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神になるだけの 簡単なアルバイトです。

作者: 32➡1


 業務内容

 神になって頂くだけの簡単なアルバイトです。

 初心者・未経験者歓迎。スタイル指定無し。


 給与

 日給七千円。 交通費・その他必要経費全額支給。


 最寄駅

 JR新宿駅 徒歩三分。

 京王線・小田急線・地下鉄(東京メトロ丸の内線・ 都営新宿線)新宿駅 徒歩三分。

 都営大江戸線 都庁前駅 徒歩二分。


 応募先

 JО東日本 日本神託東日本新宿本部人事部。

         03‐50XX‐XX10



















 見慣れない職種のバイト募集広告は、タウンワークの隅に申し訳程度に掲載されていた。

 先週まで勤めていた接客業のバイトを適当に繕った理由で辞めてから、そろそろ動かなくてはと焦燥感に駆られ始めていたので、何とはなしに開いたそのページを見て俺は興味本位で電話をかけてみた。

 二回ほどコールしたあと、女性の凛とした声が耳に飛び込んだ。

「お電話ありがとうございます。日本神託東日本新宿本部人事部、担当の中村と申します」

 マニュアルすべてを脳裏にきざんだような饒舌で、女性は中村と名乗った。電話の向こう側でも常に笑顔を絶やさないような、実に模範的事務員な印象の声だ。

「本日はどういった御用件でしょうか?」

「そちらで募集しているバイトの広告を見たんですけれども」

「はい、ありがとうございます。日本神託所属の神になって頂くと言った業務内容での募集となりますが、こちらでお間違えないでしょうか?」

「はい」

「ありがとうございます。まずはこちらのお電話にて簡単な御質問を幾つか伺いますが、只今お時間の方は宜しいでしょうか?」

「大丈夫です」

「かしこまりました。それでは御質問させて頂きます。まずは御名前の方を御伺いしてもよろしいですか?」

「鈴木です」

「鈴木様でございますね。鈴木様は弊社の業務の詳細についてすでに御存知でしょうか?」

「いえ、未経験です」

「はい、それでは御説明させて頂きます。こちらは業務内容にある通り、日本神託所属の神となって頂きます。神とはつまり、文化・民族・地域における崇拝対象である概念、弊社ではこれを実体化させ、神を必要としている信者の方々に神材派遣・提供を行っています。鈴木様には後日、面接を行って頂き合否判定の後、日本神託の所属神となって神を必要としている御客様の元へ出向いて頂く、と言った業務になります」

「派遣バイトみたいなものなんですか?」

「いえ」

 中村は上品にかすみかかった笑みをクスッと漏らして、少し間を置き続けた。

「出向いて頂く、と言っても鈴木様は神ですので。呼び出したら容易く現れてしまうような神では有難みに欠けてしまいます」

「つまりはどういう?」

「実際に信者の方々からの呼び出しに応じられるかどうかは、神である鈴木様が決定して頂いて構いません」

「応じない場合はどうなるんですか?」

「宗派にも由りますが、大抵の場合は信者の方々は健気に信仰を続け呼び出し続けるでしょう。滅多に応じないからこそ得られる信仰というものもありますので」

「それじゃあ逆にたくさん呼び掛けに応じると?」

「それはそれとして、信者想いの善き神として信仰を集めることになる場合が多いですね」

「応じる内容や、数によっての給与の増減はあるんですか?」

「いえ、一切御座いません。日本神託の所属神になって頂いた時点で毎日給与は発生致します。ただし、ある程度多くの信仰を集められた優秀な神には給与の他に評価に応じてボーナスを御渡ししております」

「なるほど」

 そこまで聞いて、俺はこの耳慣れないバイトに強い関心を抱いていた。

 客から呼ばれても無視しようが金は手に入る。暇な時には気分次第で客の話を聴きに行ってやればいい。すべての決定権を持つのは神である自分なのだ。これほど俺が望んでいたバイトが、今まであったろうか。未だに怪しさは拭い切れないが、調べてみれば歴とした法人企業だった。少なくともマルチの被害にあうようなこともあるまいし、俺が知らないだけで神になる仕事ってのはこの御時勢、案外需要のある職種なのかも知れない。

