スライム冒険者の登場
両手を目の前に出して見る。表、裏、表。指がある。人間の手だ。
アマンレインの洞窟が封印されるきっかけになった幼児たちとの遭遇戦から約3ヵ月後が過ぎていたが
再び自分は洞窟の入り口に立っていた。
彼の名、いやこの手や足や長い胴を持つ自分の名前は冒険者バラダイン。
レベル1。レイピア使いの軽装剣士で、かつて3人の仲間のリーダーとして45年ほど前にアマンレインの洞窟を攻略した者の写し身である。
その正体はスライムというだけではなくあの幼児たちと遭遇した3匹のうちの1匹、青いスライムだった。
バラダインは後ろを振り向くと封印された入り口に近づいた。
「封印って魔法じゃなくて物理的なものだったのか。これは・・・頑丈だな」
とても頑丈そうに組まれた木枠の封印に、魔法で作られた凝固材を練ったものが木枠の外側内側を覆って塗り固めらている。
軽装備を解けばどこにでもいそうな雰囲気の細身で高身長な若者でもあるバラダインは近寄ってその封印の凝固材を押すように両手で触れてみたが、びくともしない。
この魔法の凝固材という材料はかつて洞窟内でも使われたことがある。
あるとき冒険者を待ち構えていたスライムが突然にゴールデンスライムになってしまったことがあった。
あわてて娯楽室に避難するために逃げ出したが、その変化が始まる姿を見てしまったスカウト志望の冒険者の興味を強くひきつける。
あの黄金の片鱗を一瞬でも見た彼は壁の向こうの隠し部屋に消えたように見えたスライムを追うと言い出して、持参していた高価な爆弾で壁の発破を仕掛けるという事件を起こす。
その際に爆風を防ぐために使われたのが魔法の凝固材で、爆発の威力を壁のみに向けるためのフタとして使われた。
このときの爆風でも凝固材は無事だった。ただし隠し部屋などなかった壁のほうも破壊に失敗し、スカウトたちは骨折り損になって仲間たちにも叱られ、そもそも見間違えたのだと説得されて諦める。凝固材も回収されていった。
この事件は後に何の影響も与えなかったが、始めは得意げに、最後は言い訳としてあれこれと話をしたスカウトの情報は貴重なデータとして後のスライムたちの知識として蓄積された。
スライム冒険者バラダインはその凝固材に触れ、鉄塊のような感触を感じながら、押すのをやめる。
「あのスカウトの情報が正しければ、上位魔法か攻城兵器でも使わなければ破壊は不可能だぞこれは」
封印から離れると、入り口から離れるように歩き出す。
すぐに人と馬の足跡をみつけて背中に悪寒が走る。人間たちは冒険者として何度も戦いそして必ず倒されて馴れていたが、馬は未知の生物で、足跡を見ただけでも側にいるのではないかと激しく動揺してしまう。
呼吸が少し荒くなりキョロキョロと不安そうに周囲を見渡し、その光景が歩哨した日と何も変わらないことがわかってくると、ようやく安心することができた。視界は高すぎる不安はあったにしても。
「こんなことで正体がバレないように探るなんて出来るのかな」
封印に触れていた手を離し、えーとこの場合はと両手を見やってから左手で頭の後ろをがりがりとかいてみる。
「そうそう、これが困ったときの彼のクセだ」
でも人間らしい仕草をするにはコツが必要だった。例えば口に出して言えば出来るというような未だに不器用なものだった。
ここ3ヶ月間で人間として行動するための厳しい試練が行われてきたが、見るのとやるのとではずいぶんと勝手が違う。
そんな人間への変身に、スライムたちからは結局自分ひとりしか成功者がいなかった。そして今回の調査は自分ひとりで行くしか無くなったのである。
ここに出てくるまで、色々なシミュレーションもやってきた。
液体になりかけの人間もどきで止まってしまうスライムが相手ではあるが人間らしい会話の練習をしたり
もう冒険者が入ってこなくなった洞窟の通路で、冒険者のフリをして探索を初め、遭遇するスライムと戦う演技をしてみたり。
さらに1日が終わった後、「射影の泉」による全員のチェックとダメだしを受けた。これが嫉妬もあるのか超辛口な評価ばかりで、自分だけ変身出来てしまったことを何度も後悔させてくれた。
ゴールデンスライムは「おまえが失敗したなら異世界から助っ人を召喚して手伝わせる」とか、
「賢魔の鏡を作って難問の解決方法を聞く」などと言ってもいたが、本当にそこまでのことが出来るのだろうか。
今度は右手で頬骨の上をこりこりといじるが、これは自分のクセだったのですぐ手を引っ込める。
「さあて行ってみようか、アマンレインの城下町に」
彼は洞窟と城下町とを隔てる茂みに足を踏み込む。歩哨の役目を忠実に行うのとは別の、今までにない高揚感に包まれていく。
縦に長くなり、手や足のある体に絡みつく草木を少しの間だけ掻き分けると、すぐに人が行き来できる幅の道を見つけた。ここが300年間、レベル1の冒険者がやってきてレベル2になって戻った道の端なのだと理解して少し感動した。この道をどれくらい進めばいいのだろうか、あとどれくらい、まだか、もっと先かと、1歩1歩が少しずつ早くなる。
「あああれもこれも未知の体験だ。うれし」
いな。と言うところで、左右の木を抜けて飛び出した先にバラダインは声を飲み込んで呆然と立ち尽くす。
彼はいま森の人から、小さな丘の上から城下町を見下ろす人になった。目の先にはもう民家が迫っていたのである。
昔々、薪拾いの青年が森に入り込んで初めて見つけたアマンレインの洞窟は、
300年の時を経て城下町の一角にある丘の小さな林にある洞窟という存在にまで、城下町のほうから距離を飲み込みつつあったのである。
「こんな目の前に人が住んでいたなんて。ああでも困ったぞ、つまり知らないことだらけじゃないのか。こんなの、こんなのって」
スライム冒険者バラダインはワナワナと震えながら、このまま引き返してこのことだけでも報告をしたい気持ちに押されていた。
でも眼下に広がる町並みは今まで見てきた何よりも美しく刺激的で、そこにある未知の情報は宝の山が溢れているようなものだった。
今なら壁を爆弾で吹きとばそうとしたスカウトの気持ちもわかる、気がする。
ここで戻ってしまってはもったいない。あの中へ入ってみたいという気持ちのほうが速く大きく膨らんで、自然と足が前に出た。1歩進めばもう戻る気にもならない。丘から離れ、1歩、1歩、彼は期待に満ち溢れながら町へと向かっていった。