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第九話

 藤吉凛子ふじよしりんこは文学科三年で、高田ゼミで古典文学を専門としていた。高貴と同じである。文学科の同期として洋太郎、悠平、比呂ともよく見知った仲であり、長い黒髪とスラっとした長身、中身は少々おっとりしているが真面目な普通の女の子。と、高田は認識していた。

 意識を取り戻した後、彼女は取り乱すでもなく、ただ無言のままそこに座り込んでいたと言う。一緒に来るよう促すと、ふらりと立ち上がって高貴たちについて来た。講義のためそのまま教室に向かった伊坂と入れ替わるように、授業が終わった比呂と美恵が研究室に揃っている。相手が女子ということもあって、ふたりが来てくれたことに高田は感謝した。凛子はぼうっと椅子に座ったまま、何かを話そうとはしない。彼女に何があったのか、それを聞くには少し時間がかかりそうだった。

「記録にも残していなかったし僕の記憶からもすっかり抜け落ちていたけど、思い出しました」

 高田は記憶の底から少しずつ引き上げるように話した。モノは、自分の存在を見つけてもらえる者に縋る。自分の存在を認めてくれる者を求める。人間から産まれ、自分をわかってくれるものを、求めている。

「ちょっと待って、その理屈だと藤吉さんも見えているってことに」

「そうです」

 不意に、凛子が口を開いた。はっきりした言葉。全員が彼女に視線を向ける。

「藤吉さん、大丈夫?」

「はい。もう落ち着きました。ご心配をおかけしました」

 先程までの表情のない姿から一変、凛子はふわりと笑みを浮かべ、丁寧な口調でそう言った。いつもの凛子らしい、いや、それよりも寧ろしっかりして見える。おっとりして、時々ちょっと天然ぼけな彼女よりも。

 ラウンジにモノが現れたとき、凛子は裏庭にいた。事務所からの帰りだった。反対側から歩いてきた高貴の後ろに黒いモヤのようなものを見た。

「なんだろうと思ったら、急に足元から嫌な感覚に襲われていました。広井も伊坂先生も私がいることには気付いていなかったけど、あのモヤモヤは私のことをはっきり見てました。相手には目があるわけでもないのに、はっきりと目が合ったような気がしました」

「すまん。俺が裏庭に連れて行ったせいで」

「広井は悪くないよ。助けてくれてありがとう。洋太郎も」

 怖かったけど、と小さくこぼす凛子の肩に、比呂がそっと手をかけた。

「あれは誰にでも見えるものじゃないし、誰にでも感じられるものじゃない。今のところ普通の人間には害を及ぼしていないけれど、何が目的なのかも、これからどんな影響があるかもわからない。だから僕らはあれと戦っています」

 怖い思いをした彼女にこんな話をするのは酷かもしれない。自分の教え子にこんなことを話すなんて人としてどうかしているかもしれない。けれど。

「あの頃、岡本ゼミのほとんどの学生にはモノが見えていた。どうしてかはわかりません。そして今、僕らにだけ見えているのはなぜなのかも。もしかしたら、もっと多くの人たちがあれを見ているのかもしれない。恐怖しているのかもしれない」

 自分はそれに対抗する術を持っていて、こうしてモノを感じ、見ることができる仲間、適合者がここに集っている。だから言うことはひとつしかない。

「一緒に戦った仲間の中に、同じようにモノに襲われた女子がいました。彼女は恐怖心を打ち消すため、前線で戦うことを決めた。この武器で」

 近づかずにモノを倒すことができる武器。高田は包みから二丁の銃を取り出して凛子の前に置いた。強制はしません。それが精一杯の、今かけてやれる言葉だった。もっとも、ここまで話してしまってからでは遅いのかもしれないが。

「先生、詳しく教えてください。私やります。こんな怖い思いを、他の人にもさせたくない」

 凛子は拳銃を両手に掴んだ。 真面目でおっとりした普通の女の子。しかしそれ以上に優しく、人のことを想える強い心の持ち主なのだと、高田は認識を改めた。

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