 中村との電話を終えてから三日後、新宿のJO東日本に面接に向かった俺は面接官である初老の男性と二、三言葉を交えその場で合格となり、晴れて神となった。

 面接官いわく、「神とはきまぐれであるべきであるのだから、キミにはぴったりだろう」とのことだった。






 採用となってから二日で、神である俺を信仰しているという『鈴木教』といった団体から初めての呼び掛けがあった。

 神材派遣担当社員の加藤と言う男から連絡があり、あとは直接俺のところに『鈴木教』の教祖から呼び出しがかかるらしい。

「とりあえず最初くらいは信者に会ってあげるといいよ。何事も始まりは肝心だからね」

 そういう加藤からのアドバイスで、俺は『鈴木教』の教団へと赴いた。

 西東京の外れにある市街地に、『鈴木教』教団本部はあった。ただのプレハブ小屋だ。

 教祖は三十代ほどのスーツ姿をしたサラリーマン風の男で、立て付けの悪い引き戸を開けて俺を中へと招いた。

 こじんまりとした部屋の中には他の信者と思われる白い髭を無造作に伸ばしたホームレスみたいな老人と、女子大生くらいの若い女がパイプ椅子に座り輝いた瞳を一心に俺へと向けていた。

「ようこそおいでくださいました神様」

 くしゃくしゃな顔をした老人が唾を飛ばしながら俺へと近付いて来る。

 たまらず嫌悪感を覚えたが、社員である加藤の言葉があったのでとりあえず手を差し伸べておいた。

「おお、ありがたやありがたや」

 老人の手はしわくちゃで、氷のように冷たかった。

 その後ろにはもう一人の信者である女が尻尾を振る子犬のように俺を見詰めている。

 顔は、悪くない。少し子供っぽい顔立ちだが育ちのよさそうな可愛い娘だった。俺は意外に思いながらも、しつこく手を握ってくる老人を振り切りその娘にも右手を向けた。

「あ、ありがとうございます。わ、わ、私、神様に出会えて感激です」

 まるでちょっとしたアイドル気分に浸れた。ただのバイトなのにここまで人に感謝されることなど、普段の生活でも今まで味わったことのない快感だ。

「……畏れ多くも神様、よろしいでしょうか」

 教祖の男は俺の後ろに立って仰々しく言った。

「我らは神様である貴方様を崇め奉るために集まった心神深い教徒であります。この嘘と欺瞞、戦争と経済の悪化、度重なる政治不信に続く戦乱の世で、我らの救いは貴方様に身も心も奉じる事と見出しました。どうか我らを、貴方様の信徒であることを御許し願いたく今日御呼出し申した次第で御座います」

 突発的に語られた内容は半分も聴いていなかったが、三人がいっせいに床へと這いつくばったので、ぎょっとしながらも頷いておいた。

 それから教祖は『鈴木教』の経典やら決まり事やら難しい話を老人と女に向かって説いていたが、あまりに退屈だったので俺はパイプ椅子に座り居眠りしていた。

 三時間くらいで集会は終わり、三人の信者に見送られて俺は教団本部をあとにした。

 こんなことであとは出向こうが無視しようが金が入るというのだろうか。その時の俺はまだ半信半疑だったが、神として扱われるのも悪い気はしなかったので今後について前向きに考えていた。

 最寄駅の前まで来て、見知らぬ男に肩を叩かれた。

「なにか?」

「あんた、新神だろ。JO東日本所属の同業神の北川だ、よろしく」

 俺と同じ二十代くらいの眼鏡をかけた男だった。北川と名乗ったそいつは喫茶店へと誘って来たので、近場のドトールへと入った。

 俺はアイスティーを、北川はホットコーヒーを注文して席に着く。

「で、初仕事はどうだった?」

 北川はコーヒーにミルクを垂らしながら、ちらっとこちらを窺った。

「これが仕事って言えるのか、ちと疑問だな」

「違いないね」

 コーヒーを啜り眼鏡を湯気で曇らせて北川は笑った。

「……だがこれは紛れもなく仕事だ。しかもかなり高度な接客業なんだよ」

「接客業? この仕事が?」

「そうさ」

 頬杖をついて北川はにやりとした。

「考えてもみろ、神を崇めたくて俺ら派遣神を呼び出す信者どもは腹が減ったからファミレスなりファストフード店なりに来る客と同じだ。今こうして軽く話したいから喫茶店に来ている俺たちもそうだろう」

「まあ、そうだな。だが高度って言うほどのことかな。俺がついこの前までやってたスーパーのバイトの方がよっぽど大変だったと思うんだが」

「そりゃまだ鈴木くんが新神だから思うことだ、当然だけどね。この派遣神ってのはスーパーやらコンビニやらの物を売る接客業とは違う。もちろん、美容室やアミューズメント施設みたいなのともな。これは、信仰を売る接客業だ。まぁ聞き流してもらって構わないから飲みなよ」

