3.麦をもらいに(挿絵あり)
愛について深く掘り下げる彼女に。
森が春を迎え、森の木々が一斉に芽吹き始めました。
ねずみくんと一緒に暮らしているねこさんはこの時期になると落ち着かなくなります。
ええっ、ねこがねずみと暮らしているって?
いえいえ、ご心配はいりません。
ねずみくんが一緒に暮らしているのは小さい、小さいねこさんなのです。
「ねえ、ねえ、ねずみくん、そろそろじゃないかな?」
ねこさんはすてきなぼうしをかぶり、ステッキを持って散歩に出かけようとしていたねずみくんに言いました。
「そろそろって?」
「ほら、もう若い葉っぱを風が揺らし始めたよ」
「ああ、わかった。麦の季節だ。ちょっと出かけなければならないね」
「行ってくれるのかい?」
「もちろんだとも」
ねずみくんはぼうしとステッキを放り出し、かわりに大きなリュックサックを取り出しました。
ねこさんの大好物は麦の粒。
毎日食べても飽きることはありません。
それでも小さい、小さいねこですから一年分といってもそんなに大した量ではないのですが。
ねずみくんはリュックサックを背負い、ねこさんといっしょにさあ、出発です。
ところがねずみくんとねこさんが家を出たちょうどその時、黒い影が舞い降りました。
「ねずみくん、ねずみくん」
「ああ、ふくろうのおとうさん」
「おや、ねこさんも。どこかへおでかけですか?」
ふくろうのおとうさんはねずみくんのリュックサックを見て聞きました。
「麦をね、もらいに行ってくるんですよ」
ねこさんがうきうき答えました。
「人間のところへ、ですか? そりゃあ、大変だ」
「だが、麦は人間のところへ行かないと手に入らないからね」
ねこさんは言いました。
「ところで、ふくろうのおとうさん、なにかご用ですか?」
ねずみくんは聞きました。
「ええ、それがね、うちの子がおなかがいたいっていうんですよ。食べ過ぎてしまったのか、それとも、何か悪いものでも食べてしまったんだろうか……」
ふくろうのおとうさんは困っていました。
「ちょっと待っててくださいよ」
ねずみくんは家の中に戻ると黄色い液体が入ったびんを持ってきました。
「さあ、あかちゃんのところへ行きましょう」
「これはありがたい」
ふくろうのおとうさんはねずみくんとねこさんをそのしっかりしたかぎ爪でそっとつかむとふわりと浮き上がり、音もなく森を飛びました。
ふくろうはそうやって飛ぶことができるのです。えものに近づくときにバタバタ音を立てていたのでは、すぐに気付かれて逃げられてしまいますからね。
そしてふくろうの大好物はネズミや小さい鳥でした。
「なんとなく……いい気分じゃないだろ?」
ねこさんはふくろうのおとうさんの足につかまれて目を回しそうなねずみくんに聞きました。
「きみを食べる気はないよ。きみはなんでもねずみくんだからね」
ねこさんの言うことを聞いていたふくろうのおとうさんは言いました。
ねずみくんは生まれた時からなんでもねずみくんでした。森のだれからでもたのまれれば手を貸すことになっていたのです。
ふくろうのおとうさんの家ではぽわぽわしたあかちゃんが泣いていました。
ふくろうのあかちゃんは大きくなるためにたくさん食べますが、ちょっと食べ過ぎてしまったようでした。
ねずみくんは持ってきたびんのふたをあけました。
ふわっといかにも苦そうなにおいがします。
「おくすり、いやだよう」
ふくろうのあかちゃんはますます声を大きくして泣きました。
「これはキハダという木の皮からとったんだ。おなかがいたいときにはとてもよくきく。にがいのは、がまん、がまん。さあ、さっささっさの、ほい」
ねずみくんはふくろうのおかあさんがあかちゃんの口をひらいたしゅんかん、慣れた様子であかちゃんの口にくすりを放りこみました。
「ぼうや、もうおわりですよ」
ふくろうのおかあさんが目を白黒させているあかちゃんをさすります。
「すぐによくなりますよ」
ねずみくんはふくろうのおとうさんとおかあさん、そしてあかちゃんに言いました。
「さあ、早く行こうよ」
ねこさんが急かします。
「私が送ってあげよう」
ふくろうのおとうさんが言いました。
「じゃあ、森を出たところにある川までおねがいします。あとは川を下って行くから」
「いいのかい?」
「はいはい、それでちょうどいいんです」
ねずみくんは答えました。
「ねずみくん、この森を出たらあなたがなんでもねずみくんだってことを知らない動物たちがたくさんいるから、気をつけてちょうだいね」
