2.北のお客
オオカミ好きな彼女へ。
秋の終わりにはおどろくほど暖かい日があります。
ですが、だからって油断するわけにはいきません。春の次には夏、夏の次には秋、秋の次には冬が来ると決まっていて、それがぐちゃぐちゃになることはないのです。
もちろん、あのねずみくんが油断などするはずがありません。
ねずみくんの家の貯蔵庫には秋の間にため込んだ木の実や果物がぎゅうぎゅうにつまっていました。
では、ねずみくんの家に住むねこさんはどうするのでしょう。
ねこさんはねずみくんが集めておいた麦の実を少しばかりもらって冬を過ごします。
なにせ、ねこといっても小さい、小さいねこさんですから大した量はいらないのです。それに今までひなたぼっこをしながら通りがかった虫をぱくっと食べてけっこう栄養をたくわえていました。
「冬になったら寒くて体が動かない。外に出ることができなくなるぞ。さあさあ、今のうちに散歩に出かけよう」
ねずみくんはすてきなぼうしをかぶり、ステッキを持って家を出ました。
ねずみくんが分かれ道にさしかかり、ちょっと立ち止まって今日は泉のそばの道を行こうか、それともふかふかな葉っぱの上ににょきにょき顔を出したきのこを見に行こうか、それとも丘の上の木に登って野原をながめようかと考えていたときです。
「ねずみくん、ねずみくん」
りすのぼうやの声がしました。
姿をあらわしたぼうやは目をまんまるにしています。
その後ろにうさぎさんが続き、その後ろからは血相を変えたいのししのおじさんが走ってきます。
「どうしたんだい? 大さわぎだね」
ねずみくんはみんなの顔を見て首をかしげました。
「見たことのないやつがいるんだよ。大きくて、顔にね、白いペンキでかいたみたいな線があるの。お面みたいだった」
りすのぼうやが言いました。
「ものすごく速いんだ。あっという間に追いぬかれたぞ」
いのししのおじさんが息を切らして言いました。
「短いけど、とんがった角があったよ」
うさぎさんがおそろしそうに言います。
「ええと……大きくて、白い線のあるお面みたいな顔で、走るのが早くて、短くて鋭い角がある……はて、だれだろう?」
ねずみくんは腕を組みました。
「見たことない、見たことない、よつあし」
ことりさんたちが歌います。
「山のせいれいみたい」
りすのぼうやはきのうの夜おかあさんから聞いたお話を思い出して言いました。
「体は白とこげちゃいろ」
いのししのおじさんが言いました。
「ああ、あれだよ」
うさぎさんが叫びました。
大さわぎするみんなの目の前を風のように走っていく何かがいたのです。
「おい、きみ」
ねずみくんが声をかけました。
風のように走って行った何かは、やはり風のように戻ってきてねずみくんの前で止まりました。
こげちゃいろのかおに白いもよう。りすのぼうやが言うように、まるでお面のようです。身体はほとんどがつやつやしたこげちゃいろの毛におおわれていて、頭には短いけどさされたらいたそうな角が二本見えました。
「シャモアか」
おおかみさんが言いました。
「シャモア?」
ねずみくんはすっと姿を見せたおおかみさんに聞きました。
「ああ、ねずみくんは知らないだろうが、こいつらは森が雪と氷で閉ざされると高い高い山の岩場から雪風といっしょにこのあたりまで遊びにやって来るのさ。だが、まだ雪風は吹かない。めずらしいことだな」
おおかみさんは舌なめずりをしました。
とたんに、りすのぼうやも、うさぎさんも、いのししのおじさんでさえふるえてその場から遠ざかりました。いつおおかみさんのするどいつめときばに引き裂かれて食べられてしまうかわかったものではないと思ったのです。
動かなかったのはシャモアとねずみくんだけでした。
「おおかみさん、おおかみさん」
ねずみくんが困っていると、おおかみさんは言いました。
「ああ、ここはねずみくんがいる。おまえたちを食ったりはしないさ、今は、な」
「ぼくに追いつけると思っているのか、のろまなおおかみめ」