 促されるまま俺は自分のアイスティーに口を付けた。北川と言えばガラスの向こう側を忙しなく行き交う人混みを眺めていた。

「他人がなにを信じて生きているかなんて、考えたことがあるか?」

「あまり興味ないな」

「だろうね、俺もだ。だが、実際のところ人は何かを信じなくしては生きられない。それが自分であったり、恋人や家族であったり、金だったり、仕事だったり。でもよ、信じられるか? 恋人や家族なんて所詮は他人さ、金だって使っちまったらそれまで、仕事なんてもんはどんだけ会社に貢献してもいつクビを切られるかも知れたもんじゃない。ましてや、自分自身を信じるなんてことが、出来ると思うか?」

 横切っていくのはどれもが無表情の人、人、人。北川の言葉と先ほどの教祖の言葉が重なって聞こえる。「我らの救いは貴方様に身も心も奉じる事と見出しました」、つまり――

「人は文化と文明の発展に伴って信じる対象を見失った。だが本能を抑制するなんてことは出来ない。人が何かを信じてたいってのは、知性と感情を持った時点から備わっている根源的欲求なんだ。それを商売にしてんのが、俺たち派遣神なのさ」

「訊いてるだけだと芸能人とかと変わらなさそうだが」

 俺の返答に北川は目を丸くしてから、ブッと噴き出した。馬鹿にされたような気がして顔をしかめるとそれに気付いたのか北川は「悪い悪い」とさして謝意など無く言った。

 笑いを堪え北川は続けた。

「勘違いしちゃいけないよ、神は人間じゃない。アイドルやらモデルやら、俳優やら声優やらアーティストやらの気分で神になるもんじゃない。神が自分語りなんてしてごらんよ、たちまち神性は失われ、信仰心なんて一瞬で消滅する。いいか、神は全能なんだ。なにをやっても許される。極論を言えば信者の中に可愛い女の子が居たら無理矢理レイプしたって誰も文句は言わない。むしろ有難がられるくらいだ」

 一瞬、あの娘と重ねた右手に汗が滲み自然と喉が鳴った。

「腹が立ってむしゃくしゃしてる時に信者の小汚いおっさんを殴ったってそれは神罰ってことになるから問題にもならない。自分の信者を殺したって罪に問われないんだ」

「そんな馬鹿な」

「そう、馬鹿なんだよ。そんな愚かなことをする神なんて馬鹿に決まってる。でも神が馬鹿でも人間には関係ないんだ、神に人智など及ばないんだから、たかだかちっぽけな人間の考え方に当て嵌める方が罪になるんだ。信者が神に求めることはそこじゃない。全能であるが故に、欠落していなくちゃならないんだ。鈴木くん、これは先輩である俺からのアドバイスだけどね。《神は決して人になってはいけない》」

 おそらく、この時の俺は半分も理解していなかっただろう。北川のアドバイスの意味を思い知ったのは、それから二ヶ月も後のことだった。






 神となってから、俺は週に二回ほどの頻度で『鈴木教』の集会へと出向いていた。

 発足当時は三人しかいなかった信者が、この二ヶ月で三十人にまで増えていた。中には主婦や会社経営者、警察官なんて者まで入信してきている。

 始めは最初だけ顔を出してあとは適当に無視してやろうと考えていたが、本当に何もしていない日でも日給はしっかりと発生していることを知り、暇を持て余してしまうほどになっていた。退屈しのぎに教祖の退屈な説法を聴きに行き、信者たちに有難がられ、くだらない優越感に浸ることくらいしかやることが無かった。

 信者が増えるにつれ、プレハブ小屋で集会を行うのも厳しくなってきた頃、教祖に新しい教会を用意していいかと持ちかけられた。勝手にしろと言うと、次の集会場所に指定された場所には市民ホールのような建物があった。信者たちが金を出し合い、自分たちで用意したのだという。

 内装も少しばかり豪華に飾られ、高級そうなカーテンやオルガン、御祈りのあとにはお茶と茶菓子まで出るようになった。無論、俺はその一切に手を付けはしない。あの時の北川の言葉が引っ掛かっていたからだ。そのため俺はなるべく信者たちには深入りせず、日々の集会をぼうっと観察するだけに留めていた。