ふくろうのおかあさんが言いました。
「そうだとも。ぶじ帰ってきてくれよ」
ふくろうのおとうさんも言いました。
それからそのかぎ爪で、またねずみくんとねこさんをつかむと、あっという間に森を出て森の近くを流れる川のところまで運んでくれました。
「ありがとう、ふくろうのおとうさん」
ねずみくんとねこさんは声をそろえて言いました。
「気をつけてな」
おとうさんはそう言うとさっと飛び立ちました。
その姿が遠い空に消えて行きます。ねずみくんはリュックサックを下ろすと、よいしょ、よいしょと木の枝を運び始めました。
次に背中のリュックサックから小さいのこぎりを取り出して
「さっささっさの、ほい」
と、すてきないかだを作って川に浮かべました。
さあ、こんどは船旅です。
空はちょっぴりくもっています。
「ちょうどよかった。あまり日が強いと目がつかれてしまうからね」
ねずみくんは言いました。
「そうだね。ひなたぼっこは好きだけど目をつぶっての話だ。これに乗ったらそうそう目をつぶってもいられない」
ねこさんも答えます。
こうしてねずみくんとねこさんは川を下り始めました。
川辺のけしきがどんどん変わっていきます。
森や林や草原を通ります。
やがて菜の花がたくさん咲く土手が見えてきました。
「そろそろだね」
ねこさんがそう言うとねずみくんはさっとさおを出して、いかだを川岸のアシの林の中に入れました。アシの林の中は川の流れが緩やかになっているので、ねずみくんでも川岸にいかだをつけることができるのです。
ねずみくんとねこさんが岸に上がると
「ねずみくん、ねずみくん」
川の方から声がしました。
「ああ、ビーバーのおばさん」
水面からぽっかり顔を出したビーバーにねずみくんはこたえました
「今年もまた麦をぬすみに来たんだね」
ビーバーのおばさんは言いました。
「ぬすむというのはちょっとちがうね。もらいにきたんだよ」
ねこさんが答えます。
「どうでもいいが気をつけておくれよ? わたしたちはそろそろこのあたりから引っ越そうと思っているんだよ。どうも人間というのはうすきみわるくてね。わたしなんか人間に近づいたらこのざまさ」
ビーバーのおばさんは顔をしかめました。おばさんの後ろあしには大きなきずがありました。そこにばいきんが入ったせいかはれています。
「ちょっと待ってて」
ねずみくんは背中のリュックサックから白い粉の入ったびんを取り出すと
「さっささっさの、ほい」
とおばさんの傷にふりかけました。
「お日さまがかたむくまで水に入らないで下さいよ。そうすればよくなります」
「ありがとう、ねずみくん」
ビーバーのおばさんに見送られて、ねずみくんとねこさんは川の近くの農場に歩いて行きました。
その農場はねずみくんとねこさんが毎年やって来る農場でした。農場の麦畑は年々広くなっています。麦をもらった帰りぎわにねこさんがお礼として麦がたくさんできるおまじないをしていくのが効いているのかもしれません。
広い農場の麦畑で風に揺れる麦の穂をねずみくんとねこさんはしばらくながめました。
「ああ、いいながめだ」
ねこさんはうっとりと言いました。
「でも、早くすませてしまわなくては、ね」
ねずみくんは言い、麦畑に入って行きます。そして背中のリュックサックから小さいはさみを取り出して
「さっささっさの、ほい、ほい、ほい」
ちょん、ちょん、ちょんと麦の穂を切ってリュックサックに入れていきました。
その間ねこさんはみはりです。
ねずみくんのリュックサックが麦の穂でいっぱいになったころ、みはりのねこさんが叫びました。
「ねずみくん、たいへんだ。犬だ、犬だよ」
「ええっ」
ねずみくんは大あわてでリュックサックのふたをして麦畑の奥に逃げました。
「ワン、ワン、ワン、ワン」
黒いかたまりがさっきまでねずみくんとねこさんがいた場所を駆けぬけていきます。
それからあたりがしーんとしました。
「ねこさん、ねこさん、だいじょうぶかい?」
ねずみくんはそっと声をかけました。
へんじはありません。
「これは一大事だ」
ねずみくんは麦畑から飛び出すとえっさ、えっさと犬の走って行った後を追いました。
ねこさんはどうなってしまったのでしょう。
何しろ小さい、小さいねこです。立派な犬の歯でかまれてしまってはひとたまりもありません。それとも、ねこさんはあまりに小さいのでかまれることなく、ごっくりとひとのみにされてしまったのでしょうか?
