通り雨 上
透明、カメラと同じ世界での物語です
私こと井上ユミは俗に言う『変化』というものが苦手だ。
例えば人と人との関係だとか、通っている通学路に新しく作られたお店だとか、隣の家に引っ越してきた住人だとか。
私の知らない事が増えていくことが、大嫌いで大の苦手なのである。
このような感情を抱き始めたのはいつからだったのだろう。
つい先日だったような気もするし、幼馴染と手を繋いで幼稚園に通っていた頃のような気もする。
要は思い出せない。
ただ自分は変化に対応出来ない人間なのだなぁと朧げに気付いてしまった。
気付かずにいることが出来たら、私は自分が生きて行く上で欠陥的なものーー適応能力の著しい欠如を知る事はなかったのに。
どうして気付いてしまったのだろう。
どうして知ってしまったのだろう。
知って識って視って思って。
幼馴染の言葉を借りるのは非常に不本意なのだけれど世界とのズレを感じてしまった。
この世界には私の知らない事は私が知らないだけで山程存在しているのだから。
今は金魚鉢のような小さな世界で生きているから多少の変化にも不快感を覚えるだけで処理出来ているのだろう。
でもこれからずっとそのままでいられる訳が無い。
これから私は生きていく限り、否が応でも世界を知っていくのだから。
ズレの中で生きて行くのだから。
「もう疲れちゃったなぁ」
雨宿りをしていたバス停のベンチで小さくぼやく。一見すると雨宿りに疲れたように見えるのだろうか。
雨宿り以外で疲れている私はおかしいのだろうか。
でも私にとって雨宿りは私自身の悩みに比べれば大した事はないわけで。
「いかん、混乱しておる」
バス停の粗末な屋根から滴る雨粒を見ながら世界とのズレについて考える平日の午後。
たったそれだけの事なのに、やはり相当に疲れているらしい。
私の軟弱な体も矮小な脳みそもズレに対応し切れていない。
「太宰治の人間失格をご存知かしら、お嬢ちゃん」
いつからそこにいたのだろう、私の目の前にはセーラー服を雨で限界まで濡らした少女が立っていた。
ペタリと体に張り付いたセーラー服は清楚というよりも艶かしく、しっとりと湿った黒髪は妖艶だ。
モデルのような華やかな美しさではないけれど、内に秘めた美しさで世界を魅了する人。
例えるなら彼岸花のような危うい美しさを醸し出している人。
私はこの人を知っている。
「わが親愛なる幼馴染がお世話になっております、腐れ外道先輩」
「あら。なかなか良いあだ名ね」
「ご友人がいないと嫌味にも気が付かなくなるのですね」
「友達がいなくても優しい後輩がいると、どうにも悪意に鈍感なってしまうのよね」
どこまでが本心かは分からない少女。
雨に濡れた体では寒いだろうに、私に遠慮してかバス停の中には入ってこない。
あくまで私と一線を置くような距離で雨に濡れ続けている。
早く入ってしまえばいいのに。
だが、それを私から言うのも不愉快極まりない。
「濡れてますよ、セーラー服」
私なりの精一杯の妥協に、少女は初めて人間らしい笑みを見える。
それまでの笑みは何だかロボットのようだったけれど。
「ふふふ、気付かなかったわ」
「馬鹿ですか」
「ええそうなのよ。少しお邪魔してもいいかしら?」
「お邪魔も何も私の物ではないので」
私の言葉に少女は首を傾げる。
こんな仕草も様になるのだから美人は得だ。
「でもそこは貴方の世界でしょう?」
「……先輩の世界でもあるでしょう?」
「そうかもしれないわね」
含みのある言い方をする。
何を考えているか分からないこの少女と何時迄になるか分からない雨宿りをするのは非常に疲れる行為なのだけれど、この場合は致し方ない。
少女は素早い動作でベンチに座る。
ここでも彼女は私と一定の距離を取りながら座る。
別に距離感が嫌なわけではないけれど、何故だか少々気に障る。
しはらくじっとしていた少女だが、突然、その思考を妨害する形で言葉を発した。
「井上さん、私と少しお話をしましょうか」