お嬢様と霊獣
ある晩、私は館の裏庭にいた。しばらくすると霊獣が私の前に現れた。
私は就職するにあたって、霊獣とともに暮らすことをやめていた。
この国に霊獣が存在することはあまりにも有名であった。だが、実際の霊獣の姿を知る者は、ほんの限られた一部の者たちしかいない。霊獣は、知らないものが見れば一風変わったオオカミとしか思わないだろう。とはいっても、私が霊獣とともにいると、私の正体が露見してしまう可能性が高くなってしまう。
私は安定した生活を手に入れるために霊獣と別に生活することにした。霊獣はもともと野生のような性質ももっているので心配はいらなかった。こうして、たまにお互いの無事を確認すればそれでよかった。
霊獣は私の脚に鼻を摺り寄せてきた。私はしゃがんで、両手で霊獣の顎の下を撫でてやる。霊獣は嬉しそうに目を細めた。
と、後ろに気配を感じた。
「お嬢様」
振り向くと、お嬢様が目をキラキラさせて立っていた。
「わんちゃん」
お嬢様は霊獣に駆け寄った。
霊獣はクゥゥンと鼻を鳴らすと、撫でてくれと言わんばかりにお嬢様の手をペロペロなめる。
「よしよし、いい子ね」
お嬢様の愛撫に、霊獣はとうとうごろーんと寝そべって腹を出し、くねくねしだした。
ちょっとまて。私にはこんな態度は見せたことがないぞ。喜びすぎだぞ。私は少々複雑な気分になった。
「ねぇ、このコの名前は?」
お嬢様に問われて、私は戸惑った。
名前はある。あるにはあるが、それを言うことは憚られた。
「ないの?」
「とくには……」
口ごもる私にお嬢様の視線が突きささる。しばらく気まずい沈黙が続いた。
「じゃあ、私がつけたげる」
お嬢様はニンマリと笑った。予期せぬ展開に固まる私を尻目に、お嬢様は霊獣になにやら語りかけているようだった。
「フワッポ。フワッポがいいわ」
「ふわ・・・ぽ?」
聞いたこともない単語に私の思考は停止しそうになった。
「ふわふわの尻尾だから、フワッポ」
お嬢様は勝ち誇ったように言った。
いくらなんでも、そのネーミングセンスはどうにかならないのだろうか。
「フワッポ」
お嬢様の中では、もう『フワッポ』決定しているようだった。なんども「フワッポ、フワッポ」と霊獣に呼びかける。そして、霊獣はそれに答えるように、短く「ワフッ」と吠える。
かなり嬉しそうだ。当の本人が気に入っているのなら、私に口を挟む余地はなかった。
霊獣の名は『フワッポ』に決定した。そして、フワッポはお嬢様のペットとして、館に暮らすことになった。
大きな真っ赤なリボンを首に巻き、フワッポと名付けられた犬を、霊獣と思うものは誰一人としていなかった。