いえいえ、そのどちらでもありませんでした。
この農場の犬はつかまえたえものを近くにいた人間に見せに行ったのです。
それは農場の女の子でした。
「まあ、かわいいこと」
女の子は犬の口からねこさんを助け出して言いました。
「だけど、泥だらけだわ。きれいにしてあげましょうね」
女の子はねこさんを水で洗ってタオルでふきました。
それからきれいな鳥籠に入れて女の子の部屋に持って行き、
「ちょっと待っててね」
と言うとチーズやハムがのった小さなお皿を持ってきてねこさんの鳥籠に入れました。
「私が好きなのは麦だよ」
ねこさんは言いました。
もちろん女の子にはただニャア、ニャアとしか聞こえません。
「なんてかわいいねこさんなのかしら。ずっと大切にしてあげるからね。そうだ、あした友達にも見せてあげよう」
そこへ女の子のお母さんの声がしました。
「はーい」
女の子が返事をして部屋を出ます。
とたんにあたりが静まり返りました。
「ねこさん、だいじょうぶかい?」
天井のすきまからねずみくんが下りてきました。
「ああ、早くここから出しておくれよ」
「まかしとき。さっささっさの、ほい」
ねずみくんはかけ声をかけると、鳥籠をあけました。それからねずみくんとねこさんは女の子の部屋の出窓によじ登って外に出ました。
「こんどは犬に見つからないようにしないと」
ねずみくんとねこさんは麦畑を通って、川の土手に急ぎます。
「ねこさん、そういえば……来年も麦がたくさんできるようにっておまじないをしなくていいのかい?」
走りながらねずみくんは聞きました。
「あんなこわい思いをさせられてかい?」
ねこさんはふきげんに答えます。
「でも、こんなに麦をもらったんだし」
ねずみくんはずっしりと重い背中のリュックサックを指差しました。
「しかたないねえ……」
ねこさんは立ち止まりました。
「よくばりで何も知らない人間だが……麦の緑すくすく、麦の穂さわさわ、ゆれろ、ゆれろ、川のように」
ねこさんがおまじないをとなえました。
「じゃあ、行こう」
ねずみくんは川辺を歩き始めました。
ところが、そこへまたまた黒いものがねずみくんとねこさんをかすめたのです。
ふくろうでした。
でも、ねずみくんの知っている森のふくろうではありません。ねずみくんのことをただのねずみだと思っている村のふくろうです。
「たすけて~」
すんでのところで木のうろに逃げ込んだねずみくんとねこさんにビーバーのおばさんの声がしました。
「ねずみくん、ねこさん、こっち、こっち」
その声に向かってねずみくんとねこさんは走ります。
アシの林の中でビーバーのおばさんはふたりを待っていてくれたのでした。
「さあ、ぜんそくりょくで泳ぐからね」
ビーバーのおばさんはねずみくんとねこさんを頭に乗せて泳ぎ始めます。ふくろうは……まさか、ねずみがビーバーの頭の上に乗って逃げるとは思っていません。すっかり見失ったと思ってまた翼を広げて飛んで行ってしまいました。
「おばさん、助かったよ」
ねずみくんは言いました。
「なあに、大したことはないさ」
おばさんは答えます。
「今日はひやひやしたね」
ねこさんがほっと息を吐きました。
「でも、こんなに麦がとれた」
ねずみくんがぽんぽんとリュックサックをたたいたときです。
「おや、またかい?」
ビーバーのおばさんが空を見ました。
「あ、あれはふくろうのおとうさんだ」
ねずみくんは言いました。
「おーい」
ねこさんが小さな手を振ります。
「ねずみくん、ねこさん、迎えに来たよ。ここからは私が連れて行ってやろう」
「知り合いかい? それならあんしんだね」
ビーバーのおばさんは泳ぎを止めて言いました。
「じゃ、行くよ」
ふくろうのおとうさんはビーバーのおばさんの頭に乗ったねずみくんとねこさんをがっしりとしたかぎ爪でさっとつかんでふわりと飛び立ちました。
「ビーバーのおばさん、ありがとう」
ねずみくんとねこさんが大きな声で言います。
それからあっという間にねずみくんとねこさんは家にもどったのでした。
「やれやれ、すっかりお腹がすいたね」
ねずみくんは重いリュックサックを下ろすと台所に入って、自分にはどんぐり入りの、そしてねこさんにはたっぷり麦の粒が入ったパンケーキを焼きました。それにハチミツをそえます。
それからちょうどよく色の出たお茶も用意して、さあ、晩御飯です。
窓の外はもう真っ暗でした。
「ああ、ほっとする。わたしはチーズやハムには興味はないんだ。ああ、このパンケーキのおいしいことといったら」
ねこさんはパンケーキを頬張りながら言いました。
「そりゃあ、よかった」
ねずみくんもパンケーキを頬張ります。
ねこさんはお茶を飲みながら思い出したように言いました。
「あの鳥籠には死の匂いがしみついていた。女の子はわたしを大切にすると言ったが鳥籠に入れておくことのどこが大切なんだい?」
ねこさんはとても怖い顔になっています。
「ねこさん、パンケーキのおかわりはいかが?」
ねずみくんは聞きました。
「えっ、そりゃあ、もちろんいただくよ」
すぐにきげんを直したねこさんのお皿にねずみくんはパンケーキのおかわりをのせ、それからたっぷりのお茶を注いであげました。
五十鈴 りく様より頂きました。
五十鈴様、ありがとうございました!
愛は奪うべきか、手放すべきか、それが問題だ……なんてね。