シャモアがひづめを鳴らします。
おおかみさんが食べるのは動物の肉です。しかし、これはしかたがないことなのです。生まれたときからそう決まっているのですからね。
おおかみさんにはおおかみさんのおくさんがいて、じきにかわいい子どもたちも生まれるでしょう。おおかみさんはその子どもたちにも食べ物を運ばなくてはならないのです。
それでもおおかみさんはねずみくんと友達でしたし、ねずみくんにはいろいろ助けられているのでねずみくんを食べてしまおうとは思わないのでした。
それではたまにねずみくんといっしょに見かける小さいねこさんは……おおかみさんにとっては小さすぎて食べる気にならないのかもしれませんね。
「で、なぜシャモアが今こんなところにいるんだ?」
おおかみさんは地面にすわってゆっくりと話を聞く姿勢になりました。
ねずみくんもおおかみさんのとなりにすわってシャモアを見上げました。
「話しておくれよ」
りすのぼうやが言いました。
「話して、話して」
ことりさんたちも聞きたがりました。
「そこはぜひとも知りたいところだ」
いのししのおじさんも言いました。
おおかみさんがこわいのですが、うさぎさんもがまんができずに近づきます。
「ぼくらシャモアはね、北にある高い山の崖に住んでいるのさ。その崖といったら……あまりにも急で、ほかの動物なら目をまわしてしまうほどだ。ぼくらは大人になったらそこになわばりを持って、他のシャモアとなわばりをかけてたたかうんだ」
「たたかうって……どうやって?」
うさぎさんが身を乗り出しました。
「何時間も何時間も角をふりかざして崖を追いかけっこするのさ。あいてが音を上げて逃げ出すまで。中には足をすべらせて崖から落ちるシャモアもいる。だけど、どうしてそんなことをしなくちゃいけないのかなあ?」
シャモアの目が悲しそうになります。
それからまたシャモアは続けました。
「雪風にさそわれるとぼくらは崖を下り、雪と氷の白い世界をかけ回る。ぼくはそれが大好きだ。またその時期が近づくと思うとわくわくした。それで思ったんだ。崖のなわばりなんかいらない。そうだ、たたかうぐらいなら崖を下りてみようって」
「ねえねえ、この森はすてきでしょ? 大きな木はおいしい実をいっぱいつけるし、お花は咲いているし、きれいな泉もあるよ」
りすのぼうやが言いました。
「そうだよ。ごつごつの岩にどんなおいしいものがあるっていうの?」
うさぎさんが言いました。
「ああ、この森は美しいね。おいしいものもありそうだ」
シャモアは答えました。
「だったら、ねえ、ここに住んだら?」
りすのぼうやが言いました。
「たたかいなんかやめてさ?」
うさぎさんも言います。
「ここはすてき」
ことりさんたちが歌います。
ですが、ここまでねむるようにして話を聞いていたおおかみさんが目を開けて言いました。
「つまり、おまえは逃げて来たわけか」
「なんだと?」
シャモアはとたんにそのとがった角をふり上げました。
まだ大人になってはいませんが、その姿の堂々としていること。おおかみさんにだって負けはしません。
でも、そんなシャモアを見ておおかみさんは笑いました。
「だって、そうじゃないか? お前の話ではたたかうのがいやで、崖下に落ちるのがこわくて逃げて来たと聞こえる」
「そんなことないさ」
「まあ、崖下に落ちたシャモアは冬の間、腹をすかせたおれたちのごちそうになる。シャモアの肉はそれはうまいと年よりから聞いている」
りすのぼうやとうさぎさんはまたふるえ上がりました。
「ここにいなよ。崖から落ちたら食べられちまう。この森はいい森だよ。冬になればきみの好きな雪が降る。もう少しだ」
いのししのおじさんが言いました。
シャモアはだまっています。
みんながねずみくんを見ました。でも、これはどうもいつものように「さっささっさの、ほい」とはいかないようです。
「シャモアくん、とにかく今日はぼくの家にとまるといいよ」
ねずみくんは言いました。
