前触れもなく将斗に投げつける。風を切る石の音が迫ってきた。
小太刀を力強く振る。弾丸と化した石とぶつかり合う衝撃に肩が悲鳴をあげるが、かまわず振り抜いた。
銀月の下、真っ二つに折れた木刀の先端が弧を描いて飛んで行く。しかし石も弾かれ、砂場に落ちた。
興奮が止まず肩で呼吸をする兄に千晶は一言。
「マラジェッツ(よくやった)」
と言った。
……………。
「間に合った……」
昨日は千晶からヒントを貰い、夜遅くまでひたすら剣術の型を思い出す訓練をしていたので将斗はめずらしく寝坊をしてしまった。
運良く学校には間に合ったものの、予鈴ぎりぎりである。
「あっぶねぇ………間に合ってよかった……はぁ…」
汗に濡れたシャツを引っ張りながら廊下を小走りで行く。
教室に入るとクラスメートは既に席に着いていた。まだ間に合ってはいるのですぐさま席にむかう。将斗の席は窓側で、1個席をあけた所が愛花のだった。
(………ん?)
真っ先に違和感を覚えたのは他でもない。
普段はこっちになんらかのコンタクトをとってくる愛花が、今日に限っては黒板の方に気をとられているように、ぼーっと前を向いたままで、将斗に何も言ってこないのだ。
席に着いて愛花の方を見る。
HRになっても愛花の視線は変わらなかった。
昨日元気になったばかりなのに、何があったのだろうか。
「おーい、愛花」
昼休みになっても相変わらずの愛花を見かねて、声をかけた。
愛花は将斗をゆっくりと見上げる。心ここにあらずか、将斗を見ているようでその眼はなにもとらえていなかった。
「どうしたんだよ元気なくて。本当は具合悪いんじゃないか………っておい」
話してる途中で気付いたのだが、眼は泣き腫らしたような痕があり、その下には隈ができていた。
自分と別れた後で何かあったのは明白である。
思わず愛花の腕を掴んでいた。
……………。
ルールは簡単。
相手・和泉は竹刀。千晶はナイフサイズの木刀。和泉は様々な武道を学んでいることもあり、格闘もOK 。制限時間なし。相手に参ったと言わせた方が勝ち。
剣道部が使う格技場で行われたそれは開始して2分で決着が着いた。
「嘘………」
生徒会長の九条伊織は紫音の隣で息を呑んでいた。
伊織の側近にして武道少女の和泉の上には千晶が馬乗りになっていた。喉元にはナイフの木刀が当てられ、竹刀を握る手は片手で捻りあげられ、鳩尾には膝が食い込んでいる。
仰向けのまま何度もむせ込む和泉。
「骨は折ってないから安心して」
千晶は無表情のまま言うと膝を退け、紫音の前に行く。紫音は驚きこそすれ、その表情に恐怖は見られない。
先日、スルーしたということで主を侮辱されたと暴走した向こうが仕掛けてきたのだ。終わった今、特に挨拶や礼儀はいらないだろう。
「でも凄かったね。あんなに鮮やかに勝つなんて思ってもいなかった」
いくらルールがフリーとはいえ、手加減を強要された千晶にとっては戦いづらかったであろうに。
弁当をつつく幼馴染みに言うと、彼女は卵焼きを頬張って教えてくれた。
「殺し合いじゃない戦い、また別」
「でもさっきのは………」
「ロシアに居たときよくやった。ナイフと格闘のみでの試合。殺さない程度に戦う。見る側はどっちが勝つかチップを賭ける」
要は賭博の賭けられる側だ。無法地帯だったのね、千晶ちゃんの部隊……そりゃあ強くなる。
「でもあの人も強かった。殺し合いじゃない戦いなら、あの人は将斗よりも強いと思う」
将斗の名を聞いたとたん、紫音の心にふっと雲がかかった。
彼があの子を抱き締めた記憶を見て生まれた、モヤモヤした気持ち。
幼馴染みが落ち込む様子に気付いた千晶は、心配そうな顔をするでもなく、おかずを口に運びながら聞いた。
「……将斗と何かあった?」
またお茶を吹き出す紫音。千晶は紫音の咳きが収まるのを待つことにした。
「…わかる?」
おおかた、あの兄は何かやらかしたのだろう。もしかしたら女関連かもしれない。
鋭い千晶はそう判断した。
「将斗は鈍いし、時々デリカシーないし、ユージューフダンな時があるからね……」
「でも仕方ないかな、って思っちゃうんだ……」
紙パックのお茶を持ちながら紫音は項垂れた。
