5.ゾウの集会
いつも勇気をくれる彼女へ。
ねずみくんの住む森にはきれいな泉がわき出ています。
そこから流れ出した水はいくつもの小川となり、森の外まで流れ出て大きな川に流れ込んだり、また、森の中にすてきな湿地をつくったりしています。
この泉は場所によってはかなり深く、その水は透き通って水草が揺れていました。
そこはいつもは鳥や森の動物たちが思い思いにその姿を見せるのですが、今はしんとしていました。
一年に一度、夏が近づくこの時期は毎年そうなのです。
この泉は一年にほんの数日だけ、ゾウたちの泉になるのでした。
この森にはゾウが住んでいたのでしょうか?
いえいえ、ここにやって来るゾウたちは普段は別々の森に、たった一頭で暮らしているのです。
森の中で暮らすゾウたちですから体はあまり大きくありません。
体が大きいと森の中で暮らすには不便です。いつも枝にぶつかったり、足元の根っこに引っかかったりしていなくてはなりませんからね。
それでも森の中では一番大きな生き物でした。
それが何十頭もいろいろな森からやって来るのです。
ゾウたちは森の泉にやって来ると思いっきりその水でのどを潤し、水浴びをします。
久しぶりに会った家族や仲間の体をその長い鼻で触れ、うれしそうに耳をパタパタさせます。
そしておかあさんゾウに連れられてやって来た子ゾウはここでおとうさんゾウと仲間にあいさつして、そして帰りはひとりで新しい森に向かうのです。
小さいのにずっと一人で暮らすのでしょうか?
子ゾウは寂しくないのでしょうか?
とても広い森なら二頭や三頭のゾウが一緒に暮らしていることもありますが、それでもお互いめったに出会うことはなく、出会ってもさっさと別れてそれぞれ森の奥へと行ってしまうのです。
それが彼らの暮らし方でした。
「さてさて、今年もまたたくさんのゾウがやって来たんだろうね。ちょっと見に行ってくるか」
ねずみくんの家の窓辺で日向ぼっこをしていたねこさんが大きく伸びをしました。
ええっ、ねこがねずみと暮らしているですって?
そんなことしたらねずみくんはすぐにねこさんに食べられてしまうじゃないかと思われるかもしれませんね。
でも、驚かないでください。
このねこさんは小さい、小さいねこさんでねずみくんを食べようなんて思ったことは一度もないのです。
それどころか、このねこさんとねずみくんはとても仲良しなのでした。
「じゃ、ねこさん、一緒に行こう」
ねずみくんはあっという間にすてきなぼうしをかぶり、ステッキを持って散歩のしたくを整えました。
ねずみくんとねこさんが森を行くとにぎやかな声がしました。
「ねずみくん、ねずみくん」
「やあ、うずらさん」
うずらさんは一羽だけではありませんでした。そのあとからうずらのおくさんと子どもたちが走ってきます。
「ねずみくん、ゾウさんたちがあっちこっちでどっしん、ばったん。枝を折ったり、草を踏みつけたり」
うずらさんは息を切らしています。
「うちがこわれてしまったわ」
後からやって来たうずらのおくさんが続けました。
「お家がこわれちゃった」
「なおしても、なおしてもまたどったん、ばったん」
うずらのこどもたちもぴいぴい騒ぎます。
「そう、そう」
「こっちは枝から巣が落ちちゃった」
「またこわれちゃう」
「困ったゾウさんたち」
「あんなにたくさんのゾウさん。泉にも近づけない」
飛んで来た小鳥さんたちも口をそろえて言いました。
「おやおや、ゾウさんたちが来るのは迷惑かい?」
ねこさんが聞きました。
「ちがう、ちがう」
「そうじゃないよ」
「枝が折れると森に広い道ができる」
「お日様が届いて花が咲く」
「風が通り抜けるすてきな道だよ」
「ゾウさん、ありがとう」
「ありがとう」
小鳥さんたちが歌いました。
「小鳥さんたちの言う通りだ。だけど、ねずみくん、ゾウさんたちが帰ったら家を直すのを手伝ってくれるかい?」
ウズラさんが聞きました。
「手伝ってくれる?」
小鳥さんたちも聞きました。
「もちろん、おやすいごようだよ」
ねずみくんはそう答えると、またねこさんと泉に向かって歩き出しました。
「ねずみくん、ねこさん、ゾウさんたちが来たね」
りすのぼうやがひょっこり顔を出しました。
「ああ、毎年のことだね」
ねずみくんは言いました。
「だけど……とうさんもかあさんも『お前なんか踏みつぶされちまう。危ないから外に出るな』って言うんだよ」
「じゃあ、いいのかい、ここにいて?」
ねずみくんは聞きました。
「ちょっと抜け出してきただけだよ。でも、すぐ戻らなきゃ。ほんとに嫌になっちゃうな」
「おやおや、ゾウさんたちが来るのは迷惑かい?」