 そして北川から今夜空いてるかと誘われたのはつい先ほど、集会が終わって帰り支度をしていた時だった。

 新宿にある安いチェーン店の居酒屋に着くと、そこには北川の他にも三人の姿があった。

「お疲れさん、先に始めさせてもらってるぜ。まあ座れよ」

 生ビールを片手にすでに顔が赤みがかっている北川の隣に、俺は腰を下ろした。

 対面して座っているのは同僚の星野と高橋だ。それと、初めて見る女性がその横に居た。

「鈴木は初めて会うよな、彼女は先週神になったばかりの中村ちゃんだ」

「はじめまして、中村と申します」

「いや、はじめてじゃないな」

 通しの枝豆に手を伸ばしながら俺が答えると、みんなはきょとんとした顔でこちらを向いていた。北川がいつものにやついた顔で、脇腹を小突いてくる。

「合コンじゃないんだぜ?」

「こんなむさくるしい合コンなんかあってたまるか。中村さんのことは知ってる、会ったことはないけど」

「……あ、もしかして」

 彼女は肩ほどまで伸びた髪を靡かせ、笑顔で両手を合わせた。

「鈴木さんって、あの電話の時の鈴木さんですか?」

「そうそう」

「わぁ、合格なさってたんですねぇ」

「面接受けに行ったら、その場でまさかの採用」

 枝豆を口に放りながら、俺は二ヶ月前、電話の向こうで会話していた人物との再会とも言えるのか微妙な出会いを成し得ていた。

「なんだ、知り合いだったのかよ」

 見るからに体育会系である大柄の星野が豪快に割言って来る。一応、否定はしておいたが人の話が耳に入らない奴なので成果は期待できそうもない。

「彼女は元々、人事部の事務員としてバイトをしていたんだが、先週付けで派遣神として再雇用されたんだ」

 北川の説明で、ようやく中村がこの場に居ることの意味を理解した。彼女は俺よりもJOに勤めている期間は長いが、神としてはまるきりの初心者だ。つまり、俺に出来た初めての後輩ということになる。

「そんなわけで、中村ちゃんの世話は鈴木に頼んだ。神について詳しく教えてやってくれ」

 ようやく一番下っ端から離脱出来たと思った矢先のことだった。

 俺が神について教えるだなんて、予想だにもしていなかった。

「無理だ、俺にだってそんなもん分らないのに」

「前に教えてやったじゃないか」

「だったら北川が教えてやればいいだろう」

「神が人に頼っちゃ駄目だよ」

 ドッと笑いが起きた。北川御得意の冗句で情勢は完璧に俺の不利となる。仕方なしに承諾すると、中村が愛想良く「よろしくお願いします、先輩」と言った。

 そんな何気ない話題をつまみに、酒は進んだ。

「そういや高橋よ」

 ウイスキーを瓶のまま仰いでいた星野が、この場でまだ一言も発していない男、高橋に話題を振った。高橋は元来寡黙な男だ。酒の席で黙りこんでいたとしても、今さら誰も気にはしない。そんな男に話掛けるということは、それなりの重要性無くして有り得なかった。星野の顔はめずらしく真剣だった。

「お前んとこの信者がまた事件を起こしたそうじゃないか」

「……」

「何もお前のやり方に口を挟むわけじゃあないが、『高橋教』の信者どもは半暴徒と化しちまってんじゃないのか。身内でのいざこざは宗教に付きもんだが、他者や社会にまで悪影響を及ぼしちまうのはどうかと思うぞ」

 高橋は典型的な《神は俗世に関せず》型の神だ。彼が神となってから一年は経過しているが、今まで高橋が自らの信者たちによる呼び掛けに応じたことは一切ない。『高橋教』の信者は、神である高橋の姿を一度も垣間見たことなど無いのだ。面倒であるとか、やる気がないと言った理由では無く、これもまた高橋の考える神の概念なのである。その証拠に施しなど皆無である『高橋教』は業界内でもトップクラスの信仰を獲得していた。信者たちは皆、神である高橋の信念に直向きに従っているのだ。だが一方で、近頃一部の信者たちが高橋に応じてもらおうと放火、窃盗、他宗教の否定や教会などの破壊行為に及ぶといった過激な活動を行っていることは確かだった。つい先日も高橋の教団幹部が十代前半の少女を拉致したことで逮捕された。幹部は、神に捧げる生贄だったと証言している。

 対する星野は《人は神により救われる》型の神である。積極的に信者たちを導き、良き方向へと導く御手本のような神だ。高橋とは真逆で、彼は信者たちの呼び掛けを断ったことがない。その為教団発足以来、入信者数は常に右肩上がりを辿っている。