「将斗って優しいし、細かい事情なんて気にしないで誰にでも接してくれるでしょ?そういうところに惹かれる子とか、いると思うから……」
(やっぱり女か………)
「私は将斗のそういうところに救われたけど、きっと他にも同じように救われた人、多いと思う…むぐぅっ?‼」
途中で口にアスパラベーコンを詰め込まれ、紫音は倒れそうになった。押し込んだ犯人・千晶は座ったまま箸を構えている。
「けほっ……千晶ちゃん……なにを……」
「将斗の魅力、私には関係ない」
末っ子は兄に手厳しかった。
「それに救われてるなら、私達だって紫音ちゃんに救われてる」
1年前、本当にバラバラになりかけた3兄妹を繋ぐために動いたのが紫音だ。彼女の命がけとも無謀とも呼べる行動が、死を決めた千晶を立たせ、3人はまた兄妹としてスタートした。千晶が死んでいたら将斗も昴もどうなっていたかわからない。
「だからって紫音ちゃんがエンリョ、するのはまた違う」
千晶の言葉に優しさといった感情は見られないが、あえてそうしているのは紫音にもわかった。下手に優しくされたら傷付くことだってあるのだ。
なにより千晶は紫音が救ってくれたことへの感謝を忘れてはいない人だ。紫音に対しては常に真剣に接してくれる。時には厳しく見える態度も、彼女なりの思いやりだ。
「千晶ちゃん」
その口元にコロッケを運んであげる。アスパラのお返しだ。
「スパシーバ」
まさか紫音にロシア語でお礼を言われると思わなかったのか、千晶は困ったような、照れたような表情になった。
「お返しです‼」
「むぐぅっ?‼」
コロッケをその口に押し込んだ。
日下部紫音、橘千晶から1本取った瞬間であった。
……………。
学校の屋上まで愛花を引き連れ、周りに誰もいないことを確認してから質問を始めた。
「いったいどうしたんだよ?昨日あの後、何があったんだ?」
愛花は怯えたように目をそらす。話したくないのだろう。だが自分一人で解決する悩みなら、こんな様子がおかしくなる筈がない。
「将斗とは……関係ないよ、大丈夫……」
掠れた声に力はこもっていなかった。
「関係はないだろうな。だが大丈夫じゃないのは見てわかる。前も言ったがお前はわかりやすい」
言うべきかで葛藤しているのだ。愛花は汚らわしいものを呪うかのように肘に爪をたて、歯を食いしばっていた。
「愚痴でいい。言いたくない部分は隠していい」
少しでも愛花が救われるなら。
「だから教えてくれないか」
「……お父さんが……私に、吉高先生に会うようにって……」
暫くの間を置いて、愛花は切り出した。
将斗の胸が脈打つ。まさかここで吉高の名前を聞くなんて思わなかったからか。
ぽつりぽつりと、なにがあったかを話始めた。
将斗達が遊びに来た日、慰霊碑まで行ったら吉高達と会い、そこで父が勝手に吉高と娘の会食を取りもったこと。
昔、母が死ぬ前まで吉高と喧嘩をしていたので愛花も吉高は嫌いなこと。
「愛花の母さんと吉高って……?」
「昔、一緒に働いたこともあるって……」
「そうか………」
意外な接点である。まあ、家族が亡くなる前に誰かと喧嘩をしていたら、その相手への印象は悪いもんだ。
「嫌なのに……お父さん……私を見てくれない……私とお母さんの……区別がついてないの」
「愛花……なんの……?」
「お父さん、私なんていらないって言ってた。私のせいで苦労していたって、目の前に私がいるのに!」
涙を散らせ、うつむき、訴える愛花とその言葉だけで理解した。愛花の父の心がどこにあるのかを。
将斗もあの事件に、瓦礫と死体しかないあの町に心を置いてきてしまった身だ。だからこそ愛花の父の気持ちが少しだけわかる。もしも天田に出会ってなければ。隣に紫音がいなければ、自分も愛花の父のようになっていたのかもしれないのだし。
愛花の前に歩みより、かける言葉を選ぶ。
「……その…愛花…お父さんは多分…事故から立ち直れなくて、辛いだけなんじゃ……」
急に瞳孔を開き、絶望に満ちたような表情でこちらを見た時、将斗は自分がやらかしたことだけを理解した。
理性を繋ぎ止める最後のなにかが切れたのか、愛花は泣いて、哭いた。
「私だって辛いよ!!