ねこさんが聞きました。
「そんなことないよ」
りすのぼうやは答えました。
「だって、ゾウさんが帰った後はおいしい木の実をつける木が新しく育つんだもの。この森になかっためずらしい木の実をつける木もあるんだって。そういうふうにとうさんもかあさんも言っていたよ。じゃあね、ねずみくん、ねこさん」
りすのぼうやはそう言っていそいでお家に帰って行きました。
そこへ今度はうさぎのおくさんがやってきました。
「ねずみくん、ねずみくん、いいところに」
「ああ、うさぎのおくさん、それはどうしたんです?」
「さっきゾウさんがうちの巣穴をこわしてしまったんですよ。おかげでうちの子どもたちが穴の中にうまってしまって」
うさぎのおくさんは泥だらけです。
「おお、それはたいへんだ」
ねずみくんは駆け出しました。そして巣穴のところにやってくるとぼうしとステッキを放り出し、うさぎのおくさんといっしょに巣穴を掘りはじめました。
「さっささっさの、ほい、ほい、ほい」
うさぎの子どもが次々と出てきます。
「ありがとう、ねずみくん。たすかったわ」
「おやすいごようですよ」
ねずみくんは、ぱん、ぱんと手を払ってぼうしをかぶりステッキを拾いました。
「まったく、ゾウさんったら」
うさぎのおくさんは困り顔です。
「おやおや、ゾウさんたちが来るのは迷惑かい?」
ねこさんが聞きました。
「それがそうでもないんです。ゾウさんが来るとじきにやわらかくておいしい草が生えるし、それにゾウさんがいる間、おおかみ一家は森の外に狩りに出かけてしまうから私にとってはありがたいんですよ」
うさぎのおくさんはにっこりしました。
ねずみくんとねこさんはまたまた歩き出し、しばらくすると、とうとう泉が見えてきました。
ゾウたちが落ち着かない様子で水を浴び、鼻を鳴らしています。
そこへ、年寄りのゾウがゆっくり、ゆっくりやってきました。
年寄りゾウが泉に入ります。
それから水を飲み、泉に浸りました。
ゾウたちはじっとその様子を見守ります。
やがて年寄りゾウが水浴びをすませると、にわかに泉がにぎやかになりました。
ゾウたちが鼻を振り上げ、歌い出したのです。
「耳がどうかしそうだよ」
ねこさんが顔をしかめました。
なにしろたくさんのゾウたちが一斉に声を上げているのですから大変です。
「毎年のことじゃないか。だけど……おじいさんゾウは随分弱ってしまったようだ」
ねずみくんは仲間の間ですわっている年寄りゾウを見て言いました。
「そうだね。だが……仕方ないさ。むしろ、よくここまで来られたもんだ。大したもんだよ」
ねこさんが答えます。
年寄りゾウはにこにことしていましたが、それでも体はあまり動いていませんでした。
やがて歌がダンスにかわります。
「こりゃあ、たまらん」
ねこさんが悲鳴を上げ、ねずみくんとねこさんはすたこらさっさと家に戻りました。
一晩中歌い、踊っていたゾウたちも朝が近づくと一頭、また一頭と森から姿を消していきました。
森のみんなはまたいつもの暮らしに戻ります。
ねずみくんは……またまたお散歩です。
でも、この日の朝はいつもよりもずっと早起きでした。
ねずみくんが出かけたのはゾウたちがいなくなった泉でした。
そう、泉にはゾウは一頭もいませんでした。でも、その泉から少し離れたところをゆっくり、ゆっくり歩いて行くゾウをねずみくんは追いかけたのです。
「ゾウのおじいさん」
ねずみくんは声をかけました。
「おお、おお、ねずみくんか……」
年寄りゾウはねずみくんを見下ろしました。
「このごろは歩くのもこんな調子でなかなか進めないんだよ。情けないなあ」
ゾウのおじいさんは言いました。
「この森にゆっくりしていってくれって、森が言っているからですよ」
ねずみくんは答えました。
「ああ、そうかもしれん。そうだといいなあ。この森は本当にいい森だ。ずっと、こうやって見ていたい。いい景色だもの」
ゾウのおじいさんは言いました。
「では、少し休んでくださいよ」
「いいのかのう……ゾウはあの泉に寄り集まる。年に一度な。そして家族や仲間と一晩歌って、ダンスを踊ったら自分の森に帰るのだと決まっている。そう決まっているんじゃ」
「そうです。この森にゾウはいない。年に一度のこの時をのぞいてね。ここはどのゾウの森でもないんだ」
「ああ、だが、ここはみんなのふるさとだ。みんなこの森の、あの泉のことを忘れない」
「ゾウさんたちのおかげでこの森ではめずらしい木々がすこやかに育ちます」
「そうか……それなら少しは森に恩返しができたか」
ゾウのおじいさんはゆっくり歩き始めました。