 そんな対極的である二人は、何かと意見をぶつけ合うことが多かった。普段ならば、互いの考える神の在り方を語らう、その程度で済む話だったのだが、その日は違った。

「神の面を被った小悪党に説教される覚えはないな」

 挑発するように高橋はせせら笑い、……いや、高橋は実際に星野を挑発していた。軽蔑し、見下していた。

「どういう意味だ」

「いつまでも誤魔化せると思うな、俺は貴様の玩具に成り下がっている愚かな信者どもとは違う。そもそも信者たちですら気付き始めているんじゃないのか?」

「おいおい、酔ってるのか?」

「白状したらどうだ。貴様、間引いてるだろう」

 その場に居た全員が息を飲み星野へと視線を向けたのが分かった。

 ――間引く。それは、神が信者を選ぶ、選定すると言うこと。

「人は神を選ぶ権利がある。これは日本国憲法第三章第二十条に明記されている人間の持つ権利だ。人間はこの権利により、神の提示した条件の元、己が信ずる神を選ぶことが出来る。星野、御前が提示し目指した神の姿は、人々を善へと導くことだったはずだが」

「……その通りだ、現に」

「現に、御前は間引いた。善へと導けないと御前が勝手に判断し、その信者を秘密裏に処分していることを俺は知っている」

 空気が凍りついていた。神としての星野はJO内部でも評判の、平和への礎となるであろう評価をされていたからだ。個々の神による違いはあれど、誰ひとりとして星野のやり方を否定出来るものなど居なかった。今、この瞬間までは。

「だからなんだってんだ」

 開き直るように星野は言った。

「俺はしっかりと人々を導いているんだ。そのやり方がどうであれ、俺が導くことにより救われ、社会へと貢献する信者が大勢生まれたのは事実だ。御前のような何もせずただ傍観者を気取っている異端神とは違う」

「もっともだな」

 くつくつと堪えきれずに高橋は笑った。まるで楽しんでいるようですらあった。

 俺は隣の北川に目配せするが、この件に関しては口を挟まないと決め込んだらしく二人のやり取りを真摯に眺めていた。

「なら、何故隠す」

「言う必要がないからだ」

「宣言してやればいい、悪人は殺すと」

「恐怖で人を導いては意味がない」

「なるほど。ところで、先日俺の信者から面白いものが届いたんだ」

 そう言って高橋は一枚の紙切れをテーブルへと放った。

「読んでみろよ鈴木」

 言われるがまま、俺は二つ折りの紙を手に取り、広げた。

 そこには、若い娘が書くような丸い文字で、しかしそれは所々震えていて文字が書かれていた。



 わたしは、今日、神様の啓示を受けました。

 神様は、いつもの集会のあと、直々にわたしのもとへと出向いてくださいました。

 わたしと神様、ふたりきりの部屋で、神様はわたしに仰いました。

 あらゆる穢れを払拭し、わたしを神様と同じ光の地へと導いてくださると。

 それは、明日の晩。教会の地下、神様のおられる神聖な場所で。

 選ばれし信徒がそこへと導かれるのは、てっきり噂話だとばかり思っていたので、わたしは今でもどきどきが止まりません。

 このことは神様とわたしだけの秘密だと仰いました。

 ですが、せめて、自分の気持ちを吐き出せるここでくらいは御許しください。

 明日の晩、わたしは神様のもとへ旅立ちます。



 ――俺は手紙から目を離せなかった。悪寒がした。気付いてはいけない何かが、すぐ後ろまで迫っていた。

 北川は俺の手から手紙を抜き取り、さっと目を通して黙ったままテーブルへと戻した。中村はそれを恐る恐る覗き込み、すぐに目を伏せた。星野は、微動だにしなかった。

「この前、俺の信者が拉致ったっていう中学生の少女が持ってた手帳の断片だ。後からこの少女が星野の信者だってことを知った。……で、その後彼女の様子はどうだ? 謝礼の一つでもしておきたいところなんだが」

「高橋」

「それと少しばかり気になって調べたんだが、御前が最初に間引いた信者は女だったそうだな。次に男の信者を二人同時に。次いでまた女を一人。次に男。と来れば次は」

「もうよせ」

 北川の声だった。

 不満そうに高橋は舌打ち、そしてまた一言も喋らなくなった。

 突然、「すみません」と中村が席を立った。北川が俺の肩を叩き、「俺は御前に任せたからな」と勿体付けるので、渋々彼女を追いかけた。

 トイレの入り口に中村は寄りかかっていた。俺が声をかけると「平気です」と顔を上げた。思ったほど顔色は悪くないので安心する。

「あのメモ書き、あれってつまりその、そういうことなんでしょうか」

 たどたどしく回りくどい表現だったが、その意味は理解できた。おそらく、あの場において星野が行っていた『間引き』と、彼に選ばれた少女のその後について、皆が想像していることは一致している。