「ただいま、ねこさん」
「おやおや、ねずみくん、これはいったい何だね?」
ねこさんはねずみくんがつれてきたお客を見て目を丸くしました。
シャモアだって同じです。
「きみこそ……ぼくはいままでこんなにちいさ……」
「ウォッホン、ウォッホン」
ねずみくんはせきばらいをしました。ここでねこさんのことを小さいなんて言われたら面倒だからです。だから急いで言いました。
「このねこさんは世にもめずらしいかたなのですよ」
「ほう」
シャモアは感心しました。
「いやいや、そちらこそなかなかめずらしいかただ」
ねこさんはいい気持ちになって胸をはりました。そうするといつもよりちょっと大きく見えるような気がします。
「いえいえ、ぼくのほうはたいしたことはないのです。シャモアといって、はるか北の崖に住んでいます」
「ほう、それはたいへんなところにお住みだ」
「たいへんなんて。崖には柔らかいコケや、香りのいい草がある。小さいけどその芽のおいしいこと。実のなる木もあってね。その実を見つけた時のうれしさったら、どこまでも走って行けるほどです」
シャモアはここまで言うと、ふと口をつぐんで涙をふきました。
「シャモアくん、きみはもっと話してくれなくちゃ。たとえ『さっささっさの、ほい』っていくかどうかわからないことでもね」
ねずみくんは言いました。
「うん……去年の今ごろ、ぼくの弟が崖から足をすべらせて落ちてしまったんだ。あわてて近づいたらもう息がなかった。あとからあとから雪が弟の体をおおっていって……ぼくのできることは何もなかった……いつもいっしょだったのに。もう、どこにもいない。あのおおかみの言う通りさ。ぼくはあれを見てから、こんどは自分が落ちたらと思うとこわくてしかたがない。ぼくは弱虫のシャモアなんだ」
「シャモアくん、シャモアくん、きみみたいな思いをすればだれだってこわくなるよ。それにその気もちは悪いことばかりじゃないさ。そのおかげできみはここにやってきた。そしてぼくらはこうして知り合えたんだからね」
ねずみくんが言いました。
「だけど……」
「崖が恋しくなったんだね」
ねこさんが言いました。
シャモアはまた涙をふきました。
「……森は……この森は確かにいろいろな命に満ちていて美しいけど……北の崖から見る夕焼けの美しいことといったら。見せてあげたいなあ。山々に反射する光を。見下ろす世界の美しさを。ぴーんと張った空気の清らかさを……」
「それぞれ自分のすみかがあるのさ」
ねこさんはうなづきました。
次の朝シャモアは日が昇るのも待ちきれず、ねずみくんとねこさんを背中に乗せてねずみくんの家を出ました。
シャモアは北の崖に帰ることにし、二人は森のはずれでシャモアを見送ることにしたのです。
シャモアに乗っているとまるで自分が風になったようです。
森の木々がどんどん飛んで行くのです。
でも、その風の速さをはかるように追って来るものがありました。
おおかみさんです。
「おまえか」
シャモアは足を止め、ねずみくんとねこさんを背中から下ろしました。
そこはちょうど森のはずれでした。
「帰るのか、シャモアよ? ならば、せいぜい崖から落ちないようにしろよ。落ちればおれやおれの家族の腹におさまることになる」
おおかみさんはにやりと笑いました。
「そうかんたんに落ちるもんか」
シャモアはこたえました。
それからねずみくんとねこさんを見ました。
「ねずみくん、ねこさん。ぼくはこの森が真っ白になったころにまた来るよ。ふたりには会えないかもしれないけど雪風に乗って遊びに来たときには窓をたたくよ」
「それは楽しみだなあ」
ねずみくんが言いました。
「わたしは耳がいいんだ。きっと気が付くよ」
ねこさんも言いました。
朝の金色の光がシャモアと、ねずみくんと、ねこさんと、そしておおかみさんを照らし始めます。
「ありがとう」
シャモアはそう言って笑うと、あっという間に走り去って行きました。
読んでくださってありがとうございました!