普通じゃない体質のせいでお父さんに恨まれて、お母さんには苦労をかけて‼
どうすればいいのかわかんないよ‼
お母さんに心配かけたくないから明るく振る舞ってきたけど‼
そんな私自身まで否定されて……!!
私は将斗みたいに強くない‼強くないから、家族を失って、恨まれても平気でなんて………いられないよ‼」
感情まかせに叫んだから、内容は支離滅裂でなにを訴えたいのかさえ自分でもわからなかった。
ただ、将斗に辛い今をただ耐えろと言われたような気がして、思わず叫んでしまっていた。
叫ぶだけ叫んで、少しだけ自分が帰ってきた。そして後悔に襲われた。
将斗は目の前で立っていたが、その表情は傷ついたように暗かった。
「家族を失って…平気…か」
いけない、将斗はお父さんを………
その声は静かで落ち着いていて、しかし冷たささえ感じさせ。
焦りと後悔に駈られ、愛花は逃げるように将斗の脇を走り抜けてしまった。
おまけコーナー
五木「ここまで読んでくださってありがとうございます‼今回も質問にお答えしますよ~‼」
山縣「テンション高いな………」
五木「PN、そして誰も見なくなったさんからです‼」
山縣「不吉だな」
五木「えっと、『第二次世界同時多発テロによって、どんな影響が出てるのですか?』………そうですねぇ、武器の制限が解除されたことと、工業が拡大したのと………」
山縣「本文をそのまま読むな。まあ、日本では武器の制限が一部解除されたことで工業地帯は安定した。特に工場では銃の部品、造船所では自衛隊用の艦を作ったりと………北海道では室蘭がその活動が盛んだな」
五木「ですが、逆に銃の情報が流れやすくなってます‼現に中国は日本の銃の設計図を盗み、複製してますからね‼日本製はシリアルナンバーが設けられますが中国製はないので、日本で武器を得るには中国から仕入れるのが確実です‼」
山縣「貿易も活発になったな。北海道の小樽・稚内・釧路・苫小牧・室蘭・函館………最近は石狩や留萌、枝幸も貿易に力を入れてるから、武器や大麻が簡単に流入しやすいんだ」
五木「じゃあ次の質問!」
山縣「早いな………」
五木「PN・3件目の浮気ぐらい、大目にみてちょ、さんからです」
山縣「最低だな………」
五木「『将斗と紫音は互いに好きなんですか?』………………………」
山縣「なぜ黙る」
五木「いやぁ、山縣さん、私の知ってる鈍感どもの恋愛事情ほど、話して腹のたつものはありませんよ?(にっこり‼)」
山縣「………………まあ、二人は鈍いのもあって、自身の気持ちには薄々気付くも理解はまだ、ってところだな。紫音さんは自覚はしつつあるが………」
五木「キイイィーーッ‼リア充どもめ‼リア充どもめえぇ‼」
山縣「おい、お便りを破くな‼」