「星野さん、業界内でも評判のいい神様だったのになぁ」

「神はきまぐれで良いんだろ、それなら一概にあいつがやっていたことが悪行ってわけでもない」

「そうですけど、信仰を集めるに当たって神のイメージ戦略ってのは重要ですよ。星野さんは上手いこと隠してたみたいですけど、外部にそれが漏出してしまった今、それも難しくなると思います」

「善行を謳っていながら間引きを行っていたことが信者に知れたら、信仰は減っていくものなのか」

「そういうケースが多いです。邪神と呼ばれる神も中にはいますけど、その方々はきちんと公表したうえで信仰を獲得しているので問題にはなりませんが、やはり当初の目的からぶれてしまうと信仰は著しく失われてしまいます」

「神になった目的か」

 そんなものなど何一つなかった俺には検討もつかない問題だった。強いて言えば好奇心と楽に金が手に入ることが目的だったのかもしれない。だが、果たして今もそれが目的なのかと思うと自分でも分らなかった。

「中村さんは、なにか目的があって神になったの?」

 俺の質問に彼女は大きな瞳を丸め一度瞬き、「憧れてる人が居るんです」とはにかんだ。






 星野と高橋が死んだことを訊いたのは、それから二日後のことだった。

 飲み会の翌日。いつものように呼び掛けにも応えず自宅に居た高橋を、星野の信者である男が襲撃して殺害したのだという。その数時間後、高橋襲撃の件について星野の教団へと訪問したJO東日本関係者によって教団本部地下にて死亡している星野の姿が発見された。自殺だった。

 JO東日本の調査によって、星野が行っていた『間引き』の真相は解明された。まじめで正義感の強い男だったが、彼には以前から未成熟な少女に対しての性的倒錯があったことが分った。星野によって最初に間引かれた少女は教団地下にて暴行を受け、それを偶然目撃してしまった男性信者ともども殺害された。その後も星野による『神の啓示』を受けた少女と、啓示の情報を偶然にも入手してしまった信者たちは尽く間引かれている。あのメモを残した少女の遺体も、地下室にて発見されたそうだ。

 高橋の襲撃については、神争いとして処理された。いずれ、両神の争いは伝説となって後世に語り継がれていくこととなるだろう。そんな話を毎度のドトールで北川から訊かされ、最後にいつもの調子で「あいつらは結局、神になりそこなったんだ」と言い捨てた。

 席を立ち、店を出て別れたところで、北川は一度だけ振り返った。掛けている眼鏡を取り、そして。

「鈴木は、神なんて本当にいると思うか?」

「文化における概念だって、俺は聞いたぞ」

 俺が答えると、北川は自嘲するように笑って「すまん、忘れろ」と言い去って行った。

 次の集会の日、俺は自分の教団に属する信者の数が格段に増えていることを知った。どうやら大派閥だった星野と高橋の教団が解散し、その信者たちが次なる崇拝を求めて各教団の門を叩いているらしい。他教の信者を向かい入れることは初めてだったが、彼らは何の問題もなく『鈴木教』の教えに則って生活していた。教えと言っても俺が定めていることなど何一つない。だが高橋のように無干渉とは言わず、信者たちが寄せてくる要望や教祖からの提案には耳を傾けた。その中から、なるべく影響力が大きそうなものは除外しあとは自由にやらせていた。言うなれば、変哲もない極普通の社会生活をおくることこそが『鈴木教』の教えだった。善行だとか天罰だとかに興味は向かなかった。

 その後も俺は特別信仰が大きな神でもなかったが、しかし着実に信者たちの数は増えていき、いつしか三神と呼ばれる神へとなっていた。他の二人は業界内でも最古株で名実ともにナンバーワンの北川、それと後輩の中村である。

 『中村教』の成長は凄まじかった。信者の数だけで言えば俺の教団の十分の一にも満たなかったが、信仰は群を抜いて突出しており、頂点に君臨する北川に迫る勢いがあった。あの夜以降、顔を合わせる機会は無かったが彼女の努力が並大抵のものではないことは明白だった。憧れている人が居る、と語っていた彼女は、今でもその人物を追いかけているのだろうか。勝手な推測だったが、それは多分、北川ということになるのだろう。

 その北川からある晩に電話があった。飲みの誘いか、それとも仕事についての情報か、あるいはくだらない世間話であることも多々あったが、その日の用件はどれにも当てはまらないものだった。