体はよたよたしていましたが、一歩一歩大切に歩いて行きます。
ゾウのおじいさんはよく目が見えないのかもしれません。体のあちこちに傷がありました。
ゾウのおじいさんと一緒に歩きながらねずみくんは陽気な声で言いました。
「ゾウさんたちの歌はおもしろいなあ」
「ああ、みんなで集まると知っている歌を全部歌うよ。すっかり忘れていた歌もここへ来ると思い出す。美しい森、おいしい水、愛する連れ合い……」
「年に一度とは、寂しくないですか?」
ねずみくんは聞きました。
「いいや、ゾウにとっては一年なんてあっという間さ」
大きなゾウと小さなねずみくんがゆっくりゆっくり森を行きます。
それでもいつか二人は森の外れまでやって来ました。
ゾウのおじいさんは足を止め、にっこり笑いました。
「ああ、いい森だ。もう帰るなんてつまらないな」
「もう一晩泊まりますか?」
ねずみくんは言いました。
「いや、いい。約束は約束だから」
ゾウのおじいさんはゆっくりゆっくり森を離れて行きました。
野原の草が風にそよぎます。ねずみくんはゾウのおじいさんのとなりを歩きながらポケットから笛を取り出しました。
小さい、小さい笛です。それでもドレミファソ……ちゃんと音が出ます。
ねずみくんは昨日の夜ゾウさんたちが歌っていた歌を思い出して笛を吹き始めました。
そのとたん、ゾウのおじいさんはとてもとてもうれしそうな顔をしました。
「ああ、わくわくするよ。それはね、こういうのさ。足を進めろ、前へ、前へ。風になれ、土になれ、森になれ。今は一人ぼっちでも、また会える、また会えるよ。家族は家族、仲間は仲間。忘れないで、風になれ、土になれ、森になれ」
ゾウのおじいさんの歌が止みました。
ねずみくんの笛も止まりました。
「なあ、ねずみくん」
ゾウのおじいさんは言いました。
ねずみくんは黙ってゾウのおじいさんを見上げます。
「私はもうあの泉には来られないかもしれないな。その時は……もし、私の妻に会ったらこの歌を歌ってやってくれないか」
「おじいさんのかわりにですね」
ねずみくんは言い、ゾウのおじいさんはうなづきました。
「ねずみくんなら、きっと私の妻がわかるだろう」
「おやすいごようです。さっさ、さっさとおくさんをみつけて歌も歌いましょう、笛も吹きましょう」
「では、もう行っておくれ。私はひとりで帰れるから」
「それじゃあ、ゾウのおじいさん、これはおべんとうです。必ず口に入れて下さいね。お腹が空かなくても」
ねずみくんはねずみくんにとってはとっても大きい葉っぱに包んだおべんとうをゾウのおじいさんに渡しました。
「ほう、ねずみくんからのプレゼントか。これはうれしいな。必ずいただくよ。じゃあな」
ゾウのおじいさんはもう振り返りませんでした。
ねずみくんのおべんとうはどんなおべんとうだったのでしょうか?
それはいろいろな木の実がつまったおべんとうでした。ねずみくんが食べるのなら多すぎて残してしまいそうですがゾウなら一口でしょう。
たとえそれがもうすぐ死んでしまうゾウのおじいさんでも。
そう、ゾウのおじいさんはしばらく歩くと、ついにその足を止めました。
もう、一歩も歩けなくなっていたのです。
目はぼんやりとして、音も耳に入ってこなくなりました。
ですが、そのとき、ふわっとなつかしい、いいにおいがしたのです。
ねずみくんのおべんとうでした。
ゾウのおじいさんはねずみくんとした約束を思い出しました。
「そうだ、そうだ」
ゾウのおじいさんは震える鼻で葉っぱの包みを開けると、中に入っていたたくさんの木の実を口に入れました。
木の実はいつまでもおじいさんの口の中にありました。ゾウのおじいさんはもう木の実を飲み込む力もなかったからです。
ゾウのおじいさんは大きな体を横たえました。
ただ、ただ、野原の風がその大きな体に触れていくだけです。
夜が来て、明けていきました。
朝露が冷たくなったゾウのおじいさんの体を濡らしていました。
お腹を空かせた動物たちが集まってきて、ゾウのおじいさんの体を食べていきます。じきに虫や菌類がその体を分解するでしょう。
ねずみくんがあげた木の実はどうなったでしょう。
多くの生き物によって分解されたゾウのおじいさんの体を栄養にして、元気な芽を出すことができるでしょうか?
いろいろな種類の木の実でしたから、それが育ったら鳥が来て、また別の木の実を置いて行ってくれるでしょうか?
そしていつか、長い長い時間が経ったら、ゾウのおじいさんがいつまでもいつまでも見ていたかった森に、ねずみくんのいる森のようになれるでしょうか?
読んでくださり、ありがとうございました!