「バイトをやめようと思う」

 受話器の向こうから放たれた一言目がそれだった。

「神のバイト、やめようと思うんだ」

「どうしたんだ、なにかあったのか」

「信じられないことが辛いんだ」

 彼の声にいつもの飄々としたものがなかった。捉えにくさの中にある確固たる自信と確信が見当たらず、手につかんだ砂のようにぽろぽろと滑り落ちていく感覚に似ていた。

「神なんていない。だが俺は神だ、人間じゃない。じゃあ俺はなんだ? 人でもなく神でもないなら俺はなんなんだ? 神でも分らないことを、誰が教えてくれる? 神は何に祈ればいい?」

「落ち着け北川、いったいどうしたっていうんだ」

「祈ることを許されているのは人間だけだ、神は人間になったら駄目なんだ。俺は神なんかじゃない。人間なんだ」

 それから暫く、北川は黙り込んでしまった。俺はかける言葉も見つからず必死に彼の応答を待った。静寂の中の心音が煩わしい。呼吸を止めては吐き出しを繰り返す。何分かして、落ち着きを取り戻した北川の冷静な声が聴こえた。

「すまん、少し神を演じるのも疲れたんだ。休養を貰おうと思う、それを伝えようと思ったんだ」

「おどかすなよ、そうだな暫く休んだ方がいい」

「ああ悪かった。……それじゃ、あとは頼んだぜ」

 そう言って、電話は切れた。

 これが北川との、最後の会話だった。






「惜しい人材を失くしたよ」

 数ヶ月ぶりに担当の加藤から電話があった。北川は結局、このバイトを辞めてしまったそうだ。彼を崇拝していた膨大な数の信者と信仰は、彼の意向により丸々俺が引き受けることになった。この事により、現状俺は業界トップの神となった。

「北川くんの分まで頑張って」

 他人事のように加藤は余韻も感慨も無く言い終え、それきりとなった。

 退職したあとの北川の所在も調べようとしたが、決してそれが分かることも無かった。彼に憧れていた中村は、今どうしているのだろうか。不思議なことにあれほどの大型新人だった彼女の話題や噂話も、気付けばまるで耳にしなくなっていた。

 順風満帆だった航海が波立ち始めるのに、それほど時間は要さなかった。

 『星野教』『高橋教』に加え、さらに『北川教』の信者すべてを取り込み大組織となっていた『鈴木教』にも、綻びは芽生え始めていた。元々神である俺、鈴木を信仰していた者たちと、鈴木の育ての親とも言える北川を主神とし崇め、鈴木、星野、高橋を三柱神とするべきと考える者たちとで派閥が分れてしまったのである。

 現存する神は俺だけとなった今、星野が行ったように『間引く』ことさえすればこの混乱は収められるはずだった。だが俺は派閥争いに興味は無かったし、同教団内での争いであれば少なくとも社会に対する影響力はそれほどでもないだろうと判断し、あえて介入することもなかった。実際、派閥が別れただけで『鈴木教』の教えを反故にする信者が現れることはない。しかし、その考えもまた甘かった。今や、日本人の三割に値する人間が『鈴木教』の信者だったのだ。身内での争いにより、社会の中でも格差や差別が蔓延るようになった。

 全容の把握すら困難な中、それでも『鈴木教』に入信してくる信者の数は上がり続け、時代は完全に一宗教内での教派によって別れていくこととなった。

 教派が別れてからと言うもの、俺はどの教派からの呼び掛けにも応じなくなっていた。どこか一つに肩入れをしてしまっては、それこそ人間たちの思うつぼである。神に裏切られたと感じた信者どもはたちまち暴徒となり、内部抗争を激化する原因となるだろう。

 そんな折のこと、事件は起きた。北川を主神とし、三柱神を推し進める『鈴木教B』の教団幹部が殺害された。容疑者はこれまた『鈴木教A』の関係者ではないかと言うことになった。これが事の発端となり、両陣営の緊張感は一気に高まった。

 だが、この事件は俺にとって好機とも言えた。俺は秘かに『鈴木教』の中からあらゆる利害を超えて純粋に俺のみを崇拝する信者だけを数十人集め、第三勢力を生み出していた。そのメンバーは普段はAとBに分れて活動しているものの、俺からの勅命のみを実行する秘密組織でもある。

 メンバーである信者からの知らせが届き、資料に目を通す。思った通り、『鈴木教B』の幹部を殺害したのは『鈴木教A』の信者ではなかった。たとえ教派が別れても、根底にある教えを破る信者が居た場合、その者は異教徒扱いされる。俺が身内の殺害を認めたことは無く、ならばこの事件は外部の犯行である可能性が高いと睨んでいた。さらに調べ進めていくと、その犯人は『中村教』の信者であることが判明した。それは、現存する二大神の神争いになることを意味していた。

 『中村教』が何を目的として『鈴木教』を壊滅に導く工作を行ったかは不明だが、神である俺を失墜させることが目的なのは間違いなかった。対策を講じている最中、加藤から連絡が入った。

「やあ、しばらく。元気にやってるかい?」

「お陰様で」

「そう、それは良かった。ところで鈴木くん、君のところで中村教を潰して欲しいんだ」

 まるで意味の籠っていない社交辞令のあと、加藤はまるでハエでも殺すような軽々しさで言い放った。

「君も彼らには手を焼いていることだろう、安心しなさい。君のことはJO東日本が全面的にバックアップしよう」

「なぜJO自ら中村教を潰そうとするんです、これは単なる神争いではないのですか?」

 かつて例を見ないJO本部の介入は当然の疑問だったが、もったいぶったように加藤は唸る。

「実はねぇ。中村さん、自分の信者に宗教乗っ取られちゃってねぇ。今は実質『中村教』の教祖が信者を操ってるんだよねぇ。人間が神の威光を奪うなんてことがあっちゃ、会社的にはまずいんだよ。これは神争いなんかじゃなくて、駆除。そう、害虫駆除なんだよ」

 耳を疑った。神の座を、人間が乗っ取ることなど可能なのか。それは最早、神の存在意義を脅かしかねない。神など必要なくなる。JOが自ら動くのも無理はない。

 すぐさま俺は『鈴木教』の全信者に向け、神の啓示を発表した。我らを脅かす明確な『外敵』を定め、秘密部隊に属していたメンバーを最も神を敬白していた者たちとして新たな教団幹部とし、内部抗争などしている場合でないことを信者全員に説かせた。今一度、『鈴木教』はひとつにまとまった。

 そこから、事件の収束までさして時間はかからなかった。もとより俺と中村の教団規模の大きさは蟻と鯨を比べるようなものである。

 JO東日本協力のもと、『中村教』の教団本部を包囲し信者たちを拘束、黒幕である教祖の部屋へと足を踏み入れると、そこに全裸で貼り付けにされ吊るされた中村の姿があった。

 教祖はすでに逃げ出したあとのようで、部屋の中にはいない。

 中村のもとへ近付くと、彼女はひたすら「愛してる」と壊れた機械のように繰り返すだけだった。

 電話がなった。加藤からだ。

「ごくろうさま、逃亡していた教祖の男もこっちで始末しといたよ」

「中村も発見した、これからどうすればいい?」

「中村さん、生きてる?」

「ああ」

「それじゃ、鈴木くんが始末しといてよ」

 一瞬、反応が遅れた。だが、そうなることは想定出来ていた。

「人間によって地に堕とされた彼女はもう神じゃない。だが神は決して人間になれない。それだったら、最後はせめて神である君の力で救ってあげなよ」

 そこまで言って加藤は電話を切った。

 信者どもを先に返し、俺は暫く貼り付けとなった中村の体を眺めていた。まるで絵画に描かれた神のようだった。

 延々と愛を説き続ける彼女はまさに女神だ。だが、彼女はもう神としての役目を果たせない。人にも戻れない。

 壁に飾られていた槍を手に取り、俺は彼女の胸元へと突き刺した。赤く染まった液体が皮膚の奥から噴き出す。彼女もまた、神になりきれなかった人間のなれの果てだ。

 なぜだか、三日後には何事もなく彼女が目を覚ましてくれれば、今度こそは本当の神となれるのだろうにと考えずにはいられなかった。






 新宿の通りを歩いていると一つの張り紙が目に留まった。



 急募。

 神になるだけの簡単なアルバイトです。



 このバイトを始めて、十回目の冬だった。

 俺は今でも、神を続けている。

 目的も、答えも見つからないまま、だらだらと。

 早朝の新宿。ゴミ溜め同然の路地裏に、眼鏡をかけたホームレスが座ってこちらを見ていた。歩み寄り、男を見下ろす。

「神は、いますか。あなたが、神ですか」

 男が足下に縋って来る。俺は白い息を二度吐いた。

「神なんていない」

 聞き終えた男は、満足そうに路上に倒れ、動かなくなった。

 その時、俺はようやく救われた気がした。



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